05/05/2004

  南北朝という時代




  中国の南朝時代という時代は時 代像や人物が捉えがたく、316年に遷都してか ら270年も続いた割には、イメージが固まらない時代でした。最近読んだ井波律子氏の「破壊の女神」や吉川忠夫氏「劉裕」(中公文庫)を通じて、少し身近 になった感触があります。特に東晋時代については、政権の流れよりも、王氏、謝氏、桓氏などの名門家門を軸に描かれることで、相当イメージがつかみやすく なりました。いままで南朝は、一方的に北朝に押されるだけの、ひたすら589年の滅亡へむけて凋落の一途をたどったイメージがありましたが、5〜6世紀の 東ローマと同様、幾つかの地方王朝を滅ぼし、一時は洛陽と長安を占領していたことも恥ずしながら、両著によって知った次第です。東晋の劉裕将軍が、南燕王 朝を滅ぼしたり、洛陽と長安を再占領していたことなど、ベリサリウス将軍のローマ、カルタゴ再征服に似て、やはり古代統一帝国への復帰願望というものは共 通しているのだな、と思った次第です。ただ、ベリサリウスと異なる点は、劉裕の征服行動が、政権獲得のデモンストレーションに過ぎず、永続的な支配や、真 の統一を目指していた点になかったこと、および、終生「皇帝の奴隷」と言われたベリサリウスと異なり、劉裕は後に皇帝の座についたことでしょう。
 他にもこの時代の東ローマとの業績の相違は色々ある為(聖ソフィア教会建設、ローマ法大全編纂など)、ローマ史と比べると若干見劣りすることは確かです が、劉裕の時代に、首都建康でインドから直接招来された経典による仏教が隆盛しており、建築物が残っていないものの、実際には多くの寺院が建立されていた ようです。
 
 ところで、吉川忠夫氏「劉裕」には、梁の時代に「宋書」を記載した沈約がその時代感や先祖の系譜、劉裕について語った独白録とでもいうような、「沈約独 語」という小品が収められている。小説というには作者吉川氏の姿が見えすぎな部分もあるが、氏が本来小説家ではないことを考慮すれば、この作品は珍しい中 国古代の一人称小説の佳作であると言えまいか。