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300年代初頭からイエメンはアビシニア(エチオピア)の影響下にあった。525年アビシニアに侵攻され、アビシニアの総督の支 配下となった。イエメンは紀元前後はまだ強力な国家の影響下にはなく、ローマ勢力圏としてインド貿易の航路に位置して繁栄した。だいたいアラビア半島の南 岸イエメンあたりはローマ圏、その東はパルティア圏であったようである。しかし、その後ササン朝とビザンツ帝国との抗争が続くにしたがい、アビシニアがキ リスト教国となり、これらきりスト教圏のアラブ人への影響拡大をササン朝は深刻に受け止めるようになり、ついには575年直接軍を派遣しイエメンを征服す るに至った。
なお、財団法人中近東協力センターのSAUDI TRAVELLERの記事「その1 悠久な東西交易の中継港ジェッタ」に、サーサーン朝支配時代のイエメンに関する記載があります。こちらをご参照ください。
マルザッド・イーラーン ヤヌーフ(518-19年)
マディ・カリブ ヤフール(518-19年)
ユースフ アサル ヤサル(ドュ- ヌワース) 521/522-525年
アブラハム ( −525年)アビシニア王の宗主権下の王
スム・ヤファ アスワ(530/31年)アビシニア王の宗主権下の王
アブラハ(533-552/553年or 569/70)アビシニア王の治下
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ヤクスーム マスルーク マディカーリブ
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バードハーン( -630年)
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シャヒル(630-632年)
*現地叛乱でアル・アスワッドかヂューアル・キマールに殺された。
632年- ウマイヤ家の知事 アル・ムハージルの統治
* 575年、ペルシア軍と同盟したサイフという南アラビア人が王についている。
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