インド初代首相ネルーの著書『インドの発見』のドラマ化。1988年インド製作。1話約
40-60分全53回。(全回タイト
ル一覧表はこちら)。今回は、ムガル時代に相当する南インドに繁栄したヴィジャヤナガル王国
(1336−1649年)の話。第三十話のターリコータの戦いの場面は迫力があります。 第28回 ヴィジャヤナガル(1) 59'01" (9295) ヴィジャヤナガル王国の繁栄ぶりが描かれる。この回の主人公はヴィジャヤナガル王国最盛期の王クリシュナ・デーヴァ・ラー ヤ王(在1509-1529年)。取り合えず殆ど映像資料のないヴィジャヤナガル国王の衣装がわかります。左下は円舞に興ず る王と家臣達。 下右画像では、書記が(やし葉ではなく)紙に筆記している。紙が南インドにも普及してきたということなのかも知れない。書 記の右の人物は国王。 王は演舞観劇に興じながらも(下右)、日々体を鍛え、乗馬の練習に励
む英主として描かれている。
ポルトガル人司教が国王拝謁に来る。その後しばらくポルトガル情勢を知るための
王の顧問のようなことを勤めていた模様。
栄華を極めていた王国にも不吉な影が訪れる。 マレーシア人の剣闘士と、カリンガ王国からの人質の王子との剣試合が行なわれ、敗れたカリンガ王子はその場で自殺してしま う。下右がカリンガの王子。 更に、水道施設の建設を支援していたポルトガル人宣教師が暗殺される事件が発生。 王は、6歳になる自分の息子に譲位するが、その息子も即位直後に病没してしまう(下は即位式の様子)。 第29回 封建制度 42'25" (5802) この回は、サダーシヴァ・ラーヤ王(1542−69年)のヴィジャヤナガル王国の封建主義を描いているようです。前半で は、農村の様子が描かれ、そこでは下記のような牛レースが行なわれ、若者の自由恋愛に厳しい村の掟の世界が描かれています。 後半は、前回の主役クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王の義理の息子ラー
マラーヤ(1485-1565年)が権臣としてヴィジャアナナガル王国を牛耳っていく様子が描かれま
す。ラーマラーヤは、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王死後、アチュタ・デーヴァ・ラーヤ王(1529-42年)の即
位と王室財政への関与を阻もうとし、即位後のアチュタ・デーヴァ・ラーヤ王への影響力を増す(次の第30回の最初の
画像の右側中央の人物がアチュタ・デーヴァ・ラーヤ王)。右側の人物がラーマラーヤのようです。
第30回 ヴィジャヤナガル(2) 52'11" (8807) この回ではヴィジャナヤガル王国の衰退を決定ずける、周辺諸王国との戦いが描かれます。 右は第29話のヴィジャナナガル王、左は30話のビジャプール王アリー・アーディル・シャー(在1558-79年)。イス ラーム王朝とヒンドゥー王朝の宮廷の様子は、まったく異なっていることがよくわかる映像です。静謐な感じのイスラーム宮廷 と、どこか猥雑で賑やかな感じのするヒンドゥー宮廷。対照的です。 下左画像の右の人物は、ヴィジャヤナガルの権臣ラーマ ラーヤ(1485頃-1565年)。左はビジャプール王からの使者。下右はラーマラーヤとその家族(右端は使 者)。複雑な各国の同盟を巡る交渉が描かれる。 度重なる外交交渉の結果、4王国が会盟することになる。下は会盟の様子。左からアフマドナガル国王フサイン・ニザーム・ シャー(推)、イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャー (1518-80/1550-80年)、ビジャプール王アリー・アーディル・シャー。右画像の右端の人物はアップ画像が一度も登場し なかった。皆イスラム教徒なので鳥の丸焼きを囲んで食べている。 1565 年ターリコータの戦い。 このドラマにしては珍しい大迫力。といっても10騎くらいだけど。左端がフセイン・シャー(アフマドナガル)の軍隊。右が ヴィジャヤナガル軍。 エキストラの数は総勢20名程だと思いますが、数百名が戦っているように見えます。砲弾も飛び交いなかなかの迫力。左の象の 上にいるのはイブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャーだと思われる人、右画像の右側の象の上はラーマラーヤ。 敗れたラーマラーヤは陣営に戻り、弟に俺を切れといい、自殺する。こうしてクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ以来約半世紀続いた ヴィジャナナガル最盛期は幕を閉じた。 IMDbのドラマ紹介は こちら |