Jul/1999 created
Jan/2020 updated


アレノヴァクレポスト/アセンの城塞

(アセノヴグラド(スターニマーカ)の町の近郊)


 
 アセノヴァクレポスト(アセンの城)という名称の城と教会(聖ボゴロヴィッツァ)の遺跡がプロブディフ(ブ ルガリアの地図)から南へ30K程のアセノヴグラッド(アセンの町の意味)の町の郊外にある。
アセノヴグラッドは工業都市で人口は5万人程度。やはりロドピ山系の北東の端、トラキア平原際にある。
アセノヴァクレポストはそのアセノヴグラッドからスモーリャン行き幹線道路を西に4キロほどいったところにある。 アセノヴ グ ラッド方面から見た場合が写真上左。城と教会の部分を拡大したのが写真上中。左側の建築物が教会、右側の小高い部分が城です が、城は土台と地下室の様な部分しか残っていない。
 教会の左の断崖のはるか下に、渓谷沿いに幹線道路があり、幹線道路上からは教会を見上げる形になり、渓谷沿いに曲がりく ねった道路を車で行くと、突然カーブを曲がったところで遥か断崖上の教会が現れ、思わず「はー」とため息がでてしまうほど圧 倒される。
 この遺跡に行くにはもっと手前で遺跡にあがって行くわき道に入り、1キロ程の地点。
 
 城は殆ど土台しか残っていないが教会はほぼ完全体で残されており、一応管理人がいて入場料を払えば内部を見学出来る。 宗教壁画が天井にのこされている(写真上が教会)。。写真下は城から見たアセノヴグ ラッド の町。アレノヴグラッドは、古代以来スターニマーカと呼ばれていたが、このアセン要塞の名称にちなんで現代になってからアセノヴグラドに改称した。スキャ ナーの解像度が低いのでよく見えないが、そこその都市(写真中央手前に右へカーブしている幹線道路が見える)

 写真左はアセノヴァクレポストとアセノヴグラッドの間、ちょうど市街地の終端部分にある、やはり第2王国時代の教会 聖 イワン教会。内部には入れないが、ちょっとした(といっても10m程度)の断崖の上に立っているこじんまりとした小さい 教会。

 写真下は、スモーリャン行き幹線道路を10キロ程行った所にある修道院バチコボ僧院。世界文化遺産になってしまったリ ラ僧院よりも規模は小さいが、「リラの僧院よりもいい」という人も結構いる。私もリラ僧院より気に入っている。アセノボクレ ポストは観光客はあまりこず、最初は管理人がいるのかさえわからないくらいの場所だが、バチコボ僧院入り口の参道は土産物を 売る出店が続き日本の観光地化したお寺の様。
 バチコボ僧院は1083年グルジア人グレゴリウス・パクリアノスの創立で当時はグルジア正教会。今はブルガリア正教会。写 真の建物は1604年の建築らしい。
※Jan/2020追記
同時代史料(バチコヴォ修道院の文書)には、この城塞はペトリッチと呼ばれていた。Wikipediaの解説はこ ちら

 
ア セノヴグラッドの日本語転写は多くの表記がありえます(以 下はWeblioより

アセノフグラト、アセノフグラート、アセノヴグラッド、アセノフグラード、アセノヴグラット、アセノフグラド、アセノフグ ラッド、アセノヴグラート、アセノフグラット、アセノヴグラード、アセノヴグラド
ブ ルガリアの地図はここを参照してください。
 ソフィアから第2の都市プロブディフ(人口50万)迄列車で2時間。東京大阪間のようなもので列車は頻繁にある。 プロブ ディフからアセノヴグラッド迄バス、電車とも1時間に1本くらいあります。30分程度で到着する。プロブディフから半日でア セノヴァクレポストとバチコボ僧院を見学して戻ることが出来る。
 市街からアセノヴァクレポストまで2キロ程度ですので、歩いて行けます。バスはない。
バチコボ行きもバスはありますが、本数が多くはなさそう。
 僧院からの帰りはちょっと待っていればタクシーが拾える。
 アセノヴグラッドからスモーリャンまでは渓谷沿いに道路がとおっており、この渓谷は非常に水がきれいでキャンプに最適。