今日の任務はオリンポス山を見ることと 出来る限り東部地方へ移動することである。
実は不安で不安で仕方が無い。
果たしてトルコ国境方面からブルガリアにいけるのでしょうか?
地図にはトルコ国境近くのブルガリアとの国境に国境検問があることになっているが、 実際どうなのか。
もっとも近い村から国境まで5k程。 ここまでなんとか辿り着けば、 後は歩いてでも行ける。
ブルガリアに入ってからはもっとも近い街まで7,8キロのはずなので 最悪歩けるかも知れない。
少し大きな街までは多分バスがあるだろうから、そこからタクシーだとあまりかからずに
国境までいけるに違いない。
ラリサから6時50分発テッサロニキ行きに乗る。日はまだ昇っておらず、発車してしばらくして、東の
空が
明るくなってくる。昇ったばかりの、オレンジの強い光が、オリンポス山山頂付近を照らし出す。
テッサロニキには11時前に着いた記憶がある。テッサロニキ駅前のバスターミナルで、
カバラ行きのバスを探す。が、駅前のバス会社で聞くと、カバラ行きのバスターミナルは
ここから500m離れた、駅の北の方にあるそうだ。カバラ行きバスターミナルに移動するのに、
時間がかかってしまった。
カバラで2時間程滞在。バスターミナルは波止場近くにある。バスターミナルを降りると、
内陸方面に、オスマン時代の水道橋がかかっているのが見える。橋の下は普通に
幹線道路が通っており、車の行き来が激しい。この水道橋の右手に向かって、海へ
つきでた丘をあがってゆくと、ビザンツの要塞跡に出る。この要塞跡は、休日だったため、
閉館していたが、要塞入り口から、タソス島が、はるか南に幻の島のように、浮かび上がっている。
2時頃だったと思うが、カバラ出発。クサントス迄乗り、次いで、クサントスからコモティーニへ
乗り換え、小刻みに東へ向かう。コモティーニについたのは、6時頃だったように思う。
乗り換えバスを待つ間に、少しバスターミナルの周辺を散歩して歩く。
ターミナル周辺は、工事中となっていて、新しく開発しているようだった。
アレクサンドロポリに着いたのは、8時か9時だったように思う。
宿では、親父が、「部屋を見ないのか」という具合に、ジェスチュアを示すので、
一応案内してもらう。ま、問題なし。
1月10日
昨日かなり東まで移動できたので、明るくなってからおきればいいや、
明るくなるのは8時頃だし、 バスも結構本数あるし、 と余裕こいていたら寝過ごしてしまった。
はっつと目を覚ますともう8時45分である。 出来れば乗ろうと思っていたバスの発車時刻ではないの。
外を見ると今日は曇りでいつもよりの薄暗かったのも、 寝過ごした一因だろう。
9時にバスターミナルに着く(ホテルから50mくらいのところなので直ぐに行けた)。
次のバスは10時。
オレスティアーダについたのは12時5分。 KTELで調べると、 国境際の村までのバスがある。
OK。 なんとかなりそう。
余った時間にちょっと街を散歩して、 ギリシャ特有の安ワイン レツィーナを購入。
12時45分に出発し14時に国境の20キロ程手前の村(ディキア)に着く。
ここで30分休憩。 ここはもうまつったくブルガリアそのものである。
村の中心の広場に大戦時の記念碑なんかがあったりして。
バスの車中から見える景色はブルガリアそのもの。
いけば行くほどブルガリア度が高くなる。
ここらに目隠しして連れて来られたら、 ブルガリアであると勘違いすることは間違いあるまい。
してみると、これはブルガリアっつぽいというより トルコの影響なのではないだろうか。 モスクもあちこ
ちで目につく様になってきたし。
実はプルガリアはギリシャよりトルコ化の影響が強く残ってしまっているということなのではなかろーか。
またこうも考えた。 ブルガリアの民家もギリシャのこのあたりの民家も みんな実は第2次大戦前に出来た
ものなのではないのだろうか。
ひょつとしたら トルコ支配時代の100年以上も前かもしれない。
それがギリシャの場合はそれなりに手を加え、 時代とともに建て替えたりしてきたので、
様式は似ているけどブルガリアよりきれいな建物も存在している理由なのではないだろうか。
ひょっとしたらブルガリアの民家は100年前のものを 今もそのまま利用しているのではないのだろうか。
ブルガリアのことだ。 十分ありえる。
等と考えつつプル化の深まる一方の民家を眺めつつ 国境沿いの村へ向かつたのでした。
ところで風景の方はアレクサンドロポリをでて以来まつたくブルつぼくなっている。
地勢的にはここいらはブルガリアの方に紫がつているので まああたリ前なのだが、
入国する時は薄暗くて良く見えなかったこともあるけど、 国境を境にがらりと風景が変わった印象があるけ
ど、 今回は国境手前で既にブルガリアに戻ってきている心境である。
ディキアの鉄道の駅で時刻表を調べると、 1日3本アレクサンドロポリから国境最寄の村までの電車
があることがわかった。
14時30分に出発し国境最寄の村に着く。 車掌は村から国境までは1キ日だ。 タクシーを使え、と言い、
パス停にいた村のおばさんに
「こいつの為にタクシー呼んでやってくれ」 とか言ったみたいで、 おばさんにつれられて村のカフェに行
く途中カフェの主人と出くわしたので、
私はそのままカフェの主人に預けられてカフェに行くことに。
主人はカフェでタクシーを呼んでくれたのだが、電話したあと、 駄目だ、のジェステュア。
しょ―がないあるくか、 そのへんの人にお金払つて送つてもらうか、 と考えていたところ、
店に入つてきたおっさんに主人が何か言つて、 その男の車で国境まで送つてくれることになつたようである。
村の出口の標識には国境まで7キロとあった。
雨が振り出してきた。
ギリシャ旅行中は晴れまくっていたのだが、 ブルに帰るところで雨になるとはいかにも象徴的ではないです
か。
国境についたところでおつさんに謝礼2000ドラクマを差し出すがおっさんはちょっと恥ずかしそうに
1000ドラクマだけをとつていつた。
良心的タクシー料金より安いかも知れない。
国境では歩いて入る人物は珍しいのか、 密輸業者に間違われたのか、 普通でる時はそれほど厳重なチェッ
クはないのであるが、色々質問された。
仕方が無いので名刺まで出して、 ここでこーゆー仕事してるの、 と説明する羽目に。
オフィシルパスポートでなかったら、手荷物チェックとか、もっと面倒なことになったかも知れない。 ちょっ
とオフィシャルパスポートに感謝。
最後に係りの人に車できているのか?ときかれた。 歩きだといつたら、ブルガリアの検問所まではここから
2キ日ある、といわれた。
検間所を出て200m程先デューティーフリーショップがあったのでそこで最後余ったドラクマをワイ ンに使う。
雨の中をブルガリア検問所まで歩いていると、 さすがに遠い。
一台車がとおりかかつたので、ヒッチしようかとも思つたが、徒労に終わりそうで辞めた。
そのうち2台めの車の音が後方からしてきけど、 振り返らずに歩いていたら、 私のところで停車して。
みるとブルガリアのタクシーである。
旧式のベンツ。 親父さあ乗れ、という。 金が無い、と言っても、大文夫この先に銀行がある、
とのことで乗せてもらいブルガリア検問所まで。
検間では予想に反してあつさリ何も聞かれることなく通してくれた。
両替も出来てそのままタクシーでスビレングラッド駅まで運んでもらう。
最初はバスターミナルと言ったのだが この時間だとプロブディフ行きの列車がある。 16時40分発だ、と
時刻表まで持ち出してしらべてくれる。
う―む。 ど一せばられるにしても結構まとも。
降りる時に、まあばられる値段とし
ては妥当なところであろうと 「1万でいい?」 というとあつさりOKしてくれた。
昼飯を食つていなかったので駅前のカフェに行く。
ひきびきのブルね一ちゃんの、
(無愛想でのろくさした)ブルサービス。ブルガリアに戻つたのだなあと実感。
驚いたことにスピレングラットの駅には電光掲示板がある。 そういえば以前来た時もあつたな。
なんでその時驚かなかつたのだろう? 電光掲示板がある駅なんてブルガリアでは殆どない。 ソフィア駅でき
え無いのである。
16時40分定刻通りに出発。 しかしいったいいつプロブディフ到着なのか。
地図が無いのでなんとも言えないが 記憶では1時間半から2時間くらいの距離。
ソフィア行きの列車の最終は20時から20時半頃、 バスも20時以降は無い可能性がある。
19時までには着いて欲しいなぁと思っていたら、 プロブディフに着いたのは19時57分。
あわてて切符売り場に走ると、電光掲示板にはソフィア行き最終特急20時着の予定とある。
既に20時6分。さっきの場内アナウンスはきっと到着の遅れをアナウンスしていたに違いない。
まだ間に合うだろうと急いで切待を買いホームへひた走る。
列車は更に10分以上遅れて到着。
あ―これで今日中に部屋に帰りつくことが出来ると一安心。
しかし振り返つてみると よくまあここまで想定どおりに移動出来たもんだと、 我ながら関心してしまった。
列車内の暖房は暑いくらい。 途中からデッキにでてしまう。
窓から眺める外の風景はひたすら闇である。 時折ちらりと明かりが見えるくらい。
ギリシャのどんな山の中でもなかった風景。 ブルは本当に貧相だよなぁ。 金が無いんだからしかたがないけ
ど。 しかし明るければ華やかで気分も高揚するけど、
明るければいいというものでもないとも思う。
スビレングラッドからプロブディフに入るときでさえ、よく見ていないと都市が近づいていることさえ分から
ないのである。
22時20分ソフィア着。市内バスで23時頃部屋に帰り着く。 夕飯を食う時間が無かったので、 帰り着
くと直ぐにラーメンを作って食べた。
そのあと片付けを色々して寝たのは午前3時頃である。