2016/Apr/04 created

トルコ製作ミステリー映画『狩猟の季節(Av Mevsimi)』2010年


 前 回エジプトミステリー映画を見たので、今回は、トルコで製作されたミステリー映画のご紹介です。このところ、非 北米西欧日本以外の地域のミステリー映画を真面目に探して視聴しています。今年になってから、アルゼンチン製作『瞳の奥の秘密』 →インド製作『女神 は二度微笑む』→インド製作『Drishyam』 →エジプト製作『ブルー・エレファント』(日本未公開)と見てきて今回はトルコ。本作は、昨年12月にユヌス・エムレ文化セ ンターで上映されているとのことなので、厳密には日本未公開ではありませんが、日本語の感想がネットになさそうなので紹介記 事を書くことにしました。

 警察小説や刑事ドラマという分野はあっても、警察映画とか刑事映画とはあまり言わないのが不思議ですが、本作は、「警察映 画」です。トルコ最大の都市イスタンブルの繁華街イスティクラル通り(日本で言えば銀座にあたる)のある中心地区ガラタ地区 にあると思われる警察署の三人の警官の生活と猟奇的事件の捜査の話です。以下の画像はimdbから拝借。
 
トルコ製作ミステリー映画『狩猟の季節(Av
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 トルコの警察制度はよくわからないのですが、主人公の三人が勤務する警察署の管轄はイスタンブル郊外まで含まれている ようで、郊外の狩猟地の渓流で15歳くらいの少女の片腕が発見されたところから映画ははじまります。登場人物は、ご覧の 通り、むさ苦しいおっさんたち。中央が定年間近のベテラン捜査官フェルマン・テジャン、その左が40歳くらいの中堅捜査 官イドリス・アルト、左端が大学で人類学を研究中で、恐らくインターンで配属されたばかりの新人ハサン。三人ともノン キャリア。殺人課に所属し、ハサン青年が配属され3人でチームを組むことになります。定年間近の老刑事の哀愁、忙しさで 妻と別居中のベテラン刑事の悲哀、3K 現場のきつさにあっさり辞める決心をする、銃撃戦でも恋人からの携帯をとってしまう新人刑事、という、これだけでもどんな話かわかりそうな内容ですが、恐 らくその通りの作品です。ざっくり言ってしまうと日本の2時間ドラマという感じです(といっても2時間ドラマを殆ど見た ことないので、先入観で書いてます)。

 前回の『ブルー・エレファント』でも書きましたが、本作を英語吹替えで視聴すれば、恐らくトルコだと気づかないような 映像です。流石に北西東ヨーロッパではないことはわかりますが、イタリアかスペインと言われて騙されてみても、気がつか ないかも知れません。全然イスラム臭がありません(なさすぎなのはこれはこれでどうかと思いますが)。映像も洗練されて います。

 一方の筋は、推理小説や2時間ドラマで目の肥えた読者や視聴者であれば、中盤で犯人と犯罪の意図が見当ついてしまうよ うな内容です。一点驚く展開もありましたし、犯人逮捕時の黙秘権や代理人を立てる権利、私選or国選弁護士に関する権利 などの告知やキャリアと現場の関係はトルコでも同じなんだな〜と感心したりと、面白く見れはしましたが、恐らく本作の dvdが日本で販売されることはないように思えます。

 しかし、トルコ映画ならではの、結構重要なポイントがいくつか目につきました(あくまで私にとって)。

 一つは、「ゲイ」が登場している点。ちょっとだけだけど。西方都市部ならばともかく、トルコの田舎で普通に上映して大 丈夫なのだろうか。役者さんは都市部の出身でないならば、親戚から縁切されてしまいはしないかと心配になりました。

 二点目は、大学で人類学を専攻した新人刑事が、「人類学的に見地からトルコでは連続殺人は成立しない」との仮説を持っ ている点。文字通り受け取ると、生物学的・優生学的な見解のように思えますが、会話の文脈からすると、どちらかという と、社会心理学的見解のように思えます。「連続殺人者」というものは、社会・文化的背景から発生する、という考えです。 ハサン青年はこの見地から、トルコ社会はまだ西欧のような段階にないため、今回の事件は、「猟奇殺人を装った従来型の犯 罪」だとの仮説を立てるのです。

 三点目は、トルコで「警察映画」が成り立つ段階に来ている、というもの。これは私の仮説ですが、本格推理小説が成り立 つ要因は、基本的に英米日の文化的背景があると考えています。本格推理は、はっきり言えば、衒学的知的ゲームですから、 知的遊戯に時間を消費できる社会層や、小説に書かれているトリックを実際に実行して成功してしまうことがないような警察 の犯罪解決能力が前提で成り立つ分野です。そうして、先進国といえども英米日に比べると、西欧各国では本格推理は多くは ない、という点では、文化的要因もあるのではないかと推測しています。一方、警察小説が成り立つには、汚職や社会的腐敗 がある程度限定されている前提が必要です。どんな犯罪を犯しても、権力者や富裕者がもみ消してしまうことの方が多いよう な社会だったり、警官の大半が汚職や賄賂を前提に生活しているような社会では成り立ちません。そういう社会では、警官本 人が犯罪に手を染めざるを得ないような心理や状況を描く社会小説や社会映画は成り立っても、「ミステリー」の分野に分類 できるような警察小説や映画は成り立たない、と考えるわけです。
 
 従来のトルコの警察関連映画は、ギャング・アクション映画という印象が強かったのですが、本作一作だけではなんとも言 えないものの、トルコでは「警察映画」が成り立つ段階に来ているという印象を持ちました。今後も他の作品も見ていきたい と思います。
 
 最後になりますが、今後も非西欧米日以外のミステリー映画紹介は断続的に続きそうな気がしています。「古代世界の午 後」とはテーマが異なるので、別ブログに切り替えようかとも考えたのですが、各国歴史映画の紹介も、製作諸国の製作意図 や製作時の社会状況を知るツールとしている側面もあるので、その点では、ミステリー映画への関心も同様です。非西欧北米 系の映画というと、ユーロ・スペースや岩波ホールやキネマ旬報ベスト10系作品を見ればいいということに一般的にはなる のですが、これらの映画は芸術度合が高いか、社会派作品であることが多く、その社会で一般的かどうかは簡単には判断でき ません。社会派映画は、その社会における党派性を理解しないと視点が偏ってしまうし、芸術映画の場合、わたしの経験で は、旅先で、日本で紹介されているこれら芸術映画の話をしても、たいていの人は見ていないことが多いし、たまに映画通が いた場合では、逆に日本映画といえば、黒澤と小津の話ばかりされて辟易した記憶が多々あります(最近はともかく、昔はジ ブリなどまったく知名度が無かった)。私にとって、推理小説やミステリー(歴史作品や実はSFも)は、各国への浸透度や 適合性などから、その社会の性質を理解するための、一種の定点観測ツールでもあるといえそうです。そういう意味では歴史 映画紹介と共通することをやるという点もあるので、このブログで扱うことにしました。

IMDbの映画紹介 はこちら
Amazonの dvdはこちら(英語字幕あり)

ところで、インド映画『Drishyam』(ヒンディー語版)(感 想はこちら)は凄い!!今年視た映画No1になるかも。是非日本で公開するか、日本語字幕dvdの発売が出 て欲しいと思います。

※4/6追記 本日の前近代イラン・イスラーム史研究者渡部良子氏の ツイートに、 渡部良子氏のツイートに# 外国語科目にペルシア語があったらぜひ受講すると良い理由 というツイートが連投されています。私は、大学 一二年次に第二語学で中国語を、三年生の時初級ロシア語を受講しました。基本、現在の関心同様、英語=ラテン語文化圏 (ローマ帝国)、中国語=中華文化圏(漢王朝)、ロシア語(ビザンツ文化圏)、というわけです。そうして四年生の時、ペ ルシア語(ペルシャ文化圏)を学ぼうとペルシャ語受講申し込みにいったら、入り口の扉に「ペルシャ語必須企業への就職目 的の者以外お断り」と書かれていて断念したことがあります。それ以来学ぶことなく現在に至ってしまいました。中国語もロ シア語も授業は結構厳しかったので、卒業後だいぶたっての駐在時の学習でも意外に覚えていて有用でした。やはり語学は若 いうちにやっておくと効果的なのだと思う次第です。

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