中国中世の重装騎兵
五代十国時代を舞台とした映画「王妃の紋章」の冒頭部分で、中世欧州で目にするような重装騎兵が登場していました。中世的雰囲気を出す為の演出なのか、事実に基づいたものなのかはわかりませんでしたが、五代十国時代という暗い分裂時代には、中世的雰囲気は良く似う映像となっていました。
中国史の時代区分に、マルクス的な古代・中世・近世・近代の区分を持ち込むことの妥当性は私には判断できないのですが、小世界の大統一後の分裂、遊牧民族
の侵入、魔術や神仙的要素が目立つ点など、欧州の中世と、中国の南北朝時代の世界イメージには、共通した要素が伺われます。また、唐朝というと、輝かしい
文化興隆と大統一というイメージが先行しがちですが、実際には分裂していた時代の方が長く、よくよく考えると、4世紀から10世紀までの、長い分裂時代
の、一時的な例外時期、という気もしてきます。
欧州時代区分という先入観にとらわれるのも嫌なので、宮崎市定氏の「大唐帝国 中国の中世」などは避けてきたのですが、なんとはなしに、この時期の中国の中世的イメージにどんどん引きづられるようになってきてしまっています。
「王妃の紋章」を見た直後に、吉林集安三室墓の壁画に、欧州中世の重装騎兵の一種である「カタフラクト」のような装束の騎兵が描かれていることを知り、驚いていたのですが、昨日本屋で、6世紀の西魏時代の敦煌の壁画に、より鮮明な重装騎兵が描かれているのを知りました。
され、先日訪問してきた瀋陽省博物館に、馬の装備に関する説明図がありましたのでこれもご紹介します。
この図には、下記の説明が記載されていました。
-甲騎具装とは、人甲と馬甲とからなる馬具の総称のことを言う。 人甲は、鎧甲、頚甲、鉄兜鍪からなり、馬甲は、下記のパーツから構成される。
面帘 - 顔の覆面
鸡颈(鶏頚) - 首の部分
当胸 - 前足の前に垂れている部分。胸当て。
马身甲(馬身甲)- 鞍の下敷きとなる、身体を覆う部分
搭后(搭後) - お尻の覆い。
寄生 - 尻の上に載っている尻尾のような飾り
鞍と鐙
更に、下記の説明もありました。上の説明とは少し異なっており、何故同じ説明コーナーに、異なる2種類の説明があるのかについては、特に記載はありませんでした。
馬甲は、下記のパーツから構成される。
馬冑
鎧(よろい)
当臚
鑣(くつわ)
鞍
鐙(あぶみ)
鑾鈴
帯扣(バックル)
これら甲騎具装は、三燕(鮮卑族の建てた前燕、後燕、北燕)に始まり、高句麗を経て、朝鮮半島、日本列島に伝わった、とありました。こちら百度百科の馬甲の項に
は、後漢時代既に馬の前胸に防備を施す装備が見られ(当胸)、三国時代の文献にも記載があったとされていますが、馬が戦力として大いに活用されるように
なった南北朝時代、鮮卑族によって広まったとされています。その後唐代になると、軍事では次第に見られなくなり、儀式などで見られるに留まるようになり、
遼、宋、西夏、金の戦争で再度復活し、南宋の滅亡とともに、東南アジアからは消滅したとのことです。この記載によれば、遼代にも装甲騎兵は見られたようで
すが、瀋陽博物館にあった、遼代の騎兵図では、全身を覆うタイプではなく、腹部の一部だけを覆っていたものとなっていました。