1/Jan/2010 created

日本の高度経済成長時代と 2000年代の中国

 

 

 同じような内容 の考察は、既に広く広まっているので、素人の私がここで何か新しい主張ができるわけではないのですが、今年中国駐在を終え、当面中国業務を行 う見込みが無いこともあり、ここでひとまず所感をまとめておきたいと思い、記載しています。つまり、自分の為の中国所感のまとめ文章です。

 現在の成長経済 にある中国の状況と政策が、高度経済成長時代の日本と似ている点について、年度別GDP成長率と、一人当たりのGDPの推移についてデータを 用いた解説が「かんたん株式会 社」サイトの「成長時代の日本と似た中国」に掲載されています。このサイト掲載のグラフによれば、1人あたりのGDP成長率の推 移は、かなり似通った曲線を描いています。

 

 近年の中国政府の経済政策は、日 本の高度経済成長時代を参考にしているとはよく言われるところですが、実際に、幾つか共通しているポイントがあります。例をいくつか挙げてみ ます。

 

1.為替レート自由化

2.オリンピック、万博開催

3.GDP世界第2位になる時期

4.海外旅行自由化

5.公害・汚染被害の顕在化

 

これら4点が、比較的同時期に行わ れている点が、非常に似通っています。下記に、年表を入れて比較してみました。上の図が日本、下の図が中国です。

 

 

 まず、高度経済成長時代の日本の 成長率は、5から10%。2000年代の中国は、日本より少し高めで10%前後を維持していますが、日本は、1964年のオリンピック開催か ら、1970年の大阪万博開催と、変動相場制まで、8年間で行われ、途中の1967年には、GDPがドイツを抜いて世界第二位となっていま す。特に顕著に見られる傾向は、為替レートの変動と、GDP成長率の連動です。日本は、輸出資源を持たず、原料を輸入し、加工工業製品を輸出 して成長する型の経済である為、円高は工業製品の輸出の低下を招き、引いてはGDPの低下を招く仕組みとなっていました。

 

 

一方の中国は、2005年の変動相 場制(といっても管理変動相場制だが)への移行から、上海万博が開催され、日本を抜いてGDPが世界第二位となるまで 5年間で、その間オリ ンピックを開催しています。中国が為替を完全自由化しない理由は大きくは2つあると思います。

 

1.工業製品輸出型経済である為

2.内陸部と沿海部との格差が大き い為

 

 中間層が拡大してきているとはい え、大きくは沿海部の都市部に限られており、まだまだ国内消費力は小さく、極端に工業製品生産に偏った産業構造をしている為、急激な元高で輸 出の低下を招いた場合、製造業界が打撃を受け、不況に陥ることになります。最近の日本の場合は、既に社会が成熟し、消費社会となっている為、 円高になると、自動車産業など、輸出依存産業は打撃を受けますが、高級消費財や中国製品など、輸入品が安くなる為、国内消費市場にはプラスに 働きます。しかし、中国では、まだ消費市場は小さい為、都市部の一部のサラリーマンなどにとっては元高は有利に働くかもしれませんが、内陸部 からやってきた出稼ぎ労働者には、輸入品を購入するような購買力はありません。また工場縮小などで失業して内陸部の故郷への送金が低下すれ ば、内陸部の経済にとっては大きな打撃となります。

 そこで為替変動幅に制限を設けて 段階的に元高に導き、時間を稼いで、都市部の消費市場を拡大し、内陸部との格差の縮小させ、軟着陸させようとしているわけです。この様に、中 国政府の経済政策は、一応理にかなったものとなっています。おそらく、かつての日本の為替政策も参考にし、「軟着陸」するよう努力しているも のと思われます。

 

なお、海外旅行自由化の過程は、日 本と中国では以下のようになっています。

(引用先:日本については、Wikipedia の「海外旅行」、中国については、「日本新華僑」サイトの2009/2/21の記事、「成長期を迎えた巨大旅 行市場『中国』へのアプローチ」の記事に一部情報を追加しています。)

 

    【日本】

     1964年 個人旅行自由化

     1988年 米国個人ビザ免除

 

    【中 国政府による外国旅行目的地の指定拡大と個人旅行解禁の経緯】
1983年 香港、マカオ
1988~1990年 東南アジア諸国(タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン)
1997年 団体観光旅行解禁……この年までは親戚訪問を目的とした旅行のみ 
1998年 韓国……2000年6月、ビザ発給対象地域の限定解除
1999年 オーストラリア、ニュージーランド……2006年8月、ビザ発給対象地域の限定解除
2000年 日本……2005年7月、ビザ発給対象地域の限定解除
2002年 トルコ、エジプト 等
2003年 ドイツ、南アフリカ 等。また、香港、マカオへの個人旅行解禁
2004年 ヨーロッパ諸国(英国を除くEUの大半)、アフリカ諸国 等
2005年~2007年 英国、ロシア、中南米諸国 等
2008年 アメリカ、台湾 等

2009年 年収25万元以上の富裕層の日本個人 旅行解禁

 

 

 中国の場合は、日本のケースと比 べると、目的地指定、ツアー旅行のみ、個人旅行解禁、と、多くの段階を経ていますが、これも、まだまだ多数の低所得者層をかかえ、観光ではな く、不法労働目的での渡航が多いことが背景にあります。しかし、着実に中国人の海外旅行自由化は進んでおり、これも経済発展の結果と言えま す。日本も、米国への渡航時のビザ免除が、プラザ合意後の円高による社会の富裕化が背景にあることを考えると、同盟国である米国でさえ、完全 自由化となったのはまだ20年前の、バブル開始時のことに過ぎません。つまり、高度経済成長期の日本は、現在の中国よりも自由であったとはい え、完全自由でもなかったことを考えると、旅行解禁という面でも、現在の中国と当時の日本は、共通するものがあると言えると思います。

 

 では、この先の中国経済は、日本 と同じ歴史を辿るのでしょうか? 高度経済成長後の日本経済は、おおむね下記図の状況を辿ったものと見ています。

 

1.1950年代から1972年ま での高度成長時代

2.1972年から1991年まで の中成長時代

3.1992年以降の低成長時代

 

高度経済成長の契機は、為替自由化 とオイルショックですが、中成長時代の終了の契機は1985年のプラザ合意にあると思っています。

 

 

 個人的には、戦後の日本史上もっ とも重要な出来事は、高度経済成長政策と、プラザ合意にあると考えています。プラザ合意は、力ずくで、工業製品輸出型経済であった日本を、消 費中心経済へとシフトさせ、同時に社会全体の富裕化を招いた政策だと思うのです。業製品輸出型経済の社会は、経済力につりあわない安い為替 レートに固定することで輸入を抑えて個人消費を抑圧し、外貨を蓄積して社会のインフラを整備することにあります。こうした社会では、経済力に 見合った為替レートになれば、安い製品の流入が消費市場を喚起し、社会全体の富裕度を底上げすることになります。というわけで、日本の場合 は、プラザ合意により、強制的に円高とし、国内消費市場を喚起し、日本社会全体が富裕化したことになります。私個人が、同時代的に感じていた 実感は、やはりプラザ合意の成果が出てきた1980年代後半にあり、いくつか指標となる出来事があります。幾つか例を挙げますと、

 

1.1988年 東京ドーム完成

2.1989年 豊田自動車のエン ブレム変更、レクサス販売

3.1989年 幕張メッセ開業

4.1989年 横浜アリーナ開業

5.Rebeccaやユーミン、サ ザンなど、欧米コピーを脱した洗練された音楽の登場

 

 建築物に偏っていますが、指標と してはわかりやすいのでこうなってしまうのでしょうが、当時の実感として、1970年代に少年時代を過ごし、映画などで目にする欧米などと比 べてやぼったさを感じていた日本(というより東京だけど)がどんどん洗練されてゆく実感がありました。当時は、米国や英国と同様、レーガン、 サッチャー、中曽根のとった積極経済政策による、いわゆる「キンピカの80年代」という浮ついた時代の産物と思う一方で、「日本が先進国追い ついてきた」という感触を持っていました。特に、1989年のトヨタ自動車の広告、 「10月1日からTOYOTAは変わります」という広告 は、それまで「せいぜいクラウンどまりで、カローラ主体の大衆車会社」というイメージのあった日本の自動車会社が、「ベンツやBMWに追いつ いた」という自信と宣言を感じました。

 

 とはいえ、実際に90年代に入 り、米国、カナダ、ドイツ、スイス、英国、オーストリアなどを旅行してみると、「確かに円高で、日本は海外の高級商品を大量に購入できるよう にはなったものの、欧米とは根本的にインフラのレベルが違う」という感触を持ちました。実のところ、インフラ面でも欧米に追いつき、真の意味 で日本(というより東京)が先進国となったのは、実は2000年代々に入ってからの、この数年であるように感じています。

 

 このように戦後日本の歴史を振り 返ってみますと、中国社会は、まだまだ高度経済成長期の日本の段階に留まっているものと思うのです(とはいえ、これも「東京、あるいは大都市 部だけ」の話なのかも知れません。今後は、日本の地方を見て回りたいと考えています)。

 2010年は、中国が、GDPで 世界第二位となり、中国政府も中国人も自信をつけてくることでしょう。日本が世界第二位となった1967年当時と同様に、表面的には、中国社 会は日本に追いついたような印象を持つ中国人も多数出てくるものと思われますが、「質」という面では大きな差があります。昨今の日本は、目標 を見失い、混迷を極めるだけに思えますが、ECO製品開発と購買意識の浸透、リサイクルの浸透など、現在の中国では、ほぼまったく導入できな い分野が多数あります。COP会議における中国政府の態度や、中国国内での公害・汚染など、批判されるべき点は多々ありますが、これらは戦後 日本史でも見られた現象です。小学生に、大学生の問題を解かさせるのは難しいのと同様、現在の中国も、まだまだ発展途上であり、小学生は小学 生の問題をクリアしてから、中学生の段階へと向かう必要があります。昨今の日本で、中国人の習慣や中国政府の政策を批判する方々の一部に見ら れるのは、このような歴史認識の不足ではないかと思うのです。もちろん中国政府の政策では、愛国問題、領土問題、人権問題、少数民族抑圧な ど、いくつも論点がありますが、それらは項を改めて記載することとして、ここでは、以下の点を確認して終わりたいと思います。

 

1.現在の中国社会状況と中国人の 意識は、高度経済成長時代の日本に相当し、経済政策では当時の日本と共通点が多く、参考にしていると思われる。

2.経済的に格差のある内陸部の問 題の解決をにらみながらの為替自由化となる

3.GDPが世界2位となっても、 日本や欧米との差は巨大なものがある。中国人一人当たりのGDPはまだ日本の10分の1程度。

4.環境破壊や公害による人権被害 などの対策の優先順位を高くできる段階に無い。日本や欧米も「かつて来た道」であり、中国政府・社会が本格的な対策に乗り出すことができる経 済・社会発展段階になるまではあまり期待できない。

 

追記 中国のメディアは、プラザ合 意を、「日本が米国に800億ドルを毟り取られた。日本の米国被害のひとつ(他の2つは、日本がアジアの中で孤立していること、在日米軍によ る被害が1952年から2007年の間で20万件」(2010 年5月30日付け広州日報の記事)と喧伝しているようです。800億ドルという金額はどこから来たのでしょうか。。。1ドル 100円としても8兆円にしかなりません。日本が購入している米国国債70兆円近くに比べれば、たいした金額ではありません。まぁでもこうい う風に元切り上げをしない理由を国民に納得さようとしているのでしょうね。在日米軍の件は日本の旧防衛庁が発表した数字なのですが、殆どが戦 後直後のもの(Wikiに記載があります(在 日米軍・事件・事故)

 

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