17世紀後半にサファヴィー朝ペルシアへ交易の旅に出て、詳細な記録を残したフランス人ジャ
ン・シャルダン(1643-1713年)の著作の邦訳は日本でも4冊出版されています。 『シャルダン ペルシア紀行』(羽田正・佐々木康之共訳注、岩波書店〈1993年) 『ペルシア見聞記』(岡田直次訳注、平凡社東洋文庫、1997年) 『ペルシア王 スレイマーンの戴冠』(岡田直次訳注、平凡社東洋文庫、2006年) 『シャルダン「イスファハーン誌」研究―17世紀イスラム圏都市の肖像』(羽田正ほか編訳著、東京大学出版会 1996年) しかし、「ペルシア紀行」と「ペルシア見聞録」という似たような邦題となっていて、同じ内容の異なる翻訳なのか、違う内容なの か、わかりにくいように思えます。『「イスファハーン誌」研究』も、研究書でありながら、シャルダン著作の翻訳を含んでいるとの ことです。では、この『イスファハーン誌』は、『ペルシア紀行』『ペルシア見聞録』に含まれるのか、独立した著作なのか、こう いった点がわかりにくく、各邦訳の内容の重複の有無やや、シャルダン著作の全体像といった情報が、ネットで簡単に把握でき無いよ うなので(2013年6月)、少し調べて整理してみました。 シャルダン研究者である羽田正氏の「冒 険商人シャルダン」(講談社学術文庫、2010年)(p111-115)やEncycloperia Iranicaのシャルダンの項目によると、シャルダンの著作は凡そ三段階を経て全集の形にまとまったということの ようです。まず、17世紀後半に一部の著作が個別に出版され、続いて晩年の1711年に旅行記とサファヴィー朝の地誌に関する続 編が出版され、著者の死後1735年に、旅行記とサファヴィー朝地誌に関する全ての著作を含む「完全版」四巻本が出版されたとの こと。更に1811年になり、最初の著作である『スレイマーンの戴冠』を含む10巻本としてシャルダンの全著作がまとめられたと のこと。 羽田正氏「冒険商人シャルダン」p116-p120によると、1811年出版の10巻本の内容は以下のものとなっています。 ------------------------------------------------------------------------ シャルダンによる一六八六年版王への献辞、序、一七一一年版序 第一部 パリからイスファハーンへの旅(一巻から三巻途中まで) 第二部 ペルシア総観(三巻途中から四巻途中まで) 第一章 ペルシア概観 第二章 気候と大気 第三章 土地 第四章 樹木、植物、薬草 第五章 ペルシアの果物 第六章 ペルシアの花 第七章 金属、鉱物、宝石 第八章 家畜、野獣 第九章 家禽、野鳥、狩猟用の鳥 第十章 魚類 第十一章 ペルシア人の天性、風俗、習慣 第十二章 ペルシア人の鍛錬、娯楽 第十三章 言衣服と家具 第十四章 ペルシア人の奢侈 第十五章 ペルシア人の食べ物 第十六章 甘い飲み物、強い酒 第十七章 工芸・技術 第十八章 手工業 第十九章 取引や交易、度量衡と貨幣 第三部 ペルシア人の科学と学芸の記述(四巻途中から五巻途中まで) 第一章 科学一般 第二章 学校、学院、教育方法 第三章 ペルシア人の言葉、ペルシア語とアラビア語 第四章 文学、書体 第五章 文法と修辞 第六章 算数 第七章 音楽 第八章 数学 第九章 天文学と占星術 第十章 占い 第十一章 哲学 第十二章 倫理 第十三章 地理と歴史 第十四章 詩 第十五章 医学 第十六章 絵画 第四部 ペルシア人の政治、軍事、文治制度(五巻途中から六巻途中まで) 第一章 ペルシア人の政治に対する考え 第二章 政府の性格 第三章 政治的経済 第四章 王国の軍隊と軍事訓練 第五章 官僚 第六章 土地制度 第七章 王の収入 第八章 財政 第九章 書記官と玉璽尚書 第十章 宮廷の豪華さについて 第十一章 王の称号 第十二章 王妃たちの館 第十三章 女性の近づくことの禁 第十四章 宦官 第十五章 聖職者組織 第十六章 裁判、公民法 第十七章 刑法 第十八章 警察 第十九章 ペルシアでどの宗教が迫害されているか 第五部 ペルシア人の宗教について(六巻途中から七巻途中まで) 第一章 ペルシア人の第一の宗教信条。神の他に神なし。 第二章 ペルシア人の第二の宗教信条。ムハンマドは神の使徒なり。 第三章 ペルシア人の第三の宗教信条。アリーは神の代理なり。 第四章 ペルシア人の第四の宗教信条。合法的なお浄めの必要性について。 第五章 ペルシア人の第五の宗教信条。定められた時間に礼拝を行なうこと。 第六章 ペルシア人の第六の宗教信条。貧者に施しを行なうこと。 第七章 ペルシア人の第七の宗教信条。ラマザン月中は断食をすること。 第八章 ペルシア人の第八の宗教信条。可能ならメッカに巡礼に赴くこと。 第六部 ペルシアの都、イスファハーンの描写(七巻途中から八巻途中まで) 第七部 バンダレ・アッバースへの第一の旅(八巻途中から終わりまで) 第八部 バンダレ・アッバースへの第二の旅(九巻初めから途中まで) 第九部 ソレイマーンの戴冠(九巻途中から十巻途中まで) ------------------------------------------------------------------------ 邦訳との対応は以下の通りです。 『シャルダン ペルシア紀行』 - 第一部の抄訳 『ペルシア見聞記』 - 第二部 『ペルシア王 スレイマーンの戴冠』 - 第九部 『シャルダン「イスファハーン誌」研究―17世紀イスラム圏都市の肖像』 - 第六部 「ペルシア紀行」と「ペルシア見聞録」はまったく別の内容で、「ペルシア紀行」は旅行記で、「ペルシア見聞録」は地誌です。更 に、「ペルシア紀行」は、「ペルシア」という題名なのに、実際は、パリからペルシアへ向かう旅行記で、半分くらいはペルシア領に 入る前の旅程(オスマン朝領やグルジア領)の話です。「ペルシア見聞録」の方はサファヴィー朝の事典的な地誌です。題名のつけ方 が間際らしいように思えました。 更に、シャルダンが行なったペルシアへの旅行は二度とのことなのですが、「ペルシア紀行」が一度目の旅行の話なのか、二度目の 方なのか、或いは二度の旅行両方を記したものなのか、という情報もわかりにくくなっています。「ペルシア紀行」は二度目の旅行の 話で、一度目の旅行については著作を残してはいないとのことです。一方、「スレイマーンの戴冠」は、一度目の旅行の時の話です。 10巻もの大部の著作を残しながら、第一回目の旅行記や、二度目のペルシア滞在時期のペルシア史や、二度目のペルシア旅行の帰 路の旅程に関する著作は無く、第一回目の旅行の往路復路双方と、第二回目の帰路の旅程すら後年の研究の結果漸く、推定できるよう になっただけとは驚きでした。晩年に著作を出版しているにも関わらず、自伝を残しておらず、彼の生涯そのものも不明な点が多いの だ、ということも、羽田氏の「冒険商人シャルダン」を読んで漸く理解できました。 普通旅行記を記載するような人は、一応旅程の全部を記載するものなのだとの先入観があったのですが、シャルダンの場合は、明確 な意図を持って、著作内容を取捨選択したように思えます。 少し調べたところでは英語版の全訳も無いようです。1811年のフランス語版は、近年出版されたものがAmazonに掲載され ています。 タイトル:Voyages du chevalier Chardin, en Perse, et autres lieux de l'Orient: Nouvelle édition, conférée sur les trois éditions originales et augmentée par L. Langlès. 各巻へのリンク: 1.Tome 1 2.Tome 2 3.Tome 3 4.Tome 4 5.Tome 5 6.Tome 6 7.Tome 7 8.Tome 8 9.Tome 9 10.Tome 10 |