貴州博物館 夜郎王国文物の展示
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貴州省博物館に展示されている、前漢時代夜郎王国 の遺物。左は、貴州省西北部の卒節地区赫章県可楽遺跡の写真。可楽付近は夜郎王国の都城だったと推定されている。右は黔 西南布衣族苗族自治州普安県銅古山遺跡のある銅古山(武器鋳造所がある)。同県青山新店子遺跡では山頂に村落遺跡がある とのこと。他にも普安県には営山遺跡がある。 普安より南へ50qにある興仁県南西部15km程のところ に、交楽漢墓遺跡がある。左下も可楽遺跡。他にも、銀子岩古彝文磨崖刻記(116cmx70cm)があり、171の古代 文字記載されているとのこと(こ ちらのサイトに写真あり)。 |
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左下は、水田耕作模型。下の漆器などは、漢代文化の浸透を物語るもの。 展示によると、夜郎郡という地名は、時代毎に3つの異なる地域に対して使われてきたとのこと。 @313年、牂柯郡を分けて、 平夷、夜郎の2郡を設置。郡の治所は、現安順北盤江 上游地区(貴陽市西100q)に置かれた。 A梁代、武陵郡と牂柯郡の間に 夜郎の流民の居留地があり、夜郎郡を置いた。治所は 現岑鞏(湖南省との省境)のあたり。 B742年、夜郎郡設置。治所は現遵義市北北東100qにある正安県。
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また夜郎県という地名が下記の時代、場所で使われた。
@東晋 夜郎県。安順の西 A621年、石阡県(凱里市北100q) 6年後廃止。 B631年、芷江(湖南省西部懐化の西10q)五代時代廃止 C642年、桐梓(遵義市北60q) D1108-1120、湖南省新晃に12年程の間設置
左の家は、高床式である点に特徴がある。古代広西省や雲南省で見られた。右は古 代、雲南、貴州、広西、広東、ベトナムからインドネシア半島で広く見られた銅鼓。
夜郎には、竹取物語のような、夜郎侯(竹王)の貴種流浪譚があるとのこと。 夜郎王国時代の領域地図も掲載されいた。現貴州省とほぼ同領域となっている。 どういう根拠で作成したか不明だが結構な図だが、当時50万程の人口を有していたようなので、このくらいの広さはあった のかもしれない。 |
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旅行日記 BACK | 夜郎の歴史についてはこ ちらに詳しく掲載されています。 |