後漢時代の平均年齢
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・后妃の寿命が長いのは、13,14歳以 上になってから後宮入りするため、幼年死亡時期を過ぎている為と思われる。 ・皇族の中で、愍王劉意 90歳と飛びぬ けている。彼を入れると皇族の平均年齢51.2歳。彼を抜くと41.5歳。 ・著名人とは、官吏、学者、名士など。非 自然死の比率は、141人中123名が自然死。70代80代合わせて60.16%あり、70歳以上が70.73%。最高 最高160歳。 こ れは、比較的医療衛生が整っている社会上層部の人が史書に記載されているからだと思われる。また、若いうちから業績を残 したひとの方が少ないので、若年死 のデータが少なく、平均年齢を押し上げる理由となっている。班昭が70歳以上まで生きていて、女性も比較的長生きであ る。 ・三国志所載の人物は、後漢書に記載のな い、後漢時代の人物を扱っている。最も多いのは40代で34.48%。続いて30代20.69%。3,40代で、合計 54.17%となっている。曹操に処刑された侍医の華佗は100歳近くとのこと。 ・ 後漢書は重要人物しか記載されていない為、夭折した子供の記載は無いが、碑文では結構残されている。この為、後漢書記載 著名人より平均年齢が下がることに なっている。20歳以下を除外すると、平均年齢と59.36歳。12歳と15歳の死亡を含む(10歳以下除外)、 58.07歳となる。また60代28%、 50代20%で合計48%。つまり、後漢書記載著名人は、7、80代がもっとも多く、碑文記載人物は、5,60代がもっ とも多く、三国志となると3,40 代となっている。後漢書記載著名人は、もっとも医療衛生が良く、高名になる頃にはそこそこの年齢に達している為、平均年 齢がもっとも高くなったと思われ る。普通の人間では、そのくらい強健でないと、高名にならない、ということかも知れない。この点で、皇帝の平均年齢と、 洛陽刑徒や臨淄墓 の平均が近いのは、全体を含めると、これが平均だったといえるのかも知れない。后妃や著名人は、最初から、成人すること ができた強壮な人が対象となってい るからであろう。三国志所載人物の平均年齢が低いのは、社会が不安定となり疫病が流行するなど、社会秩序が寿命に影響す ることを示していると思われる。 ・洛陽刑徒は、傷病も多く、傷害を受けて いたの31例中、2例が骨折。残りは暴力を受け、これが原因で死亡したと思われる。これが平均年齢が低い理由のひとつで ある可能性がある。臨淄墓よりも寿命が短い理由のひとつだと思われる。 ・結論としては、臨淄墓の年齢が、庶民の 平均年齢にもっとも近いのではないかと思われる。 |
-中国人口通史(4):東漢巻-中国人口通史叢書 袁延勝 著 人民出版社 2007年4月-より引用して作成。