8月8日
 
 段々曜日が分からなくなって来る。 朝は例によつて時間が分からない(腕時計壊れた為)。
でもまぁ7時丁度に目覚めることは習慣で分かつているので、 安心してゆつくり起きる。
駅ヘ行くとまだ9時前だった様な気がする。
 チケットは予想通り3050では無く、3860と特急料金分高かった。 
記念に持ち帰ろうとしているリザーブ分まで使うことになったがなんとか足りた。 残った金額は90Ft程度。
59Ftのペプシと14と9Ftのパンを買ったら 1、2、5、 10Ft硬貨が各々一枚しか残らなかった。 丁度使い切ったと言える。
 ともあれ朝飯はこれでできたので薬を飲んだ。

 待合室のベンチで10時頃迄待って、 朝食買ってホームに行く。 ちらほらと雨が下りてきた。
既に今日はグラーツ迄行くことを決めていた。 
 ザルツブルクとか色々考えたが、 オーストリア西部はドイツ、 スイスとリンクする。 周遊コースとしてはグラーツは外れている。 
と考え、今回はグラーツを消化しとこう、 という考え。

 どんより曇つた平原を眺めつつ、 乗つたとたんに国境検間がやってきた。
ハンガリーの役人は前回同様グレイ地の制服に緑のストライプという温厚イメージの服装であったが 
続いてやってきたオーストリアの役人は女と背の高い男の二人連れ、 
ダークパ―プルのベレー帽と制服、 ショートカットの女は猫科を思わせる、 冷たそうな顔つきで一言 「ダンケ」 とだけ言って去つた。
連れの男はノート型パソコンを携えていた。 これから警察国家か軍事国家へでも入って行くような威圧感(なぜか、う一ん、 ドイツだ、と言う感じ)。

 さて、特急でノンストップだから検査がきたのかと思つていたら、 国境手前で一駅停車した。 ここで乗つてきた客はどうなるのかしら、と考えてしまう。
国境は、いつ通過したのか結局分からなかった。 この列車が今回乗った中での最上級車両。 成田エクスプレスを思わせるような。

 ウィーンではあやうく一つ手前の駅で下りそうになったが、まあ無事西駅に、  12時頃着いた。
列車を下りたところで同じ列車で着いた東洋人数名がホームを行くのを見たけれども 日本人かどうかは分からなかった。
ウィーンではブダペスト以上に東洋人を見たけれども、多分大半、ひょっとしたら6,7割は中国系だったのではないだろうか。
 西駅で両替して地下鉄へ。 券はパス含め自動販売機で買える。 このへんが中途半端な日本とは違う。
 一回券を買い、 使用開始時刻をスタンプして地下鉄と市電を乗り継いで南駅へ。
13時35分のグラーツ行き。 OK。 
 冷たいサンドイッチを食べて朝日新聞買うと、 渥美清が亡くなっていた。
しかし何より驚いたのは新聞のスペースである。 なまなかな首相を勤めた政治家よりも大きく扱われていた。
まぁ朝日だったからかも知れないけど。

 列車では景色を見るようにつとめはしたが薬のせいもあってか、 うとうとしてしまう。 
しかしやはりといおうか、予期したように彫りの深い山々が現れてくる。 今までののっぺりした丘とは違う。 天気も段々上々になってくる。
16時05分グラーツ着。 
例によって駅がガイドブックの地図に書かれていないので、 気分が優れないにも関わらず、 いつもの様に中心へ向かって歩き出してしまったのだがやはり苦しい。
500m程きた所でガイドブックを見ると、 駅にもインフォメーションがあるとの事。
結局戻ってそこのインフォメーションに宿を紹介してもらう。 
一応体調不良の窮状を訴え、 早く宿へ入って休みたい、と言ったところ結構理解ある選択をしてくれたように思える。
少なくとも今回の旅行ではブダペストのインフォメーションと並んで最も応対の良い、 感じの良い、
 ビジネスっばいィンフォメーションであった(ブルガリアも親切な人はいるが根本的に素人っばい。 親切心だけでは良いサービスは期待できないと改めて実感)。
 地図はくれるは、 きちんと場所を示してくれるは 日本語案内はくれるは 市電の値段と種類、 乗り場、 下車場所を教えてくれるわ、
こんな当たり前の単純なことがどうしてブルガリアでは出来ないんだろーか。 
 インフォメーションを出ると、日本人とイタリア人のカップルが順番待ちしていた。 
ミラノから来たとのこと。 イタリア半島は近いのだなあ、 と後で地図を眺めて実感。 

 運転手から24時間切符を買い、言われた停車駅の次ぎの駅で降りて宿に辿り着く。
英語はぜんぜん通じないところだったけど、宿は快適そう。 
シャワー付きトイレ共同。 
 少し休憩して夕食にでる。 夕食は市電から見た中華屋。 
ところが中華屋へ行く途中、 中心広場で気球なんぞを上げているものだから 思わず1時間程見入ってしまう。
いつ離陸するのかと心まちに待ったのだが、 結局膨らましただけのイベントだった。
よく考えればこんな狭い広場で上げるわけはない。 でも気球というものは、 なんというか夢がある様に思う。

 この後間違えて駅の北側まで乗り過ごしたりしたミスはあったものの、 中華屋へ辿り着き、
とにかくからだが食べ物を欲していたせいか、 鴨料理を食べたのだがやたらうまかった。
日本を出て以来一番うまい中華料理であった様に思う。 でも客は殆ど全然おらず、 途中入ってきたカップルもお茶だけで引き上げていった。
さすがに今日はビ―ルは飲まず、 ジャスミン茶。 やっと一息、 一安心。
 帰りは歩いて帰つた。 やはリドイツ圏。 店は皆しまっており、 ウィンドウショッピング。 でも落ち着いた雰囲気。
 今日もさっさと寝る。 レストランの上にありながら実に静かな部屋であった。
 

8月9日

 8時頃起きたと思う。 まず両替に行く。 それからチェックアウトに行くと朝食ありとのこと。
ここのバイキングはヨーグルト迄ついて 今までの中では最高。
 ここで日本人親子とオーストリア人とちょっと挨拶する(娘さんがここの音楽学校に通っていて、 両親が訪間に来たのだそうだ)。
日本人のオバタリアンではない、 ハィソサエティータィプのおばさんというのにも 一種独特の共通点というのがあるもんだ、 と感じた。
このことは翌日シェーンブルンヘ行ッた時も感じる事になる。

 さて最初に目指すは丘の上の展望台。 歩いて登る気力は無いからケーブルカーを利用。
ケーブルカーに乗り込んできたのは老人と女子供ばかり。 ちょっと情けなかった。
しかし展望台は非常に見晴らし良く、 グラーツがオーストリア第2の都市である事が良く実感できる。
中心部は旧市街に、 新市街は西に大きく広がり、 非常に明確に分かれている。
色も違っていて 旧市街は赤茶けた屋根、 新市街はビルの色。
展望台には城跡を利用した野外劇場施設が設けられていた。
 フィットネス階段とか呼ばれているほんとこんな崖によく作ったなあ、 というような急な階段を下りる。
たまに登ってくるお年寄りもいる。

 あとは歩いて王官とか大聖堂とかの辺りを散歩。
 この時目についたのが駐革チェックを行なっている警官である。 かれらは一様に特殊な形態のコンピュータ(縦長、 40cmくらい)を腰に装備しているのである。

 マクシミリアン2世の墓に行く。 
これはマニエリスムからバロックヘの数少ない移行期の建築物であるということであったが、この辺の建築については良く知らないので、 滅多な事は言えないのだが、
ここのところ古代ローマや中世ゴシックやロマネスク等の石像建築が、 いつ華やかなバロック調に変わるのかということに関心を持つていたので、
当然ルネッサンスが転機であることは承知してはいるものの 移行期の建築物を見たことがないので非常に疑間であった。
このマウノロスをみると、 石像建築のまま華やかなバロック風を感じさせる意匠を凝らしてある。 形態的変化が先に起こり、 材質と工事の技法の辺かが続いて引き出されたものと、これを見た限りでは推察される。
 この墓廟の1階では前衛芸術の展示が行われていて、縦7m、横2mに数十台のテレビが敷き詰められ、
血の池の様な映像が映しだされて、 おどろおどろし効果BGMが流され、 それがいやがうえにもこの墓廟の雰囲気にマッチしムードを盛り上げているのである。
 内部の祭壇等の一見鮮やかな色彩の(緑やオレンジの)大理石の柱等は 近付いてみると塗装であることが分かるのだが、
遠目にはカラフルな石を使用しているようにしか見えない。
この辺りにも移行期、 というものを感じてしまう(きちんと解説してもらえれば違うのかも知れないのだが)。
地下の墓堂はひんやりとしていてわざわざうす気味悪くライトアップがなされ、非常に強烈な印象をもたらしていた。

 墓廟を出て市電6番と5番に終点まで乗る。 一応新市街もざっと見れるコースである。
市電から見る限りでは、 中心部だけ特別きれいな旧共産主義諸国とは異なっているように思える。
裏通りさえきれいである。
 昼食は駅前の地下で買ったサンドイッチ。 ここの切待売場のデザインは非常に未来的で思わず写真を取つてしまった。
駅の写真を不用意に取れない国にいるので、一応駅の窓口の人に断ってしまう。 妙な癖がついたものだ。

 14時頃発のウィーン行き。 今日の車両は昨日のより落ちる(だからなんだというわけではないが)。
今回は眠くもならず、 線路際の家の写真をとったりして過ごした。  天気は非常に良かった。
 16時35分南駅着。 インフォメーションで両替して宿を紹介してもらう。 
自分で選んだ癖に実際決ってみると、 もう少し遠くてもいいから安いとこ、 などと思ってしまった。
とはいえ、 実際行ってみると値段の割りに非常によいロケーション、 部屋も広く連泊するには落ち着ける広さ。
従業員の応対も良く、 朝食はバイキング。 まあまあなのであった。

 72時間チケット買つてインフォメーションでもらったウィーンの地図を頼りにホテルを探し、 荷物をおいて早速観光にでる。
まずはドナウ川から。 地下鉄駅まで歩き、  ドナウ川橋上の駅へ。 
駅前で素人ダンサー集団がパフォーマンスを演じているのをしばらく見物し、 続いて国連ビルを見にゆく。
国連ビルを眺めながら、 その脇道を展望タワー迄歩く。
あんまり人気が無いので若干不安になったものの とくに不穏な気配も無く、 タワー着。

 この展望台は150mのところにあるのだが、 生まれて初めて感動した展望台ということになるのではないのだろうか。
だいたい展望台というものは遠くが見えるだけで、 ひなびた売店と有料双眼鏡、 あまりきれいでないガラス、 狭い階段、 
総じて昔の川崎市みたいなイメージが殆ど(私の持つ展望台では)であったのだが、 確かにそうした要素が全く無かったという訳ではないのだがしかしここは一味違った。
まず、吹きさらしなのである。 じゃまなガラスがない。 風をじかに感じられるだけで気持ちがいい。
展望台(というかバルコニー)は2段になっており、 下の階は正方形、 上側は円。
下側は高い鉄格子が据え付けられているのだが上側はlm程の手摺。 上から落ちても下で受け止められるので大事には至らない。

 眼下にはドナウ川が横たわり 、 西の小高い山々の間から流れ、 東の平原へ消えてゆく。 
川の向こうにはウィーン市街が見え プラター公園の観覧車、 シュテフアン寺院、 フランツヨーゼフ駅等目立つ建築物が見てとれる。
ウィーン中心部は建築の高さ制限をしているのであろう。
 北側に目を向けると眼下に運河、 その向こうは如何にも郊外という感じで街灯が規則正しい直線を描いて遥か地平線迄(オーバーかな)続いている。
その彼方は左手はチエコ、 正面から右手はスロバキアである。
 ここでも日本人観光客より中国系が多いようであつた。

 さておりて食事に行こうかな、 とふと時計を見ると19時。 う一ん高そうだけどここで食うかなあ。  160mに回転喫茶店、  170mは回転レストランなのである。
一応観光名所なのだからある程度はばられるだろうし。 
まあ一応メニュー見せてもらつてから決めるか。 ということでメニュー見せてもらったのだが、 思つたよりは高くはない(即ち50Sとか100Sとかとられない、という意味)。
ここにする。 ただし窓側の席は予約が一杯とのこと。 当たり前か 。夜景がきれいそうだもんね。
私が案内された内側の席も予約札がたっていたが、 まだ客も少ないのでOKということらしい。
どうも全席予約されているようだ。
 内側の席と言っても窓の壁際の6人かけのテーブルの延長にある4人掛けのテーブル、 というだけなので、 見晴らしは大差無い。
メニューを見ると魚料理が結構多く、 なんだか良く分からず頼んだ料理も自身魚だった。
 今日もあまリアルコールは取らないように生ジュースと水のみ。 
その内窓側の予約客がやってきて、 彼らの注文した料理はとってもおいしそうな肉料理。しかしその量は半端ではない。
おいしそうではあったが注文しなくて良かった、 と思つた次第である。
 食事をしている内に日没になった。 この旅行で日没を見るのはエステルゴム以来である。 
もう少し待ってりや夜景も見れるな、 ともう一度展望台へ下りる。
 段々と暗さが増し、 パープルのフードがおりたように街はうす紫色の宵闇が次第に濃くなり、 
眼下のオレンジのナトリウム灯に照らされるバイパスも次第にオレンジと紫の影が明確になってゆく。
丁度真下近くがドナウ沿いのバイパスから市内環状道路へのT型インターとなっており、 
ナトリウム灯にライトアツプされた優美なインターの眺めは 非常に印象に残っている。

 展望台ではまだ遥か西の空にはのかな残照が残っていたが 展望台を下りて地上に立てばもうほぼ真っ暗。
既に21時は過ぎていたものと思う。
 公園内を歩いて戻るのはやはり避けた方が良いと思い、 少々回り道になるがバス通リを歩いて地下鉄の駅に向かうことにする。
といってもバス通りも、 人通り、 車ともに殆ど見かけなかったのだけど。 
駅の近くに四川飯店という入り口から覗いてみると 30m四方くらいの中庭を持つやたら広い敷地の中華屋があつた。
最初はレストランではなく公園の施設かと思つてしまった。 
 国連ビルの一つ先の駅からウィーンノルド駅へ。 駅から歩いて3分でプラター公園。 
 公園入り口にはまず例の観覧車。 乗ろうと思ったけど、結構人が並んでいるのでやめ。 遊園地内を散歩することにする。
ジェットコースター、 ウォーターコースター、アスレチックハウス、 ゴーカート、本物の馬のメリーゴーランド。
これらの施設が各々一つだけではなく、 複数あり、 大人も子供と一緒に楽しんでいる。
これら遊園地につきものの 金のかかる施設に混じってゲームセンターや 
夜店のようなゲーム(競馬ゲーム(2メートル程先に10程空いている穴に向けてボールを放り、入つた穴の点数分だけ馬が進む、というもの)、
銃で景品を狙い撃つ夜店につきもののゲーム) 等が建ち並び、 最新のイジェクトボール迄あった。
なんというか施設自体は奇抜でもなんでもなく、 遊園地につきもののありふれた、 あまり資金のかからない施設でありながら遊園地のつぼ、 
というものを心得ているように感じられた。 
 ディズニーランドのような 莫大な資金と最先端の技術を投入した施設も 無論当然あっていいと思う。
しかし一方でこの遊園地の様に安上がりな投資(デイズニーランドに比べればね)で充分楽しめる施設も作れるのだなあと 感心してしまつた。
本当にいい年した大入達が楽しそうにはしやいでいるのである。
日本の遊園地など 大人になってからは殆ど行ったことがないので本当の所はわからないが、 
なにか日本の遊園地には 親が子供のサービスの為に行くところ。 あれがのりたい、 これが乗りたい、 と子供の手に引つ張られて疲れ気味の親の姿がイメージされてしまう。
しかしこの遊園地では 大人が率先して楽しんでいた。
ゴーカートなどでは頭のはげかかつたおっさんが 子供相手に真剣に競争して子供の運転するカートに草体をぶつけて追い抜いたりしているのである。
日本だったら大入げない光景だと看徹されそうなこうした振るまいも ここでは当たり前の様に感じられた。
ここは遊園地なのであり、 大人も子供も同じ様に楽しめばいいのだ。
 とはいえ中近東系のような、 黒髪で浅黒い肌をした髭の男2人組みが アスレチックハウス(4階位の建物で階段や通路が逆方向に動く廊下やエスカレータのようになっていて、
この様な仕掛が色々あり、 4階迄登って帰ってくるだけで大変というやつ) にトライしているのはおせじにもさまであるとは言い難かったが。
でも楽しそうだった。 
 要するにレイブラッド ベリ 「何かが道をやつてくる」 に描かれている様な遊園地、
(遊園地とはもともとそういう場所であるのだと思うが) この遊園地には何よりも夢を感じたのであった。
 22時半。 閉園30分前にしてなお賑やかな遊園地を後に部屋に戻る。
明日はローマ遺跡。 早く行って早く帰ろう。 しかしこの予定は全く狂うことになるのであつた。