ブログに数回に分けて記載した記事を一括してまとめました。以下の記事です。 2018/Oct /10 「日本の史学概論書籍」 2019/Aug/21 「20世紀の史学論書籍/中国史学方法論関連書籍」 2020/Jul /06 「日本の20世紀の史学概論書籍 その2」 2020/Jul/18 「日本の20世紀の史学概論書籍 その3 弓削達『歴史学入門』(1986年)」 (1)林健太郎『史学概論』(1953年)
(2)太田秀通『史学概論』(1966年第二版(初版は1964年)
(3)大塚久雄『社会科学の方法−ウェーバーとマルクス』(1966年)
(4)神山四郎『歴史入門』(1965年)
四郎『歴史学概論』(1952年/改訂1966年/文庫1994年) (6)浜林正夫編『歴史学入門 有斐閣Sシリーズ』(1992年) (7)堀米庸三『現代歴史学入門』(1965年) (8)弓削達『歴史学入門』(1986年)
林健太郎(1913−2004年) 太田秀通(1918−2000年)
大塚久雄(1907−1996年)
神山四郎(1919−1996年)
弓削達(1924−2006年)増田四郎(1908−1997年) 堀米庸三(1913−1975年) 浜林正夫(1925−2018年) 『岩波講座哲学<11>歴史/物語の哲学』(2009年)所収の小田中直樹氏の論説「言語論的転回」以後の歴史学」にて、日本の戦後人文学では新カント派が勢力を持っていたため、 新カント派と密接な関係にあったウェーバーの受容に寄与した、との仮説が提出されています。言語論的転回は、新カント派 の認識論のレベルと同一視され、特段日本の歴史学会は反応を示す必要を認めなかった、ということのようです。 確かに言われてみればその通り、という感じがしますが、一方で、私が学生の
頃は、歴史学者や学生たちは、一面そういうことをいいながら、実際には様々なア・プリオリな概念を無自覚に前提とし
ている部分が強く感じらる人々もいました。この二面性はどういうことなのか?そもそもこの二面性は私の気のせいだっ
たのか、確認すべく、以下の書籍を読みました。
(1)林健太郎『史学
概論』
林健太郎の書籍は、学生時代の史学概論の授業の最初の方で、カー『歴史とは何
か』と並んで言及されていた書籍だった記憶があります(あともう一冊紹介されていた記憶がありますが、書籍の題名は
記憶にありません。ベルンシュタイン『歴史とは何ぞや』だったかも知れません)。私はこの書籍を読んではいない筈な
のですが、読んでいないとは思えないほどの既読感がありました。授業の内容と重複している部分や、他の雑誌等で読ん
だ著者の史論と重複しているから、という気もするのですが詳細は不明です。当時読まなかったのは、20歳くらいの学
生にとっては、20年前の著作は古すぎて読む気にならなかったからです。目次は以下の通りです。
第一章 歴史及び歴史学の語義 1
第二章 歴史学の対象とその範囲 8
第三章 歴史学における批判的方法 17
第四章 歴史の研究と歴史の叙述 33
第五章 歴史事実と歴史の理論 47
第六章 歴史理論としての地理的環境論 65
第七章 歴史理論としての発展段階説 86
第八章 唯物史観の諸問題 107
第九章 歴史法則に関する一般的諸問題 127
第十章 歴史法則に関する結論的考察 144
第十一章 歴史における個別性の問題 157
第十二章 歴史における人間性の理解 173
第十三章 歴史における個別性と一般性 190
第十四章 歴史認識の主観性と客観性 215
むすび 235
ヴィンデルバント、リッケルトらの新カント派、ディルタイやウェーバーらの議
論が論じられているのは11章以降です。これは今もって良書という気がします。アナール派以前ですが(本書の第二版
でアナール派が増補されているらしい)、アナール派に影響を与えた地理学の環境決定論(ラッツェルとブラーシュ)が
論じられています。発展段階論はランプレヒト、唯物史観はマルクス、最後の方でウェーバーが出てきます。
著者の林氏は、若い頃はマルクス主義だったのですが、その後転向し、最後は保
守政治家となった人ですが、本書を読むと、マルクス主義が政治に関わりすぎたことを批判しているのであって、学問上
の唯物史観そのものは、まじめに検討しています。「「封建制」なる名称」」「「農奴制」なる概念」「「荘園制」なる
経済史的観点」「「都市経済」」「「営利的企業」」など、歴史学の概念装置を括弧つきで記載し、社会的被拘束性、社
会的主観性、認識の党派性まで到達していて、フーコーまであと一歩という感じです。
しかし、第十三章でウェーバーを論じて、ウェーバーのあまりにも拡大してし
まった理念系(林氏は「理想系」という用語を用いている)の概念は、「理想系の定立を無限に許す」(p204)こと
となり、最早一般概念と区別がつかなくなる、理念系は、「中間概念として必要」(p209)で、「一般常識の範囲内
で歴史の法則性について語」る(p207)、と記載して終わります。
私の認識する言語論的転回として表象されている内容(言説・構築性/物語性・
認識論・研究体制(言説の再生産))のうち、言説・構築性・認識論について論じているものの、言説・構築性は、「一
般常識の範囲内」としておわり、「一般常識」なるものの構築性や、分析に有用な「理念系」という概念装置そのものの
構築性の分析の必要性を提議するところまではいけない段階に留まった、という感じがします。著者にすれば、このあた
りの研究は、社会学側のものであり、歴史学側のものではない、という認識があるのかも知れません(林氏も、このくだ
りで、ウェーバーは「歴史より社会学に関心を移した」のではないかと推測しています(p209))。
確かに、林氏の『史学概論』からは、言語論的転回は、新カント派の認識論のレ
ベルと同一視され、特段日本の歴史学会は反応を示す必要を認めなかった、という状況ときれいに接続する感じがします
が、一方で、「構築性」そのものの研究、認識や論の展開の根底を規定している物語性や制度の問題など、認識主体側そ
のものの問題は、閑却されてしまった感じがします(このあたりは、1996-2003年頃に言語論的転回に言及した
日本の歴史学者の論説からも感じられることです。これらについては次回記載する予定です)。それゆえに、現在は、ホ
ワイトの著作が近年続けて翻訳され、羽田正氏が歴史学の制度の問題を論じる展開になっているのだ、という流れとには
必然性があるように見えます。
(2)太田秀通『史学概論』
目次は以下の通りです。
第一章 序説 13
一 歴史に対する懐疑 15
二 歴史意識の発展 25
三 実証科学としての歴史学 51
第二章 歴史学の本質 55
一 精神的生産としての歴史研究 58
二 歴史研究の構造 66
A 研究材料 70
B 研究手段 82
C 研究主体 114
三 歴史研究の過程 136
A 問題提起 140
B 研究作業 148
C 叙述 182
第三章 歴史学の社会的機能 189
一 イデオロギーとしての歴史学 194
二 歴史学の存在理由 198
A 歴史学の社会的根源 198
B 歴史学の社会的有効性 216
三 人間の科学としての歴史学 222
太田氏の本書も今回はじめて読むのですが、第二章は、大学のゼミでやったような内容です。歴史学とは具体的に何を
どう研究するのか、という部分についての基本的なことが記載されているという点では、この部分については本書は今でも役
に立つ内容です。この人はまじめな人なんだろうなあ、と随所で性格がうかがわれる書籍です。思わず赤面してしまいそうな
文書もいくつか見られました。しかし、まじめであることと、問題点を指摘することとは別のことなので記載しますと、著者
は冒頭さんざんなくらいに歴史及び歴史学の認識や解釈の問題における懐疑を述べるのですが、それが記述が進むにつれ、マ
ルクス主義が自明の科学だという前提となってしまうのです。これこそが、私の学生時代に比較的多く見られた雰囲気でし
た。この意味では、当時の雰囲気を知る書籍としても有用かと思います。
(3)大塚久雄『社会科学の方法−
ウェーバーとマルクス』
副題にマルクスとありますが、基本的にはウェーバーの方法論を紹介した書籍です。
1 社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス
2 経済人ロビンソン・クルーソウ 3 ヴェーバーの「儒教とピュウリタニズム」をめぐって―アジアの文化とキリスト教 4 ヴェーバー社会学における思想と経済 ウェーバー社会学方法論を用いた歴史分析の紹介本としては今でも有用な書籍ですし、第二章のロビンソンクルーソー
は、17世紀英国産業資本主義認識に関する象徴分析として有用です。しかし本記事の観点では、本書における言説・構築性
というものへの無自覚性こそが重要です。本書は、本書やウェーバーにおいて利用されている概念自体への懐疑は見られない
点に特徴があります。そういう本ではない、といえばその通りですし、もしかしたらそうした部分は大塚氏の他の書籍で記載
されているのかも知れませんが、本書を読む限りでは、林氏が概念装置そのものの性質を吟味していることと比べると、大塚
氏の非ー没価値観的姿勢は際立ってい(るように見え)ます。
(1−3の)まとめ
この三著のうち、学生時代に読んでいたのは大塚本だけで、三著とも、今回たま
たま目についたので読んでみただけです。そういう意味で、これらの著作が、マルクス的(太田)、ウェーバー的(大
塚)、マルクスもウェーバーもある程度相対化した実証主義(林)、という具合にうまく並んだのは偶然です。しかし、
20世紀中盤の日本の歴史学界における方法論の潮流を上手く表しているように思え、この三著は現在でもそれなりに有
用なのではないかと思った次第です(当初林本と太田本は最初図書館で借りたのですが、結局購入してしまいました)。
他にも、戦後だけでも、間崎万里『史学概論』 (1955年)、内藤智秀『史学概論』
(1954年)、上田修一郎『史学概論』 (1967年)、長 寿吉『史学概論』
(1948年)、増田四郎『歴史学概論 』(1966年)、神山四郎『史学概論』(1985年)、弓削
達『歴史学入門』(1986年)、望田幸男、
末川清『新しい史学概論』(1991年)等々、たくさん出ていることを知りました。とても全部チェックしている時間はないなあ、と思っていたところ、
『「歴史とは何か」の歴史』楠家重敏著(2016年)という、史学概論書籍史の本を見つけました。本屋で少し見
てみたところ、膨大な書籍を紹介していて、それら各書の目次が掲載されているのは有難いのですが、逆に一冊あた
りの紙幅が少なくなり、あまり突っ込んだ分析をしている感じがしませんでした(あくまでちょっと見の印象)。近
くの図書館にあることがわかりましたので、そのうち読んでみたいと思います。
(4)神山四郎
『歴史入門』(1965年)
分析哲学系の方です。神山氏が翻訳したウォルシュ『歴史哲学』は学生時
代に読んでいたのですが、こちらは今回はじめてです。E.H.カーの『歴史とは何か』の1,4,5
章で記載しているような内容を一冊使って、更に分析哲学要素を濃くしたような内容の本です。歴史学にお
ける認識論の基礎のようなことをかみ砕いてわかりやすく記載しています。以下の系譜が明確になりました
(Amazonのレビューはこ
ちらに記載していますが、ここでも再掲します)。
イギリス経験主義→分析哲学→
神山四郎、神川正彦→佐藤正幸、野家啓一
以下目次です。
まえがき(3)
1.”歴史を考える”とは (14)
<1>”歴史を考える”ことの必要性(14)
<2>古典的な二つの歴史哲学(24)(ヘーゲルとイブン・ハルドゥーン)
<3>歴史を科学にする哲学(39)(分析哲学のこと)
<4>歴史を書くことから理解することへ(44)
2.歴史の事実とは何か(49)
<1>「歴史」ということばの意味(50)
<2>歴史の事実はどこにあるか(58)
<3>歴史は現在つくられる(75)
<4>歴史家の視座の問題(83)
3.歴史は客観的に見られるか(97)
<1>歴史学と物理学の違い(98)
<2>社会科学が発見したもの(106)
<3>歴史の記述は主観的か客観的か(111)
<4>客観的な歴史の見方(119)
4.歴史はくりかえすか一回かぎりか(135)
<1>歴史の形而上学の考え方(136)
<2>歴史学の方法論の問題として(152)
<3>くりかえすものと一回的なもの(165)
5.歴史は科学的に説明できるか(183)
<1>歴史的説明と科学的説明(184)
<2>歴史家と法則(191)
<3>歴史の説明のルーズさ(199)
<4>法則から導く説明の困難(204)
<5>理由づけの説明の意味と限界(210)
終わりに(219)
本
書は、一言で言えば、分析哲学の史学論です。
歴史の認識論と科学との関係 がメインです。カー『歴史とは何か』の最初の章の内容を史学史と分析哲学の潮流を用いて一冊使って論じてい る感じです。著者は分析哲学系の方で、W.H. ウォルシュの『歴史哲学』(1951)の邦訳(1978)者で、野家啓一に影響を与えている人 です。系譜的には以下の通りです(以下分析哲学とあるのは、正確には分析系の歴史哲学を含む分析哲学のこと です。冗長かつ、広義の分析哲学には分析系の歴史哲学を含むため、端的に分析哲学と表記しています)。 イギリス経験論 → 分析哲学 → 神山四郎、神川正彦 → 野家啓一、佐藤正幸
この本の紹介はアマゾンレビューに記載しましたので(こ
ちら)、この記事では余談の方を記載したいと思います。
私はいつのまにか神山四郎(1919−1996年)と神川正彦(1929‐2009年)を混同してい
て、お二人は、名前が似ていて年代も重複しているのみならず、分析哲学系の研究をしていて後年比較文明に移行し
たという共通点があり、同じ著書に登場することも多いためです。学生時代、神川四郎訳のウォルシュ『歴史哲学』
(分析哲学歴史論本)と神川正彦「歴史叙述と歴史認識」(『岩波講座哲学 社会と歴史』(1986年)、物語論
の論説)を読んだ時には、別人だと理解していた(筈な)のですが、その後、あちこちでお二人が一緒に登場してい
たり、研究分野が似ていることもあり、次第に混同するようになり、いつの間にかお名前も、神川四郎、神山正彦、
と想起してしまったりすることもある状況でした。今回『歴史入門』を読み、一応見分けがつくようになりました
が、それでもまだ混同する部分が残っています。
例えば、朝倉書店の講座「比較文明」の総論『比
較文明の理論と方法』という本にこの二人が論説を寄せているので図書館で読んでみたのですが、似た
ような内容が書いてあったような記憶となっていて、帰宅後既に違いが思い出せなくなっていました(総論の「比較
文明学という学的パラダイム構築のために」を神川正彦氏が、(確か)神山四郎氏が「世界システム論と比較文明
学」を掲載しておられました)。
このお二人は、1985年に誕生した『比較文明』という雑誌※の創刊号にも二人で登場しているという情
報も見つけました。この本は、学生時代、創刊された当時購入していて、手持ちの本を参照してみたところ、どちら
の論説も線が引いてあるので、1985年当時両方読んでいたことが判明したのですが、両者が別の人物だと認識し
ていたという明確な記憶はなく、今回論説を再読しても、翌日にはどちらがどちらの内容かわからなくなってしまう
状況となっています。
1985年当時、歴史理論に関心を持っている人で、マルクスにもウェーバーにも飽き足らない人やこれらの
理論に批判的な人は、トインビー&比較文明 or
社会史(アナール)に行くという流れがひとつありました。私もその流れでこの雑誌を買ったわけですが、当時は、文明の比較ができるほどの詳細な日本語研究
書籍は西洋史と中国史でさえほとんどなかった時代でした。比較文明史をやろうとすれば、最低でもブローデル『地
中海』レベルで各時代・各地域・各文明圏のことがわからないとどうにもならないわけですが、『地中海」すら日本
語訳はなかった頃のはなしです。私の場合、文明論もナラティブだとの認識となったため、それ以上踏み込むことに
はなりませんでした(当時ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』の日本語訳はなかったにも関わらず、私はそっ
ち方面へいってしまいました)。分析哲学に影響を受けた神川/神山両氏がどうして比較文明の方にいってしまった
のか、不思議です。ウォルシュの『歴史哲学』とか、「歴史叙述と歴史認識」(『岩波講座哲学 社会と歴史』所
収)を読めば、神山四郎氏や神川正彦氏こそ、アーサー・ダントーの『物語としての歴史』やヘイドン・ホワイトの
『メタヒストリー』の日本語訳に向かうべきコースに載っていた人だという気がするのですが、なぜ比較文明の方に
いってしまったのか、不思議です※。なんとなく脱西洋中心主義(反西洋中心主義ではない)ということのような気
もしますが・・・・。比較文明方面にいくなら行くで、他の文明圏の歴史学方法論の研究とかにいってくれると面白
かったのに、と思った次第です(神山四郎氏の弟子の佐藤正幸氏が中国史の史学方法論に向かいました)。分析哲学
と比較文明論の関係には論理的必然性があるのかどうか、少し考えようと思っています。
※おそらく私が両氏の文章を読んだのは、『比較文明』の方が先で、『歴史哲学』や「歴史叙述と歴史認識」
の方が後だったため、『比較文明』を読んだ時には両氏の名前が記憶に残らず、『歴史哲学』や「歴史叙述と歴史認
識」を読んだ頃には『比較文明』で登場していたことなど忘れていたような気がします。そういうわけで、分析哲学
のお二人が比較文明論に進んでしまったことは、学生時代当時は認識できていなかったのだと思われます。
本書『歴史入門』は、今でも読むに耐える内容ですし、わかりやすい文章ですがカー『歴史とは何か』や林
健太郎『史学概論』で代用できますし、ウェーバーもアナール派も登場しない、主観と客観の問題は、ヘンペル科学
論ベースに歴史と科学という切り口で論じている頃の著作という位置づけになるかと思います。
神川氏の位置づけがより明確になりました。最近読んだウェーバー本も合わせると、ポストモダンの史学論の
系譜は、以下のように感じています(今のところ)。
→ 文化論的転回
イギリス経験論 →分析哲学、物語論 → ヘイドン・ホワイト → キース・ジェンキンズ → 岡本充弘
分析哲学 → 神山四郎/神川正彦 → 野家啓一、佐藤正幸 ドイツ 新カント派/ニーチェ → ウェーバー → ポール・ヴェーヌ →アナール派(ただし影響度については 未確認) → パーソンズ → クリフォード・ギアツ → 文化論的転回 → アナール派、近代フランス研究 → 遅塚忠躬、小田中直樹※ フランス ニーチェ → フーコー → キース・ジェンキンズ、文化論的転回、アナール派、
これらをざっくりまとめると、
ポス
トモダンの史学論 ― (ウェーバー(認識論)+フーコー) = 分析哲学の史学論(本書)
という感じです。分析哲学もカントもイギリス経験論にゆきつき、イギリス経験論は唯名論に行き着く。とい
う系譜が明確になったように思えます。予想通りポストモダンは西欧思想の二大潮流のひとつに回収される、という
ことが確認できそうな気がしています。昔から思っていた(が言えなかった)ニーチェ→ウェーバーの系譜も今では
日本語研究文献があることがわかり、ほっとしています(これについてはウェーバーの記事で書く予定)。
※この二人はポストモダンの方法論をある程度受容しているという意味です。アナール派のフランス史研究者
としては二宮宏之、福井憲彦の二人の方がポストモダン色は強いが、この二人はブルデュー経由の色彩の方が強いよ
うに思えます。
※※
この図は、英独仏で直接歴史学に関係する部分のみ記載したものです。ポストモダンの史学論に影響を与え
た要素と系譜はこれ以外に現象学やブルデュー、およびフーコー以外のポスト構造主義等があり、これらは
系統樹モデルでは描き切れず、網目状/根茎(リゾーム)モデルで表現されるべきものですが、このところ
分析哲学とウェーバー中心の思考となってしまっているため、暫定的にこのような図式としました。フー
コーの横にデリダとブルデューが入るのかもしれませんが、それを書きだすと、以下のようになってしまい
ます。
ポス
トモダンの史学論(アメリカ現代思想) = ドイツ思想 + フランス現代思想 + 分析哲学の史学論
(イギリス思想)
結局
のところ、20世紀米国の経済力の勃興が、文献の英語翻訳を促し、米国において各国思想が混ざり合っ
た、という今更的な話な感じがしています(イタリアはヴィーコとクローチェがヘイドン・ホワイトに入っ
ていて、カーもウォルシュもクローチェに言及してます)。
※現在アマゾンでは、本書は歴 史入門-講談社現代新書-38としても出品され、本書とは別のレビューが記載されています。 ※近年の分析哲学系の歴史論としては、野家啓一『物 語の哲学』『歴 史を哲学する』、中山康雄『現 代唯名論の構築』等がありますが、入門書的にお薦めなのは本書かカー『歴史とは何か』です。 (5)増田四郎『歴史学概論』
(講談社学術文庫)(1952年/改訂1966年/文庫1994年)
この本の前半部分は、1952年/1966年版ものです。1966年版は、学生時代ざっと読んでいます。
よって今回は再読本という位置づけです。「封建制」の言説性について最初に知ったのは本書だったのではないかと
思います。「封建制」に限らず、「言説」というものを、フランス現代思想の議論における「言説」を知る前に、具
体的に知ることになったのは、この本の「封建制」ではないかと思います。ということを再読していて思い出しまし
た。今回の三冊で、一応20世紀後半の、日本人研究者による史学概論本はだいたい読み終わったわけですが、どう
やら、大学1年生の史学概論講義関連で最初期に読んだ史学概論の本は、カー『歴史とは何か』、林健太郎『史学概
論』、増田四郎『歴史学概論』だということがわかりました。学生時代の読書リストが残っているのに、「どうや
ら・・・・ということがわかりました」となってしまう理由は、当時の読書リストには、完読したものしか記載して
いなかったからです。極端に言えば、例え10頁でも読んでいない(あとがきとかでも)本は、読書リストに記載し
ない、という潔癖性が学生時代あったため、「だいたい読んで内容を理解した本」「一部しか読んでいないが、大き
な影響を受けた本」「一部しか参照していないが、その本で紹介されていた多くの他書に進んだ、重要なハブとなっ
た本」がリストから漏れてしまっている、ということになってしまっているわけです(現在ではこうなることを回避
するため、7割方読んだ本は、それがわかる印をつけて読書リストに記載するようにしています)。
このため、学生時代、どういう因果関係で知識の収集が進んだのかを復元するのが大変困難な状況となってい
ます。整然とした史料が残っていて、本人の断片的な記憶があるにも関わらず、実態は簡単には復元できない、とい
う歴史学でよくある典型的な事例となっています。
この本に対する所感については、Amazonレビュー(感
想)の方に記載しているので詳細はそちらをご参照ください。
最初期(一年生の頃)に読んだ史学論本は、カー『歴史とは何か』、林健太郎『史学概論』、増田四郎『歴史
学概論』だということがわかったわけですが、再読するまで殆ど記憶になく、あまり大した本だと思っていなかった
理由は、入学した当初は、「こんなこと当たり前でしょ」という感じで読んでいたからではないのか、と推測してい
ます(内容を理解しきれていなかった、という面もあります)。しかしその後、1,2年と、実際の史学論文(と
いってもそれらは20世紀中盤までの法制史研究やマルクス主義的な観念論的経済史研究だったわけですが)を知る
につれ、なんじゃこりゃみたいにブルーになってしまい、2年次の後半から、社会学や文化人類学の授業経由で知っ
た、社会学や文化人類学に影響を受けたアナール派や歴史人類学とかミクロヒストリアとか(今でいう新しい文化
史)、世界システム論等と出会い、これこそ望んでいた歴史学(のひとつ)だ!と思ってしまったため、カー『歴史
とは何か』、林健太郎『史学概論』、増田四郎『歴史学概論』は、私の中で「古い史学」というカテゴリーにまとめ
られて記憶から一掃されてしまったのではないかと思われます。
更に、社会史について知ろうとした増田四郎『社会史への道』(1981年)や『ヨーロッパ中世の社会史』
(1985年)で、著者がアナール派にあまりに否定的であったため、「守旧派の頑固親父め!」てなイメージ一辺
倒となってしまったわけなのでした。
今回再読して思ったのは、古典的実証主義歴史学の延長線上で地域史や補助学の拡張を構想していた著者の姿
勢は、正統派の「歴史学入門」としては悪くはない、というものです。当時の「正統派歴史学入門(実証主義歴史
学)」を知るには、現在でも良書なのではないかと思います。35年前では、「これが全てだ」という思い込みを与
えかねない点が懸念されて低い評価となってしまったのですが、社会史・新しい文化史、環境史等非常に多くの分野
が開拓され認知度も向上した今となっては、「かつての歴史学の中核部分で、今も現役である部分を知る書籍」とし
ては十分重要なのではないかと思います。
一方、林健太郎『史学概論』も、アナール派到来以前の主要な諸理論の概要を端的に紹介した書籍としては、
やはり今読んでも悪くはない書籍です。問題は、林氏が構想していたようにその後の日本の戦後史学が発展しなかっ
たからで、やはりそこには、マルクス主義史学と大塚史学の影響が大きかったのだと思わずにいられません。『史学
概論』(1953年)から一足飛びにアナール派+新しい文化史に飛んでしまえば良かったのではないかと思ったり
してい
ます。マルクス主義史学と大塚史学は、非常に理論性・観念性・先験性が高いのにも関わらず、「科学的歴史学」を
標榜し、実証史学を装っていたため、一般読者層に対するナラティブ性に対する感度と知見を失わせてしまったよう
に思うわけです。もっとも、この手の議論や論争が西欧でなかったわけではなく、19世紀末のランプレヒト論争
や、歴史主義論争、シミアン/セニョボス論争等、西欧でもあったわけですし、アナール派でさえ、その数量統計史
を「科学的歴史学」だと思い込んでいたわけですから、「客観性」や「中立性」に対する感度というものは、多くの
試行錯誤/紆余曲折を経て洗練されてゆくというプロセスは、必要なのだと思わされます。
(6)浜林正夫編『歴史学入門 有斐閣 Sシリーズ』(1992年) 歴史学入門や、歴史とは何 か?という同カテゴリーの本は翻訳日本語含め多数出ています。その中での本書の特徴を記載したいと思いま す。 本書の特徴は以下の3点です。 1.比較文明という視座 2.西洋歴史学方法論の当時の視点 3.それ以外(卒論の書き方指導など) 1.比較文明という視座 本書が出版された冷戦末期&終了直後1980年代半ばから1995年頃は、人文社会科学で「比較文明」とい うキーワードが盛んとなった時期です。当時はインターネットの発達による現在的なグローバリゼーションはほ とんど想定されていませんでしたから、共産主義の敗北、日本経済のとどまるところを知らない発展等の時代背 景として、西洋中心主義批判の枠組みの一環として比較文明というアプローチがひとつありました。この思潮 は、どの文化にも優劣はないとする文化相対主義だけではなく、欧米だけが先進モデルを提供できるのではな く、日本「も」その資格がある、遅れた途上国とは日本は違うのだ、という思潮とも結びついていて一枚岩では なかった点は、21世紀の現在と変わりはありません(欧米のみが文明の旗手なのだ、という思想を否定するた めに、比較文明論を持ち出し、途上国に対しては、日本も含めた意味での西洋中心主義となる、という両義的な 構図です。ウェーバーの比較文化学や梅棹生態史観はこの思潮を支える理論として活用された側面がありま す)。 本書は、序論に続く第一部が、古代中国(史記と漢書)、日本書紀と古事記、中世ヨーロッパの歴史記述(エウ セビウスからオットー・フライジングまで)、初期イスラーム(コーラン、聖者伝、タバリー、イブン・ハル ドゥーン、近代) となっています。インド圏以外の歴史叙述の古典を扱っていますが、上述のように、あまり 網羅的ではありません。また、主に古典を論じる内容となっていて、各文明圏の現代における歴史学研究入門と いうわけでも、各圏前近代の史学史というわけでもありません。中国の史学論で重要な唐史通や清章学誠はあり ませんし、西洋古代のギリシア・ローマの古典がない代わりに、中世初期や盛期のイギリス史学について、この 手の入門書ではあまり見ない内容が詳述されていたりします。イスラームは、ほぼ基本的な内容に留まり、都市 史や地域史等多様な史書についての言及がないため、西洋中国日本の史書はある程度理解している方が、イス ラーム圏には何があるのだろう、と観光気分で眺める程度の記述しかありません(イスラーム史書についての本 質的な記述については『アレクサンドロス変相-―古代から中世イスラームへ―』(山中由里子2009年)の 後半などに進んでしまった方がいいかもしれません)。西洋については、さすがに史学史の伝統が蓄積されてい るからか、統一的な視点で史学史の発展を位置づける記述となっていますが、それ以外の地域については、基本 事項の紹介や、定番の内容を(当時としては)若干新味のある内容を混ぜている程度でなので、2019年の今 となっては、個別の文明圏毎の史学理論本を読んだ方がよいように思えます(とはいえ、中国に関しては、定番 以外も扱っている書籍は稲葉一郎『中国史学史の研究』 (東洋史研究叢 2006年)という大部の書籍や『歴史認識の時空』(佐藤正幸2004年)くらいしか思いつかず、適当な入門書が見つからないのが残念です。(史書を列挙 紹介しているだけなら、増井経夫『中国の歴史書―中国史学史 』(1984)、古代だけなら『「正史」はいかに書かれてきたか』があります))。 第一部は『歴史思想から近代歴史学へ』となっていていますが、現代的な人文科学における「歴史思想」のレベ ルからすると、かなり表面的な分類に留まり物足りないものがあります。各圏著者がばらばらなのも一因で、一 人が特定の切り口で各文明圏を記載できるほどにはまだ研究が蓄積されていないということなのではないかと思 います(最近はそろそろ比較史学論が書ける時期になってきているように思えます)。 2.西洋歴史学方法論の当時の視点 5、6章と8章が、近現代西洋歴史学方法論史です。冷戦後、マルクス主義の退潮が明白となった時期の著作な ので、マルクス主義への未練も多いものの、ウェーバー、アナール派、ウォーラステイン等に言及されています が、現在となってはあまり見るものはありません。ネルーや上原専禄等が登場しているところが比較文明的です が、西洋人以外が普遍史を構想している、という指摘に留まる程度です。本パートで現在でも意義あるところ は、ウェーバーは合理性という客観的な指標の歴史学ではなく主観的な方法論である、と指摘しているところで しょうか。ウェーバーの、「神々の争い」から距離を置いて没価値となることが学者の目標である、という内容 はよく歴史学者の間で膾炙していますが(日本では大塚史学が有名)、「没価値は目標であるが実はかなり困難 なのだといっているのがウェーバーなのだ」との解釈(p181、236)が示されている点などに本書出版時 点での視点を知る意義があります(大塚史学流のウェーバー解釈への異議は、日本では山之内靖『ニーチェと ウェーバー』1993年等で指摘されるようになった)。 3.卒論の書き方など 最後の補論は、論文の書き方となっていて、修士レベルを含む一般的な意味での論文のあり方について論じつつ 最後は卒論の書き方となって終わります。今となっては別に類似の書籍があると思いますが、ここは今でも有用 です。 読んでいる時は考えなかったのですが、レビューを書きながら、内容的に、本書の後継として『「世界史」の世 界史』(ミネルヴァ書房2016年)が位置づけられると思いました。こちらの書籍も多数著者の著書ですが、 より多数の文明圏を扱っているというだけではなく、各文明圏の史学思想の相違という切り口ではほぼ一貫して いる点が特徴です。 ※2019/Dec追記 ビザンツ史書叙述形式については、井上浩一「ビザンツ年代記の編纂過程と史料的価値」が差し当たり有用です (PDF公開されています) (7)堀米庸三『現
代歴史学入門』(1965年)
増田四郎『歴史学概論』と異なり、以下8名の共著です。
堀
米庸三(1913-1975年)西洋中世史(東大)
岩
田拓郎( )西洋古代史(北大)、堀米庸三の北大勤務時代の同僚or弟子だと思われる
直居淳( ) 西洋中世史(北大)堀米庸三の北大勤務時代の同僚or弟子だと思われる
遅
塚忠躬(1932-2010年)近代フランス史(東大)
斉
藤孝(1928 - 2011年)現代スペイン史(東大)
堀
越孝一(1933-2018年)西洋中世史(東大)堀米庸三の弟子
西
川正雄(1933-2008年)現代ドイツ史(東大)
板
垣雄三(1931- )現代アラブ史(東大)
全員、堀米庸三の弟子or同僚から構成されています。イスラム史が入っているところが、後年の多文化主義
or比較文明論への一歩を踏み出している感じがします。
基本的に各執筆者の専門領域におけるトピックを扱っています。この点では、最近出版された『論点・西洋史
学』に似た内容です。ひとつのトピックあたり20-30ページ程度の分量です。以下内容の要点です。
序章 歴史とは何か(堀米庸三)
堀米洋三氏のパートは序章と第五章で、歴史学方法論を扱っています。序章では認識論の概要。三木清の
「存在としての歴史」「ロゴスとしての歴史」が論じられています。存在としての歴史には到達できるのか、ロゴス
としての歴史とは、結局研究者の主観的構築物なのではないか、と懐疑的に検討するわけですが、結局常識の枠内で
研究してゆくしかない、というような立ち位置で終わっているのが残念です。しかし当時では方法論に対する議論の
厚みが少なかった時代の話ですから、仕方がなかったのかも知れません。
第一章 歴史学の方法(1)ー歴史学の基礎概念−
第一節 古典古代(岩田拓郎)
方法論については、前半マルクスとウェーバーの全体的な西洋史観について記載してあるだけで、後半は
普通に古代ギリシア社会論。
第二節 封建制(直居淳)
「封建制」概念の言説性についての詳細。日本史の封建制論も合わせて論じており、上記増田四郎の「歴
史学概論」よりも詳細。ここはかなり(今でも)有用です。
第二章 市民社会(遅塚忠躬)
後年、1990年代に言語論的転回論争で論陣を張り、2010年に大著『史学概論』をものする片鱗が伺
われる論説です。当時遅塚氏は33歳。このあと専門の近代フランス経済史だけではなく、史学論とも40年以上に
わたって格闘。本節では、資本主義と経済成長を近代社会の必然的な要素として位置づけ、市民社会を法則的な発展
段階として捉えた、大塚史学とマルクス主義史観に近い近代化論。鋭い指摘も各所に見られるものの、残念ながら今
では古い。
第三章 歴史学の方法(2)−史料の批判と解釈−
第一節 史料学と史料批判(斉藤孝)
ベルンハイムの要約のような箇所。増田四郎『歴史学概論』や今井登志喜『歴史学研究法』
にも掲載されている、史学概論では毎度おなじみの内容。悪くはないものの、現在では、セニョボス/ラングロアの『歴史学研究入門』を読むべき。
第二節 史料の理解(堀越孝一)
歴史学における解釈学・認識論について論じていて、当時の日本の史学概論の本としては珍しく分析哲学
的な議論をしているが、残念ながら論旨が蛇行気味であまり成功していない。神山四郎の『歴史入門』を読む方がま
し。
第四章 歴史と現代
第一節 歴史としての現代(西川正雄)
『論点・西洋史学』のトピックにも通じる両世界大戦の戦争責任論。基本的には『論点・西洋史学』から
研究書を辿ればいいが、当時の論点を知るには今読んでも参考になるかも知れない。
第二節 歴史家と現代(板垣雄三)
冒頭、ポストモダン的な学論の波が言及されていますが、後半は、”第三世界”の学者らしく、比較文明
論的観点からの西洋中心主義の相対化の方向性を示唆して終わります。
第五章 現代歴史学の課題(堀米庸三)
歴史理論のパート。印象としては、カー『歴史とはなにか』(邦訳1962年)があちこちで言及されてい
る、またそのされ方を見るに、素朴な実証主義や実在論的マルクス主義(科学的歴史学)が分析哲学系『歴史とは何
か』により脅かされたため、分析哲学系史論への反論を行い、特に反論のツールとしてウェーバーが用いられてい
る、との印象です。
全体的な印象ですが、この本は、カー『歴史とは何か』(1961年原著、62年邦訳)の出版で、分析哲学
系の波が歴史学界にも及びそうなところを、ウェーバー、マルクス主義、及び後の比較文明論の萌芽のような論陣
が、一斉に放逐した、という位置づけの書籍になるのではないか、という気がしました。従って、同じ1965年に
分析哲学系の神山四郎氏の『歴史入門』の出版も、納得できるものがありました。大塚久雄『社会科学の方法−ウェーバーとマルクス』が1966年ですから、林健太郎『史学概
論』ではまだ理論に対してニュートラルだった史学学界が、1950-60年代前半、ソ連の成功により勢いに
乗ったマルクス主義に席捲され、ウェーバーさえマルクス主義的な読解がされてゆく流れを見て取ることができ
ます。史論として放逐された分析哲学系が、90年代にポストモダンの装いとともに捲土重来することになっ
た、という流れが理解できた感じです。
とまあ、こんな感じで本書の位置づけをまとめてみましたが、この読み
に自信があるわけでもないのでAmazonレビューは書かないことにして、この記事に所感を書いて終わりに
しようかと思います。この見立ては間違いないようには思うのですが、現時点では精読し直す必要のあるほどの
本では(私にとって)ないので、とりあえずこれを書いて終わります。
(9)弓削達『歴史学入門』
(1986年)
本書が書かれた背景には、第三次家永教科書裁判、及び侵略を進出と指示したとされた一件を巡った歴史教科書問
題による文部省の検定問題の加熱時期であることが挙げられます。従って、最初の数章はこれら政治的背景に関する日本
の教科体制と教科書成立の過程が記載されています。この観点から見ると本書は著者の史論的色彩が濃く見えますが、四
節以前は普通に史学史/方法論の内容として読めます。五節以降は、ウェーバー方法論を継承している弓削氏がポストモ
ダン的であることから、必然的に後の言語論的転回が歴史修正主義論争を導き出してしまったように、教科書検定に見る
皇国史観がより厳密な史料批判を行うようになり、その結果、研究者の成果物と皇国史観の物語との相違は、単に価値感
の違いになってきてしまった時にどのように対処するのか、を自問した著者の思想展開の軌跡となっています。
以下、目次と概要を記載します。
序 この本で何を書くか(1)
第一章何のために何を、どのように学ぶのか(7)
第一節 日本人はこのように歴史を捉えた
日本の近代歴史教科書の背景となった、近代日本の史観の代表の一つとして、日本史/西洋史/東洋史の三分割
体制となった経緯が、福沢諭吉の脱亜入欧論を起源に論じられています。
第二節 一国史(または日本史)と世界史
戦後の教育改革により、新時代の小中学高校教科体制が日本史/世界史となった過程とその過程における議論の
紹介。一国史を乗り越え、「世界史」が成立することの難しさが記載されています。
以上の二節は、近年の『「世界史」の世界史』(ミネルヴァ)でより詳述されている内容なので、現在では古い内
容となっています。
第三節 歴史学は何のために(目的)、何を(対象)、どのように(方法)認識するのか
歴史学における史料論、認識論です。史料に対して、歴史研究者の営みは、「社会的有用性を基準とした知的生
産」であり、「存在としての歴史」に対して、「知的生産物」は「ロゴスとしての歴史」「描き出された絵」とされてい
ます。三木清を経由した新カント派の認識論が継承されているとともに、「知的生産」が社会的構築物であることを開陳
しています。冒頭で、研究者の職業上の社会的拘束性に言及するなど、知識社会学的な観点も含まれています。著者の
「客観性」は、「社会的有用性」と同義です。つまり、客観性とは、社会的構築物である、という点で、構築主義的な議
論となっていて、この点ポストモダン的です。弓削氏はウェーバーの徒でしたので、この展開は納得できます。
「概念と理論と解釈」の節では、古代ギリシア・ラテン語には、集団や団体に共通する構造を意味する抽象的普遍
的用語としての「共同体」という言葉も概念も存在しないが、こ
のような、近代以降の社会学概念用語を用いて歴史を分析することの有用性を説いています。この時期日本では、(西欧
では19世紀末独ランプレヒト論争/仏シミアン・セニョボス論争以来)、社会学方法論の歴史学への導入が進んだわけ
ですが、社会学方法論の導入については抵抗も非常に大きくかつ長期間に及んでいた、という背景があり(ピーター・
バーク『社会学と歴史学』(訳1986年)で論じられている)、著者はウェーバー方法論を導入していることから、
「現代社会学の熟した概念によって素材を整理することも、社会的有用性の要請をみたすためには、不可避」である
(p30)と述べています。「この場合の理論は、過去の人類の生活を今日に有用なものとして描き切るためのものにな
らざるを得ない」「個人として、あるいは民族として、さらには人類として歩んでゆく方向に確信を持つ」ことで「社会
的有用性の要請をみたすことができる」(p30)とあり、やはりポストモダン的です。
社会的に有用な歴史を生産するには、「何が必要か、何が有用か、といった価値の選択が先行」し、「解釈された
史料を、社会諸科学の概念を援用しつつ論理的な整合性をもって関連づけてゆく作業、これが歴史叙述の仕事であ」り
(p31)、それは「必然的に仮説的」(p31)で、「歴史叙述というものが、歴史学の枠内にある科学的作業である
かどうかは、この批判可能性の有無にある」(p32)としているところなどは、後年の野家啓一の物語の哲学の見解と
ほぼ同じです。弓削氏は更にその先に進み、社会的有用性は、時代を越えた普遍的なものではなく、研究者の同時代の問
題意識は、同時代の人々にとっての「ある種の共感というものがなければならない。そのような共感は、歴史家と人々の
間に共通のアイデンティティが成り立っているかどうかに依存する」(p33)とし、20世紀後半以降、「新しい文化
史」や歴史修正主義にも関連する「アイデンティティとしての歴史」に直結する内容となっています。
「素材を整理する基準が社会的有用性(価値)の意識であるから、何を以て社会的に有用であると考えるか、とい
う規準の内容が異なってくると、素材の選択の仕方も異なってくるし、同じ素材を選んでも解釈のしかた、すなわち加工
法がすっかり変わってくる」(p35)という部分は、今年出版された『論点・西洋史学』の「はじめに」で記載されて
いる内容とほぼ同じです。
仮説が「如何に有力となっても、それは絶対に仮設以上のものになることはできない。それはこれまで述べてきた
ような歴史認識の理論的構造から言って、必然的な運命である」(p35)。「この仮説性と価値観形成(即ち社会的有
用性という価値意識に結び付けられているという基本的性格)、そしてそれに付随する不安定性、こういった制約は歴史
学固有のものであって、こうした不安定性と制約に耐えられない者は歴史学を去らねばならないのである」(p36)と
結んでこの章を終えています。
個人的に、弓削氏には、キャリア前半期の共同体分解理論によるローマ史像には、実在論的な色調を感じ、一方
『永遠のローマ』では、主知主義的に感じていて、この相違はなぜなのか?ある種の転回なのか?と疑問に思っていたの
ですが、ウェーバーの徒だった著者がウェーバー方法論をつきつめてゆくと唯名論的になってきてしまうのは、納得でき
ます。しかしそうはいっても理論へのこだわりが強いのが弓削氏の特徴であり、次の節では理論について論じています。
※五節の一部でも、認識論の記載があります。
「19世紀のドイツ歴史主義は、レポオルト=ランケの有名なことば、「各時代は神に直接する」に象徴されて理
解されているように、各時代・各民族の「個性」が、アンジッヒに存在すると考える。つまり、認識主体の問いかけに先
立って客観的に「神によって与えられた」ものとして存在する、と考えるのである。いうまでもなく、新カント派を経
て、マクス=ウェーバーの洗礼をうけた者はそうは考えなかった。各時代・各民族の特色は、認識主体がそれぞれの価値
の観点から光を照射した時に常に新しい側面がてらし出され、そこに特色というものが現れてくるものであると考えるの
である」(p65)
第四節 社会的有用性の意識と歴史の理論
冒頭で、上原専禄の「法則科的認識方法(法則定立的歴史学)」と、「個性化的認識方法(個性記述的歴史学)」
という分類を取り上げ、前者はマルクス主義等のような公式主義に傾き、後者は歴史主義や相対主義に傾くため、「ある
時には個性化的認識方法が選択的に用いられ、他の場合には法則化的認識方法の助けを借りることもできる」(p38)
との上原の見解を、「課題が社会的であるなら、課題の解決は社会的に有用である」(p38)としてこれを「課題化的
認識方法」と名付けています。以下この前提から、19世紀以降の近代歴史学の諸理論が持った課題意識を検討していま
す。検討されているのは以下の諸理論です。理論の内容の解説ではなく、どのような課題意識によって、これら諸理論が
成立したのか、の検討です。
ドイツ歴史学派経済学、マルクス、トインビー、ロストウ、従属理論、日本戦後歴史学の発展段階論、上原専禄の
世界史像(西洋中心史観からの脱却)、遠山茂樹-太田秀通の「構造的複合体」、中心-周辺的構造複合体−松本栄三、
土井正興、ギュンター
日本へのアナール派浸透直前期の書籍ですので、やはりアナール派への言及はありませんが、同じ一橋で師匠にあ
たる増田四郎氏が、実証主義の枠内で地域史や社会史を構想していたのとはまったく異なり、古代において、地中海世界
を統一した世界帝国たるローマ帝国研究者である弓削氏は、「世界史」そのものを検討する点と、より理論色が強い、と
いう点で非常に特徴的です。
第五節 教科書検定から歴史学の本質を考える
教科書検定は史料の解釈が戦われている場であり、「歴史教科書検定において最も深く問われているのは、実は正
に、検定史学の社会的有用性の意識であり、彼等の価値意識そのものなのである」(p53)という関連から、教科書検
定問題を論じてます。著者にとってこの問題の核心は、検定意見は、ある価値意識に基づく社会的生産物であるにも関わ
らず、価値中立的であると主張する点にあります。著者個人は、戦前日本の戦争肯定史観に否定的ですが、それでも、
「非常に明確な内容をもった社会的有用性の意識に裏打ちされた歴史像を提供することになると思われる。このことを検
定側が明確に自覚しているのなら、それに賛成するか否かは別として、そのような歴史像もまた歴史学的認識の方法に
従って描き出されたものとして、歴史学的に検討に値するもの、つまり同じ土俵で史料の選択と解釈の場で、勝負する相
手たるの資格をもつもの、ということができよう」と記載しています。
しかしながら検定側は、「自分たちはそうした歴史意識から検定しているのではなく、ひたすら史料に忠実たろう
とする「歴史学の常道」からのみ振舞っているのだ、というような弁明を続けている(典拠は「五七年度社会科教科書検
定結果の主な事例(1983年6月30日文部省公布公文書))」(p57)ということが問題なのだ、と指摘していま
す(この点については、著者の『明日への歴史学』pp40-53にて詳述されているとのこと)。更に、検定側もまた
特定の価値意識に基づいて解釈している点の具体的内容については、1986年5月24日に報道された「日本を守る国
民会議」の皇国史観に基づいた日本史教科書が検定をパスした、との一件が詳しく論じられています。
著者は、仮に検定側が、自身の価値意識を自覚し、それを全面に戦前日本の侵略肯定論&皇国史観を押し出してき
た場合、歴史学側はどのように対応すべきか、価値意識の相対主義を是認するのかしないのか、という問題提起をしてこ
の章を終えています(最後に遅塚忠躬「『社会史』批判をめぐって」(1984年『歴史学研究』9月号)の論争を引用
しています。遅塚氏の立場は、「現状批判や体制批判に対する反批判としての現状是認論や体制用擁護論を含みうる」
(p69)としているとのことです)。
弓削氏は、歴史学は、「神々の戦い」を回避するのではなく、引き受けるべきだと主張し、無自覚に価値中立性/
無色透明さ主張する姿勢(検定側に限らず)を批判しているわけです。
※この話の問題は、「教科書=中立的」「研究者の研究=中立的」という姿勢を無意識に刷り込まれてきてしまっ
ている読者側にも十分に伝わらないと、自分の価値観に反する研究者を「御用学者!」と安直に罵る一部の読者が発生し
てしまうことです(実際、そうなっている)。ただし、研究者の論文ではなく、概説書や啓蒙書や歴史エッセイの方にお
いては、価値観の違う相手からは御用学者等罵られても仕方のない著作物も出てきてしまうし、宗教や文明論レベルの価
値観の相違の場合には、研究論文でさえバイアスが入り込んでしまうし、一般読者の、史料出典が記載されている脚注の
多い書籍を禁忌する傾向が、このあたりの史料と解釈の情報が十分に読者に伝わらないという状況を冗長してしまう、と
いう構造的な問題があります。よって弓削氏の主張を研究者が実践する場合、史料と解釈ロジック、価値観が一般読者に
明確に伝わる仕組みを予め十分に社会に広める必要があったわけです。現在この部分が要求されているのではないかと思
います。
第六節 歴史認識の出発点は現在である
クローチェやオルテガを引用し(すべての歴史は現代史である)、価値意識の相対性は、現代世界の問題から検討
されなくてはならない、として、1980年代懸念された軍拡競争について延々と論じています。従って史学論的な普遍
定理のようなものはなく、結局将来にわたって、その時代ごとにこうした議論と検討を経てその時代で、より人類の多数
にとって必要な、全世界的(社会的)に有用な課題を立てる必要がある、ということになるのだろうと思われます。
著者が当時の軍拡競争を批判する価値意識の社会的有用性を論じているのは、当時の情勢と不可分です。現在で
は、レーガンのとった強硬政策は、ソ連を改革に持ち込み、結果的に内部崩壊させ、冷戦を終了させることに帰結したた
め、結果的には力により押し切ったことが良い結果を生んだ、という事例として解釈されているのではないかと思われ
ます。結果論からいえばそうなのですが、そのレーガン時代は、1983年に大韓航空機撃墜事件が起こったり、80年
代通じて戦われたイラン・イラク戦争とレバノン内戦、インディラ・カンジー暗殺、チェルノブイリ原発事故等21世紀
よりはるかに規模の大きな火種が多く、そのうち本当にとんでもないことになってしまわないものか、との危機感が身近
に感じられた時代背景がある、という点が指摘できます。大韓航空機撃墜事件などは、現在もし、日本の領海付近で台湾
か韓国の民間航空機が中国に撃墜される事件などが起こってしまうようなことを想定すれば、その衝撃度がイメージでき
るのではないかと思います(もっとも、最近の北朝鮮は、そのうち本当に民間航空機撃撃墜を起こしても不思議ではない
ような気がしますが)。
第七節 各時代に歴史学は何を新たに認識すべきか
前章に続いて現在の歴史学が目ざすべき価値認識提言の話。最近の著作であれば、羽田正『新しい世界史へ――地
球市民のための構想
(岩波新書)』が近い内容の書籍になるのではないかと思います。弓削氏の場合は、人類、民衆、女性、脱国民国家、郷土というキーワードごとに1から数頁語
られますが、当時の日本の政治問題も語られ、イデオロギーの研究を避けるのではなく、一層深く研究することを提言し
ています(これも中曽根政権時代という時代背景を考慮する必要があります)。
補論「現人神」とローマ皇帝神格化
エッセイです。講演会の原稿を起こしたもののようです。幼年時代原宿に住んでいて、市電で靖国神社の前を通過
する時には、乗客は神社に向かって最敬礼しなくてはならなかった、そんな時代に息苦しさを感じていたので、戦争が終
わって体制が変わっての解放感はいかばかりだったか、1945年8月15日を「神々からの解放」と感じた、というよ
うなエピソードから入り、1946年1月1日の天皇の人間宣言の全文を掲載して解析し、現人神としての昭和天皇像に
迫り、ひいては古代ローマの皇帝礼拝と比較しています。ディオ・カッシウスのペルティナクスの葬儀に関する訳文が掲
載されていて、このあたりはエッセイというより論文の体をなしています。
第二章 史料編(137)
第一節 「存在としての歴史」と「ロゴスとしての歴史」の断絶と架橋
第一章では、「存在としての歴史」と「ロゴスとしての歴史」を自明の概念として扱っていたため、本章では、こ
の概念自体を再度取り上げて検討していますが、第一部の内容に付け加えることはそれほどありません。
第二節 人間の生存のための自然的条件
史料論の章です。史料を、自然環境、遺跡、遺物、言語史料に分類して解説しています。自然環境では、環境決定
論を、ローマ帝国衰亡の気候変動論を用いて解説しています。ついでにローマ帝国衰亡論の鉛毒原因説についても解説し
ています。終盤には「時代の変わり目、文明没落の危機の時代には、必ずといってよいほど、ローマ帝国没落原因論が再
燃」し、「その新説は多くの場合、その時代の危機意識の反映である」としています。
第三節 人間の生存そのものの痕跡
二節で挙げた遺跡等の、過去の人間が生存した痕跡史料(遺跡や遺物、墓の中の人骨・ミイラ等の人間自身の遺物
等)、制度遺物(遺制)、象徴史料、言語史料について解説しています。航空考古学を適用した古代ローマ研究の紹介や
ポンペイ、オスティア遺跡、古銭学がもたらす情報等、古代ローマの事例が多いが、貝塚など日本の事例も登場してい
る。
第四節 発言史料では、報告内容の研究と、遺物としての吟味とが並行しなければならない
言語史料についての史料批判に関する章。記紀神話、ルキアノス『本当の話』、ホメロス、福音書、ヘロドトス、
口伝、書材、アウグスティヌスを用いて解説される。
第三章 私の史料研究(227)
一、二章で解説をした歴史学方法論を実際の歴史研究に適用してみた場合の実例編。著者の世代的に、文献史料
(発言史料)研究者であるため、その他の史料を用いた研究はここでは扱っていない。事例の対象は著者の専門である古
代ローマ史。研究事例なので、ほとんど論文の簡略紹介に近い。
第一節 史料研究の基礎的な四指針
校訂、偽作を見極め、断片をつなぎ合わせ、解釈する。
第二節 発言史料の正しい理解はなぜ必要か―タキトゥス『年代記』テクストを例にとって
ネロ時代のローマ放火事件に関する記述で、史料の読解困難な箇所の検討。ラテン語構文読解の解説が中心で難し
い。
第三節 偽作史料もまた重要な史料である−「コンスタンティーヌスの寄進状」の場合−
ここはわりと普通の寄進状の内容と、偽作された目的と当時の政情を解析
第四節 断片史料と断片史料の関連づけ―カラカラ帝告示とパナサ青銅版との関係−
著者が博士論文(『ローマ帝国の国家と社会」1964年)で論じたアントニヌス勅令の難読箇所を、新しく
1957年にモロッコのパナサでで発見されたマルクス・アウレリウスのローマ市民権授与青銅版の条文と合わせて解釈
する話。
第五節 解釈によって史料の発言内容を拡大する−「ディゲスタ 1.21.1(パピニアーヌス)、48・2・
3pr.(パウルス)、「使徒行伝」25・10・−
解釈は論争を生むが、解釈を歴史学における研究手法として認めないのであれば、「歴史とは史
料なり、ということで終わってしまうであろう」(p266)。ここではローマ刑事訴訟法に関
し、ローマ市民権と非市民との間での刑法適用の相違についての解説。解釈が多数入る事例。
プローウォカーティオー(ローマ市民権による民会への提訴)の受付先である国家法廷の開設権が、属州総督にも
与えられていたのか?という点について、史料の解釈を重ねて推定する、というA・H・M・ジョーンズのパピニアーヌ
スにちなむ推定とブライケンのパウルスにちなむ推定事例及び弓削氏のルカ伝における推定事例の紹介。弓削氏の解釈に
対する他学者からの批判と、それに対する弓削氏の反論。
あとがき(289)
前回扱った堀米庸三『現代歴史学入門』(1965年)では、分析哲学系のカー『歴史とは何か』(邦訳1962
年)の登場を受け、やんわりと分析哲学系の議論を排除するような方向でした。このため、日本では、分析哲学系の議論
は神山四郎『歴史入門』(1965年)として分流していったようです。一方ウェーバー系の議論がポール・ヴェーヌ
『歴史をどう書くか』(邦訳1982年)で日本に登場し、弓削氏『歴史学入門』(1985年)で日本人研究者が方法
論書籍を発表した、ということになった、という展開です(弓削氏『歴史学入門』ではヴェーヌは言及されていないの
で、弓削氏はヴェーヌとはまったく関係なく、本書を上梓したのかも知れませんが、ドイツ史学系の弓削氏とはいえ、同
じ古代ローマ研究者のフランス人学者ヴェーヌを読んでいないとは思えないため、若干の因果関係は想定可能なように思
えます)。
日本へ言語論的転回的議論が導入されたルートについて以前の記事でも何度か書いていますが、基本的に以下の流
れがあるものと思います。
分析哲学系 → 神山四郎、野家啓一、ヘイドン・ホワイト → 岡本充弘(近代イギリス史)
フーコー → フランス革命研究(リン・ハント)、ピーター・バーク → 文化論的転回 → 長谷川貴彦(近
代イギリス史)
フーコー、アナール派、ブルデュー → 二宮宏之、福井憲彦(中世フランス史)
アナール派、ブルデュー、ノワイエル → 小田中直樹(近代フランス経済史)
新カント派、ウェーバー → ポール・ヴェーヌ、弓削達(このルートは、恐らく日本では言語論的転回にほとん
ど影響なし)
ウェーバー → ギアツ →文化論的転回 → ピーター・バーク → 新しい文化史
(イギリス経験論/分析哲学系、フランス現代思想、ドイツ新カント派/ウェーバー、これら三者が米国にて文化
論的転回として合流)
以上のうち、ウェーバー->弓削 ルートは、現在の日本における言語論的転回や方法論を巡る議論ではほ
とんど引き継がれていないような気がします。私の場合卒論のためにヴェーヌの大著『歴史をどう書くか』を熟読し、
ニーチェとウェーバーの主要著作も読んでいたので言語論的転回的議論におけるウェーバーの位置づけは問題なく受け取
れていましたので、弓削氏でも想定しえた展開でしたが、ヴェーヌの著書は、その後の日本におけるアナール派の本格導
入の前に霞んでしまい、言語論的転回の議論が入ってきた頃にはほとんど忘れられていたのではないかと推測されます。
日本では、ウェーバーは、歴史学方面の業績としては、近代化論、比較文化史学の人というイメージが強いのでは
ないかと思うのですが、方法論のウェーバーについても、もっと認知度が向上しても良いのではないかと考える次第で
す。この点では、僅かとはいえ、最近でた野口雅弘『マックス・ウェーバー-近代と格闘した思想家』でポストモダンと
からめてウェーバーに言及されていたのは嬉しい話でした。
(9)20世紀後半の日本の史学概論本まとめ
2018年からほど三年越しで、戦後の日本の西洋史著者による史学論書籍を読んできました。あくまで個人
的な印象ですが、史学入門書書籍に関しては、以下のような印象を持っています。
□今でも読む価値があるもの
■当時の史学論の資料として有用なもの
□1952年 増田四郎『歴史学概論』 実証主義歴史学の王道
□1953年 林健太郎『史学概論』 19世紀と20世紀の歴史理論のまとめ本+認識論のウェーバーの紹
介
■1964年 太田秀通『史学概論』 マルクス史観に基づいた史学論
□1965年 神山四郎『歴史入門』 分析哲学系歴史論
■1965年 堀米庸三『現代歴史学入門』 マルクス史論/大塚史学ウェーバーによる分析哲学系の放逐
(+比較文明論の萌芽)
■1966年 大塚久雄『社会科学の方法−ウェーバーとマルクス』
マルクス主義的ウェーバー理解(大塚史学)
■1986年 弓削達『歴史学入門』 新カント派/ウェーバー方法論
■1992年 浜林正夫『歴史学入門』 イスラームや日本、中国史論を加えた、比較文化学/比較文明論色
の強い史学入門
■1992年 『新しい史学概論』(松頼社、1991年、新装版:昭和堂2002年) (未読。図書館で
ざっと見た限りでは、21世紀になって増えてきた理論色の少ない、大学で学ぶ史学的な内容という印象))
□2006年 福井憲彦『歴史学入門』 アナール派
□2010年 遅塚忠躬『史学概論』vs言語論的転回の本(この本は入門書ではないですが)
□2016年 『「世界史」の世界史 総論』(この本も入門書ではない)
(1)■林健太郎『史学概論』(1953年)
(2)太田秀通『史学概論』(1966年第二版(初版は
1964年)
(3)大塚久雄『社会科学の方法−ウェーバーとマルクス』
(1966年)
(4)神山四郎『歴史入門』(1965年)
四郎『歴史学概論』 (1952年/改訂1966年/文庫1994年) (6)浜林正夫編『歴史学入門 有斐閣Sシリーズ』(1992年) (7)■堀米庸三『現代歴史学入門』(1965年) (8)弓削達『歴史学入門』(1986年)
以上のうち、実証主義歴史学の本流は、■印のついた増田四郎(1952)、林健太郎
(1953)、堀米庸三(1965)です。増田氏と林氏はドイツ史、堀米氏はドイツとフランス両方
の方。印象ですが、実証主義保守は、理論的なものはあまり好まないため、マルクス主義の太田氏
(1964)、分析哲学系の神山氏(1965)が別途著作を著したのではないかと思われます。これ
に対して、本流の堀米氏や増田氏が1965、66年に著作を出版/再版したのは偶然ではないと思わ
れます。この背景には、カー『歴史とは何か』(1962年)の出版の影響があるように思えます。
カーが、分析哲学系で因果関係を主観的なものとした一方で、ソヴェト計画経済体制を肯定的に捉えて
いることから、危機感を持った実証主義本流(堀米)が史学概論本を出版し、本流が分析系もマルクス
系にも冷たいことから(ただし、遅塚忠躬氏が参加している)、太田氏や神山氏がそれぞれ史学論本を
出した、と捉えると流れがスッキリします。
本来なら分析系に近い筈のウェーバーは、大塚氏によるマルクス的導入となっていましたから、 1980年代のウェーバーブーム以前は、ウェーバーは実証主義本流においてはそれほど大きな影響は なかったようにも見えます。寧ろ80年代のウェーバーリバイバルの結果、弓削氏が著作を出してきた (1986年)、と考えるとすっきりします。弓削氏はウェーバー/新カント派の認識論を継承してい るため、日本のポストモダンに影響を与えていてもおかしくないように思えるのですが、あまりそうい う感じはしません。大塚流ウェーバー理解の支配力を突き崩すまでにはいかなかった、ということだと 思われます。この後すぐアナール派が勃興するわけですが、アナール派の時代となっても継承されてい たのは、寧ろ80年代に勃興した比較文明論の方、ということのようです。浜林(1992年)はこの 路線です。 3年前、20世紀の史学概論本を読みだした当初の理由は、80年代中盤の学生時代分析哲学系
(因果関係の実在性を揺るがす内容)のカー『歴史とは何か』が新入生定番本であり、これを読んだ人
は「当たり前のことが書いてある」といってるのにも関わらず、なぜかマルクス主義or大塚流のマル
クス的ウェーバー解釈の方(因果関係の実在論的理解)にいってしまいっている、というアンビヴァレ
ントを感じていたのですが、結局堀米(1965)にあるように、カーの中の分析系は放逐する方向に
いってしまった、ということのようです。神山四郎氏や神山正彦氏を読んでいた私の方が特殊だった、
というわけです。
80年代中盤は、アナール派は非主流派という感じでしたが、二宮氏の師匠の高橋幸八郎氏(フ
ランス経済史、確かマルクス系)は、これら史学概論に噛んでいないのですよね。基本日本の西洋史史
学はドイツ史学の法制史からはじまりましたから、フランス史のしかも経済史専攻の方が非主流派に留
まったのは無理からぬところです。その高橋門下から二宮氏が出て主流派となっていったわけで、この
あたりはフランスでの非主流派フェーヴルの勃興と似たような感じがします。
林健太郎(1913−2004年) 太田秀通(1918−2000年)
大塚久雄(1907−1996年)
神山四郎(1919−1996年)
弓削達(1924−2006年)増田四郎(1908−1997年) 堀米庸三(1913−1975年) 浜林正夫(1925−2018年) 高橋幸八郎(1912ー1982年)
二宮宏之(1932ー2006年)
遅塚忠躬(1932−2010年)
『「世界史」の世界史』(2016年)の総論では、現在の歴史学は、
、
社会史、グローバルヒストリーの三極に分かれている、との記載がありましたが、以下のような経路なのではな
いかと思います。
→ 文化史 (アナール派、ウェーバー、文化人類学等の影響) 社会史 → 社会史 (アナール派、社会学等の系譜)
グローバルヒストリー → 経済史 (社会経済史(マルクス系・大塚系)の残党、比較文化論
(ウェーバー、トインビー系)、数量経済系(経済学)、文化人類学等)
本流の法制史もどこかに残っている筈なのですが、どこに残っているのか不明です。恐らく史学の基本で
すから、この三極全部に残っている、という理解で良いのではないかと思います。
20世紀後半の日本の史学論は、ドイツ史法制史中心の実証主義史学が本流で、分析系やマルクス系を交
わし乍らなんとか80年代末まで来たが、アナール派(フランス社会史)の洪水に一気に洗い流され、一方米国
の世界覇権に乗じて英米史学(分析系)が入り込み文化史につながり、かつての社会経済史系は、アナール派の
影響を受けつつ、グローバルヒストリー系につながっている、との認識となっています(今のところ)。
ようやく楠家
重敏『「歴史とは何か」の歴史』が読める段階に来たように思えます(今更読む必要もない、ともいえそうだが)。
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