1914年に民国で出版された乾隆・嘉慶時代の領域地図と1790年清朝作成世界地図


  2008年に、中国で出版された「地図の発展」(生活·読書·新知三連書店)という書籍に掲 載された、1914年に民国で出版された乾隆・嘉慶時代の領域地図の画像を紹介しました。

 最近たまたま1790年(乾隆55年)中国で作成されたと考えられる、清朝の版図を塗り分けた似たような領域地図を知りまし た。

 この画像は、「The History of Cartography, Volume 2, Book 2: Cartography in the Traditional East and Southeast Asian Societies」(University Of Chicago Press:1995年)に掲載されており(カラー頁に頁番号が掲載されていないので、引用元の頁番号を記載できません。図版番号は15となっていま す)、その解説によると、ベルリンのプロイセン文化財団ベルリン国立図書館(preussischer kulturbesitz staatsbibliothek)が保有しているようです。この地図は、ネット上で は、ハーバード大学のサイト「Harvard Faculty of Arts and Sciences」こちらに掲載されています。

 1914年製乾隆・嘉慶時代地図と大体同じですが、異なっている部分も多々あります。
 まず気づくことは、1914年の地図は民国時代に編集された清史稿の526巻(列伝313)から529巻(列伝316)に 掲載された属国が黄色で着色された版図に含められていますが、1790年の地図では、インドシナ半島は領土外となっています(た だし、文字が太く強調され ているので、他の外国とは異なった扱いとも考えることが出来るかも知れません)。また、カスピ海(裏海)東部が、清朝本土と同じ 色でありながら、線で分割 されており、赤い点で塔什干(タシュケント)が記載され、その下に「烏什即噶尔旦本国(ウシュ即ち、ガルダン本国)」と記載され ています(ガルダンはジュ ンガルの王)。1790年時点では、既にジュンガルは清朝に滅ぼされていたので、この地図が1790年製というのはあくまで地図 を入手した西欧側の認識で あって、実際はもっと前に作成されたものか、或いは、作成されたのは1790年でも、より以前の版図を反映したものかも知れませ ん。カシミールかアフガニ スタンのあたりが「小白頭番」、イラン付近が包社大白頭番、オスマン朝付近が西多尔斯と記載されています。西多尔斯は多分、西多 尔斯基(西トルキスタン) だと思われますが、小白頭番と包社大白頭番はどの発音を反映しているのか不明です。地図は当時の世界観や情報の状況を反映してい るので色々と地名の比定に 興味が尽きない地図となっています。

 「清史稿」は民国時代の編纂なので、民国時代の世界観が反映していることから、1914年と1790年の地図の相違も、各々の 時期の世界観の反映なのかも。清代に描かれた他の地図についても知りたいと思うようになりました。

 ところで、清代の全土地図としては、1708年から17年の10年間かけて製作された「皇輿全覧図(皇舆全览图)」という地図があります。こちらの地図はかなりリアルな 地図となっています。

 なお、この地図をイエズス会士が欧州に持ち帰って1734年に出版した地図がD’Anville’s maps of Chinaと呼ばれるこちらの地図) で、カスピ海までかなり正確に記載されています。清朝がカスピ海東岸まで支配領域だと認識していたのは、単なる認識だけではな く、地形の実測と地図の作成 に表れているのかも。細かい地形の実測は時代・地域を問わず国家機密なので、清朝の支配がカスピ海沿岸まで強く及んでいたか、或 いは密接な結びつきがあっ たということの表れかも知れません。


---2008年10月26日の記事----

 2006年出版の、「地図の発展」(生活·読書·新知三連書店/原題「地图的发现」生活·读书·新知三联书 店)は、主に近現代の中国地図の薀蓄があれこれ語ってある、(読めればきっと)面白い書籍だと思うのですが、この書 籍中に、1914年に民国で出版された乾隆・嘉慶時代の領域地図が引用されてます。

 この地図集は、胡晋接(1870-1934年)という教育家と、程敷楷が編集したもので、「中華 民国地理新図」という題名。それに収録されている、第一図「前清乾嘉以前中華領域図」というものが、ちょっと面白いので、下記に 引用してみました。黄色い部分が清朝の領土。



  これによると、現在のインドシナ半島、アフガニスタン、中央アジア5カ国、朝鮮は、全て清の領土となっており、よく見ると、琉球 列島、樺太も清の領土と なっています。これは、清の乾隆・嘉慶時代の領域認識なのかどうかは厳密にはわからないのですが、少なくとも、「民国初期に、清 朝最盛期の領域は、このよ うなものであったと認識している人々が一部にはいた」 ということの証拠にはなりそうです。
 この領域認識は、清朝に朝貢していた国は、全て領土として記載したのだと思いますが、出版当時の帝国主義列強の領域を意識し た、政治的産物であるようにも思えます。(因みに現在の正統歴史地図(「中国歴史 地図集」)では、清朝時代の領域は、日本で出版されている地図とあま り変わりありません)。

  それにしても、アフガニスタンが朝貢していたのははじめて知りました。18世紀は、アフガン人がイランから独立して王国を建設し た時期なので、イランに対 抗する上で、中国に政治的な渡りをつけていたということなのでしょうか。それにしても、地図の領土では、イランと中国が国境を接 していることになってるの がなんとなく嬉しく感じたりしています。

---関連記事--
中国 歴史地図帳「看 版図 学 中国歴史」  



BACK