2018/May/19 created
2019/May/11 updated

古代の女優



1.古代地中海世界

 『ギリ シャ・ローマの演劇』や、『古代ギリシア・ ローマ演劇』によると、女性役は、すべて男性が演じていたとのことです。5世紀頃のアテナイでは、役者は仮面を つけて演じるようになったとのこと(こちら youtubeに、『アガメムノン』の再現劇があり、中盤で男性の声のクリュタイムネストラが登場しています。 実際はこんな感じだったのかも知れません)。
 これに対して、古代ローマでは、雑劇などでは女優がいたような気がしたので調べてみたところ、ミムス劇(雑劇)では 女性がいたそうです(『ギリシャ・ローマの演劇』p125)。
 上記、古代ギリシアとは、基本的に5世紀頃のアテナイの話であることが多く、ギリシアの他の都市や、ヘレニズム時 代・ローマ時代、及び両時代のギリシア語圏での状況にそのまま適用できるのかどうかは不明です。同様に、ローマで女優がいた としても、イタリア半島に適用可能なのか、ラテン語圏に適用可能なのか、ローマ帝国全土に該当するのか、についても不明なの で、これらの点についてもそのうち調べてみたいと思います(wikipediaの「古 代ギリシアの演劇」の項目は、アテナイのことしか書いてない)。
 ミムス劇が中世の旅芸人などに継承され、中世欧州にも女優がいたのかも知れませんが、今回調べ切れませんでした。中 世女性修道院では、院内で尼僧たちの娯楽のため演劇が行われたようですが、今回調べ切れませんでした。クセジュ文庫『世界演劇史』 (p60)の注によると、イタリアでは16世紀に職業演劇団が発生し、12-15名で構成される劇団員のうち、3,4名の女 優がおり、スペインでは16世紀前半には女優が現れていて(15世紀以前の発生の可能性も含意すると思われる)、英国では 1659年、ドイツでは1685年とのことです。
※2019/May/11 古代ローマのミムス劇に女優がいたとの出典のひとつを見つけました。4世紀のアンミアヌス・マルケリヌスの『ローマ帝政の歴史』14-6-19(邦訳1巻 p32)に「女ミーモス役者」が登場しています。

2.古代インド

 古代インドについては、ゲーテの『ファウスト』に影響を与えたといわれる5世紀頃の戯曲『シャクンタラー』の冒頭 の、座長と女優のやりとりがあるように、古代インドには女優がいたようです。『シャクンタラー』(岩波文庫)版の訳者解説に よれば、「一座は男優(naṭa、bharata,etc.)と女優(naṭī)とからなり、配役は自然の性に従うのを通則 としたが、男優が女に扮し、あるいは逆に女優が男に扮することも許された」(p204)とあります。『Sanskrit Play Production in Ancient India』という書籍のp33(こ ちら)には、女優が、Naṭī、Nāṭakīyā、Gaṇikaの三種類にわけられるとのことです(Naṭī は、ドラマの冒頭で登場する俳優の妻(女優なのか?)、Nāṭakīyāは、宮殿の後宮に所属し、後宮の劇場で演じた女優、 Gaṇikaが、古代インドの演劇技法(ラサ、アビナヤ等)の技術を習得した女優、との記載があります(意外に古代インドの 演劇についての情報がヒットするのですが、古代に遡ると考えられる「ナーティヤ・シャーストラ」(演劇論)というサンスク リット語の伝世文献があるそうです。古代インドの演劇史については「イ ンドの演劇―サンスクリット劇とは―」 / 水野, 善文 -- 東京外国語大学総合文化研究所,2016-3-12,総合文化研究 (Trans-Cultural Studies) no.19 p.83-94 紀要論文)に若干記載があります。
 インドの古代演劇は、中世以降どうなったのか、そのうち調べてみたいと思います。

3.古代中国
 漢代については、演劇がなかったと考えられるため、あっても雑技の中に女性がいた程度だと考えられますが、有名な前 漢代の、山东济南出土の加彩陶俑(こちら)で は、女性が混ざっているのかどうか判断できません。後漢時代の河南密县打虎亭2号墓の壁画(こ ちら。ただし、これは出土オリジナルではなく、復元図)では、舞踊している女性らしき人物が描かれていますが、 明確に判断できません。唐代後期は、実名が確認できる劉采春(紹 介記事はこちら)という人物がいます。山 西省広勝寺の元代の壁画には女優が描かれ(こ ちらの壁画写真の中央)、元代作家夏庭芝の『青楼集』には100名以上の女優の名前が記載され、中年以上の男性 や立ち回りを演ずる男性役を演ずる女性がいたそうです(『中国ジェンダー史研究入門』所収「演劇とジェンダー」(中山 文)p447)。更に明清代には公共での女優出演が禁止され、乾隆帝の時代に完全禁止となったとのこと(同p448)。

4.古代イラン

 史料的に絶望的です。ササン朝滅亡後、唐王朝に至ったソグド人やペルシア系の人々の中には踊り子がといわれますが、 史料に登場する胡人は中央アジアの人である可能性があり、踊り子がササン朝の住民かどうかは不明です。踊り子がいたとすれ ば、雑技くらいあったかも知れませんが、現存の史料や資料を見る限り、なさそうな印象を受けます。
 (古代ではないので、今回調べていませんが、ビザンツでも女優どころか演劇そのものさえなさそうな感じがします)

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 それほど力を入れて探したわけではありませんが、文字通り世界演劇史といえそうな日本語書籍はなさそうな印象です。 演劇史の書籍自体、古代ギリシア・ローマー西欧中世近世ー近代欧州を対象とした書籍か、或いは日本の演劇史の本ばかりが見つ かります。クセジュ文庫版『世界演劇史』では、一応第三章で、古代 インドの演劇、ジャヴァとバリ島の演劇、チベットの神秘劇、中国の演劇、日本の演劇、回教圏の演劇、とアジア各地につい て、それぞれ半ページから一ページくらい扱われていて、「世界演劇史」というタイトルは偽りではありません。しかしその 内容は、とりあえず西洋以外の地域に演劇又は演劇に類するものが存在している、ということがわかる程度の記載でしかあり ません。本書は、「西洋演劇史」というくくりを用いようとしても、古代エジプトやメソポタミア、近世以降 の南米などの状況は触れられていないため、西洋演劇史ですらありません。
 Wikipediaの「演 劇の歴史」の項目では(2018年5月19日現在)、冒頭で「西洋、アジア、日本における演劇の歴史について、 その概要を扱う」との記載がありながら、西洋では、古代エジプトやメソポタミアでの演劇の有無の記載はなく、近代以降の東欧 やロシア、南米についても言及はなく、アジアについては日本しか記載がありません。
 そろそろ世界演劇史や世界芸能史全体を扱う書籍が登場してもよいのではないか、と思いました(見つけられていないだ けかも知れませんが、、、)。



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