インド・イスラームの為替手形の歴史
1.前期イスラームの為替取引
11世紀前半頃までは、本記事2回目でご紹介しました、「アッバース朝時代における手形決済について--ミスカワイフの書を中心とし
て」(佐藤圭四郎著「イスラーム商業史の研究」
p120-141所収)が参考になりました(なお、この論考は、結構な部分が、岡崎正孝氏の「「イスラーム帝国における手形・小切手につ
いて」(「西南ア ジア研究」6号(1961年)
所収)の研究を引用しているので、いずれ岡崎氏の論考も読んでみたいと思います)。
さて、佐藤氏は、行政為替手形と民間為替手形を分けて分類しています。為替手形はアラビア語でsuftaja(複数形safātij)
と言い、suftajaはペルシア語のsufta(約束手形/信用状/為替手形)が起源とのこと。アラビア語の早期使用事例は、こちらの文書のp13に、960年頃に成立した、 al-Qadi al Nu'manの「Da'a'im
al-Islam」の記載が引用されています。語源については同p13の註40に記載があります。
1)行政為替手形
ミスカワイフの書に見える最初の為替事例は911年。税金の送金に使われ、宮廷銀行家(金融御用商人・ユダヤ人、ゾロアスター教徒など)
が換金していたと
のこと。利子(ribḥ)を取得した。徴税官を支払い人とした「持参人払いの指図式手形(barāt)もあるが、これは為替というより
も、額面の明記され た税金徴収権限委譲指令書という感じ。
2)民間為替手形
タヌーヒー(Al Tanūkhī)の「超克の愉悦」に、債権債務の為替相殺事例の記載があるとのこと。「完史」にも
ḥāla(振替)という言葉が登場しているとのこと(佐藤圭四郎著「イスラーム商業史の研究」p169)。
3)小切手
行政官が、金融業者に財産を委託し、それを「署名つき命令書(tauqi'āt
bi-khaṭṭ)」にて引き出すものとされ、イブン・ハウカルはṣakk*1(東部イス
ラーム圏での言い方らしい)と記載しているとのこと。民間での利用例 については、「森本一夫の連絡版」に
掲載されている、11世紀の旅行家「ナースィレ・ホスロー」の旅行記である、「ナースィレ・フスラウ著『旅行記』訳」に、市場での利用例
が掲載されていま す。『旅行記』トップ頁から->『旅行記訳註 (IV)』
(『史朋』38/2005掲載分)にて、本文中「フザーア市場とウスマーン市場」が登場するあたりを検索すると、預託金を担保とした、両替商が発行する署
名つき受領証(khaṭṭ)により市場で売買がなされている様子の描写を読むことができます。更にカイロのゲニザ文書では、
ruq'ah(または ruqa・意味は紙切れ)と言ったとのこと(こちらのゲニザ文書のイスラームの金融に関するサイトでは、hawala=ruqa=小切手とし、suftajaを為替手形としています。
佐藤氏は、本論考にて、10世紀の旅行者イブン・ハウカルの記録と11世紀のゲニザ文書とナースィレ・ホスローの旅行記を元に、「小切
手」の登場は、エジ
プト・マグリブ・サハラでまず広まり、その後11世紀中頃に東方イスラームに広まったと推測しています。なお、この時期においては、為替
取引の支払い物や
小切手の寄託は、現金とは限らず、現物もあったようです。高額取引に為替は便利だが、それは必ずしも現金とは限らず、物納、現物貨幣など
の場合もあったよ うで、為替の発達と「コインの貨幣経済」の発達は同一では無いと考えた方がよさそうです。
2.後期イスラームの為替取引
1)オスマントルコとイラン
トルコのアタテュルク学院 (Ataturk Institute for Modern Turkish History and
Department of Economicsのセヴケト・パムク(Sevket Pamuk)教授の論考「“The Rise, Organization and Institutional Framework
of Factor Markets」
によると、オスマン時代にも、suftajaは引き続き利用されていたようです。その範囲は、アナトリア、エーゲ海諸島、クリミア、シリ
ア、エジプト、イ ラン*2となっています。この書きぶりからすると、一応オスマン帝国を
超えてイランでも通用していたように思えますがどうなのでしょう か。15,16世紀
に、ブルサが遠隔地貿易の中心だったので、そこでよく利用されたとのこと(p23)。なお、hawalaも利用されていたとあり、違いが
あまりよくわかり ません。こちらの「Globalization and Islamic
Finance: Convergence, Prospects and Challenges」書籍p88では、ruqa、hawala、suftajaの説明がありますが、現在の概念の説明のようで、
ruqa=小切手、hawala=譲渡性債務、suftaja=為替手形となっています。これがオスマン時代に適用可能かどうかは不明で
す。
もうひとつ、hawalaとsuftajaを比較的詳細に説明している文書が、「Three Phases of Globalisation:
the significance of Dubai's emergence as a trading hub」
のp19にあります。これも現在の説明なので参考でしかありませんが、hawalaは、相殺・譲渡可能な約束手形、suftajaはロー
ンとなっていて、
相違は、hawalaは、貸借契約を行った時点で全額の債務・債権が発生し、suftajaの場合は、実際に貸与する額毎に債務・債権関
係が発生する、と いうことのようです。
2)インド
ムガール帝国の場合は、アラビア語のhawalaとヒンディ・ウルドゥ語の
Hundi(フンディー)は同義語で、どちらも為替手形を意味するとのこと。hawalaの語源は”変換”という単語から。Hundiの
語源はサンスク リットで「集める」という言葉で、ヒンドゥー寺院の募金箱に転じて為替手形を意味するようになった、とのこと(出典はこちら)。
こちらの書籍「The Rise of Merchant Empires:
Long Distance Trade in the Early Modern World 1350-1750
(Studies in Comparative Early Modern History) 」の393ページに
は、hundiが1622年に利用されている記載が登場しているので、もともと、イスラム化前のインドでhundiという為替手形が使わ
れていて、それが
そのままhawalaというアラビア語で表現されるようになったのかも知れません。また、こちらの、デリー大学の方が記載した論考「Cashless Payment Mechanism in
Mughal India:The Working of the Hundi Network」では、Hundiがいつ使われ始めたかは不明だが、17世紀には広く広まっていた(p5)、とあります。なお、こちらに英国支配時代の19世紀のHundiの現物写真があります。
一方、少しネットで調べたところでは、hawalaという言葉の利用は7世紀に遡るにしても、為替手形の意味を持つようになったのは、
「中世初期」とだけの資料しか見つからず、具体的な史料を見つけることができませんでした。「Misplaced Blame: Islam, Terrorism
and the Origins of Hawala」
のp12に、7世紀に「負債の譲渡」と言う意味で利用されたそうで、その文言が掲載されています。この論考は、「Hawalaの起源」と
ありますが、これ
は、テロリストの主な送金手段となった「送金手段としてのhawala」がいつ頃成立したか、という論考のようですが、hawalaや
suftajaの起
源などにも言及されていて、有用に思えました。これによると、20世紀の中頃に、hawalaが送金手段としての意味を持つようになると
ともに、 Hundiの意味も一緒に送金手段に変わっていったということのようですね。
ところで、大して探したわけでも無いのですが、上述の資料、「Cashless Payment Mechanism in
Mughal India:The Working of the Hundi Network」
は、簡単なHundiを巡る17-18世紀ムガールの状況が記載されていて有用です。sarrafs(サッラーフ)という金融業者がスラ
トやベンガルなど
を拠点として各地に連絡員や代理人を置き、遠隔地での金融取引をやっている状況や、17世紀にはスラトを根拠地とするVirji
Vohra家が勢力を持ち、18世紀前半はベンガルのMurshidabadを拠点としたJagat
Seth家が栄えたとか、1673年には6つ、1689年には5つの大きな金融業者が破産したとか、スラトはもっとも開発された金融市場で、利率もベンガ
ルのHugliより低かったとか、Hundi振り出し・引き受け時の割引率や手数料など、ムガル時代の経済については、税制と土地制度く
らいしか知らな
かったので、短いレポートですが参考になりました。特に、p9記載の、Hundiの第3者への裏書き譲渡ができたような記載には大いに興
味を惹かれました (イスラーム金融は裏書による手形・証券の譲渡は禁止しているようです*3)。
それにしても、オスマンやムガールなどの金融・遠隔地貿易を扱った英語書籍はあまり無さそうな感じで
す(ム ガール以前のヒンディー時代の遠隔地決済の研究など はもっと無さそうです)。
ひょっとしたらトルコ語やヒンディー語書籍ならあるのかも知れませんが、歴史研究に余力が
できるほど、まだ社会に経済的余裕が 無いという可能性の方が高そうです。どちらの国も発
展しつつあるから、今後を楽しみにした いと思います。
*1 佐藤
圭四郎著「イスラーム商業史の研究」p168では、ṣaqq、p80ではsakk、p133ではṣakkなどと記載されている。
*2 The Cambridge History of
Iran (Volume 6) The Timrid and Safavid period
の貿易の章にも、ざっとみたところでは為替に関する記載はなさそうでした。かなり気合を入れて探さないと無さそうです。
*3 近藤治著「ムガル朝インド史の研究 (東洋史研究叢刊) 」 p116に手形裏書の記載がありましたが、Hundi全体の記載は数行程度。サティーシュ チャンドラ 著「中世インドの歴史」
でも、Hundiの記載は数行(p320)。中国史学者黒田明伸氏の「中華帝国の構造と世界経済」におけるHundiの、同様に数行の説明(p104)の方が微妙に本質を突いているように思えました。