現代欧 州の金融と通貨の起源
この記事は、
1)西欧中世の為替レート換算の起源と実態
2)西欧中世為替取引(書類決済/信用取引)の起源とその実態
の探索です。
目次
1.現代欧州の通貨の起源
2.中世末期為替決済の「安全装置」とは何か
3.デ・ローヴァー「為替手形発達史―14世紀か
ら18世紀―」の目次
4.その他参考になった資料
【1】 現代欧州の通貨の起源
以前、倉都康行氏の「金融史がわかれば世界がわかる―「金融力」とは何か」
でポンドとドルの歴史が面白かったので、他の通貨の起源についても調べてみたところ、「計算貨幣」というものの存在を知ることになりまし
た。現在につなが
る英ポンド、イタリア・リラ、仏リーブル、独マルクなどは、中世欧州前期は、貨幣の単位であり、実際にこれらの単位を持った通貨は発行さ
れてなかった、と
いうことを知り、驚きました。計算貨幣とは、現在の日本円で言えば、「千」や「万」単位の通貨はあっても、「億」や「兆」の通貨は存在し
ていない、という
ことと同じで、ポンド、リラ、リーブル、マルク、ドル(ターラー)などは、当初は、それらの貨幣は存在せず、より小さい単位の銀貨ディ
ナール貨幣のみが流
通し、多くのディナールを数える場合に、ポンドやリラが存在した、ということだったのですね(億や兆は計算貨幣、ということもできそうで
す)。
中世欧州に実際にどのような計算貨幣単位が存在したかは、「コインの散歩道」のこちらのページに詳しいのでここでは省きますが、カロリング朝の貨幣改革に起源があることはわかったものの、2つ疑問が残りました。
1)英ポンド/伊リラ/仏リーブルは全て、古代ローマのポンド=リブラに起源があるものの、ポンドとリブラの関係が不明な点。こちらのWikiに、
ポンドは「ローマの単位」、リブラは「ラテン語の名称」とあり、いづれもディルハム(ディナールの起源)の96倍の重量との記載となって
いて、1 pound,10 poundという記載や、「a pound weight = libra pondo」 と
いう記載は見つけられるものの、「1 libra , 10 libra」という記載は見つけることができません。恐らく 1
poundをlibraと呼んだだけで、2 libra , 3
libraなどリブラでのカウントは無かったのかも知れませんが、疑問に残りました。
2)ペニーの語源
カロリング朝の改革では、1リブラの240分の1をディナールとしたそうで、仏のドニエ(ドゥニエ)、イタリアのデナロに訛るのに(独は
ディナール)、何故英国だけペニー(またはペンス)なのか?
Wikiのペニーに
よれば、ペニーとは"a pledge(誓約) or token(証拠)"を意味し、こちらのペニーの語源に
よると、古英語では pening, penig "penny,"といい、ゲルマン祖語では *panninggaz
か推定されており、古ノルド語では penningr, 古フリースラント語では panning, 中世オランダ語ではpennic,
古高地ドイツ語では pfenning,
となっているので、もともとゲルマン語に存在した言葉が、ディナール銀貨を示す用語となったのかも知れません。因みにゴート語ではpennyに相当する言
葉は無く、 skatts が使われていたとのこと。英国では710-20年頃とされる"sceattas(ま
たはsceat)という通貨があるそうなので、英国はカロリング朝の領土ではなかったこともあり、ゲルマン語起源の通貨用語が優先された
のかも知れませ
ん。1ディナール(ペニー)の240倍の単位について、カロリング朝の決めた単位リブラではなく、ポンドが使われたのも、カロリング朝治
下に無かったこと
が関係しているのかも。
というわけで、若干疑問が残るものの、ニュージーランド・オーストラリア・カナダなど、未だに英国王を国家元首
としている国が何故ドルなのか?も恥ずかしながら知らなかったのですが、この疑問も氷解しました(1971年まで英国では、カロリング時
代の単位240
ディナール=20ソリドゥス=1リブラに由来する240ペニー=20シリング=1ポンドが利用されていて、十進法の方が便利なのでドルに
移行したのです
ね)。あと、中世前期西欧においては、金貨は流通しておらず、ビザンツ金貨は贈答品的な扱いに留まっており、ベザント(bezant)と呼ばれていたことを初めて知りました(日本語Wikiにも項目が無かったので英語版から翻訳しておきました)。
さて、ディナール銀貨しかなかった中世西欧に、再び金貨が登場するのは13世紀になってからとのことですが、その場合でも、当初は、元々
存在した計算貨幣
に合わせて新規貨幣を作るだけではなく、エキュやマルクのような新たな計算貨幣も登場し、更に貨幣サイズの変更や、銀含有率の変化や、各
国、各都市で個別
に貨幣を鋳造するなど、大混乱に陥っていたことも今回初めて知りましたが、このような状況では貿易決済時の為替レートは非常に複雑になる
筈で、現在のよう
な高度な通信・情報システムが無かった後期中世において、一体どうやってレートを計算して決済していたのか、に強い興味が出てきてまし
た。特に倉都康行氏
の「金融vs.国家」では、メディチ家のロンドンとフィレンツェの為替取引の例を挙げて中世イタリアで発生した為替取引についての説明があ
り、基本的な理解には有用だったのですが(p44-47)、1点非常に疑問に思える点がありました。為替取引の説明は下記の内容だったの
ですが、
1.フィレンツェ->ロンドンに輸出する商人は、フィレンツェのメディチ銀行にフィレンツェ通貨である1000フローリンで手形
を売却する。その手形には、「ロンドンの輸入業者から200ポンド受け取るべし」と指示が書いてある。
2.ロンドン->フィレンツェに輸出する別の商人は、ロンドンのメディチ銀行支店に、英国通貨である200ポンドで手形を売却す
る。その手形には、「フィレンツェの輸入業者から1200フローリン受け取るべし」と指示が書いてある。
3.結果として、メディチ銀行は「200」フローリンの利益を得る。
強く興味を惹かれたのは、
「もちろんこうした上手い取引が常時存在するとは限らず、思わぬ為替の変動で損失を被ることがなかったわけではない。だがその背後には、
当時の為替レート
は地域ごとに違いがあるという安全装置が備わっていた。フィレンツェとロンドンでは、フローリンとポンドの為替レートが異なっていたので
ある。仮にメディ
チ家がロンドンで(反対取引の決済相手となる)商人を見つけることができなくても、200ポンドはほぼ確実に1000フローリンを下回ら
ないイタリア通貨
に換金できたのであった(p46-47)」
という点です。一体、どのような方法で、そのような取引を実現できたのか。「地域」とは具体
的にどのような地域に分かれていたのか。なぜそれが「安全装置」となるのか。複数通貨の地域間為替レートはどのような様相だったのか。基
軸通貨はあったの
か。各地では、各通貨ごとの為替レート表が絶対あった筈。それを見てみたい。電話も無い時代に刻々変わる相場にどのように対応したのか。
などなど様々な疑
問と興味が出てきました。調べて行くうちに、この疑問は下記2点に集約されることとなりました。西欧中世に疎いので調べるのに時間がかか
り、答えが見つか
るまで実質まる2日かかってしまいました。
1)西欧中世の為替レート換算の起源と実態
2)西欧中世為替取引(書類決済/信用取引)の起源とその実態
次回にその内容を記載したいと思います。それにしても、経済史や商業史、貨幣史とは別に、それらと同等の比重で「金融史」という研究分野
が、金融というも
の威力が実体経済以上に拡大した現代においては必要とされているのだと気づくとともに、意外に中世から近世にかけての金融史書籍が(少な
くとも日本では)
あまり無いことに気づかされました。今回ついでに古代オリエント、ローマ、インド、中国、イスラームの金融史日本語学術書籍についても調
べてみたのです
が、これらも殆ど無いという感触です。例として挙げるのは申し訳ないのですが、前々回記載した、「黒字亡国」記載の英領インドの
ような、多くはエコノミストと言われる人々が記載した、読者の興味を惹くように歴史ネタを、著者の主張に合わせる形で切り貼りしたような
書籍ばかりが目立
つのが残念です。金融というものの影響力が日々増大しており、人口減少と老齢化から、実体経済での成長があまり見込めない日本としては、
金融、及び金融史
への関心も高まっているのではないでしょうか。それに答える形で、より学術的な近世以前の金融史書籍も出て欲しいと思うのでした。
【2】 中世末期為替決済の「安全装置」とは何か
最初にメディチ家関連書籍(「メディチ家」、「メディチ家はなぜ栄えたか」、「メディチ家の盛衰」
「メディチ・マネー―ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス」にあたってみたのですが、倉都氏の記載した為替取引の出典が、「メディチ・マネー」のp49-54であり、もう少し
詳しく書かれていることと、15世紀から栄えたメディチ家は中世イタリアの金融業者としては後発であることがわかっただけでした。そこ
で、「中世後期イタリアの商業と都市」、「中世イタリア複式簿記生成史」など、メディチ家登場前のイタリアを扱った書籍を参照してみたのですが、手形決済や計算貨幣は、更により以前、13
世紀以前だということがわかりました。
そこで方向を変えて金融史の書籍にあたってみることにしました。
最初にビクター モーガン「貨幣金融史」を
参照したのですが、
必要な情報が載ってないことがわかったという点で、役に立った書籍でした。「貨幣金融史」というわりには西欧しか扱っていないのはまあいいとしても、ギリ
シア・ローマも少しだけ。中世は多少扱っているものの概要だけ、しかも、短期借入、為替手形、国際貿易など複数の章にバラバラに記載され
ており、直ぐに英
国金融史に飛んでしまうなど、「英国貨幣金融史」とした方がよさげな内容。古代バビロニアやギリシア・ローマの金融については、新書であ
るにも関わらず、
1952年出版のアシル・ドーファン=ムーニエ 「銀行の歴史
(文庫クセジュ〈第69〉)白水社 」の
方が余程詳しい感じ。もっとも、こちらの方はフランス人が書いているだけあって、中世に入るとフランス中心の展開を見せます。どこの国も
自国偏重になるの
は仕方が無いのかも。とはいえ、本書で漸く、12世紀から13世紀に栄えたシャンパーニュの大市で、決済通貨「プロヴィノワ」(リーブ
ル)を基準通貨とし
た為替取引が発生した、との記載を見つけることができました。
プロヴィノワ貨とは何か。「図説 お金の歴史全書」にも載っていなかったのですが、どうやら、シャンパーニュ伯の発行したディナール銀貨(こちらにチボー1世発行のプロヴィンス貨の写真と解説があります)を、市の開かれる市のひとつであるプロヴァン市に因んでプロヴィノス(またはプロヴァン貨)と呼んだようで、リーブ
ル通貨があったわけではなさそうです。アシル・ドーファン=ムーニエの記載したリーブルは、計算貨幣だったのではないかと思います(つい
でにWikiのシャンパーニュ大市の項にプロヴァン貨について追記しておきました)。
さて、最終的に道筋をつけてくれたのは、「貿易金融・為替の史的展開」
という書籍です。先の「貨幣金融史」と異なり、中世末から現在までの欧州貿易決済史全般を扱っていて有用だと思います。正直、2004年
に出版されたばか
りなのにamazonで100円以下で出ているのが不思議です。まあ、今回必要とした箇所だけでも細かい間違い(1314年のシャンパー
ニュのフランス併
合が16世紀と記載されていたり、東邦貿易、などと誤植があったり)が見られるので、専門家からみると評価が低い書籍なのかも知れません
が、私にとっては
有用であり、以下の資料にもつながりました。
最終的に役に立ったのは下記の書籍と資料です。
1.名城邦夫「中世後期・近世初期西ヨーロッパ・ドイツにおける支払決済シス
テムの成立」
この資料には、私が求めていた、ズバリ各地の為替レート換算表そのものと、為替取引地図が掲載されています。こんな文献がネットで読め
るとは感激です。
-15 世紀ヴェネツィアの貨幣相場表、
-15 世紀ブリュージュの為替相場表、
-15 世紀ジュネーヴ大市の為替相場表
-1578―1596年 メディア・デル・カンポ(スペイン)の為替相場表
-16 世紀リヨン大市における為替相表
-1558年ジェノヴァ大市における為替相場表
-1558―1606 年アントウェルペンの為替相場表
-1629 年アムステルダムにおける為替相場表
及び下記の為替取引地図。
-1340
年頃の西ヨーロッパ為替取引ネットワーク地図(北イタリア中心にロンドン、パリ、ブリュージュ、セビリア、コンスタンティノープルなどに放射線上に広がっ
ています)。
-1440/50
年西ヨーロッパ為替取引ネットワーク地図(イタリア北中部中心に、ブーリュージュ、ロンドン、パリ、バルセロナ、ヴァレンシア、アヴィニョンなどが相互に
連結しています。
-1575/80
年頃の西ヨーロッパ為替取引ネットワーク地図 リヨン、フィレンツェ、アントウェルペン、マドリッド、リスボン中心に、各地域間の相互連結が更に複雑に発
達しています。
-1629 年西ヨーロッパ為替取引ネットワーク(イタリア、イベリア、南ドイツ、フランドル・北仏、ロンドンの4大地域間で決済)
13世紀のシャンパーニュの為替決済については殆ど触れられていないものの、本論考の前半は14世紀以降のイタリア、フランドルの為替
決済について詳述してあり、非常に有用です。
2.大黒 俊二 「嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観」
前回記
載した、倉都氏記載の、「為替取引の安全装置」についてズバリ回答が記載されている書籍です。問題の解説箇所は、たったの20ページ程度
なのですが、同じ
ような帳簿決済が同時期のイスラーム世界でも行われていたのに、なぜ西欧でより発達を遂げたのかを知る為の書籍でもあり、非常に重要かつ
有用に思え、
5000円の価値は十分あるように思われ購入しました。
実はこの内容は、以降でご紹介する中世金融史家デ・ローヴァー(1904-72年)の書籍で詳述されているのですが、当該書籍は図表が
無く、更に「嘘と貪欲」では、当該書籍以降のローヴァーの研究成果や、他の研究者の成果や図表が掲載されており、その点でも有用です。
さて、推理小説のネタばれという感じもあるのですが、倉都氏が記載していた「為替の安全装置」とは、2点に集約されるように思えます。
1)
当時の通貨は、2つの都市の間では、片方が必ず基準通貨(基点貨幣)となり、片方が従属的な従点貨幣だった。そして必ず基点貨幣の都市の
市場での基点通貨
レートは、従点都市での市場の基点通貨レートを上回っていた。「在外貨幣」であることから、価値が減価している為である。銀行家はこの状
況を熟知していた
ので、決済時点で、基点都市でのレートが、従点都市のレートを下回る程の下落が起こらない限り、2都市間決済では、決して損することは無
かった。
2)
当時の遠隔地貿易での為替決済期限は、都市間の距離に比例(現代用語でのユーザンス(支払猶予)と呼ぶ)し、また、1)で記載したよう
に、都市間ではレー
トが異なっていた。この為、遠隔地となるほど(ユーザンス日数が大きくなる程)、決済時に差益が出る仕組みとなっていた。
本書には、当時の西欧主要都市間の商業郵便の日数やユーザンス日数(通常は郵便日数の倍程度)表が掲載されており(10/17追記。こちらのページに商業郵便とユーザンスの各地間の一覧表が
掲載されています)、「安全装置」のメカニズムが非常にわかりやすく記載されています。結局のところ、「安全装置」とは、当時のキリスト
教やイスラーム圏
で宗教的に禁止されていた「貸付による利益(徴利)」を隠蔽する手段だというわけです。それゆえ、西欧中世における為替は、遠隔地貿易の
決済から発達した
わけで、内国為替取引は、もっと後の時代に遅れて成立することになった、ということのようです。倉都氏の「金融がわかれば世界がわかる」や「金融vs国家」
では、金融技術の発達について前向きな姿勢で記載されており、先物取引やオプションなど、高度な技術の発生理由がリスク回避の技術として
登場した背景を丁
寧に述べているのですが、「結局金融屋の制度開発モチベーションって、庶民から情報を隠蔽することで利益を得ることなんじゃないの(いわ
ゆる情報の非対称
性)」と訝っている私のような庶民は結構いるものと思いますが、どうやら、中世後期の為替取引の発達も、送金手段の進化というよりも、利
益隠しの側面の方
が強かったんじゃないの?と、やっぱり金融屋さんについてのイメージはあまり変わらないで終わったのでした。
とはいえ、この段階(遠隔
地送金と帳簿上の振り替え決済)を過ぎないと、次の段階にも進めないわけで、この段階が西欧中世の、いつ・どこで、どのように行われた
か、ということが具
体的に分かりました。因みに、遠隔地貿易での帳簿上の決済は、イスラーム圏でも行われていたようです。ただし、現物の為替手形や帳簿は発
見されておらず、
現状は文献資料でしか確認できないようです。この点は、日本語資料としては下記のものが有益でした。
3.「アッバース朝時代における手形決済について--ミスカワイフの書を中心として」佐藤圭四郎著「イスラーム商業史の研究」
p120-141所収
本稿では、ミスカワイフ以外の著者の文献史料も利用しており、為替決済、約束手形、帳簿決済、小切手に相当するものはあったようです(た
だし複式簿記につ
いては言及無し)。結局遠隔地貿易があるか、貨幣経済が浸透し、巨額の送金・決済が必要となるところでは、手形と帳簿振り替えはたいてい
発生する、と考え
てよさそうです。前掲アシル・ドーファン=ムーニエ 「銀行の歴史
」p28では、イソクラテスの「銀行家について」で為替決済について記載が紹介されており、p36では古代ローマでの債権債務の帳簿決済の発明について記
載されています(後者は出典史料の言及は無し)。
本書はこの為替の論考だけでも大層な価値ではないかと思うのでした。
4.デ・ローヴァー「為替手形発達史 -14世紀から18世紀-」
今回ご紹介した名城邦夫氏「中世後期・近世初期西ヨーロッパ・ドイツにおける支払決済システムの成立」と大黒 俊二氏
「嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観」、更に貴志幸之佑氏「貿易金融・為替の史的展開」でも重要文献として引用されているデ・ローヴァー氏1953年の著
作。Amazonで調べたら、なんと350ドルもすることが分かり(レビューによると44ドルの廉価版は駄目駄目らしい)、ちょっと手が出ないと思っていたら、なんと邦訳が雑誌掲載されていることが判明。
佐賀大学名誉教授の楊枝嗣朗氏が、佐賀大学経済論文集にて翻訳を掲載されています。しかも、第一章が1986年に掲載されたものの、2章
以降は長い間延期
されており、昨年から再開され、2010年3月号では第4章の前半までが訳出されています。5月号と7月号では4章と5章が訳出されてい
る可能性が高い
(全5章)ようです、というのは、今回国会図書館に行ったのですが、国会図書館では直近2号がまだ閲覧できなかった為(都立図書館では
ネットで確認する限
り、閲覧可能となってますが、立川にある多摩分館。。。。ちょっと遠い。。。)。このような重要書籍が日本語で読めるなんて感激です。
ゆっくり読みたいの
で4章前半までコピーしてきてしまいましたが是非書籍にまとめて出版して欲しいと思います。5000円程度なら絶対買います。その後の研
究や図表、解説
(特にエキュ・ド・マルクやエキュ・オ・ソレーユなど計算貨幣と実物貨幣、秤量単位のあたりがどうにも難しいので)などを入れていただけ
れば、5000か
ら1万円の間でもOkです。いずれにしても丁度今年に翻訳が進んでいるとはラッキーでした(そしてなんと、第2章はネット上にも掲載されています)。
それにしても、デ・ローヴァー(Raymond De
Roover)先生の訳語はまちまちですね。1986年の第一章では、「ドゥ・ローヴェル」。名城邦夫先生は「デゥ・ローファー」。「嘘と貪欲」では
「ド・ローヴァ」、河原温氏「ブリュージュ」では、「ドゥ・ルーヴァー」。「ドゥ・ロゥーヴァー」「ドゥ・ルーバー」「ド・ルーヴァ」なんてのも見つけた。あと、
佐賀大学論文集の目次がネットで読めないのは残念(都立図書館の検索システムでも目次までは出ない)。
というわけで次回は、デ・ローヴァー「為替手形発達史 -14世紀から18世紀-」の目次と、概要をご紹介するところから、他に参考と
なった書籍を紹介して今回の話題の最後としたいと思います。
【3】 デ・ローヴァー「為替手形発達史―14世紀から18世紀―」の目次
レ
イモンド・デ・ローヴァー「為替手形発達史―14世紀から18世紀―」(楊枝,嗣郎氏訳)の
目次の紹介。
序文 (フェルナン・ブローデル執筆)
謝辞
序章
第1節 本書の課題
第2節 先行研究の検討
第3節 為替手形の発展段階
第4節 為替契約と徴利をめぐるキリスト教の教義
第1章 14世紀の為替手形の起源
第1節 ジェノアその他における銀行と為替の始まり
第2節 ジェノアの公証人の公証記録に基づく初期の為替契約
第3節 為替手形の原型である「為替を原因とする契約証書(“instrumentum ex causa cambi”)」
第4節 ジェノアとシャンパーニュ大市間の為替取引:貨幣市場の生成
第5節 シエーナでの為替契約:同一地域内で結ばれた期限付き為替
第6節 「為替を原因とする契約証書」から為替手形へ
第7節 「為替を原因とする契約証書」と為替手形の純粋に形式上の差異
第2章 14、15世紀の為替手形と貨幣市場の発展
第1節 為替手形;為替契約とその証明・実行手段
第2節 ダチニ文書に基づく為替取引の典型的な事例(1399年)
第3節 手形文言、為替の価格・相場、銀行所在都市の相場決定
第4節 為替相場と利子;スコラ学説
第5節 為替相場変動の他の要因;貨幣の通用価値変更と正貨現送点の役割
第6節 為替相場と国際収支
第7節 為替相場と為替投機
第8節 中世貨幣市場の一般的特徴
第3章 16世紀における貨幣市場の転換
第1節 貨幣市場の拡大と交易の増大
第2節 スコラ学説-その普及と発展-
第3節 中世的伝統の残存
第4節 大市は新種の為替を生み出したのか?振替と相殺による決済、エク・ドゥ・マルク、戻し為替付き為替
第5節 スペインの特殊事情
第4章 手形裏書の生成
第1節 問題の状況
第2節 中世に於ける債権譲渡
第3節 ネーデルラント、特にアントワープでの裏書の先行事例
第4節 イタリアでの裏書の起源
第5節 スペインでの裏書の端緒
第6節 特別な事例-インフランド-
第7節 フランスとドイツにおける裏書の普及
第8節 裏書の法的・経済的影響
第5章 割引業務
第1節 「割引」という言葉の歴史
第2節 割引と利子に関する教会の教義
第3節 為替と利子
第4節 割引と銀行制度の構造
第5節 付随的問題-自筆為替手形から印刷用箋使用へ-
結論
書類証拠-さまざまな都市や時代の為替手形-
訳者あとがき
以上のうち、
1章までが、佐賀大学経済論集 19巻1号通巻47号 (1986年)
2章が佐賀大学経済論集 42巻2号, 通巻175号p29-63(2009年7月)
3章が佐賀大学経済論集 42第4号,通巻177号p117-143(2009年11月)
4章3節までが佐賀大学経済論集 42巻6号 通巻179号 ,p83-108(2010年3月)
4章後半 佐賀大学経済論集 43巻1号 180号 ,p74-100 (2010年5月)号
5
章が181号(2010年7月号)には掲載されておらず、180号で、「以下次号」、と記載されておらず、5章の翻訳計画があるのかはま
だ未確認です。
わざわざ目次まで紹介するのは、今となっては古い著作とはいえ、なにより面白かったことと、章立てや記述の加減が丁度よく(詳細過ぎる
と読み進める根性が無くなるし、浅いと満足できない。わかまま)、個人的には名著だと思えたから。
第1章は「14世紀の為替手形の起源」となっているものの、「第1節
ジェノアその他における銀行と為替の始まり」は、12世紀中頃のジェノヴァ商人のビザンツとの取引文書からはじまり、公正証書が次第に為替手形に成り代
わってゆく様が、「第4節
ジェノアとシャンパーニュ大市間の為替取引:貨幣市場の生成」では、シャンパーニュ大市での取引の実例が描かれ、13世紀中頃のプロヴァンス貨とジェノ
ヴァ貨の取引での為替決済での「安全装置」の仕組みが描かれています。まさに知りたかったことを知ることができました。
(なお、第4節の掲載さ
れている19巻1号p14012行目の「プロヴァンス貨12デニエの1スーあたりジェノヴァ貨1デニエ」は、「プロヴァンス貨12デニエ
の1スーあたり
ジェノヴァ貨19デニエ」の誤植ではないかと思われます。借受時、プロヴァンス貨1スーをジェノヴァ貨17デニエのレート借りて、返済
時、ジェノヴァ貨
19デニエのレート返済するので、ジェノア商人は必ず1スーあたり、2デニエの差益を得る、という原初の頃の「安全装置」一例です。これ
以外にも、12世
紀のコンスタンティノープルとの取引以降、多くの取引例が引用され、各種通貨との取引時のレートがわかります)
地域毎の為替相場の相違を利用した利益生成の実態は第2章で扱われ
ています。また、こちらのサイトに、ユーザンス日数と商業郵便の、各地間の一覧表が掲載されています。なんとも便利な時代になったものです。
それにしても、手形について殆ど何も知識がなかったのですが、よみ進めていくと、徴利禁止の教説を潜り抜ける為の「安全装置」とはいえ、
その部分について
は、為替振替や帳簿決済などの発達を招いただけで、利益を得るにしてもイスラーム商業と大きな違いがあるように思えません。4章に入って
裏書についてくど
くどと述べているので、「ひょっとしてイスラームでは手形譲渡や、無関係な他人が手形を引き受けることはできないのかも」と、少しネット
で調べてみたら、
どうもその通りですね。。。イスラーム金融関連の記載を見ると、手形やコマーシャルペーパーはOKだが裏書不可。イスラーム金融にまった
く興味が無かった
ので知りませんでした。商業の発達していたイスラームと近世西欧の分水嶺の一つが債権の譲渡性にあるとは思ってもみませんでした。そうな
ると、本書の後半
の大半を占める裏書については当初はぜんぜん興味が無かったのですが、段々興味が出てきて結局4章前半まで読んでしまい、続きも読みたく
なってしまってい
るのでした。ちなみに、前回ご紹介した佐藤圭四郎著「イスラーム商業史の研究」のp62では、イスラームは、貸付による利子は禁止してい
るが、投下資本か
らの利益(資本利潤)は容認している、とあり、これによると、イスラームは資本主義と矛盾するものでは無いようです。何故資本主義が発達
しなかったのか、
疑問は増える一方なのでした(アブダビ投資庁がシティを救済したのはいいんですかね。色々調べるネタは尽きないのでした)。
な お、2章から4章はインターネットで購読できます。こちらの佐賀大学機関リポジトリページの左上の「検索」にて、「楊枝,嗣郎」と入力して検索してみてください。
。
【4】 (4) その他参考になった資料
5.
「中世末南ネーデルラント経済の軌跡―ワイン・ビールの歴史からア
ントウェルペン国際市場へ アールツ教授講演会録」 エーリック アールツ
これも小冊子ながら役に立ちました(Amazonでは4597円もの中古しか出ていませんが、書店のネットショップには、まだ新刊在庫が
あるようです
(1500円)。私はジュンク堂のネットショップで購入しました)。前掲ローヴァー本では、16世紀に入ると、ブザンソンやリヨンの大市
での取引は詳しい
のですが、アントワープについてはあまり記載が無い(4章では裏書の件のみ)ので、シャンパーニュ大市が衰退して以降、国際金融取引の重
心がブリュー
ジュ(14初-15世紀末)とアントワープ(15世紀)に移ってからの記載が少なく、その部分を埋めるのと、ローヴァー以降の最近の研究
に触れられている
点、役に立ちました。三章中の第2章が、「中世後期‐近世初期ヨーロッパにおける為替取引―南ネーデルラント起源の方法と概念について
(ヨーロッパにおけ
る経済的前史:陸路交易の衰退とブリュッヘの隆盛:為替の起源 ほか」となっていて有用です。
研究の進展かどうか私には判断できませんが、ロー
ヴァー氏が「アントワープの状況は、裏書発生に好都合であったが、16世紀末まで裏書の事例は見つからなかった。最初の裏書された手形が
発見されたのは
1610年の日付をもったものであるが、それらは全てスペインで振り出されたものであった」と、16世紀末のアントワープでの裏書の存在
を示唆する記載が
ありますが、アールツ教授の前掲書p43には1571年の裏書のある現存最古の手形が発見されている、とあります(なお、こちらの川村正幸氏の「レイモン・ド・ルーヴァー『一四世紀から一八世紀に於け
る為替手形の発展』と
いう論考のp9には、「Federigo
Melis教授ほ、一五一九年八月六日付けのナポリ振出、フィレンツェ宛ての為替手形上の裏書の存在を指摘する。けれども、この裏書は例外物であり、当
時、裏書実務ほ未だ一般化していなかったと解される」との注釈があります)。それにしても、私が学生時代は、「アントワープ」が一般的表
記だったように思
えるのですが、今はアントウェルペンが一般なのですね。。。恥ずかしいけど知らんかった。
大きく参考になったのは以上の5つの書籍・資料です。
そ
れ以外にも、一応参考になったものに、下記のものがあります。ネットの資料だけでも相当知識がつくことがわかります。ただし簡単に検索に
ひっかからないも
のもあるし、ヒットしても文書が有用かどうか、中身を見ないとわからないので、よさそうに思えた資料を目録も兼ねて記載しておきます。
1.愛知教育大学の松岡和人氏の論考
14世紀における西欧の金銀複本位制と為替レートの決定
15世紀西欧の為替手形為替レートと利子率に関する一考察
14-16世紀のフランス、オランダ、イタリアの利子率のグラフや、15世紀に入り、英国の金銀貨幣の額面価格を大陸の金銀価値が上
回ったため、英国から金銀貨幣が流出したので1411年に悪鋳したが、流出を止めることができなかった話などが参考になりました。
16世紀における西欧の為替レート決定と外国為替理論の胎動
最初の方に載っている、国際金融市場の変遷図(シャンパーニュ、リヨン、ブザンソン->ブリュージュ->アントワープ
->アムステルダ
ム)や、その時々の国際通貨、主要銀行などの一覧は有用です。また、英国が行った16世紀の悪鋳と、為替レート、物価指数の図や、悪鋳の
為金銀比価が安く
なり、大陸に金が流出し、これを防ぐためにグレシャムが行った為替対策の具体的内容などが参考になりました。
2.複式簿記関連
今回複式簿記の起源は調査の対象外だったのですが、結果的に有用そうな資料が見つかりました。
石川純治氏「資金計算書の歴史的展開と数学的展開」 幾つかの説が記載されています。
日野晃輔氏の論考
複式簿記の考古学(2)
複式簿記の考古学(3)
複式簿記の考古学(4)
渡邉泉氏の論考
「16世紀アントワープにおける期間損益計算の生成」
「収益費用観から資産負債観への変容」
題名だけだとわかりにくいのですが、複式簿記生成と発展史となっていて、13世紀頃からの記載となっています。なお、上記の簿記歴史論考
では、欧州起源と
なっていて、アラブ起源説については言及がありませんでした。アラブ起源説は、ゴイテイン(米国籍ユダヤ人学者:E. David
Goitein 1900-1961年)が、カイロ・ゲニザ文書の中の1075年の文書中に、貸し借り勘定口座と、合計額の記載された文書があると発表
(1967:p295)しているとのこと。
3.堺雄一氏 中世ヨーロッパの遠隔地交易と危険対策
これは結構凄い資料です。各
70ページ程あり、全部あわせると一冊の書籍程のボリュームです。メインは西欧近世の海上保険の成立史で、研究史に結構記述を裂いてお
り、今ブログのテー
マである貿易取引や徴利問題などにも言及があり、更に大量の注は結構な量の参考文献案内となっていて有用です。
第1章中世ヨーロッパの遠隔地交易と第2章交易危険と危険対策
第3章 コンメンダとソキエタス 現代の株式会社に連なる西欧中世末期の会社の起源について扱っています。また、10世紀から15世紀のヴェネチアと
フィレンツェの名門家門興亡一覧は参考になります。
第4章 冒険貸借から海上保険証券へ
(1)研究史にみる冒険貸借と海上保険 (2)冒険貸借の構造と展開 (3) 海上保険の生成に関する論争上の諸問題
第4章 冒険貸借から海上保険証券へ (4)海上保険の生成と徴利禁止
問題 「嘘と貪欲」で記載されている、13世紀の徴利論争について詳述さ
れており、一部は「嘘と貪欲」より詳しい部分もあり、有用
第4章 冒険貸借から海上保険証券へ (5)海上保険の生成と商業機構
4.河原温「ブリュージュ―フランドルの輝ける宝石 (中公新書)
あまり評価してないレビューがあるからか、安く手に入りました。ブリュージュに何の知識も無かった私としては、結構有用な書籍に思えま
す。専門書並みの参
考文献一覧も、新書とは思えませんが、有用です。それにしても、p27以降延々と記載されている、13世紀末の貿易先一覧は凄い。アルメ
ニアやスーダンま
でリストに入っている。p47以降では、ローヴァーはイタリア商人の役割を過大評価しすぎ、として、近年の研究者を引いて(J.マレー、
A.グレーヴ)い
ます(でもあまりイメージは変わらなかったけど)。
以下は、読んではいないものの、今回色々探していて見つけた面白そうな書籍。
1.Handbook of Medieval Exchange
(Royal Historical Society Guides and Handbooks)
Peter Spufford著 1986年の出版で、ローヴァー以降の研究書。以下も同様。
Money and its Use in Medieval
Europe [Paperback] Peter
Spufford著 1989年
このSpufford先生が作成している凄いサイトを発見。中世の為替レート換算システム(全体のトップページは
こちら)。貨幣を二つ選択し、取引都市を選択する、というものらしい。ビザンツ貨幣のベザントも選択肢にあり、ジェノヴァとかのレートは
どうなっていたんだろう、と少し使ってみましたが、「Data not found」ばかりでがっかり。でも有用そうなサイトです。
2.これも面白そう。A History of Business in
Medieval Europe 1200-1550 (Cambridge Medieval Textbooks
[Paperback]。と思ったら、河原本の巻末文献一覧に載ってますね。
Edwin S. Hunt著。1999年。13ドル。
3.こちらも面白そう。「The Commercial Revolution of the
Middle Ages, 950-1350 [Paperback]」 Robert
S. Lopez著。1976年。と思ったら、翻訳が出てますね。
これ、本屋で立ち読みして、あまり参考にならなそうだと思った本でした。似たような題名の本で最近邦訳が出版された、「中世の産業革命」は店頭でざっと見た感じでは面白そうです。安い古本がでまわったら購入予定。
4. イリス オリーゴ著「プラートの商人―中世イタリアの日常生活」
これが為替取引起源の重要資料でローヴァー氏にとっても重要資料あるフランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニが遺した文書から起こされ
た書籍だとは知り
ませんでした。これまで本屋や図書館で頻繁に眼にしているのに、そういう書籍とは全然知りませんでした。。。(実をいうと、「プラーグの大学生」
と混同していました)
ところで、最初の1回目で記載した、貨幣の起源ですが、こんなサイトを
見つけました。20進法や12進法など、様々な単位混在する各地・各時代の欧州通貨をうまく整理する表の発想には驚かされました。ところ
が、この表も完全
なものではなさそうです。 「メディチ・マネー」を読んでいたら、p46に、「当時小銭はピッチョロ(複数形:ピッチョリ)といい、デナ
ロ(複数形デナ
リ)もソルド(複:ソルディ)も存在していなかった」との記載にぶつかりました。この点を調べてみようとしたら、前掲サイトに記載は無
く、そもそもネット
上にはピッチョロの記載が殆ど無く、Google bookでThe Big Problem of Small Change
(Princeton Economic History of the Western World) (Thomas J.
Sargent著)でようやくまともな説明にヒット。ピッチョロが存在し、デナリは無かった、と明確に書いてあったのは(少し探した限りでは)本書だけ。
一体、中世西欧貨幣はどこまで奥が深いんだ。と思うとともに、本書の書籍紹介に「中世では小銭は鋳造コストの方がかかるので、地金にし
てしまった方が良
かった」という、中世西欧の小銭問題を扱っている著作のようなので購入することに*1。円高のお陰か、中古が送料含めても2081円(他
にもピッチョロに
ついて載っているヴェネチアの貨幣本があり、これもよさそうです)。
*1この様な小銭問題は、清朝などでもあった。複数通貨の相対価値が安定するには、どの地域でも相当な苦労をしているようです。