08/Jul/2017 created
書籍『古代インド・ペルシァのスポーツ文化』の紹介


 この本は、2000年頃に古本屋で見て、価格が3.5K\くらいだったことから買うのをやめた 本です。古代ペルシアのスポーツ情報についてはたいした情報が記載されていなかったため、題名のメモすらとりませんでした。その 頃は、古代イランの史料がここまでない、ということを知らなかったためです。題名の記憶がないため、数年後にその本屋にいったも ののもうなくなっていて、ある意味私にとって幻の本でした。

 最近たまたまアマゾンの検索にヒットし、価格も送料含めて0.5K\以下だったので即座に購入しました。題名が判明したため図 書 館に内容を確認しにいってからでもよかったのですが、500円が記憶にあるこの本の私にとっての価値とほぼ同等だったため、著者が松浪健四 郎、というところがひっかかりましたが即座に購入しました。
 届いて内容を見て見ると、記憶通り古代ペルシアのスポーツについては「ないよりまし」くらいな情報しかありませんでした が、古代インドの方は役に立つのではないかと思います。アマゾンに一応レビューを書きましたが(こ ちら)、今後もしかしたら中古が高額とな る可能性もあるので(現在Amazonでもっとも高額なものは 約35000円の価格となっています。廉価なものが売切れたら高 額商品しか残らない可能性があります)、本記事にて少し詳しく内容を紹介したいと思います。 現代の伝統競技や運動を扱う章も多 く、書籍全体としては、”伝統的なインドとペルシア文化圏のスポーツ・身体文化財・娯楽”を扱った書籍という感じです。現代の部 分も多く、興味に惹かれていつの間にか全部読んでしましました。参考になる情報も多いため、全体的には個人的には\1.5K- 2.5Kという感じす。以下目次と内容の簡介で す。(なお、これも偶然ですが、7本も記事を寄稿している松浪健四郎氏(中年以上に人には説明不要かと思いますが)は、そのうち の5 本をそのまま流用して博士論文を記載し今年3月に博士号を取得されています(こ ちら))。

 (当初簡介の筈だったのですが、かなり詳細な内容メモとなってしまいました。このようなメモを作成するこ とになった理由は、本書がA4版(見開きA3)という大きさで取り回しに難があり、写真集でもあることから紙質がよく=重たいの で、もち歩きは論外、ちょいちょい見直すのも不便であるため、詳細な内容メモを作ることになってしまったためです。本書の購買 を促す紹介ではなく、読まずに済ますための記事のようになってしまいました。


 まずこの本のポイントは、タイトルが『古代インド・ペルシァのスポーツ文化』となっていて、ペルシャでもペルシアでもなく、” ペルシァ”という独特の表記をしている点です。困ったことに、本書の正確な題名で検索すると、国会図書館ではヒットしません (「ペルシア」でもヒットせず、「ペルシャ」で登録されています)。Amazonでは、『古代インド・ペルシの スポーツ文化』ではヒットしません。古代インド・ペルシのスポーツ文化』だとヒットします。一応他に、都立図書 館や大学図書館で検索したところ、ペルシアでもペルシャでもヒットしましたので、基本的には大丈夫だと思いますが、表記によって は検索でヒットしないがために、図書館やアマゾンで在庫があっても、表示されない可能性もあるため、この点注意が必要です。

 本書の全体的な概要はアマゾンのレビューに記載(こ ちら)しましたので、ここではあまり繰り返さず、以下詳細を記載します。前半(写真の部)の目次はアマゾンに掲載さ れていますが、目次の後ろに括弧で内容を追記します。


1.前半(写真の部)の目次

ひとつの項目あたり数枚の写真が掲載されているだけで、しかも古代のものとは限りません。全頁カラーです。インドとペルシアだけ では なく、トルコやチベットのものもあります。ペルシア関連は狩猟の三枚(1枚はターク・イ・ブスタンの浮彫り、1枚は13世紀中世 の皿に書かれた細密画と近世15世紀の細密画と16世紀の錦画)、近世のポロの細密画の三枚、現在のズルハネの11枚だけ。以下 目次です(細密画は基本的に全て近世です)。以下では国別に記載します。

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狩猟(トルコの細密画2枚、インドの細密画6枚、古代インダスの浮彫1枚、古代イラン浮彫り1枚、中世イラン2枚と近世イラン1 枚の細密画)
弓(インド1枚、チベット5枚、ブータン1枚)
ゲーム(古代インド3枚、近世インド3枚、現代インド13枚)
おもちゃ(現代インド7枚)
ぶらんこ(現在インド2枚)
レスリング・相撲(古代パキスタン(クシャン朝)の浮彫り3枚、13世紀イラン1枚、15世紀中央アジア絵画2枚、17世紀アフ ガニスタン細密画1枚、近世イラン細密画1枚、近世インド細密画1枚、近世チベット細密画3枚、現代トルコの切手4枚、現代イン ドの写真9枚、現代アフガニスタン写真1枚、現代トルコ写真9枚)
ホッケー(近世インド細密画3枚)
ポロ(近世イラン細密画3枚、現代パキスタン写真1枚、現代インド写真2枚、現代インドの水牛レース2枚)
ブズカシ(現代アフガニスタンの写真16枚)
巡礼(現代インド写真4枚)
沐浴(現代インド写真7枚、インダス遺跡写真3枚)
水泳(近世チベット絵画2枚、インド細密画1枚)
ボート・レース(現代インド写真3枚)
凧あげ(近世インド細密画1枚、現代インド写真8枚)
ヨーガ(古代インドの遺物写真2点、現代インドの絵1枚、現代インド写真3枚)
舞踊(現代パキスタン写真3枚、初期中世インド浮彫1枚、古代インド壁画1枚、古代インドと思われる浮彫と彫像各1枚、現代イン ド彫像1枚、古代パキスタン浮彫り1枚、15世紀中央アジア絵画1枚、現代ブータン写真2枚、現代チベット写真1枚、現代インド 写真、現代インド写真22枚、現代パキスタン写真4枚、現代アフガニスタン写真2枚)
カバティ(現代インド写真3枚)
祭り(現代インド写真9枚)
大道芸(現代インド写真3枚)
ズルハネ(現代イラン写真11枚)
武術(現代インド写真10枚=カラリパヤットとウルミ)
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正直まったく古代ではなく、殆どインドという感じです。ゲーム、おもちゃ、ぶらんこ、凧揚げ、大道芸、祭り、舞踊、武術はインド だけしかありませんが、これらはペルシャ文化圏でも情報がありそうなものです。「古代のインドとペルシャ文化圏のスポーツに関す る史料」を網羅的に収集するのではなく、”取り合えず手元にあった史料”を並べた、という編集方針であるために、こういう内容に なってしまっているのだと思われます。こういう、史料に馬なりな内容は、私がもっとも嫌いなのですが、まあ、20世紀の著作だか ら仕方がないとは思います。

とりあえず、前半の写真の部は、”インド史上のスポーツと娯楽文化の本”だと思えば有用だと思いますが、古代ペルシャについては まったく役に立ちません。


2.後半(論攷および調査記録の部)の目次と内容簡介

括弧内は著者名とページ番号です(章番号は本書にはなく、私の方で勝手につけました)。

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1.古代インド文化におけるスポーツ・ゲーム・娯楽(カムレーシュ・ダット・トリパーティー/107)
2.野外競技の系譜(小西正捷/113)
3.インド舞踊とその身体性(姫野翠/123)
4.クシャトリアの教育と武芸―古代印度の遊戯・スポーツと身体文化(高橋堯英/132)
5.ヨーガ:精神と身体のメタモルフォーゼ(宮本久義/142)
6.カラリの伝承 西南インド・ケーララ州の道場における儀礼とスポーツ(河野亮仙/150)
7.アカーラー(ヴィヤーヤーマ・シャーラ)―印度のレスリング道場―(高橋堯英/154)
8.インド拳法の道(河野亮仙/159)
9.モヘンジョ=ダーロの大浴場から(佐竹弘靖/164)
10.古代ペルシァの馬文化(石井隆憲/173)
11.古代ペルシァの古典力技(荒木祏治/179)
12.ペルシァ文化圏で誕生した釈迦像(松浪健四郎/188)
13.風土が生んだ砂漠型の思想(松浪健四郎/193)
14.遊牧騎馬民族のゾロアスター教(松浪健四郎/198)
15.トルコの民族格闘技(松浪健四郎/203)
16.騎馬競技とブズカシ観戦記(松浪健四郎/207)
17.ペルシァン騎士道の成立(松浪健四郎/212)
18.騎馬民族と団体スポーツ(松浪健四郎/217)
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 論説のタイトルを見てわかる通り、半分くらいはペルシア関係ではあるものの、釈迦像とか砂漠型思想、ゾロアスター教がスポーツ 文化となんの関係があるのか?と思えてしまうタイトルです。

 このうち、最初の9本と、12章松浪健四郎氏の「ペルシァ文化圏で誕生した釈迦像」がインドの話なので、合計10本がインドの 話。松浪健四郎氏の「ペルシァ文化圏で誕生した釈迦像」は後述しますが、ペルシア文化というよりヘレニズム文化の話です。残り8 本のうちトルコの話が1本あり、残りの7本がペルシア文化圏の話です。古代ペルシアに直接関係あるのは「古代ペルシァの馬文化」 「風土が生んだ砂漠型の思想」「遊牧騎馬民族のゾロアスター教」の3本だけです。松浪健四郎氏が7本寄稿していますが、基本的に 歴史エッセイです。論説だと読んで読むと、論理の飛躍が各所に見られるためです(後述の博論に再掲載されている論説では、一部の 飛躍箇所は、補足文が入り修正されているのを確認しました)。しかし、着眼点や記載されている情報は有益なも のがありました。以下各章について簡単に紹介します。

1.古代インド文化におけるスポーツ・ゲーム・娯楽(カムレーシュ・ダット・トリパーティー/107)
古代インドの都市を描写する文献が挙げられ、水泳や戦車競争、弓、レスリング、剣道、狩猟、球技、チェス、サイコロ賭博など各種 運動、娯楽があったことが紹介され、後半はゴーシュティー(社交的集会)、ナーガラカ(都会の粋人)とその会合(サマージャ)、 ヤートラー(祝祭)、ウディナーナ・ヤートラー(都市近郊の公園へのピクニック)、子供向の遊び(人形遊び)や鬼ごっこなどが簡 単に紹介される。

2.野外競技の系譜(小西正捷/113)
1)古代の軍隊の簡介、2)古代の娯楽競技(毬投げ、ブランコ、ホーリー祭など)、3)闘鶏(ウズラ等)と鷹狩り。中世ウズラ闘 鶏や鷹狩りの様子が後述の『マーナソールラーサ』等から引かれて詳細に記載されている。4)鳩の競技。鳩を飛ばしてコース通りに 飛ばせたりする競技。主にムガル時代の様子の紹介。鳩は伝書鳩にも用いられた。5)凧揚げ 18世紀のベンガル詩人ラムプロシャ ド・シャム(1720頃−81年)の詩の引用。14世紀の詩から凧は登場している。当初は豊穣儀礼にあげられたものだと思われる が、ムガル朝に入り競技化した。競技凧についての簡介。1凧で9個の凧を倒した者にはノウェーシールワーンの称号が与えられると のこと。5)戦車競技、ホッケー、ポロ(チョウガーン) ホッケーは11−2世紀のクジャラート地方で行なわれていた(ジャイナ 僧ヘーマチャンドラの詩頌にでてくる)。ポロは、982年に南インドの碑文で言及。ビールーニーの著作では内陸からカーブルまで 広がっていたとの記載があり、『マーナソールラーサ』での競技施設やルールの詳細が、『フマーユーン・ナーマ』ではメヘル・アン ギーズとシャー・ベグムという二人の宮廷侍女がポロを行なったとの記載があるとのこと。

ソーメー シュヴァラ3世(1127-38年頃)の著した『マーナソールラーサ』 は百科全書的著作で、政治学・法学・医学、占星術、兵法、修辞学、娯楽、競技について記載されている。

3.インド舞踊とその身体性(姫野翠/123)
現代の舞踊を理論的に考察。一応下記各地のインド舞踊の名称がでてくるが、それぞれについて詳述されているわけではなく、共通的 な要素(踵、円運動、武術、手の動き(ムドラー)、ラサ等)について語られる。

バラタナーティヤム:タミル・ナードゥで盛ん。ヒンドゥー神々への祈りの踊り。
カタック:北インド。ムガル宮廷でペルシア文化の影響で発達。
オリッシー:オリッサ州の踊り
クチプリ:アーンドラ・プラデッシュ州の踊り
マニプリ:マニプル州のチベット・ビルマ系の人々の踊り
カタカリ:ケーララ州の踊り(武術カラリパヤットが基本にある)。無言、手振りでせりふを表現する。
チョウ・ナーチ:東インド(西ベンガル・ビハール・オリッサ)。武術パリ・カンダ(パリ=盾、カンダ=剣)が基本にある。剣舞の 一種。

言及されている古代の書籍:
バラタ著『ナーティヤ・シャーストラ』(1−2〜5世紀に成立したと考えられる古代インドの演劇論の書)
ナンディケーシュヴァラ著『アビナヤ・ダルパナ』(身振りの書)

4.クシャトリアの教育と武芸―古代印度の遊戯・スポーツと身体文化(高橋堯英/132)

前半は、初期ヴェーダ時代(前1500-1000年)、後期ヴェーダ時代(前1000-600年頃)と後ヴェーダ時代(前 600-320年)、後マウリヤ時代(前180-後320年)の4つの時代それぞれについて、リグ・ヴェーダ文献(初期)、『ダ ルマ・スートラ(律法経)』(後期)、『実利論』(マウリヤ時代)、『マヌ法典』(後マウリヤ時代)の文献に登場する教育が記載 される。軍事や武術の教育をスポーツの起源と見なすというもの。後半は、仏典『ジャータカ』に登場する武芸やスポーツについての 検討。弓、狩猟、レスリング、闘牛、アクロバット、水泳など。蛇使い、音楽家、賭博などの娯楽についても若干記載がある。

5.ヨーガ:精神と身体のメタモルフォーゼ(宮本久義/142)
1)ヨーガの起源(ウパニシャッド)、2)ヨーガの経典パタンジャリ著『ヨーガ・スートラ』(2−4,5世紀成立)とサーンキヤ 派哲学の簡介、3)中世のハタ・ヨーガ思想(肉体の修練を重視),

6.カラリの伝承 西南インド・ケーララ州の道場における儀礼とスポーツ(河野亮仙/150)
ケーララ州のヒンドゥー寺院の庭(カラリ(道場))で開催されていた様々な祭儀遊戯をカリと呼び、武芸のカラリパヤットや舞踊カ タカリが行なわれた。カリのひとつ、バラモンのヤートラカリ(軍事を担う小土地所有者ナイルに継承されている武舞儀礼劇)の詳 述。ヤートラカリは結婚式や通過儀礼で演じられてきた(近代に途絶えたそうで、いつの時代の内容を紹介しているのかは不明)。後 半は、中国拳法との起源に関する議論やインド・中国・東南アジア・日本の間の伝播について。ケーララ版バラタナーティヤムと呼ば れるモーヒニー・アーッタムの言及。

7.アカーラー(ヴィヤーヤーマ・シャーラ)―印度のレスリング道場―(高橋堯英/154)
高橋氏のデリー留学時代のデリーにある道場(アカーラー或いはヴィヤーヤーマ・シャーラという)訪問記。

8.インド拳法の道(河野亮仙/159)
ケーララ州の伝統武術カラリパヤットの紹介。カラリパヤットでは現在では逸書となっている古代兵法書『ダヌル・ヴェーダ』を中世 教典『アグニ・プラーナ』から学ぶ。カラリパヤットと舞踊カタカリは共通点があり、カラリパヤットの伝承者はアユール・ヴェーダ の接骨医であることが多い。10−11世紀に成立し、16世紀に完成したと考えられる。

9.モヘンジョ=ダーロの大浴場から(佐竹弘靖/164)
前半は、モヘンジョ・ダロ遺跡の概要と住居内の浴場と町の中心にある大浴場遺跡の構造の詳細な解説。後半1/3で大浴場の用途の 推定を行なっているが、様々な用途が考えられるうち、宗教目的以外にも、健康のための運動という用途もあったかも知れない、とい う推定で終わる。


10.古代ペルシァの馬文化(石井隆憲/173)
伝統ペルシア文化における馬を考察。1)シャーナーメに登場する馬の記載を検討し、馬も人間同様個別の名前(シャーの称号)を 持っていた点や彫像などから神格化されていたと指摘される。ヘロドトスの記載するスキタイの風習や遺跡で出土する馬の遺物なども 併せて検討されている。2)中段は古代ペルシアと馬の関係が記述されるが、他の研究書からの引用が多く、出典史料は定かではな い。古代ペルシアでの良馬育成と騎馬術向上について語られる。3)ヘロドトスから、キュロス2世の騎士階級生成や王の道、戦闘に おける騎士布陣などの解説。ここでは馬は怯えやすい、と記載されているが、16章のブズカシでは馬はお互いに噛み合う程戦闘的と 記載されている。この馬の性質の部分はもっと詳しく知りたいところ。4)ペルシア軍が海戦を組織的に行なっていたという指摘(ヘ ロドトスも外洋での機動作戦はギリシア人よりも長けていた、と記しているとのころ(出典箇所不明))。

11.古代ペルシァの古典力技(荒木祏治/179)
現代イランの国技ズルハネの現地調査報告エッセイ。テヘラン、イスファハーン、ヤズド、シーラーズの4箇所のズルハネを見学。ズ ルハネは場所の名前、コンティはレスリングの名前。しかし競技自体もズルハネと呼ぶこともある模様。著者はズルハネのレスラーを 古代ペルシアの騎士「パフレバーン(ペルシア騎士)」と呼んでいるが、それは著者の呼び方であって、恐らく現地でそう呼ばれてい るわけでない。ズルハネの練習メニューが、ジュノー、ミリィ、チャルク、キャパディ、ザンゲツの順番で紹介される。


以下12,13,14、17の4章は、今年3月に日本体育大学の博士号を授与された松浪健四郎氏の博論「宗 教とスポーツ文化に関するスポーツ人類学的研究―シルクロード周辺の古代文化に着目して―」にそのまま流用されてい ます(一部出典箇所や図版が追記されている)。先程歴史エッセイと書いてしまいましたが、個々の論説はエッセイだとしても、博士 論文の 内容全部合わせれば、それなりの内容なのではないかと思います(本記事末尾に関連記述)。

12.ペルシァ文化圏で誕生した釈迦像(松浪健四郎/188)
(松浪氏の博論では、5章第4節「仏教にみられる争婚」という章題となっています)
ヘレニズム文化の影響を受けた仏像の誕生について述べています。仏像というと、東アジアでは柔和で落ち着いた柔和な様式美があり ますが、ガンダーラのものには、筋肉質なものもあります。松浪氏は、「競試武芸図」と争婚という、 ネットで検索してもあまり情報のない史料を用いて、その背景に迫っています。

 競試武芸図とは、ブッダが武芸をしている、Googleで日本語検索しても殆どヒットしないガンダーラ出土のヘレニズム時代の 仏教彫刻や浮彫りで、(史実としての仏陀はともかく)ガンダーラ美術の時代には、若きブッダは、武芸に秀でていたと考えられるこ とがわかります(競試武芸図は、本書には画像の掲載がないのですが、松浪氏の論文の方では画像が追加されています)。ヘレニズム 文化からすると、武芸図の人物は筋肉質でなくてはならないが、この競試武芸図は柔和な体型をしており、その理由は、心身の調和と いう仏教思想がヘレニズムと遊牧民の様式美に打ち勝った、と推測しています(筋肉質の仏像があるのは、インド思想に遊牧民族の思 想が打ち勝った、という解釈です。なお、松浪氏の解釈では古代ペルシア文化=遊牧民文化という解釈のようです)。

 争婚は、複数の男性が競技して勝利した男性がひとりの女性を娶るという古代インドの風習であり、ブッダもこれに勝利して妻を 娶ったという話で、この争婚事例をブッダが武芸をしていたと考えられる競試武芸図の補強材料としています(争婚の出典は他の研究 者の著作となっているだけで、仏典の出典は不明です。検索すると、「本行経変」という仏典だ とわかります。ただしこれもネット情報は少なく、南朝宋代の釈宝雲が5世紀前半にサンスクリットから漢訳した 『仏本行経』と同じもののようです。『仏本行経』は大正大蔵経第四巻に収録されているそうです。更に調べたところ、立正佼成会の 仏典研究機関である「中央学術研究所原始仏教聖典資 料による釈尊伝の研究」サイトにブッダの伝記に関するあらゆる仏典を並録して公開しているページがあり、そこに争婚 のくだりが掲載されていました(こ ちら)。しかし仏典では、風習ではなく、花嫁の父親がシャカに武芸に秀でていることを結婚の条件とし、武芸者と力比 べをする話となっています)。


13.風土が生んだ砂漠型の思想(松浪健四郎/193)
(松浪氏の博論では、5章第5節「ペルシア人の八百長の美学」という章題となっています)
松浪氏は、1974年テヘランで開催された第七回アジア大会に運営者として参加していて、八百長でイラン人金メダル続出した件に ついて記載しています。後味の悪い大会となり、松浪氏自身も当初は憤っていたようですが、イラン人を知るにつれ、イラン人の八百 長は悪いことではなく、文化のあり方であると認識するようになり、ついには「美学」とまで表記するようになった話を書いていま す。これはしかし面白い。

 面白い名言が多数登場します。「フェアプレイというスポーツの根本に関わる精神は不在で、そこは「八百長」の祭典の坩堝と化し ていた。けれども、大観衆のイラン国民は、かかる光景に陶酔し、国王の名を呼んでは喜ぶ始末。われわれ外国人の顰蹙だけを買って いた」「奸計を駆使してでも、ともかく神の為には勝たねばならなかったのである。そこには、異教徒のわれわれが匙を投げねばなら ない」「そのように理解しないことには、イランが摩訶不思議な国に映るだけである」「 「八百長の美学」とは合理性の追求である のだろう。私は、アジア大会に参加して、身をもってそれを学んだのであった」「何と後味の悪い大会であったろうか。けれども、ア ジア大会を、アジア全体のエバー・オンワードと考えずに、イラン人とイランの国の為に開催したと思えば、納得できる大会であっ た」。

 結論としては、苛烈な環境で厳しい生存競争に晒されてきたイラン人は、フェアプレイがどうとか甘っちょろいことはいってられな い、奸計を用いようがどうしようが、生き残らねばならぬのだ。という具合に展開し、最後は「日本人の感覚では、古代ペルシア、現 代イランを的確に理解するのは容易でない」と終わっています。

 私の個人的な感覚と経験では、共産主義時代のソ連東欧諸国や中国等でも似たような事例がある気がします。欧米や日本でも、正論 に潰されそうな弱い人が不正をしてごまかす傾向もあるように思えます。理不尽な強大な権力に苦しめられると、人は理不尽に慣れて しまい、自分がそれをしても不自然に思わなくなる、、、松浪氏は、「けれども、イラン人との交流を深めて行けば行くほどイラン人 を憎むことができなくなり、
逆に、このイラン人の「八百長の美学」を理解させられるに至ったのである」と書かれていますが、私の認識も似たようなものです。 この文章だけを読んだ人や、日頃欧米の報道でしかイランに接していない人は、イラン人って酷い人々だと思ってしまうかも知れませ んが、実際にイラン人と接するとまったく印象が逆転してしまうのです。

 それにしても、第七回アジア大会で、レスリングでのイランのあまりの八百長に、日本の鈴木啓三監督がひきあげを決意した、とい う記載がありましたが、決意しただけなのか、実際に引き上げたのか、この点記載がないので興味を惹かれました。


14.遊牧騎馬民族のゾロアスター教(松浪健四郎/198)
(松浪氏の博論では、5章第一節「ゾロアスター教の支配とスポーツ」という章題となっています)
 基本的にゾロアスター教についての簡単な紹介です。ゾロアスター教文献に馬の話が多数でてくるので、古代ペルシアでも馬は重要 視されていた、という話。他に有用な話は2つありました。ひとつは、1974年にテヘランで開催されたアジア大会ではマラソン競 技がとりやめになった点。表向きは高地であることが理由とのことだが、実際はアケメネス朝が敗北したことに由来する競技である、 と考えられる、という話。もうひとつは、騎馬競技テントペギングが どうやらナイザバジーという名称でゾロアスター教の文献に登場しているらしい、という話。ナイザバジーの出典や英語等のスペルが 不明なので、容易に確認できないのが残念です。しかし、いくつかの基本的なゾロアスター教文献は伊藤義教氏の邦訳もあるので、そ のうち確認してみたいと思います。論証はともかく、視点を与えてくれたという意味では、松浪氏の貢献といえると思います。

15.トルコの民族格闘技(松浪健四郎/203)
 20世紀後半のトルコではプロもある国技オイル・レスリング「ヤー ル・グレッシュ」「カラクジャク」 「アバ・グレッシュ」 の紹介。

16.騎馬競技とブズカシ観戦記(松浪健四郎/207)
 文字通り、20世紀後半のアフガニスタンにおける騎馬競技ブ ズカシ観戦記です。松浪氏はアフガニスタンに3年間ほど留学していたことがあり、その時に実見したエッセイです。古 代と関連づけられている部分は、アフガニスタンのオリンピック委員会のパンフレットに、「アレクサンドロスがブズカシを観戦し た」という記載がある、という点だけです。ただし、文献の出典は記載されていません。死者がでておかしくないほどの迫力です。

17.ペルシァン騎士道の成立(松浪健四郎/212)
(松浪氏の博論では、5章第一節「ゾロアスター教の支配とスポーツ」という章題となっています)
 フィルダウシー『シャーナーメ』のロスタムとソホラーブの一騎打ちを題材に、格闘技の原典は一騎打ちにあり、一騎打ちで国対国 /民族対民族等の代表者戦を行なうのは古代ペルシアが発祥とか、ソホラーブとの一騎打ちでのロスタムの卑怯さはシャーナーメで も、現代ペルシアでも肯定的に考えられている、などが論じられています。一騎打ちは中世日本でもあるし、中世西欧でもありそうな ので、その辺含めて古代ペルシア起源が論証されているわけではないのですが、発想は参考になりました。しかし、、、、卑怯さも含 めた姿勢を「ペルシアン騎士道」と名付けることはイラン本国はもちろん世界のイラン学者に受け入れられるのだろうか、という気は します。

18.騎馬民族と団体スポーツ(松浪健四郎/217)
全体をまとめるような内容。ブズカシとポロの解説など。ポロがブズカシを改良したもので、紀元6世紀ごろから祭祀行事として行な われてきた、というのは重要な記載ですが、出典がないのが残念。もうひとつ興味深かったのは、古代ペルシアにおける騎馬競技は、 祭祀儀式とスポーツとしての競技が分離し平行存続していたのではないか、との指摘で、スポーツとしての競技は、世俗化、競技の機 会と条件の平等化、役割の専門化、合理化、官僚的組織化、数量化、記録主義、という要素がある、という話。残りはポロが唐王朝や 日本古代の壁画に記載されている等古代ペルシア文化ではポピュラーな話。

なお、以下の著作も発見しました。目次の内容が松浪氏の博士論文と同じなので、もしかしたら、博士論文はこの著書と同じという可 能性もありそうです。そのうち図書館で確認してみたいと思います。

 古代宗教とス ポーツ文化』(1989年松浪健四郎著、ベースボールマガジン者)

目次

原始時代のスポーツ文化
古代エジプトの宗教とスポーツ文化
古代ギリシャの宗教とスポーツ文化
古代ローマの宗教とスポーツ文化
古代ペルシャの宗教とスポーツ文化
古代インドの宗教とスポーツ文化
古代中国の宗教とスポーツ文化



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