7時40分起床。 8時20分ころスパルタ遺跡へ。
沢木耕太郎の深夜特急のスパルタに関する記述を思い出してしまう。
確かにこれだけ? という程度の遺跡。
50分程うろうろしたあと中心に戻る。
銀行で両替をしたかつたのだが銀行は全て休業している。
銀行だけではない、 よく見ると飲食店以外の商店全部体業している。 人通りも少ない。
博物館へゆくと、 今日は無料だという。 今日はキリストが生まれてから何日後かののなんちゃらかんちゃらの日だからだそう(全然なんだかわからなかった)。
ふ―ん。 そういえば博物館の向かいの教会は拡声器を使用してやたらと騒がしい。
といっても入場料300ドラクマでは大して得した気にもならないけど。
この博物館で印象にのこつているのはまずローマ時代のモザイク。
ペラのものと異なり実に色鮮やか。 そして喜劇だか儀式用だかのひょつとこや鬼面の様な仮面。
スパルタから北西部のミケーネ時代の墳墓から出土した遺物である。
今日が祝日だと分かれば仕方が無い、 キャッシングするしかあるまい。
しかしキャッシングした場合利息がいくらつくか痛いほど分かつているのにも関わらず、 結局キヤッシングしなくてはならなくなるのは何故だ?
10時14分頃バスステーションに着くと、 ベロポネソス半島先端部行きのバスが正に出るところであった。
やはり時刻表を確認しとかないとこういうことに。
そこで計画を修正(というか従来の計画に戻すというのか)して 14時30分のバスでカラマタヘ行くことにしてそれまではミストラルヘ行くということにする。
バスの窓口のね一ちゃんに バスとタクシーどっちがいい? ときいたら 「知らないわよそんなこと。 ここはタクシーの情報は扱つてないんだから」 と正にブルの様な応対のしかた。 あ一あ。 仕方がない。 11時のミストラス行きのバスを待つのも嫌だし、 バスの場合遺跡まで1キロ以上歩かなければならないし、
ということで ぼられるのは承知でタクシーにする。
バスターミナルに止まっていたタクシーはどれも旧式のベンツ。
2000ドラクマということで、 遺跡の頂上近くの方の入り口までいってもらう。
ここも今日は無料。 1500ドラクマはもーかつた気分。
頂上の要塞まではここからまだ15分くらい登らなくてはならない。
ひーひー言いながら辿り着いてみれば、スパルタの町が遥かに遠望出来て良い眺め。
あとは下りながら、 ソフィア僧院、 ニコラス僧院、 宮殿等順順に見て行く。
しかしビザンチンといえど14世紀は完全に衰えていて、 こいれじゃブルガリア第2王国の遺跡と技術的設計的に変わらない様に思える、 というのが第1の感想。
坂の上り下りは結構きつく、 結局13時半過ぎまで見ることになる。
村の中心に戻るとあてにしていたタクシーがいない。 ひえーどうしよう、 と待つこと5分、
どーゆ一わけだかタクシーが通りかかり、 14時にはバスターミナルに帰り着くことができたし、 昼食をとることもできた。 タクシー代は1000ドラクマであった。
14時30分カラマタ行きのパスヘ。
このバスは途中の村までのピストン運行で、 その村からは カラマタからの別のバスに乗り換えなくてはならない。
スパルタとカラマタとの間は山脈を横切ることになるので、 道は色葉坂の様に出がりくねっている。
天気は次第に崩れ出してきている。
15時45分峠をこえたところで突然海とそこに面する街が視界に入ってくる。
どんよりと灰色の海とそこに浮かぶ貨物タンカー。
バスは街にいくらも近づかないうちに停車してしまう。
うそー。 街の一番外側にバスターミナルがあるなんて。 海まで結構あるー。 あーあ。
16時カラマタ着。
トリポリ迄の切符を買つてから海を見にゆくことにする。 30分以上歩いてやっと到着。
浜辺を期待したのだが、岩場であった。 最早浜辺を探索しに行っている時間などないから 岩場で満足しよう。
雲が多くて日は雲の隙間から若干さしている程度。
それでもとりあえず太陽が沈んだと思われる時刻まで岩場にいてから散歩しつつバスターミナルへ引きかえす。
ギリシャ遺跡の場所は分からなかったが、 トルコ時代の要基跡はバミスターミナルのすぐ近くにあり、 ターミナルから見上げることができた。
時間がないから行かなかったけど。
18時半カラマタ発。
既にすっかり暗くなっていて 村や街の明かりしか見えない。
しかし。 街道沿いに見えている明かりは村のものの筈である。 にもかかわらず、ブルガリアのソフィアを一望できる丘から
ソフィアの夜景を見たのとあまり変わらないのである。
あーあ。このトリポリへのバスではメガロポリスの遺跡の近くを通過する筈である。
付近の様子を目に収めたかったが、暗くてとてもそれはかなわなかつた。
途中カラマタ規模の明りの街を眼下に見下ろしつつ通過したが、 地図でいくとそれはメガロポリになる害なのであるが、 メガロポリは村である。
う一ん。 なんだろう。 ひょっとしたらスパルタ経由だつたのかとも考えたが、
それならばトリポリ到着時刻が早すぎる。 う一ん。 じゃやっばリメガロポリ?
一つはつきりしているのは途中通過した、 遠くから見たその街のあかりはソフィアの夜景に匹敵していたということである。
トリポリには20時に到着した。 既に一度来ているので地理は概ね把握している。
昨日スパルタ行きに載ったバス停で降り、 直ぐ様アルゴス行きのKTELへ移動。
出発時間(明日7時15分)を確認したあと宿を探しに行く。
最初のホテルは一番バスターミナルに近いが6500の提示。
次ぎはシャワー無しで5000、ありで6000。 ここに入るときバックパッカーの人が丁度出てくるところ。
次ぎのホテルにもいそうだなあ、と考えていたらやはりいた。 そこは5300でシャワー付き。 ここにするバックパッカーの人は前の方のホテルにすることにしたようである。
食事にでてから街の散歩にでる。
ここではヤマハの楽器店と 広場にあつたテオドロス
コロコトロニス(ギリシヤ独立戦争で活躍した人物でこのトリポリの出身なのだそうである)の銅像が印象にのこつている。
モーニングコールを頼んでいても何故かそれより早く起きてしまう。
5時40分には目が党め、6時のコールとともに起きだす。
例によつて外は殆ど真つ暗。
7時15分のアルゴス行きに首尾良く乗れ、 丘を越えてアルゴス湾が見え出した8時45分頃、日が登つた。
アルゴス市街に入つたところで丘の上の要塞とバス通り沿いの古代遺跡が目に入つてきた。
8時30分アルゴスのKTEL着。
ミケーネ行きは10時30分とある。 2時間あれば充分。
KTELに遺跡の場所を示した街の地図が貼つてあったのでまず博物館へ行つてこの地図をもらい、 古代アルゴスの遺跡を見に行く。
遺跡までは1キロちょっと、 近かった。
この遺跡は規模は結構なものである。 円形劇場や道路跡、 音楽堂の様なものが残っていた。
次に丘の上267mの地点にある要塞へ向かったのだが、 ぜいぜいいいながら途中の教会迄登つたところで、 こちら側の斜面から頂上へゆく道が無いことが判明。
非常に疲れていたし、 時間もなく体調も限られているので要塞は諦めて市内にもどることにする。
この教会からはアルゴス湾とアルゴス市、 市の北部に広がるアルゴス平野を一望でき眺めはなかなかだった。
市内に戻リアゴヲ跡と地図にある場所へ行ってみたが、 そこは現在の市場、 肉屋が並んでいるだけ。
この場所に古代もアゴラ(市場)があつたということであろうか。 結局アゴラ遺跡は分からず、
その他2箇所の地図に遺跡又は博物館関係とある地点を回つて、 銀行で両替してからバスターミナルヘ。
10時28分とぎりぎりでバス停につくともうバスは来ていて客が乗込みつつあるところ。
10時半出発。 北、ミケーネ遺跡へ向かう。
遺跡まで行くのか、ミケーネ村迄しか行かないのか車中不安だったけどバスは遺跡前まで行ってくれた。
11時着。 入り口で確認すると次のパスは13時。 2時間。 余裕、余裕。 充分ゆつくり回れる。
しかしこの遺跡自体、 思つたよりは大したことはなかった。
遺跡の反対側は断崖になっていて、そのロケーションにはうならされたものの、
トロイまで攻め込んだミケーネ文明でもつとも力のあつた都市の遺跡にはとても思えなかった。
入り口の獅子門にはまあ感心したものの他の部分は乱雑に石が組み合わさっているだけ。
以前写真を見せてもらっただけだけど、 更に昔のクレタのクノッソス宮殿の方が もっと立派で整備されていた様に感じられる。
ミケーネ時代は一種戦国時代で 各都市は城塞となって抗争していた時代だということなので、 そのせいであろうか。
西欧中世も古代ローマのきれいな規格の統一された石を利用した都市に比べ乱雑な作りだし、11世紀のビザンツやブルガリアの城基は唯の石を積み重ねて城基を作っていた。
これを同じ様なことなのかもしれない。
しかしミケーネ遺跡から500m程のところにある 「アトレウスの受庫」 と呼ばれる墓だかなにかは津かった。
稜線が外側に膨ちんだ円錐の地下施設で、天井迄15メートル程度36段の石が
きれいに隙間無く積まれていた。
入り口は大きめの石が10段、8メートルに積まれていて 入り口部分の天井は三角形になつて負荷を分散させている。
内部右手には小さな通路があつて、 内部はまっ暗でなにも見えなかった。
手探り、 足探りで2、3メートル入り込んで目が慣れるのを待ったが全くなにもに見えない。
なにがあろうのだろうと好奇心にかられるじゃあありませんか。
他の見学者も好奇心にかられてのぞき込むと私が通路の中に立っているのに気がついて、驚ろかせてしまつた。
他の見学者がフラッシユを焚いてくれたので内部がちらり少しだけかいま見えたが唯の岩のくりぬきだけがあったみたい。
天気はすこぷる上々。 いいのだろうかというくらいである。
ミケーネ城の天辺に 寝転がるには丁度いい石があつたので しばらくそこで寝ころがつて休憩した。
気温は20度近くあるのではないだろうか。
ここからだと背後東はグレイの岩肌と緑の車木の山がそびえているが、地の3方は遠方迄見晴らしがきいて実に気持ちがいい。
左手遥か彼方にアルゴズ湾(アルゴス平原の間違いかも)に日が照り返つている。
右手遠方には雪を被った峰が見えている。 そうなのだ。 ここペロポネソス半島には2000メ―トル級の山々が沢山あり、 みな雪を頂いているのである。
ガイドブックによるとクレタ島にも積雪があるというから驚きである。 6世紀にスラブ族がペロポネソス半島にまで到達したというのも理解できる。
15分前くらいにバス停に戻り、オレンジのフレッシュジュースを飲みながらバスを待つ。
500ミリのワンカップにオレンジ5個くらい賛沢(無駄)に絞つて作つたジュースはしかしとても美味しかった。
次はコリントヘ行くので、 ミケーネからアルゴス迄コリント行きの街道をそのまま引き返すことになる。
時間の無駄だし、 バスに遅れると嫌なので、 コリント行き街道にはいった時点のバス停で降りようかとも思ったが、 記憶ではコリント行きは13時30分、
ミケーネからアルゴス迄は30分もかからないので 、まあ間に合うだろうとアルゴス迄引き返す。
コリント行きはやはり13時30分。 いいタイミングでコリントへ移動できたが、 疲れからか車中半分寝ていた。
バスはコリントが終着ではなくアテネ行きであつたので、 コリントではパスターミナルではない、 メイン通りでおろされてしまつた。
時間もないし遺跡迄は7、8キロ。
タクシーでも大文夫であろう、ということでタクシーで遺跡まで移動する。
1450分頃コリント遺跡着。
1時間くらいかけて遺跡と博物館を見る。
北に広がるコリント湾は静かに青くたたずんでいる。
博物館は古代アルカイックからギリシヤの部屋と ローマからビザンツの部屋に別れていた。
古代コリント市復元図が掲げられていたが、 ガイドブックの付録であり、 単体では販売していなかったので買わなかった。
丘の上(587m)の要塞へ移動。
遺跡前のタクシーを利用したのでばられたが仕方がない。
7年くらい前のベンツ。 まだ新しい。
17時半に迎えにきてもらうことにする。
安い車と同様に扉を開めるとき思いっきりじめていたら、 そーっと、 そ一っとやつてくれ、 と注意されてしまつた。
帰り、最後に降りるとき、 ほんとにそ一っとやって閉まるのかいなとやってみたら、
ドアは車体に吸い付く様に静かに閉まった。 うーむ。 高級車は違う。
要塞はヴェネツィアが築いたものなのだそうだ。古代にはアクロポリスカがあったらしい。
16時過ぎについたので、時間的に若干余裕はあるし、昼飯食ってなかったので、 これから更に要塞の上迄のぼるとなると体力がいる、
と遺跡入り口のみやげ物屋兼レストランで食事等とって16時半に遺跡へいってみると、 なんと入リ口のところに、17時に開めます、と書いてある。
30分しかない。 中に入つてみると この要塞は結構広大で外側の城壁をくぐっててさらに内側は200mくらいの山になっいて、 天守閣ともいうべき部分はその天辺にある。
あそこまで行くだけで 30分はかかってしまう。 そんな時間は無いので、 左手、 コリント湾が一望に見渡せる丘にゆくことにする。
ペロポネソス半島と ギリシャ本土の間の海がパノラマとなって良く見える。
真北、若干左手に雪をかむった大きな山。
パルナッソス山だそうで、 明日予定しているデルフィはその麓にあるのだそうだ。
時間が近付いたので要基入り口まで戻つて、 門の外で西の山々へ沈む夕目を見る。
きっと要基の東側へ行ければ サラミナ島やサラミナ水道が見えたかも知れないが仕方がない。
私のいる地点は5時15分ころには日は見え無くなったが、 パルナッソスの頂上付近は紅く染まり続け、ここの部分から日が落ちたのは5時25分ころだったとおもう。
麓を見下ろすと5時27分、道を上がってくるタクシーが見えた。 うーむ。 時間ぴったりだ。
さすがだ親父。 などと感心してしまった。
タクシーの親父はデルフィ迄100ドルでどうだ、 8時半にでれば10時には着く、 そしたら1日ゆつく回って見れるなどと言っていたが、 そんな金あるわけないだろ。 と断った。
コリント遺跡入り口のバス停で下ろしてもらう。
バスは18時半だそうである。 45分くらいあるので、 コリント村を散歩して時間待ち。
18時半予定通リバスがきて19時頃コリント市着。
交番でKTELとホテルの場所を聞いてホテルを探す。
3件ほど見て回ったが、いづれも高く、結局6000の最初のところにする。
ここはテレビが使えなかったし 暖房はエアコンで喉に悪いので使えなかったがまあまあ。
夕食は近くのタベルナ。
このタベルナ(安定食屋)こそ私の捜じ求めていた店だった。
如何にも安っぼい場末た定食屋の雰囲気、 魚介類もおいてある。
これまで入つていた店はどちらかというとレストランに近い店か、 ファーストフードに近いけどチキンやポークステーキも置いてある、という様な店だつたので、理想と若干違っていた。
しかしこの店はまさに求めていたものだった。
魚やイカが置いてあり、 厨房を見れ見るか?などと言って来る。
2000ドラクマで魚介類とビール込みにしてもらう。
久々のビールだからか(ギリシヤにきて初めてのビールである。これまでは体調を考えアルコールは飲まない様にしていたのである)、
すっごくうまかった。
料理も満足。 気分良く食後は夜の散歩に出ることにする。
ここはもう波止場の近くであったので、 波止場を見て、 繁華街を見てからコダックへ行って使い捨てカメラを購入し宿へ戻る。
22時10分頃のことであった。