9月30日

 起床したの5時頃で、外はまだ暗かった。6時を過ぎたあたりから明るくなった。
9月に入ってから曇り続きだが、この日も曇り。秋分を過ぎると、やはり日は短くなっている。
空港へは、途中までバスを使う予定だったのだが、バス停近くで、昨夜レストランで、夕食の残りを持ち帰りにしてもらったパックを部屋に忘れてきてしまっ た。
1週間も部屋においておくと、大分涼しくなってきたとはいえ、部屋に戻る頃には腐臭が充満してしまうかも。ということで部屋にとりに戻る。
そんなことをしていたら、6時半になってしまったので、自宅前からタクシーにする。

 空港は、深圳市街から広州方面に向かう途中にあり、30分程度。自宅から20Km。
恐らくこの10年以内に整備されたであろう近代的な大空港である。
巨大だが構造はシンプルで、海沿いに直線に滑走路が走っていて、
国内線・国際線用のビル、A館、B館が滑走路沿いに並び、その前を車回しのアプローチが通っている。
A、Bどちらかわからなかったので、Aで下ろしてもらい、館内行き先電光掲示板で確認してからB館へ。
7時7分頃の到着。タクシー料金71元、高速道路代10元。
B館の海南航空のカウンターは愛想が悪かったが、特に問題なくチェックイン。
荷物チェックの時、弁当とペットボトルをチェックされたが、ボトルを少し飲んで見せたら、そのまま持ち込めた。
初めて利用する空港だし、ゴールデンウィークということで少し慎重になり、2時間前に空港に到着するようにしたのだが、
ゲート前の待合所へいくと、まだ1,2名しかいなかった。さすがに国内便で2時間前は早すぎたということがわかる。
旅行人と地球の歩き方から引き千切ってきた、雲南と貴州のガイドブックを読みながら待つ。

 定刻通り9時に出発し、11時10分頃、空港到着。飛距離も短いため、今回窓側に座ったのだが、
中国南部は曇りなため、眼下は一面雲の海。何も見えない。機内では、中国系タイ人のスキップさんという60歳くらいの人と隣り合わせになる。
彼は、祖父が中国人で、1920年代にタイに移住してきたそうだ。中国語・タイ語の他に、英語、日本語を話す。
今回インド人の宝石商と一緒に昆明に商売ででかけるとのこと。日本語を使うのは久しぶりとのことで、
練習をしたかったのだろう、昆明に着くまで色々話しかけられたが、彼の日本滞在時の話とか、
旅行ガイドに載っている程度の昆明の話とか、あまり大した情報はなかった。
短いフライトだったが、一応朝食が出た。機内では、マイケル・ナイマンの映画「ピアノ・レッスン」の主題曲が流れていた。

タラップを降りると、確かにさわやかな空気。気温は明らかに低いが、湿気が少ないのだろう。
高原の気候。夏の間に、東京から軽井沢か蓼科などに行ったときに感じる感覚に近いかもしれない。
空港ビルへバスで移動する途中、押し合う社内で隣にいた欧米人の男性と中国人女性の20代くらいのカップルが、
ドラッグをどこで買えるかな、などという話をしていたのがちょっと不快。
空港で地図(5元)を買い、空港前の中国銀行そばの市内バス停で52路のバス(1元)で3つめ、
春城のバス停下車。地図によると、ここから昆明駅まで500m程度。歩く。空港は、昆明駅から東南方向に2km程度の地点にあり、意外に近い。
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駅前の中北バスターミナルにて11時50分、大理へのチケット購入。81元。12時50分発だったので、トイレいって、昆明駅前を少し散歩。
12時28分に乗車したが、満席なためか、予定時刻より早い、38分頃出発した。バスは宇通客車の中型。
14時20分頃一度トイレ休憩しただけで、16時25分頃大理着。371kmだそうだが、4時間かからなかった。
全工程高速道路だったため、平均時速100kmで走ったことになる。
中国の高速道路が、皆平均100kmで移動できるわけではなく、実際、翌日の昆明行きでは、5時間くらいかかっているなど、
平均的には、高速道路を利用しての移動は、時速60km〜100kmの間になるのではないかと思う。
都市部での渋滞がなく、途中町への寄り道や、工事中区間などが無ければ、平均時速80km〜100kmでの移動も可能で、
中国バス旅行の時間も、大分読みやすくなってきたのではないかと思われる。


昆明から大理間の景色は、日本の農村風景と非常に似た印象。
神奈川県の秦野あたりの、丹沢山地の麓の農村地帯や、中央高速道の山梨と東京の境目あたりの大月と似たような風景。
恐らく何の説明もなしに、写真を見せられたら、まず日本の風景写真だと思うだろう、ある意味平凡な風景が続いていた。
ガイドブック(の切れ端)を見ると年間平均気温が20度前後で一定している。
雲南は、気候的には、農業主体で生活するには相当住みやすいところなのではないか、という気がしてくる。

 大理は、夕方ということもあるが、大分肌寒い。持ってきた革ジャンを取り出して着る。
ガイドブックをちゃんと読んでなかったので、バスターミナルの西側に、大理古城行きバス停があることを理解していなかった。
バスターミナル入り口正面のバス停でバスを待つが、大理古城行きバスはなぜか通り過ぎてしまう。
散歩がてらバス停2,3区間を、大理古城の方へ向かって歩く。

      

3つ目のバス停で、大理古城行き4路バスに拾ってもらう。乗車してからわかったことだが、
バスは基本的に座席が無い場合は乗車を認めていないようで、しかもガイドブックを確認すると、
始発バス停は、バスターミナル西側にあることが判明。大理古城行きバスは、下車時に料金を払おうとしたら、いいよいいよとのジェスチュア。
無料で乗せてもらってしまった。1.5元だけど。大理(下関)から大理古城まで14km。

初めて目にした洱海は、中央自動車道の下諏訪あたりで見る諏訪湖という印象。
周囲を山に囲まれた盆地に湖があり、その周囲に民家や町がある。日本と似たような場所なので、印象を伝えやすい。
西側に山脈が見えているが、これも、大理自体が海抜2000mの地点にあるため、標高4000m級の山には見ない。
長野の木曽谷あたりから見た、南アルプスといった感じ。
旅行人のガイドブックに記載があったとおり「つらい中国の旅の果てにたどり着く心安らぐ場所」とあったが、
たしかに日本の田舎の温泉地にでも来ている感じで、日本人には相性のいい土地柄かもしれない。

宿は、バスで隣に座ったおばさんに客引きされ、あっという間に決まってしまった。50元。
他の中国人顧客も客引きされていて、彼らは44元だった。
私が外国人だからか、或いは中国人客の方は団体客だからか、6元の差の理由は不明だが、まぁ対した額ではないので問題なし。
宿は日本並みとまではいえないが、予想以上に清潔で、バスタオルも完備。
観光地なのに、これで50はお徳かも。窓とドアの鍵もちゃんとしている。
宿の場所は、南門の直ぐ外側、小川の橋を渡って、右手に曲がった、陽光大酒店。大酒店とあるが、3階建てのペンション風の宿である。

                

18時30分頃、観光に出発。
大理古城は、恐らく清朝時代の城壁に囲まれていて、各門と町の中心部には楼閣がある。

      

南門の前では、民族衣装を纏った白族の女性数人が観光客一緒に写真を取られている。いかにも観光地といった風情。
大理古城の中は、飛騨高山という感じ。中央通りの両側は、延々と地域の生活商店を含む観光用商店街が並ぶ。欧米人の旅行客も多い。

                          

北門に到達し、門の上に上がってみる。
丁度受付の人が帰宅するところだったが、入れてもらい(2元)、西側の山から、東の洱海まで全体的なロケーションを眺める。

   

大理石の語源となった、石の産地だけあって、石屋が目に付く。
その後、三塔寺に18時50分頃着くが、もう閉館(営業時間7〜19時)。
明日来るように言われたが、121元と非常に高額で、敷地の外からでも塔は眺められるので、中に入っての観光は取りやめにする。

      

三塔寺の路上では、数件の露店が出ているだけだったが、入り口左手に、(恐らく)バスターミナルを含む唐風の観光施設が建設されているところだった。

   

宿に戻る途中、古城内の護国路を通ったが、ここは欧米人専用ストリートという感じ。
ロッジ風の飲食店の外に、イスとテーブル、及び英語のメニュー看板が並び、目に付くのは欧米人ばかりが、テーブル中央のランプを囲んで談笑している。
なんだかあまりにも観光地過ぎて入る気がしない。
結局南門外の白族農村菜と看板に書かれた、比較的普通の中国店で夕食。

      
         上記写真の左手の看板のあたりで夕食

魚の煮込みを注文したが、深圳でも食べられるものとあまり変わらない感じがした。価格も(定食屋ではなく)レストランとしては普通(26元)。

      

20時頃、宿に戻ってTVをつける。
今日、昆明からのバスの中で放映されていた、雲南第2TVで「跤王」という民国時代を扱ったドラマがやっていた。
バスの中では、1話から5話まで放映されていて、TVでは丁度、その5話が放映されていた。
面白くてつい引き込まれてしまい、翌日昆明の宿で12話を見て(なぜか12話に飛んでいた)、
更に旅行から戻ってからDVDを購入し、37話から最後の46話までを見てしまう。
昨夜は4時間程度、機内でも眠れなかったため、22時半には眠りに落ちる。



10月1日

      

6時36分起床。7時7分に宿を出て、7時28分、喜洲行きのバスに乗車。8時2分喜洲に到着。
喜洲は、街道沿いにバス停があり、そこから1km程、湖方面にある村に向かって歩く。外は曇り。
少し小雨がぱらつく中、村まで歩く。村を1周し、中心部にある、厳家大院という、1920年頃に建設された、白族の豪族の家を見学(10元)。
中庭に囲まれた2階建ての住居が4練続く、よくあるつくり。少し驚いたのは、一番奥に、洋風の3階建て別館があり、3階のバルコニーから、町全体が見渡せ た。
「青い屋根と白い壁」という説明に、チュニジアのような町を期待していたのだが、
青というよりは微かに青っぽい黒と白。黒と白のメリハリなら、日本の古い民家の方がいいかも、と少し思う。

             

村を一周し、ミニバス乗り場に行くと、そこにあるのは、予想していたようなバスではなく、バイクの荷台に屋根と車輪をつけたバイクタクシー(バイタク) だった。
2元とふっかけてきたので、1元に値切って、街道沿いのバス停まで送ってもらうが、これがスリルがあった。
コンクリートではなく、普通の石を乱雑に並べて固めただけの舗装なので、揺れが激しく、
しかも小雨がぱらついているので、何度もスリップし、このまま事故るのではないかと、引き攣ってしまう。
ジェットコースター並みのスリルが味わえる。安全装置が無い分、余計に怖い。
正直なところ、喜洲のバス停と村との間のバイタク利用はお勧めしない。

9時20分頃、南詔徳化碑に到着。
ここにはバス停はないが、街道沿いにあるので、バスの車掌さん(回族だった)に乗車時に伝えておいてとめてもらう。
南詔徳化碑は、街道から100mくらい西側に入ったところにあり、太和村の住宅地の中にある。
バス通りから南詔徳化碑の博物館(一応入り口で入場料を取るので博物館とみなす。8元)の入り口までの坂を、現在舗装工事中。
完成すれば、唐代の城門を模した観光博物館となるものと予想される。

                

徳化碑を見学後、太和城遺祉を探して歩くが、30分程歩きまわり、住民に聞いてもわからないようなので、諦める。
ここで城壁遺跡を見つけるには、事前に調査をしていかないと無理そうである。
しかもこれくらいの田舎になると、知ってそうなその辺のお年よりは文字が読めなかったりするので、言葉が話せないと難しい。
逆に若い人は、文字は読めても、土地のことを知らなかったりする
。因みに現地で入手した地図によると、大理古城の1,2キロの地点に、羊苴棟驤竡モニいう、大理時代の城壁遺跡が記載されている。
宋代ともなると、遺跡より、現存史跡という形で残っていて欲しいので、城壁遺跡にあまり興味はなく、行かなかったのだが、
将来もう一度大理に来ることがあったりしたら、探してみたいと思う。


10時14分、下関(大理市街)に戻る。
バスターミナルより半キロ程北が終点のようで、市街繁華街を観光しながら、バスターミナルへ戻る。
11時発のバスで、昆明へ。
4時間くらいで着くかと思っていたら、高速を下車して、途中町に寄り道などをしていたこともあるが、意外に時間がかかり、昆明に到着したのは16時15 分。
当初は雲南博物館へ行こうと思っていたのだが、博物館は17時までとのことなので、予定を変更して、古代滇王国遺跡である石寨山遺跡に行くことにする。
が、バスターミナルがなかなか見つからない。駅前の昆明汽車站、中北汽車站、昆明火汽車站いづれも扱っていないという。
一時は諦めかけたが、地図を見ると、駅の周辺に3つほどバスターミナルがある。まずは駅の南側のバスターミナルに行くことにする。
昆明駅が巨大であり、しかも北側にしか駅ビルが無いため、駅の反対側に歩くだけでも500m以上歩くことになり疲れたが、
市客運南站のカウンターで、市客運南站のバス乗り場の隅から、晋城行きバスが出ていることを教えてくれる。
ここで気がついたのだが、今回この「晋城」という言葉まで、一度を筆談をしないで済んでしまった。
文字の発音と数種類のフレーズを覚えただけで、随分楽になるものだと思った。
ただし、書かないで済む、というだけの話。時間が多少節約できるようになっただけの話で、伝えられる内容のバリエーションが増えたわけではない。
17時半頃乗車し、52分出発(8元)。待っているとき、乗客の持つ携帯プレーヤから、大黒摩季の「あなただけ見つめてる」が聞こえてくる。
晋城まで約30km程度、18時20分頃到着。かなり薄暗くなってきている。
場合によっては、晋城で宿泊の可能性も考えたが、少し物騒かも。

町の中心部にバスターミナルと思わしき、バスとバイタク、タクシーなどがたむろしている場所があり、そこで下車。
バイタクとタクシーに石寨山村を聞くと、なんと片道25〜30元を提示される。
バイタクの運転手によれば、25キロあるという。
仕方が無いのでタクシー往復50元で行ってもらうことにしたが、実際に言ってみてわかったのだが、この金額は妥当かも。
というのは、2,3キロ晋城の町を南下し、高速道路のインター左をわき道に入るのだが、
ここから道路は未舗装で、更に最後の3キロ程は、ただ舗装されていない、というだけではなく、人と馬を想定した村の畦道なのだ。
歩いた方が早そうな速度で7,8キロを走った。
最後の3キロ程は、「車が壊れるから、これ以上行きたくない。ここから歩いて行くように」とドライバーに言われたら、そうしただろう。それ程酷い道だっ た。
それぐらい悪い道だったが、途中で、石寨山村在住の2人組みのおばあさんを拾ったこともあったのか、
それともこの辺りの道は、普段のタクシー業務上、これくらいが普通なのか、村の入り口まで行ってくれた。
19時。相当暗くなってきている。急がないと完全に闇になってしまい、遺跡を確認できなくなりそうなので、最後は走った。
村は、散村ではなく、集村。一応電気と水道が来ているものの、1000年前からこうだったと思われるような土で作った家がほぼつながっている構造。
土は、オレンジ色をしていて、これはこれで独特な感じで、時間があれば、見学したいところだが、
ここは観光地ではなく、村に足を踏み入れた段階で、人の家に土足で上がりこむ感じである。
自分が来て置いてこのようなことを言っても理解が得られないかも知れないが、石寨山遺跡にはできれば行かない方がいいと思う。
そもそも遺跡は立ち入り禁止となっているので、入り口のゲートの前から、少し垣間見える、という程度。
どんなロケーションか、をどうしても知りたい人以外は、気軽に訪れるような場所ではなさそうである。

                

ともあれ、一瞬遺跡と周囲の景色を眺めて(といっても5分程)、半ば走って村の入り口で待機しているタクシーに戻った時には、すっかり暗くなっていた。
19時15分、遺跡を後にし、街灯一つない、闇の中を戻る。本当に暗い。暗い中を人が歩いている。
タクシーがなく、ここを歩いて戻ることを想像すると、町の方向さえわからず、どこが道なのかも判別しずらい程の暗闇を歩いて戻るのは非常に困難だろうと思 う。

19時57分、晋城のバスターミナルに戻ってくる。
発車するところだった昆明行きバスに乗り込む。
20時半、昆明の市街中心部から5キロ程東の菊華立交橋という第2外環道と貴昆路の交差点で下ろされる。
宿を探しながら適当に歩いていたら、いいにおいがしてきたので、屋台で蕎麦を食べる。
期待していなかったこともあるが、これが結構旨かった(3元)。
宿は、家族経営の招待所に引っ張りこまれてしまう。20元。
今回宿泊した中では、一番酷かった。窓に鍵がなく(そもそもちゃんと閉まらない)、扉も内側からの閂しかない。
トイレ、シャワー共同。廊下に出ると、1階から4階まで吹き抜けがあり、そこに他の客が洗濯物を干しているという、いかにも昔ながらの招待所。
なのに、宿の親父も娘も親切なので、断りきれずにここにしてしまった。
しかし、TVの電源の接続が悪いため、宿の娘が、ティッシュペーパーを、電源とコンセントの間につめて調節してしまう安全感覚には、「まだまだだなー」と 思った。

          

ま、20元だから仕方が無いか。TVで「跤王」を見て寝る。


10月2日

安全度と衛生度に緊張していたからか、眠りは浅く、4時頃には目を覚ましてしまい、それ以降は寝付けなかった。
5時10分起床し、空が明るくなるのを待って、6時34分出発。
雲南博物館が開くのは9時なので、昆明市街を散歩しながら、博物館まで行くことにする。
取りあえずバスで、小花園に出て、人民中路、正義路、東風西路を通って博物館に8時頃着く。
途中のファストフード店で朝食。タンメン食べる。4元。
8時頃博物館に到着してしまったので、9時まで持ってきた新書を読みつつ時間を潰す。
丁度いい喫茶店が無いので、通りの排気ガスにまみれながら1時間待つ。
窓口には9時半と記載されていたが、9時には開いた模様。

概観と異なり、展示室は、結構新しめ。
しかし展示物はあまり多くは無い。2階は、古代滇王国の青銅器遺物。
撮影禁止となかったので、入り口で荷物と一緒にカメラを預けてしまったことが悔やまれるが、
美術書やインターネットでも取得できる情報や画像が多いと思われる。
はじめてみるような遺物は、青銅でできた棺桶や、滇王国遺跡の一覧地図、石寨山以外の遺跡の写真など。
滇王国遺物というと、当時の人々のミニチュア人形の青銅器で有名だが、
祝祭など、特別な内容をミニチュア人形の装飾で表しているのかと思っていたら、そうではく、
家屋や家畜を含めた生活風景、戦争風景など、多彩な題材を扱っていて、当時の社会や生活、風俗が再現されている、ということを知ることができた。

3階の半分は、南詔と大理、半分は、明清時代の遺物。
南詔と大理の遺物は、仏像ばかりという印象で、あまり面白いとはいえない。
明清時代は、生活用具や装飾品の類。歴史関連というより、アンティークの展示という感じ。
1階は、考古学・歴史とは別の展示をやっていて、別入場となっているようなので、特に見なかった。
今思えば、何を展示しているのかだけでも見てくればよかった。

市街バスで昆明駅へ戻る。11時頃バスターミナルに着き、曲靖行きに乗る。25元。
11時13分発車。13時半、曲靖到着。13時50分、貴州省バン県行きに乗る。28元。
州境の富源までは高速道路があったため、順調だったが、その後30km程に3時間程かかった。
雲南から貴州の省境は、山間部の山越えとなるため、日本の山岳地帯の県道と同じ程度に、曲がりくねった道を峠に向かって登り、谷に向かって下る。
途中なんども、峠と峠をつなぐ、工事中の高速道路の巨大な橋桁を目にする。
地図では、「バン県(紅果)」と書かれているが、実際には、バン県と紅果は別の町で、20km程はなれていた。
紅果は、20階建てのビルが林立する、一大商業中心都市で、最近発展したような感じ、
通過しただけだが、旧市街に相当するところが、どこだかわからなかった。
これに対してバン県の方は、旧市街だけからなっている町という感じ。
いづれ、この地方の中心地は、バン県から紅果に移るのではないかと思われた。

18時、ようやくバン(「舟」冠に「皿」と書く)県着。
既にバスターミナルは閉まっていて、バスターミナル出口付近に、臨時窓口のようなものが開いていて、
近郊バスのチケットはここで得られるようだった。これ以降は暗くなることでもあるし、今日はここでのんびり過ごすことにして、宿を探す。
この町は、谷にあり、どうやら渓谷沿いに細長い町のよう。
バスターミナルは、北の端にあり、2キロくらい南に町の中心部があり、2階建ての比較的近代的なスーパーがあり、ガンガン音楽を鳴らしていた。
このスーパーの前に、大酒店があり、この町一番のホテルのよう。
昨日酷い宿だった反動もあり、今日は高いところでもいい、と思っていたので、ここにする。70元。
電子キーで、各階に服務台がいる、ちゃんとしたホテル。

このメインストリーとは、更に南に2キロ以上の延びていて、一応端から端まで繁華街となっていて、それなりに人通りも多く、
特にスーパーのある中心部は、都会と変わらない程の人通りだった。
南の方に、数百メートル四方の人民公園があったが、街灯があまりないため、演舞台の薄暗がりの中で、社交ダンスをやっているように見える人々がいた。
その背後の舞台背景には「激情大舞台」とかのコピーが大きく張ってあり、数百メートル離れた通りからも読むことができたが、
一体なんのことだったのか、いまいちよく意味がわからないが、こういう変なコピーも中国の面白いところ。
20時過ぎ、ホテル近くで夕食。シイタケと豚肉炒め(18元)。ビールも冷えていて、えらい旨かった。


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