6時39分起きる。7時20分出発。
二人を起こさないように出かける。 二人はこれから南へ向かうのだ。 郵便局の車とかで。 京大生は敦煌へ、米国人はチベットからネパールへ抜けるらしい。
こんな朝早くからやっている店があった。 トイレットペーパー(幅25cm)を購入、井上靖 「敦煌」 読みながらバスを待つ。
時間を確認すると、 何度確認しても7時34分。 腕時計がとまっているのだった。
この時以降目覚ましをポケットに入れて、時間確認の度とりだす。 結構ストレスフルである。 こっちも停まってしまわないかと心配になる。
8時33分ころ出発。
最初は干上がった湖面のような、 ぴしっつと滑らかな平原が両側に広まっている。 360度の蜃気楼。
そのうち道は酷くなり、 ひたすらケリヤからチャルチャン間は水を含んで上を向いていればうがいができる様な震動だったが、ここで水を含んで上を向けば水が飛び出てしまう程の振動。
しかも振動というよりもうバウンドである。 一度大きくはずむと4回はバウンドし続ける。 もはや前の椅子の背もたれにしがみついている。
また乗客が満員ではなく、 後部座席が空いているのも後部がはずみやすい原因だろう。もはや震動を通り越してバウンドしているのだが、お陰でだんだんバウンドに会わせた着地が上達し、 でも翌日は全身筋肉痛となってしまった。 それにしてもよく窓が壊れないもんだ。
最後部座席の椅子は激しいバウンドに 既に壊れてしまっているのだった。
ガムテープか接着剤を用意してくればよかった。 中国西域には必需品であろう。
社内は細かい砂だらけ。 しかもそれらは外から入ってくるのではなく、震動で社内のものが舞い上がっているのである。
みんなこのことを知っているから、競って前の方に座ろうとしたわけね。
今回の旅行では やたらクラッシュしている車を見掛けた。最低1日1台、多い日は4、5台見かけた。
勢いあまったかなんか、やたらとひっくり返っている。 運転手はぼーぜんと座り込んでいる。
バスもひっくり返っていた。 2回も見た。 シルクロード名物クラッシュカー。
10時54分トイレ休憩。 ここも死につつあるオアシス。
14時20分〜15時10分オアシスの村で 昼飯。
中庭形式、 農家のような建物の中庭の店。 ここのトイレはすごかった。 農家の入り口の堀の上に丸太が渡してあって、そこでするのだ。
18時20分、 20時20分頃トイレ休憩。
21時16分、尉梨。
22時40分コルラ到着。
遅くなると交通公社は満室になるのではないかと心配だったが、大丈夫だった。
この前の店でまたも青椒豚肉。
食堂の鏡で見ると髪は灰色。 カメラで写したあと、 一度表へでてほこりを払う。
もう2度とこの路線はたくさん、という心境。 なんだかバスを降りたあともふらふらしている。平衡感覚がちょっと戻らない。
23時部屋に戻る。 部屋のテレビをなんとはなしに少し見る。
一週間でタリム盆地を一周したことになるが、ひたすら砂漠、印象深い景色にはほとんど出会わなかったなぁ。 黄色いポプラ並木くらいだろうか。
7時10分頃起床。 8時頃チケット購入にゆき、 8時10分、出発。
そのまま北へ向かうのかと思っていたら、 結局トゥルファンから来た時の道をもとに戻ったのだった。
やたらとクラッシュしている事故車を見かける。毎日平均1台は事故を起こしている車を見かけたが、
西域南道の未舗装道路では殆ど見かけなかった。 それほどスピードが出せないということなのであろう。
ところがこのコルラートゥルファンでは4,5台吹っ飛んでいる車に遭遇する。 何考えてるんだろうね。
また、道が半壊して陥没し、半分通れなくなっているところが沢山ある。 きっと西域全路では 毎日1個所陥没し、恒常的に修理しているに違いない。
11時15分から12時昼飯休憩。 ここでは2度もトイレへ行ってしまう。 どうも変な感じがしたので。 まさかとうとう腹下しの始まりか?とちょっと警戒。
タリム盆地の方をみると、薄らとスモッグが垂れ込めているような感じ。
16時47分にも休憩。 ここれではパンやりんごを買ってすます。
ついでにバスは乗り換えになってしまった。 おかげで凄く狭苦しくなる。
隣の青年がひまわりだか スイカの種だかをくれる。
山間部にさしかかってきて、 景色が好くなる。
高速に乗る。 がらがらの高速であったが 速い、 速い、お陰で分岐点(トクスン)からウルムチ迄3時間で着いてしまった。
やがて左手に湖が見えてくる頃、北に雪をかぶった山が見えてくる。 周囲の景観にも緑が戻ってくる。
カメラを取り出すのは気がすすまなかったが、 どうしても採りたい景色だったため、 結局カメラを取り出す。
20時31分。 ウルムチ下車。 もうすっかり夜。
高層ビルがひしめく 大都会である。 ホテルに向かって歩くあいだ、気分はうきうき。 やっぱり都会だよなぁ。 体がなじむ。
京大生に教えてもらったホテルは直ぐ見つかる。
共同べやかと思ったが、シングルルームであった。 あったかいしベッドもよし。 テレビもある。 一人部屋なのにイスが3脚もある。
結構リーズナブル。
食事はホテル近くの食堂バザールとでもいうところで食べる。 青椒豚肉。 なんと6元。なのに結構な量。こりゃだまされたかも。きっと3人分
で18元とか請求されるのかもしれない、 と疑心暗鬼になっていたのだが、何とそのまま
の6元だった。びっくり。 今までは安くて12元、 高いと18元とかしていたのに。
そう考えるとタリム盆地では 輸送費がかかるとか、 コストを押し上げてしまう要因があるに違いない。
安さに感動し、 翌日もこの店を利用する。
帰り際、 中国西北航空オフィス前をとおると、 なんとオフィスはまだ営業していた。
北京時間で24時までの営業なのだそうである。 航空券の購入、 帰国便の予約OK。
ここでついでに西安空港のホテルを教えてもらう。 近くのカセット屋で中国ポップスを購入する。
ウイグル音楽のテープを買いにいったのだが、 この店には置いていなかったのだ。
ホテルに戻ってフロントにホテルの予約をしてもらう。
12時24分寝る。
今日は一日ウルムチ観光。 10時24分起床。 この旅行はじまって以来はじめてゆっくりできる一日ということで気分的にリラックスしてる。
コンピュータが意識を持ってカップルの邪魔をするという アメリカ映画がテレビでやっていた。
11時頃まで映画みて、外出。
最初にホテルのとなりにあるデパートへ行く。
いやー。 どこが社会主義? もう完全に西側のデパートと同じ。
しかし客より従業員が多そう。 うじゃうじゃ。
12時から1時間ほど電脳市場へ。 ここにはゲームセンターも併設されている。
電脳市場はブルガリア状態。 基本的にブルガリアのコンピュータ会社に似ている、というかそのものである(ブルガリアが中国に似ているのだろうけど)。
海賊版CDも見つけた。 やたらに安い。 安すぎる。 ブルガリア以下。 なんだろう。 とりあえず2枚購入する。 30元。 ほんまかいな。
ここの別のフロアには最新(といっても日本では数年まえなのだろうけど。ゲームについては良く知らないが))のナムコのゲーム機から
スーパーの屋上においてある様な 幼児用の遊技場まで 一連のさまざまな遊戯設備があった。
両替をしようと中国銀行をさがしたが、 閉まっていた。 中国銀行の前では闇と思われる両替商が数名たむろしていた。
中国銀行前の、 ピラミッドのある広場では露店や本屋の露店が出ていて、日本の少女マンガの翻訳(田村由美や赤石路代など)や コミケ系統のイラストカレンダーなどがあっ
た。
その広場南の新華書店見学。 欲しい中国の歴史の本があったが、6巻セットでないと売ってくれそうになく、 6巻だと荷物になるのであきらめる。
ウルムチ地区を散歩。
新彊ビールを飲む。 これまで、 変に酔っ払ってバスに乗り遅れるのが恐くてビール飲めなかったのだ。
昼間はトイレが恐いし。
で今日は昼間に飲んでも大丈夫なので飲むことにする。
チャルチャンで買ったような、絹の生地が欲しくて探したのだが、 同じ柄のものは見つからなかった。 くっそー。 もっと多目に買っておけばよかった。
ウイグルカセット購入後、 電気街をあるくと、 何とテレビとビデオにまじってDVDプレーヤーが売られている。 もう普及しているようである。
タリム盆地のどっかの店でもそれらしいものを見かけていて、 これ一体なんだろう? 普通のCDではないし、ゲームかと思っていたらそうでもなさそうだし・・・
後はコンピュータ用の映像集? まさか映画とかでは・・・となるとDVD? いやこんな僻地にDVDが浸透しているわけが・・・・と思っていたが、DVD2であった。
バザールでトルコミュージシャンのものを私も購入した(あとで聞いたところによると中国で普及しているのはDVDと互換性があるがもっと簡易版のVideoCDだとのこと)。
ロシア帽(なんていうか知らない、勝手にそう呼んでいるだけ)も購入 。うれしー。
バーゲン6元のシャツに衝撃をうける。 あやうく買いそうになる。
18時40分、電脳公園に戻り一休み。 結構疲れている。
20時、 昨夜の店で夕飯。
21時ホテル戻る。 映画 「欲望の街角」前編見て寝る。
21時40分。 映画館には行かなかったがテレビで見ていると 中国映画なのに中国語の字幕がついていた。
テレビで 「帰ってきたウルトラマン」 が放映されていた (しかもぜんぜん古さを感じさせなかった)。
山東局の天気予報で 喜太郎のNHKシルクロードのテーマ曲が流れていた。
翌朝は、新彊時間で朝の5時から奥様向け美容健康道具の通販の番組を新彊テレビが流していた(誰がみるんだろう?)。
6時26分起床、7時7分ホテル前からタクシー。
7時半空港着。 1番にならんで、 窓側の席にしてよ、とメモを見せたにも関わらず、 内側の席になってしまった。
ロビーで日本語の上手な威勢のいい売店のねーちゃんがいて、 一冊観光用の本を購入する。
10時15分離陸、13時7分西安着。
駅前のホテルへ。 8時半までの便に関しては無料、という表示があったので、 交渉するも 8時半までに離陸の中国西北航空は
宿泊代無料とのことで、 私のは8時35分なのでだめとのこと。 なんなんだー。 けち。
でも予想よりは安くすむ(120元)。 なるべくもう両替したくはないし。 しかも部屋はすごく広い。 設備もまあまあでびっくり。
14時41分西安市内のCAAC着。
バスで大雁塔へ。
そこから歩いて秦王宮映画村へ。
せめて遺跡が見れないなら復元模型でもいいから古代をしのばせてくれるものが見たかったのである。
ここは妙なところで、 3っつか4っつ、 蝋人形館というか、 オカルトハウスというか、 幽霊屋敷というのか、 なんかそんなもんがあった。
しかも結構せまく、 せまい空間を最大限に利用してあり、 結構スリルがあった。
今、デジカメとカラープリンターをつかって記念写真を作る 「彩絵」というのがはやっているらしく、 ウルムチの電脳市場でもみかけたが、
この映画村でもやったいた。
オカルトハウスを全部見ていたお陰で5時までここにいることになってしまい 陝西省歴史博物館へゆく時間が無くなってしまった。
そこで明時代の西安南門を見て、 鐘楼付近の本屋へゆき歴史資料をあさることにする。
鐘楼付近の混雑ぶりは新宿東口の新宿通り状態。 ものすごい混雑。 本屋はどーもそれほどではない。
バスを待ちながら食べた 串揚げだんごがうまかった。 CAACにバスで戻るが、 もう空港行バスはない様で、 タクシーで戻ることにする。
イスラム麺のカップラーメンを買う。
8時7分ホテル着。 ホテルで食事。 空港使用料以外は残った53元(これまでの普段の10食分に近い)でカエル料理を食べる。
お陰で腹の調子が悪くなる。 食後ちょっとホテルの前を散歩。 ホテル前の噴水がきれい。
しかし今日1日でなんと632.5元使ってしまった。 ひえー(今HTML編集してても驚きだ)。 明日は早いので、21時38分寝る。
夜中1時半に目が覚めてしまい、3時半から5時12分にちょっとうとうとしただかで 結局そのままよく眠れずに朝になってしまう。
6時にホテルをチェックアウトしたが、 国際線のカウンターは7時になっても開かない。
7時半からとのこと。
なぁんだ、これなら無理して早起きしなくてもよかった。
日本人ツアー一組と個人客は私ともう一人の京都の人。
京都の人は西安の旅行社の人ときていて、 彼の日本語が非常に上手で、 私は最初、彼が日本人で京都の人の方が中国人かと思ってしまった。
免税店でなんと本屋にもなかった歴史の観光ガイドが売っていた。 日本語版もある。 結構しっかりした内容。
7時半チェックイン、8時10分搭乗。 10時10分上海着。
ちょっと熱っぽい。 上海からは日本人の高校生の一団が乗ってきた。 薬飲む。
11時05分離陸、 14時05分名古屋着。
14時32分のバスで15時4分名古屋駅着。
15時28分のひかり。
16時30分。 静岡でこだまに乗り換え。 ひかりはほぼ満員だがこだまはがらがら。 いいんだろうか。 何てもったいない。
もはや新幹線って普通の私鉄のように頻繁にくるものなのね。 驚く。
17時30分小田原着、 17時45分小田原発急行新宿行き。
18時25分愛甲石田着。
結局静岡の大道芸人フェスティバルは行かない。 疲れていたから。
中国 6万2千円と25ドル(夜行バス3回、タクシー5回使用)
(ウルムチから西安への国内航空運賃約1万6000円含む)
西安の物価は高いので除外した場合、甘粛省と西域だけなら1
4日間2万5千円だった、交通機関やホテル代が外国人料金で
ある為に通常料金の倍とられるケースが多かったにも関わら
ず。
交通機関利用回数:中国では正味19日間で23回