2013年7月1日作成

帝政ローマ時代の都市ローマ地図フォルマ・ウルビス・ロマエ


  ローマのコロッセウムから南へ8km程のローマ郊外にあるローマ文明博物館(ここ)展示の、4世紀初頭、コンスタンティヌス大帝時代の都市ローマの復元模型 は、古代ローマ映画にもよく登場しています(こちらに模型の映像が多数登場する教育番組のyoutubeの映像があります)。

  この模型の、細部に到るまでのあまりの完成度の高さは驚異的だと思っていたものの、これくらい復元できるほど遺跡が残っているこ とこそ古代ローマの凄いと ころではないのか、そうでなければ、不明な部分は模型作者の創作なのだろう思っていたのですが、3世紀初頭のローマの石刻版の市 街地図の遺物が残っている ことは最近まで知りませんでした。どの部分が残っているのか、遺物の実体はどのようなものなのか、少し調べてみました。

以下の写真は、arqTRarqというEUのプロジェクトのページ(こ ちら)から持ってきました。
 

 ローマにあるサンティ・コズマ・エ・ダミアーノ教会を 構成する建物の上の壁面(もともとは内壁だったらしい)に貼られていたとのことで、石版は幅18m、高さ13mあったとのこと。 上画像では、壁面に、ロー マ市街石版の境目が黒い線で縦横に記載されています。縦11段、横は10枚と20枚の段が交互に積み重なり、全体で約150枚の 石版から構成されているこ とがわかります。

 この石版復元輪郭部分各々について、実際に残っている石版遺物をリンクさせたサイトがスタンフォード大学のサイトにありまし た。以下の画像は、スタンフォード大学のStanford Digital Forma Urbis Romae ProjectSlab Mapのページから持ってきたものです。右上から中央下へ向かっている 赤線がティベル川。中央上にある円形の赤丸がコロセウム。

 このサイトでは、緑線で区分されている石版をクリックすると、そこを構成する石版遺物の断片の写真が参照できるようになってい ます。凄い!

  石版は全部が残っているわけではなく、殆ど粉々になっている細かい断片を長い年月をかけた研究の積み重ねにより、かなり苦心して 復元しているもののよう で、クリックしても写真が表示されない箇所も沢山あります。しかしこれで、かなり遺物の残存度合いが把握できました。庶民が暮ら す下町の市街図まで刻まれ ており、精度の高さに驚かされます。

 arqTRarq のフォルマ・ウルビス・ロマエのページでは下の方に、断片を組み合わせて劇場の平面図部分を復元する過程の画像が掲 載されていて参考になります。

 ローマ文明博物館の模型は現在残る建築物や発掘遺構だけではなく、フォルマ・ウルビス・ロマエの地図もあわせて利用されている とのこと。復元模型のディティールの高さも納得できたのでした。

  ところで、アウグストゥス時代のローマ帝国の地誌を書いたストラボンの「地理書」には、石に刻まれたローマ帝国地図も、ローマ市 内の人目の着く場所に貼ら れていたという記載があったものと思います。全帝国地図の遺物は発見されていないそうですが、フォルマ・ウルビス・ロマエのよう なイメージのものの帝国全 図版があったと考えると、イメージできそうな気がしています。

−参考
 ロー マ文明博物館(Museo della Civiltà Romana)古代ローマ模型のページ
 Wikipediaのフォルマ・ウルビス・ロマエの記事  



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