9月14 日(日)
本来な ら、この三連休に行く予定だったのだが、土曜日は一日中寝てしまう。
大分疲れ ていたようで、どうにもならなかった。
日曜6 時前に起床し出発。6時半頃、マクドナルドで朝食。
蛇口港ま で歩き、7時過ぎに到着。8時15分マカオ行きに乗る。150元。
一応 100元分マカオ紙幣に両替する。10時頃マカオ着。
入国 チェックのところにいた浅黒いおっさんはポルトガル語で話しかけてきた。外国という感じ。
港の前 はまったく港らしくなく、そのままバス通りに面していて、港前のバス停すらない状況。
ちょっと 見ただけでは、そこに深圳行きフェリー乗り場があるとはわからない感じ。
まるでど こでもドアから出たような感覚さえする。
近くの公 衆トイレで用をたしていたところ、途中で女性にドアを開けられる。
出てみる と、間違えて女子トイレに入ってしまっていたことが判明。迷惑な旅行者。
旅の恥は かきすてとの言葉がよぎる。
とりあ えず観光を開始する。
どうやら 殆どの観光スポットは殆ど歩いていける程度の2キロ四方にあり、まずは、旧総督府の建物を見て、その脇の通りを聖ローレンス教会へ。
10時 45分着。教会内では日曜ミサをやっていた。15分程聞いて、聖オーガスティン教会へ。
ここは満 杯で中に入ることはできず、窓からのぞいた程度。前の広場に団体観光客が来ていた。
聖ヨセフ 修道院とペドロ5世劇場は開放されていなかったので、外からみただけ。
聖オーガスティン教会そばの路地
民政総督 大楼、関羽廟、仁慈堂大楼(改修中)などを外側から眺めて聖ドミニコ教会へ。
ちらりと 見た後、大堂(カテドラル)へ。どれも殆ど一瞬。カテドラルを出たところで、異様なホテル・リスボアが目に入る。
続いて モンテの砦に向かう。
途中入っ た本屋では、中国政治家を扱ったジャーナリスティックな書籍が多数並んでいるところに、民主国の香り。
言論の自 由というより、ゴシップ・ジャーナリズム、中傷、プライベート侵害、汚職やデマゴギーなど、言論の自由の騒々しさの方をより感じるのだけど。
砲台まで 上がると、眺めはまぁまぁだけど、わざわざ観光に来るほどのところかなー、という印象。
砲台から見た聖ポール天主堂の廃墟とマカオ市街
砲台の 上に博物館があったので入る。11時半。
15マカ オパタカ(通過単位は今これを書きながら調べ知った)。
古代や中 世の展示はほとんどみるべきものが無く、マカオの最近の歴史を簡単に紹介した映画と、
地元ゆか りの思想家鄭観応の一生を追った映画と展示、近代の街並みを再現した部分が記憶に残る程度。
12時 45分頃には博物館を出て、要塞の地下を見学した後、聖ポール天主堂跡と、その地下の納骨堂を見る。
その後近 くのナーチャ廟や旧城壁、聖アントニオ教会などを探すも見つからないので、近くの白鴿バス停から、南のコロアン島を見に行くことにする。
バスを 待っているときに汗を拭いたとき、壊れて瞬間接着剤でくっつけていた眼鏡のフレームが外れてしまう。
お陰で片 方のフレームが無いまま観光を続けることになってしまった。
13時 45分頃、26番バスの終点路環(コロアン)に到着。
西湾大橋 からタイパ島に入り、マカオ空港を通過。
空港付近 には、ベネチアンホテルやフォー・シーズン・ホテルなどがあり、この付近だけが、ラスベガスっぽい、歓楽地という印象。
路環のバ ス停付近は、ただの村の街角という感じで商店が少し並んでいるだけの場所。
落ち着い たリゾート地の一角だと考えればぁそうかな、という感じ。
ここから ビーチを見に行ってもよかったかも知れないが、今回はくつろぐつもりで来たわけでも無いので、角の商店でお茶を買って(5.5パタカ)26A のバスで戻る。
戻りはほ ぼ同じルートだったが、空港に寄らず、来た時とは異なり、マカオタイパ橋から半島部に戻った。
正面にホ テル・リスボアがそそり立つ特徴ある景観。往路袋とも4パタカだが、
中国元で 支払ってもそのまま乗れた(というか、最初に水とトイレットペーパーを買った売店で、おつりに中国元が来た。
中国元も 既に普及しているのかも知れない)
マカオタイパ橋から見るホテル・リスボア
とりあ えずなんとなく雰囲気はわかったことと、そのまま乗っていたら、珠海市とのボーダー近くまで来てしまったので、そのまま珠海へ行くことにす る。
バスを下 車し500m程歩くとボーダーに。途中お昼にしようかと思ったが、よさげな店が見つからなかったのでそのまま国境へ。
結局30 パタカ(=30香港ドル=30人民元)も使わないで終わってしまった。
ボー ダーは、新宿駅なみの込み具合。もはや殆ど自由に行き来できているようにすら見える。
国境の建物。マカオ側
15時 頃国境通過。
珠海側国 境前は、巨大な地下のショッピングモールがあり、適当な飲食店を探したが、意外にないので味千ラーメンでカレーラーメンを食べる。29元。
かなり高 い。味は普通かな。一度食べれば十分な感じ。
16時 頃、国境前バスターミナル信禾公共汽車拱北客運站で地図を買う。南宋滅亡古戦場、崖門は江門市側にあることがわかる。
直通のバ スは無いようなので、いちばん近い町、闘門鎮にゆくことにする。
市バス 609が闘門鎮まで行っているようだが、拱北客運站からは601番しかでていないので、とりあえず601に乗車。
終点まで 6元くらいだったと思う。闘門区という20㎞程西にある新市街へ向かう。
17時 頃闘門区バスターミナル前到着。窓口で崖門行きを聞いてみると、無いとのこと。
そこで、 更に近くの闘門鎮への市バス609番に乗る。
18時 頃闘門鎮の南門着。
実は、こ の先のバス停おそらく1つか2つ先の南門通口というところから、崖門を通過するバスがでていたようなのだが、
この時は そのことがわからなかったので、とりあえず闘門区市街まで戻ることにする。
というの も、闘門鎮は、町としては非常に小さく(5階建以下の建物しか目に付かない)すぐに見つかった宿泊所が1件、繁華街というより市場という感 じ、
バイタク が多く、全体的に雑然とした雰囲気。少々治安に不安があったため。
闘門区で あれば、賓館をいくつも見かけていたし、スーパーやファストフードなどのある、都市的な繁華街もあった。
崖門への 本日中の移動は諦め、闘門区に戻る。18時半頃闘門区につき(戻りの方が早かった)、
19時頃 にホテル着。特価との看板のでていた88元の部屋は無いかと聞くと、最後の1部屋あるよ、とのこと。ここにする。
部屋とし てはまぁまぁだったが、発電機かなにかの騒音がひどくうるさいことに、食事から戻ってきてから気がついた。
だから格 安なのか、と、騒音も慣れれば眠れるさ、と騒音に耐えていたが、
「こりゃ 今夜は眠れんかも」と思い始めた頃、23時に突然音はストップした。
繁華街 は、一応あるとはいえ、既に見せ終いの様相。KFCなどのファストフードはいやだったので、
結局少し 離れたところにみかけた西欧レストランにゆく。鳥のココナッツ煮とポタージュ、マンゴーフラッペを注文。全部で80元くらい。
20時 15分まで食事して45分頃宿に戻る。
9月15 日(月)
7時起 床、半に出発。8時に黄楊大道から、闘門鎮へ向かう角のバス停で下車。
黄楊大道 を西へ向かうと約8㎞程で崖門村に着くはずなので、もう歩くことにする。
9時頃ま では、まだ涼しかったが、段々暑くなり足も痛くなり始める。
虎跳門水道をわたる橋の手前。一応ゲートがある。
9時半 頃、虎跳門水道をわたる橋を通過。バスはまったくと言っていいほど通らない。
橋の北側。東から西方面を撮影。 橋の南側
橋を渡って500m程いったところで、「宋元古戦場まで4㎞」の看板があり勇気付けられるが、
その後、 崖門村と思われるところを通過しても、何も表示はなし。
更にしば らくすると、「銀洲湖」という水道にかかる橋の近くを通過。この橋は高速道路専用となっていた。
この付 近が戦場だったと思われるが、肝心の水道の写真を取り忘れてしまう。
まぁ、地 形的には、上述の虎跳門水道とあまり変わらないので、海戦場をイメージすることはできると思う。
このあた りの地形図(Google Mapの地図に説明を追加)も掲載しておく。
10時 半過ぎ、清朝時代の砲台跡と看板のある場所を通過。チャーターしたバンで観光をしていると思わしき家族に遭遇する。
どうやら ここは、旅行社に案内をしてもらうような場所らしい。ひょっとしてここらの史跡巡りについては、直通バスは無いのではないだろうか。
このあた りで、1,2台バスとすれ違う。どうやら南門通口へゆくバスらしい。
10時 50分を過ぎたところで、目指す「宋元崖門海戦文化遊覧区」という施設は、古戦場とは別に、
純粋に遊 覧施設として、戦場とは関係ない場所に作られたのではないか?との疑問がよぎる。
もしそう だとすると、一応戦場の近くならどこにあってもいいわけで、もっとずっと北の方にある可能性もあるわけだ。
と考える と、これ以上歩いていても疲れるだけなので、やってきたバイタクに乗せてもらう。6元。
まだ4㎞ 程走ったように思われる。で、ついたところが、下記宋代艦船を再現した入り口のある「宋元崖門海戦文化遊覧区」。
駐車場の車と比べているとわかると思うが、かなりでかい。
何があ るわけではなく、後世になってから祀った施設があるただの公園であり、入り口の戦艦の上は、
展望台と なっているようだったが、今は閉鎖されていて、銀洲湖も殆ど見えない。
わずかに CGで再現した海戦の映像が見所といえる程度で、海戦場自体は、この施設に入らなくても見れるので、30元の入場料は高いかも知れない。
ただし、 海戦のCGはなかなかよくできていた。海上を埋め尽くす数百(ひょっとしたら数千)の艦隊は圧倒的だった。バックのBGMがグラディエーター だったが。
しか し、当時このように巨大な艦船があったのか、と驚いてしまったが、考えてみれば、
この 150年後には鄭和が艦隊を率いてアフリカまで遠征しているわけだし、200年後には地球上を西欧の艦船が走りまくるくらいで、
宋代の沈 没艦船も引き上げられているくらいだから実際にこのようなものだったのかも知れない。
このあ たりには、梁啓超の故居や、南宋滅亡時に入水した楊皇太后の廟などがあり、
これらを 含めた周遊券も販売されていた(が、車と詳細な地図が無ければどうにもなりそうにも無い)。
廟台の前 でしばし休憩。陽はまだ暑いが、木陰に入るとひんやりとして涼しい。
海風は、 厚ぼったい湿気を含んだものではなく、心地よい涼風となっている。9月だからだろうか。
境内の樹木には赤い短冊のようなものが多数結ばれていた。
図面が あるが、よくよく見ると、「古砲台景区」とあり、「宋元崖門海戦文化遊覧区」というのはあとから作った名称のよう。
左上に、「古砲台景区」と書かれている。
「宋元 崖門海戦文化遊覧区」にはバスは出入りしておらず、しばらくの間、施設の前を通る街道沿いでバスを待ったのだが、
南側 500mで折れて、北側500mくらいの地点で出てくる。どうも施設前を迂回している様子。
で、 500m程北へ歩いてバスを待ったが、なかなか来ないので結局バイタク(5元)で古井鎮まで移動。
10㎞は あったように思う。
12時 頃古井鎮に着くが、間違えて、南門通口行きバスに乗ってしまう。
もと来た 道を戻りだしてしまったので、2km程行った所で下車し、しばらく待っていると、古井鎮行きバスが来たので再度古井鎮へ。
結局1時 間くらい無駄にしてしまう。
古井鎮 から江門へは、市内バスが出ていたので、それに乗る。
どうやら バスターミナルまで行くようだ。6元。
13時半 頃乗り、14時15分に、江門汽車総站到着。
江門汽車 総站は市街の北郊外にある為、江門市街を一通り見ることができた。
バイク工 場のメッカ(中国1とか)だけあって、確かにバイクが多い。
江門汽 車総站は結構巨大。思わず撮影。
15時 40分中山行き。で
きれば華 僑の震源地と言われた台山に寄りたいと思っていたが、時間も押してきてしまったのでまたの機会に。
25元く らいだったと思うが記憶が定かではない。
17時 中山着。
中山市 街を見ている時間も無いが、地図を買って史跡のチェックをしてみても、
特に興味 を惹く史跡もなさそうなので、バスから市街の様子が見れただけでもよしとする。
とりあ えずチケットを買うが、19時50分発となっていた。
もっと早 いものがないかと、別のチケット売り場へゆくと、そこで宝安行きのバスの客引きをしている兄ちゃんがいた。
17時 20分発。チケットをキャンセルすることにし、退票窓口へ行き、80元払い戻しをしてもらい、先程の兄さんを探すが、見つからなかった。
仕方が無 いので、再度窓口で買おうとしたところ、先程電光掲示板に表示されていた宝安や羅湖行きも、
もう表示 されていない。表示されているのは、20時30分の宝安行きだけとなっている。
そうか。 この週末は、中国も3連休で、中秋を祝う祝日でもあるので、実家に帰る人も多く、
連休最終 日の夕方にあたる今は、丁度Uターンラッシュだというわけだ。
タクシー の運ちゃんが、「もうチケットないよ」とタクシーを進めてきたが、200元と高いので無視。
再び窓口 に並んでいると、隣の窓口で、「羅湖と宝安がある」と言っている。
電光掲示 板には表示されていないが、キャンセルチケットなどがあるのかも知れない。
私の番に なったので、駄目もとで聞いてみると、羅湖があるとのこと。しかも18時50分。
ラッ キー。
購入 後、先程のタクシー運ちゃんと遭遇したので、チケットあったよ、と見せびらかす。
おっさ ん、ニヤリとした後、笑顔でバイバイ。
このと ころ、最後の方になるにつれて慌しくなることが続いているが、今回もなんとか予定通り帰れそう。やれやれ。
深圳羅湖 には、21時頃着く。地下鉄とバスを乗り継いで、22時時頃帰宅。
深圳 -70㎞-マカオ市内15㎞-50㎞-崖門-20㎞-江門-65㎞-中山-110㎞-深圳 合計330㎞