10/06/2001created
22/Jul/2017 updated
アルメニア王名表
 

 
 
ウラルトゥ王国
 BC870頃‐590年

ウラルトゥ王はすべて長子相続の直系だったとされる。

1.アラム
2.サルドゥル(前825頃-825年頃) 首都トゥシュパ建設
3.イシュプイニ(前825/828頃-前810年頃)
4.メスア (前810頃‐785年頃)
5.アルギシュティ1世(前785頃‐753年頃) 前782年エレブニ(アリン・ベルド)要塞、前775年アルギシュティヒニリ(アルマヴィ ル)建設
6.サルドゥル2世(前753頃‐735年頃)
7.ルサ1世(前730‐714年)
8.アルギシュティ2世(前714‐685年) エレブニ北方の丘にテイシェバイニ(ティシュバニ/カルミル・ブルル)要塞建設
9.ルサ2世(前685‐645年)
10.サルドゥル3世(前645‐625年)
11.エリメナ(前625‐605年)
12.ルサ3世(前605‐590年)

 
アケメネス朝総督
 オロンティド家(エルヴァンド家とも)(546?‐334 年)

オロンテス1世 (前401-344)

オロンテス2世(344‐ 331 年)

アルメニア王
 オロンティド家(エルヴァンド家とも)(前331‐200年)

オロンテス2世(継続 -331年)

ミトラネス(前 331‐317) オロンテス2世子

Neoptolemus(マ ケドニア王国サトラップ)(前323-321)

オロンテス三世 (前317-260)

アルサメス(前260‐228年)

Samus(前 260年)

Arsames(前 260-228)

Xerxes(前 228-212)

Abdissares(前 212年)

オロンテス4世(前212‐200年)

 

出典 「Campridge History of Iran Vol3-1 p315)

 

アルタクシアス(アルタ クシアド)朝
 BC200‐1年

アルタクシアス ストラテゴス(前200-190年)、王 190-159年(アルタシャト建 設)

ティグラネス1世(159-123年)
+--------------------------------------------+
アルタヴァズド1世(123-95)             ティグラネス2世大王 (95-55年)

                                                    |
                               +---------------------- -----------+
                                                        アルタクシアス2世(33-20年)          ティグラネス3世(20-10年)
                              |                         |
                          アルタヴァズド3世(5-4年)      ティ グラネス 4世(10-5年)、エラト(4-前1年)(女王)

      *アルタヴァスデス(55‐33 ) 娘とパコールースが夫婦。アントニヌスにより廃位
 
 
ローマとパルティア による王位任命期
 

アリオバルザネ ス(2?‐4?)メディア王アルタバズ ス子 ローマのガイウスにより即位。
アルタヴァスデス3世(4?‐6?) アリオバルザネス子。暗殺。
ティグラネス4世(6年頃-14頃 )廃位。(ヘロデ王孫)ローマによる。
ヴォノネス(12‐16頃) 元パルティア王。退位しアンティオキアに隠棲。後ポンペイオポリスに移 送。19年暗 殺。
オロデス(15-18年頃) パルティア王アルタバヌス子。
ゼノ(アルタクシアス)(18‐34頃) ポントス王ポレモン子。ゲルマニクスにより王位に。アル シャック1世(34-35頃。

ミトラダテス (35-37、42-41頃) イベリア人。ローマ により任命される。ローマに更迭され幽閉され追放された。その後ローマ軍と兄のファラマネスの送った軍隊によりデモナクスのアルメニ ア軍を破り王座奪還。
ラダミストゥス(51‐54頃)ミトラダテス甥。イベリア王ファラマネスの息子。アルメニアを征服。 この為反乱勃発。 アルサケス朝が誕生。
 

アルサケス朝
 後52‐428年 

ティリダテス1世(53-60年) ヴォロガゼス1世弟。 イベリア勢力を駆逐。100年まで統治したとの情報もあり。
ティグラネス5世(60‐61/62) カッパドキア王アルケラウス子。

ティリダテス(62/66-75頃)(アルメニア語ではトルダト)
サナトゥルク(75-110年頃) パルティア王オスロエスの甥。 
アクシダレス(110-13年) パルティア王パコールース子。オスロエスにより即位し退位パルサマ シリス(113-115年頃)パルティア王パコールース子
パルサマスタテス(116-17年)
ヴァラシュ(117-38/40年) ヴァガルシャパト(現エチミアジン)建設
アウレリウス パコールース(161-3年頃) ローマ軍により罷免
ソハエムス(163‐185年)ローマにより即位。
ティリダテス( −168‐  )パルティア人総督。ローマ軍により任命。ブリタニアへ追放された。
ヴァラシュ2世(180-91年)
ホスロ−1世(191-217年) はクシャン王ヴァスデーヴァと連携を結んでアルダシールに対抗し た。殺された。
  |
ティリダテス2世(217-52年)ローマへ逃亡
ホスロー(‐238年?)暗殺?
アルタヴァズド(アルタバデス)(252‐262年) ササン朝知事 

ホルミズド・アルダシール(262-272年?) ササン朝王シャープール子。アルメニア大王と名 乗った。後のササン朝王
ナルセス(273or288-293年)ササン朝王シャープール子。後のササン朝王

ホスロー2世(279/280-293年頃)  ローマによる任命。 親ローマ派。弟により暗殺された。
ティリダテス3世(287/298?-330年) 最初のキリスト教王。ローマで教育を受けた。  ティリダ テス2世の子
ホスロー3世(330-8年) 別名コタック。 ドゥヴィン市建設
ティグラネス5世(338-51年) またはティラン
アルシャック(アルサケス)2世(351-67年)  ユリアヌスがシャープールに敗北したことでアルメニアはペルシャ圏に。妻パランゼム。
パップ(369-74年)
ヴァラズダット(374-78/80年)
アルシャック3世(378/380-9年) パップの息子。ローマ・アルメニア最後の王  387年ローマとペルシャでアルメニア分割協定。西部を継承。
ヴァラルシャック(380-6年) パップの息子(ペルサルメニア王)

ホスロー4世(386-92年 or 384-389年) ササン朝派。東部を継承。
ヴラムシャープール(389/392/401-414/417年) ホスロー4世の兄弟
シャープール(ヤズダギルド子)(414/418-420/422年)
アルタクシアス4世(422/424-8年) ヴラムシャープール子。
 
 
 
 ササン 朝知事(マルズバーン)
 428-630年

 

SIWINIKのVASAK(ヴァサク・スィウニ) 一世(442-451年)

SAHAK2世バグラトゥニ(482-483年)

ヴァハン・マミコニヤン(485-505/510年)

VARD・マミコミヤン(505/510-509/514)

MZUEZH(MEZEZIUS)1世 GNUNI(518-548年)

フィリップ・SIWNI(574-576年)

MUSHEGH2世・マミコニヤン(591年?)

バラチロック・バグラトゥニ(632-635年) ササン朝に任命されたがビザンツに寝返り、皇帝へ の陰謀容疑で 流刑。
 
 

人名表
 
 
テオドール・ルシュトニ 640年、643年アラブ軍を防ぐ。後ビザン ツからア ルメニア軍総司令官に任命される。 後ビザンツがアルメニアをイスラムに割譲すると知事に任命される。
ハマザスプ・マミコニヤン ルシュトニ後任知事。
グレゴリウス(‐325年)
パルティア貴族の末裔。アルメニアキリスト教の父。国王を改宗させ、301年にエチミアジンに教会設立。初代アルメニア総主 教
アリスタケス
グレゴリウス子。ニケーア宗教会議に出席。
ヴァルダン・マミコニヤン(-451年)
スパラペト(軍司令官職名)。451年の反乱指導者。6月2日アヴァライルの戦い司令官。
メスロプ・マシトツ(-440年)
404/6年、アルメニア文字発明
アナニア・シラカッツィ
数学者・天文学者 



参考資料

 Cambridge History of Iran Vol3-1

   Robert Bedrosian's Homepage  のアルメニア支配者表

 新アルメニア史 佐藤信夫(泰流社)