10月3日
6時40分起床。7時頃バスターミナルに着くと、丁度普安経由興仁行きバスが出るところ。12元。
タイミングよく乗れて幸先がよかったが、完全な生活バスであり、満員。
座席16席のところ30人くらい乗っていて、私はフロントのエンジンの上に座っていた。
乗降口の段のところにも3人くらいつめていて、ドアの開け閉めの度に、そこにいた人があっちに寄ったりこっちに寄ったり。
しかし意外に速度は早く、60kmくらいを、1時間半くらいで普安に着いた。
途中から人が減ったため、座席に座ることができたのだが、これが携帯を紛失する要因の一つとなってしまった。
普安に着く直前、ズボンのポケットから携帯電話を取り出して時間を確認したのだが、
再度ポケットにしまうとき、狭い座席に荷物を抱えて座っていたため、携帯を深く仕舞うことができず、
このとき「こういうときは気をつけないと落としてしまうんだよなぁ」と思いつつ、バスを乗り換えた後確認したら、どこかに落としてしまっていた。
前のバスの座席か、或いはチケット売り場に走りあがったときか、トイレで落とした可能性が高い。携帯の価格は1060元だったのだが、まぁ仕方が無い。
雲南から貴州あたりで栽培されているのは、殆どトウモロコシ。山の斜面一面に栽培されていて、これを刈り取るというのは、気が遠くなりそう。
普安に8時33に到着し、8時52分に出発、貴陽まで81.5元。
最初は、小刻みに生活バスを乗り継いで行こうと思っていたのだが、丁度貴陽直行バスがあったので、結局これに乗ってしまった。
光照鎮(晴隆県東12km、普安東63km地点)を11時51分に通過、13時11分、本格的な事故現場に遭遇。
大型トラックがすれ違い様に衝突し、道の両側に吹っ飛んでいた。
無理な追い越しをするから、こういうことになるのだろうが、私が乗っているバスは、気をつけて欲しいものであると身勝手に思うのだった。
13:30-45分、貧相なドライブインで昼食。この時のレバ野菜炒めもえらく旨かった(16元)。
途中通過した警察署で、道沿いに、事故車を展示されていて、「事故はこのように危険なので、気をつけよう」みたいな標語がかかげられていた。
途中、畑に落ちた車を、村人が総出で引き上げているところにでくわす。左が引き上げているところ。右が終わったところ。女性子供老婆まで総出で引き上げて
いた。
男は車の下で押し上げる方を担当し、ひっぱているのは老人と女子供。
地形は、日本でもありそうな山野から、段々と岩が見え隠れする山々に変わりだす。
しかし、どこか地中海沿岸とは違う、いまいち感銘を受けない。
やがて、平野に多数の岩山が屹立する地形に変わる。
道路も平地を直線的に走るようになり、高速道路ではないが、多少スピードも上がってきたようである。
16時45分。貴陽着。宿泊しようか迷ったが、まだ18時前であることもあり、更に先まで行くことにする。
貴陽市街は、最貧省といわれるだけあって、最新型のビルはまったく目に付かない。古いビルばかり。
投資が回ってきていないのだろう。バスターミナルで欧米人グループを見かけた。
こんな田舎になにをしに、と思ったが、きっと少数民族村を見に来たのであろう。
貴陽の町では、もっと少数民族、特に苗族の広告や看板などが多数あるかと思ったが、殆ど目に付かなかった。
観光での売り出しがそれ程発展していないように思われた。マクドナルドの看板も、一度も見かけなかった。
独山は、貴陽から、東へ120km、南へ120km程の地点にある。
段々東へ移動してきたため、夕暮れは早くなってきていて、19時頃には薄暗くなり、19時半には、車のライトに照らされている部分以外は何も見えなくな
る。
17時半に貴陽発、なんとか景色が見えていたのは、80km程東のバン江を通過している辺りまで。
更に、都均から先は、高速道路が工事中で、完成しているのは2車線だけ。
この2車線を往路と復路に利用していて、更にスピード違反による事故を防ぐため、100mおきに、路面に盛土があり、ここを通過する度に、停止ぎりぎりま
で速度を落とす。
このため、一般道路を走った方が速いくらいまで平均速度が落ちてしまった。
おかげで貴陽から245km地点にある独山に着いたのは、22時14分になってしまった。
独山は、このあたりの中心地らしいが、信号が無い町である。
町の一番の中心地と思われる交差点近く(ここも信号なし)に場所にバスターミナルがあり、交差点近くに露店が多数でていて活気があった。
近くにある開店したばかりの招待所に宿泊。60元。
帳面を見ると、昨日の宿泊客は全員50、今日もほぼ満室で、全員60元となっていた。
できたばかりとあって、清潔できれいだが、トイレにある洗面所に排水が、そのまま床に垂れ流しというのはなんとかして欲しいもの。
最新の状況がこれでは、日本のユニットバスレベルになるには、まだ相当時間がかかりそうである。
あとトイレが流れず、シャワーを使って排便を流すことになってしまった。
この2点以外は、「こんな60元の宿ばかりだったら、中国旅行も楽なのに」と思えるような宿だった。
町は、最貧省の地方都市ということで、治安が懸念されたが、バン県同様まったく安全そうだった。
少なくとも人気ない通りへ行かなければ、人のいい田舎の町という感じ。
夕食をとった飲食店も、フレンドリーで気持ちよかった。夕食ビール込み22元。
10月4日
さすがに疲れてきているので、少し寝坊。
6時50分に起床し、宿と50m程度しか離れていないバスターミナルでチケットを購入後、露店で朝飯。3元のソバ。
独山でみかけたバイタク
これも不味いと思っていた先入観ほど、まずくはなかった。どうも広州で食べたこの手の米のソバが不味すぎてトラウマになってしまっている、ということなの
かも。
8時20分発、広西省に入ったところの最初の大きな町である南丹に到着したのは11時10分。
独山から南丹までの地形はますます地中海に似てきていて、中国人も神殿遺跡を残す文化があれば、
地中海同様神殿遺跡であふれていただろう、と残念に思ったのだった。
そういうものが目に付かないから、どこか自然もダイナミックさを欠き、
あまり感動のない単調な田舎という印象を与える結果となってしまっているようである。
貴州-広西省省境付近の町中にある高速道路入り口の案内。この看板の向こうに本当に高速の入り口があって驚く。
独山-南丹間のバス。人が降りて少しすいたところ。
南丹の町は、国道から町に入る道路が完全工事中。
道だか荒地だかわからないところを通過して町にはいる。
町の規模は独山やバン県と同じ程度。信号はないが、中心地は人でも多く活気がある。
南丹の町
バスターミナル近くの店で昼食(7元)。ファストフードのはずが、ちゃんとした料理。シイタケと肉炒め。
時間がないので、半分ほどパックにつめてもらい、バスの中で食べることにする。
12時発、16時23分、柳州着。南丹から柳州間は250km程で、高速は無いが、平地を走るので、平均時速60km、比較的早く移動できた。バス代69
元。
南丹-柳州間は、わりと見ごたえのある岩山が100キロ以上続く。道路の両側に広がっていて、この付近数百キロ四方にわかって、こういう地形が続いてい
るのかも知れない。
柳州を16時45分に出て、桂林には19時22分着。47元。
この間は高速が整備されているため、約172kmを1時間半ほどで到着した。平均時速110kmを越えている計算になる。
桂林はすっかり観光大都市。町ではなく、都会。外国人も英字の看板も多く、宿は高そうな感じ。
私は観光については、落ち着いた田舎町が好きなので、あまり好きな感じの都市ではないが、
多くのイルミネーションに彩られ、あちこちの観光資源がライトアップされているのを見学しないわけにはいかない。
取りあえず宿を探すが、「外国人は泊められない」と言われたのはここが初めてだった。
泊めてくれそうな裏通りの宿は、汚さ請け合いだったので、多少高くでも表通りにしようと思っていたら、結局120元の汚い宿になってしまった。
しかも蚊が多く、蚊の駆逐に時間がかかりなかなか眠れなかった。
外国人は泊められないことになっているので、宿の登記を漢字で書くように言われた。
住所欄に、深圳と記載したら、宿の娘が「あ、これなら大丈夫」ってなことを言っていた。
他の安宿の看板を見ると、どれも50元程度だから、120元というのは、足元を見られた外国人料金なのかも知れない。
地図(6元)を購入後、夕食(26元)をとりながら、どこに何があるのか、情報を把握。桂林についてはガイドブックを持ってこなかったので、殆ど何も情報
がない。
地図によると、秦代古代遺跡が北30km程の地点にあるということなので、明日見に行くことにする。
中心部を散歩。金と銀とにライトアップされた双塔を見て戻る。この双塔に限らず、いささか無駄なのではないかと思える程、様々な施設がライトアップされて
いる。桂林は、標高もかなり下がってきたようで、かなり暑く、革ジャンを仕舞う。
10月5日
6時起床。こんな宿には長居したくないということで15分に出発し7時のバスで霊川へ移動。
8時半霊川着。15元。町の入り口近くには、秦代の官吏と思われる人の銅像が立ち、秦代グッズで売り出している町だということだわかる。
バスターミナルでは、付近の観光地一日ツアーの案内が多数でていて、バイタクのおばさんに捕まってしまう。
取りあえず秦時代の運河の場所に行きたいということで案内を頼む。10元。ちょっと高いが、場所がわからないのだから仕方が無い。
途中、チケット発売所によって、チケットを購入。幾つかの施設の共通件と、霊渠だけのチケットがあり、霊渠だけだと40元。
バスターミナルから2,3キロ離れた霊渠には8時40分くらいに到着。動物園のような入場門と駐車場。完全に観光地だった。
施設は、2,3キロの長さがあり、ゆっくり散歩しながら見学。
全体的に古い運河の雰囲気を残しているのは、前半の半分くらいで、有料見学範囲も、この前半部分だけのよう。
途中にゲートがあって、特に誰かが監督しているようでもなかったが、ここから先の部分は、市街と直結していて、運河は観光向け繁華街となっていた。
宋、明、清代の橋がかかっていたが、漢、唐代の橋は、既に残っておらず、再建された最近の橋が架けられていた。
運河沿いのそば屋で朝食。1.5元。値段にしては意外と旨い。運河沿いのベンチで食べる。気分いい。
霊渠は、広州に注ぐ珠江と、長江を結ぶ運河であり、華南と華中への分水嶺を貫いて走っている。
この意味で非常に重要な輸送ルートなのだが、その割りに日本ではあまり有名でないと思う。私が知らなかっただけかも知れないが。
霊渠の入場門とは反対側の端から、バスターミナルまでは歩いて1キロ程度。
10時10分、秦代遺跡を探しに、溶江鎮に向かう。バス代5元。
11時に溶江鎮近くの街道沿いで下車。溶江鎮へはここから東に1キロ程歩くことになるらしい。
街道沿いにいたバイタクの運転手に、秦代遺跡について聞いたが、そのような場所は知らない、とのこと。
来る途中に見た地形から判断しても、溶江鎮付近はかなり広大で、付近は葡萄園となっていて、見晴らしもよくない。
河川も多く、重い荷物を担いで、情報も無いままでの遺跡探しは困難だと判断し、あっさり諦める。
ブルガリア語くらい会話ができれば、探すこともできただろうが、中国語ではそこまでは無理。
だいたいどんな土地にあるのかがわかったので、それでよしとする。
次に来たバスに乗り込んだら、先程霊川のバスターミナルで案内をしていた娘が車掌として乗っていて、
「溶江鎮はここだよ」と言われたが、遺跡がわからないので桂林に戻ると言ったところ、
運転手や、後から来た他のバスの運転手などにも聞いてくれ、更に、少し先の検問にいた交通警官にも聞いてくれたが、
遺跡については、皆知らないとのこと。親切である。これで諦めがついた。
12時頃桂林に着。バスターミナルではなく、北駅付近のバス停で下ろされる。
昨夜購入した市街地図の北端に、下車したバス停が記載されていたので助かった。
バス代1.2元だったが、小銭が無いので、1.5元で乗車。18番バス。
市外と付近の山を見ようと、畳彩山へ向かう。入場料15元。中腹まで236段、そこから頂上まで206段上る。
右側の山が畳彩山
頂上に着いた時は息も絶え絶え。あまりに疲れたので、岩陰で20分程ひっくり返って体力が回復するまで寝ていたら、その間多くの中国人が登っていては去っ
ていった。
皆体力あるのか、私が無さ過ぎるのか。頂上にいるうちに、13時を回る。
写真上は、西から北方面。写真下は、東から南方面。繁華街は、下の一番右側に移ってい
る道路の先にあたる。
有名な桂林の景色は、ここから川くだりをしないと見れないということも、初めて知る。
まぁ、当然か。畳彩山の次は、伏破山へ。途中豚の脳みそのスープ(ほぼ原型そのままが入っていた)と餃子で昼食。7.5元。
伏破山は、鍾乳洞のある30mくらいの小山。
畳彩山から歩いて5,6分ほど。後漢の馬援将軍が、鍾乳石に向かって試し切りをした跡が残っているとのことで出かけたが、直径60cmくらいあり、
鍾乳石はあまりに太く、いくらなんでもこれを剣で切ったとは思えない。青竜刀でぶったたけば、もっと破壊されているだろうと思われる。
いづれにしても、馬援がこれを切ったというのはやはり伝説なのだろう。15元。
因みに畳彩山、伏破山など、ここらの観光地の共通件も出ていて確か7箇所で60元くらいだったと思う。
伏破山入り口に、旅行案内所があり、クーラーが涼しく、2時頃まで休憩。
伏破山から徒歩10分、明代の王城に行くが、明代の遺物はほぼ城壁だけで、宮殿はすべて消失し、民代及び戦後の再建とのことで、いまいち。
ただし、宮殿内が博物館となっていて、明代ここを支配した王家の王統や、
宮殿再現パノラマ、付近に残る唐宋代の城門遺跡の写真や平面図などが展示されいて、参考になる。
入場料、50元。少し高い。欧米人観光客を多く見る。王城を出て、11路2階建てバスでバスターミナルまで戻る。
1.2元だが、小銭がないので、今度は2元払って乗車。ま、観光客だからいいか。
切符を買って、サテンで休憩。コーヒーが置いてあって助かった。
そういえば、マクドナルドやスターバックスも見かけた記憶が無い。チェックしていなかった、ということもあるけど。
桂林バス発着場
15時50分発賀州行き。63元。17時22分賀州着。
桂林-賀州間の景色
ここでもバスターミナルにある招待所は、外国人はお断りとのこと。
部屋を見てフロントへ戻ってきてパスポートを出すまで、宿の人が、私のことを外国人だと思っていなかったことが判明。
こうした状況からわかるのは、いかに中国人が多様で、中国人の間でも、言葉が通じない人が多いのが普通だ、ということ。
広東語と福建語の発音が別言語に近いということは、そうと聞いていてもなかなかわからないが、こういう時に実感することができるといえる。
今日は慎重に、招待所を見て歩き、新目で家族経営の招待所を探す。
今回はヒット。30元。クーラーのコントローラを借りる+30元の合計60元。さすがに暑いので、クーラーが必要。
町はかなり大きな繁華街があり、近代的なショップが多数並んでいるわりには、飲食店が少ない感じ。
屋台は沢山出ているのだが。結局ターミナル近くに戻って、焼きソバを食べる。ビール入りで11元。これも結構うまかった。
宿でTVを見ていると、台湾の国連加盟申請問題を取り上げた対談会が放映されていた。
司会者と、コメンテーターの学者が2名でていたが、どちらも同じ意見なので、2人も用意する意味がない。
相変わらず一方的に「既に国連2758決議で解決済みなのです」と、延々と繰り替えすばかりのつまらない内容だったが、2点程、気がついた点があった。
一つは、日本では、国連という訳語が定着しているが、直訳に近い連合国という訳語を使っていたこと。
国連の実質は、前大戦での敵国であるドイツや日本という、国際的に実力を持っている国が序運理事に加盟できない限り、「連合国」という本質は変わらないよ
うに思われる。
日本でも連合国の訳語を利用した方がいいのではないのかと思う。
旧植民地宗主国として、影響力を持っているとはいえ、英仏が常任理事に留まっているのもおかしな話だと思う。
国連が真に「国際連合」という世界政府的な理想を体現するには、前大戦の戦勝連合国の組織という、いまだ残る枠組から脱皮する必要があると思う。
2点目は、1971年に国連から抜けるときに、米国が蒋介石に、「一般加盟国として留まってはどうか」と提案していた、という話。
蒋はこれを断った、としていたが、これが本当だとすると、確かに、台湾の分は悪いのも仕方が無いと思われる。
10月6日
7時のバスで梧州へ向けて出発。40元。当初は、
このまま東へ抜けようと思っていたのだが、東行きのバスは、バスターミナルでは売っておらず、
少し探したが、バス乗り場がわからなかったので、ターミナルで購入できる南周りで広東省に抜けるバスに変更した。
10時35分梧州着。梧州の町の西端のターミナルに到着。広州行きは、町の中央にあり、ここから3km程東にある。
ターミナルにある地図によると、梧州の町は東西に長く、桂林同様、結構な大都会であるが、その割には信号が少ない。
12番バスで中央バスターミナルへと向かう。12番バスの終点から終点。1.2元。30分くらいかかって移動。
街並みは通りに椰子が連なっていて、南国という感じ。ベトナム人と似たような外観の人々を見かけ、広東よりも更に東南アジア色が強い印象がある。
12時頃梧州発。西江に沿って走る。西江は、中国3番目の大河とされ、河口付近で、珠江と名をかえ、広州に注いでいる。
西江は、大型の船舶が通行できる大河であり、多数の輸送船を目にすると、主要な輸送手段であることがよくわかる。
14時36分盤慶着。ターミナル近くで昼飯。ここで食べた生姜と豚肉の油いためは非常に旨かった。
でも料理名をメモしてくるのを忘れてしまった。19元。
貴陽を出てから、いままで信号が殆どない町を通過してきたので、盤慶でやたら信号が目に付くようになってしまった。
バスターミナル近くの公園の入り口に、塔の写真と説明が掲げられていたため、見に行く。
ターミナルから1km程西。すると、そこには、盤慶の主な史跡が掲載されていた。
それによると、盤慶には、宋代の史跡が2つあり、一つは城壁と城門、一つはなにかの霊廟。更に元代の史跡があり、この3つが、最重要史跡とのこと。
その他明代の塔や、明代の農村が数箇所あり、明清の史跡は腐るほどとは言わないが、かなりの数があることがわかった。
取りあえず地図(7元)を購入し、宋代城壁まで1,2キロ程だとわかったので、町を観光がてら歩く。
地図によると、バスターミナルから城門あたりが、町の繁華街となっているので、丁度よい感じ。
明代以前となると、宗教施設の塔や寺院の史跡ばかりで、城門や宮殿、民家など、一般の史跡は極度に少ないため、盤慶の宋代城門は希少価値がある。
城壁は、後世の修復が入っているとはいえ、当時そのままと推測される部分もあり、参考になった。
城壁からバスターミナルへは市内バスで戻る。16時20分発広州行き。48元。18時20分広州着。
広州まで100Km程度しかないが、さすがに広州に近づくと渋滞となり、結局2時間かかる。
深圳行きには直ぐ乗り換えることができて、18時25分発。しかし、この時間帯は渋滞時間。速い時は2時間かからないこともある深圳まで3時間もかかって
しまう。
宿泊事情と交通事情をまとめると以下の通り。
「客桟」という宿泊施設がある。大理で多数目にしたが、客桟の看板の後ろには、「○○飯店」「○○大酒店」と書かれていたりして、客桟とは観光地向けの看
板といえるかも知れない。同僚によれば、客桟とは、古い呼称とのことである。大理で宿泊したのは陽光大酒店。一泊50元。
昆明 20元 招待所。いわゆる汚い酷い招待所。トイレ外。
バン県 賓館 90元の提示を70元に値切る。50くらいまでなら値切れたかも。
独山 招待所。できたばかりなので、きれいで衛生的。60元。
桂林 招待所 120元。いわゆる汚い酷い招待所。外国人を止めてくれない宿が多く、仕方なく泊まった。ここも「本当は駄目なんだよ」といわれたが。
賀州 招待所 衛生度 普通。クーラーなし30元。有り60元。
外国人だと断られたのは、賀州と桂林。両方とも広西省。
雲南から貴州に入ってから、高速が無くなるので、平均時速30Kmくらい。省境からバン県まで3時間くらい。
バン県から貴陽まで10時間くらい。都均〜独山まで、工事中の高速道路を通るので、こちらも平均時速30km程度。
平行して走っている一般道のバスに抜かれた。広西に入って、南丹まで、山道だが、
南丹以降は、桂林まで、一般道。しかし高速並の道路が続くので、高速並みに移動できる。
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