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古代インドの書物

 最近『イスラーム書物の歴史』(名古屋大学出版会(2014年6月出版))という 本を読みました。本文420頁で全22章、一章平均20頁で、正統カリフ時代、アッバース朝、ブワイフ朝、マムルーク朝、 ティムール朝、サファビー朝、オスマン帝国、ムガル帝国など、イスラーム諸王朝の書籍事情や写本制作、蔵書具合、書道、挿絵 絵画、科学書や現在の写本研究の現状などの切り口で、15名の筆者が、各々異なる観点で論じています。私は知識や情報の流通 やそれらによる世界観の形成に興味があり、史上の書籍事情を扱った書籍を探してきたので、ど真ん中な内容でした。私の中で は、これで、『ギリシア・ローマ時代の書物』、中国の書籍史通史本『中国出版文化史』、西欧中世の羊皮紙専門サイト 羊皮紙工房、西欧近世の『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』、『数量化革命』、と、洋の東西の書籍史・知識の流動に関する書籍が一通り揃った 感じです。しかしインドの書籍史については抜け落ちているため、古代中世のインド及びヒンドゥー文化圏の近世インドの書籍本 も探してみたくなってしまいました。


 そこでインド書籍史の本を探してみたのですが、英語書籍でも単著ではなさそうです。しかし一方非常に有用な日本語のpdf を見つけました(以下more)。



 学習院大学人文科学研究科の安江明夫氏「ヤシの葉写本研究ノート」というpdfが大変参考になりました。インド以外の 地域でのヤシの葉書籍の歴史から、ヤシの葉書籍の作成方法に至るまで、非常に行き届いた大変価値ある内容となっています。

 書籍に用いられたヤシの種類は、主なものに二種類(パルミラヤシ、コリハヤシ)、マイナーなものに四種類、更にマイナーな ものもあったそうで、マイナーなものになるほど、使い捨ての用途に(メモやその年の行政文書など)用いられ、主要二種は、重 要な文書(宗教書、学術書、後年に残す行政文書)などに用いられたとのことです。主要ヤシの特徴や用途については上記pdf に詳述されています。

 ヤシの葉を用いた写本は、日本語では「貝葉」といい、中央アジアで2世紀の断片が発見されているものの、インドでは 11世紀以前のものは発見されていないそうです。しかし、1世紀以前の銅版文書にポーディー様式(後述)のものがあることか ら、ヤシ葉の写本はそれ以前に遡ると考えることができるとのこと。安井氏は、ブラフミー文字やカロシュティー文字の普及時 期、及び、アレクサンドロスに随行していたネアルコスの記録に樹皮や綿布を書記材料としていた記載があることから、前5世紀 にはヤシ葉の書記利用が始まっていたと推測しています。

 4世紀頃にインドの市井の様子を描いた戯曲『土の小車』では、主役の遊女が本を開いているという描写がありますが、この本 とは、このようなヤシの葉書籍だったものと思われます。この戯曲に登場している本とは、今まで普通の冊子本を想像していまし た。


 安井昭夫氏のpdfでは、ヤシ写本の作成方法を解説していますが、写真が無いので、ネットからヤシ写本作成写真をもってき て手順をまとめてみました。、


【作成方法】
1.発芽から成長4−5週間後の葉を切り出し、葉を乾燥させる。



水・ミルク・米とぎ汁などで煮沸したり、蒸す、ぬれた沙・湿った干し草中に埋めるなどの方法もあるそうです。以下の例は煮沸 しているものと思われます。




煮沸後乾燥させているところ。


これは、youtubeに掲載されている、「Palm Leaf Manuscripts - Documentary」 という番組から持ってきたもの。乾燥させる前の葉に、鉄筆で文字を刻んでいるようすがわかります。




こちらは、乾燥させた葉を研いて摩擦で乾燥させ(左)(階段上にはりわたした紐に葉をくぐらせて、葉を紐にこすりつけて摩擦 で乾燥させる)、両側を削り(中)(木板の型で葉をはさみ、板からはみでた葉の端をネイフで削っている)、鉄筆で文字を刻ん でいるところ(右)




 書きあがった(彫りあがった)書面に、インクを塗り込み、その後葉面を拭くと、刻まれた文字の部分だけにインクが残り、文 字が浮き上がるという仕組み。右のように、葉面に2つ or 3つ穴を開けて紐を通し、4−50枚程そろえて綴じ込み製本します。



左が製本した書籍。葉でできた書籍なので、もっと脆そうなイメージがありましたが、結構がっしりしています。書棚にぎっしり 入っています(右)。葉っぱの本なんて、原始的な先入観がありましたが、立派な書籍として本棚に並べられているのには圧倒さ れました。





文字を刻んでいるにも関わらず、両面に書くことができるとのことです。この様式の書籍をポーティ(pothi)様式と呼び、 銅版文書や紙の文書でも用いられたとのことです。

 以下は、ドイツのTuepflis Global Village Libraryというサイトの記事3. Mâtrkâ 1: Gerichtsverfahren, Allgemeiner Teil (vyavahâra)から引用した画像です。




こうした中世の銅版文書がインドでは各地で発掘されていて、重要な史料となっているようです。

 ヤシ葉の書籍の保存期間はどのくらいなのでしょうか。これについては、安江氏の論説には具体的な数値はありませんが、こち らの大谷大学の「インド東部・オリッサにおける 貝葉写本の研究動向」というpdfのp15に は、ヤシの葉写本の寿命は300年とあります。

 ヤシ葉書籍は、イスラーム以前のアラビア半島での書物の材料だったとのことです。この点は、『イスラーム書物の歴史』には 記載されていませんでした。「イスラーム以前」だから省かれたのかも知れません。

 インドで製紙工場が設置され、紙が普及しはじめるのは12世紀以降とのことで、イスラームの進出とともに広まったとのこと ですが、ヤシの葉利用は、保存期間の短いメモや行政文書、交易記録などに利用され続けたとのことです。このため、紙の普及以 前は、長期保存文書にはコリハヤシが、短期保存文書にはパルミラヤシが利用されていたものが、紙の普及以後は長期保存文書に 紙が、短期保存文書にはパルミラヤシが利用されることとなったとのこと。コリハヤシから紙への交代が、表面的にはヤシの利用 そのものが、コリハヤシからパルミラヤシに交代したのだ(その画期は1675年とされる)、との印象を与えている、という見 解もあるとのことです。ヤシそのものが(宗教経典以外の)社会一般で利用されなくなるのは、19世紀末から20世紀初です が、これは、ヤシ葉は印刷には向いておらず、この時期に印刷術がインドに浸透したからではないか、とのことです。


 ヤシ葉の書籍に関する情報は、ネット上では日本語では少なく、英語ではPalm-leaf manuscriptでヒットしますが、Ola manuscriptという用語も使われているようです。

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