そしてバフラームグールの息子のヤズダギルドの息子であるぺーローズの子、カワードの子であるホスロー・アノーシールワーンが王権の責を負った。彼が王になった時、彼は4人のファドースバー ン(役職のひとつ)達に手紙を書いた。彼らはそれぞれペルシャの地と彼らに従う役人達の統治者だった。彼のファドーズバーンへの 手紙の文面は以下の如くである。《慈 悲深くある者、情愛深くある者である神の名において、カワードの子、王であ るホスローからナクヒールダーン*1の息子ワーリー、アゼルバイジャンとアルメニアとその領域、及びダンバーワンドとタバリ スターンとその近隣のファドースバーンであるワーリーと彼に従う役人達へ。
ごきげんよう!人々の心で最も恐れを与えるものは、人々によって感じられ る強奪の感覚である。 人々は気楽な生活の終焉を、内乱の噴出など個人にとってもっとも大事なことに対する喜ばしくない事の 勃発を恐れる。そして、その次ぎ、またその次ぎには、彼らにとって最も親し まれているものや、個人的な富、彼らの家来、彼らの所有している人々に関することについて喜ばしくない事の勃発を恐れるの だ。我々は大多数の人々にとって、王の正統性の不在以上に、宇宙的規模の災害をもたらすものは無 いこと、壊滅的な病んだ運命をもたらすことは無いこと、または恐れの原因に ならないこものはないことを知っているのである》
ホスローが権力を確固たるものとした時、ファサー*2 の人々から彼はクラカーンの息子、ザラードゥシュットと呼ばれる偽善者の宗教的信仰を取り除いた。彼はマズダ教の中の存在へ 新しい信仰をもたらしたのだった。その異教的革新と彼の運動において彼に従う考えられる限りの人々は 目立つ存在となってき ていた。大衆の間で彼の為の任務を負う人々の間には バンダードの息子のマ ズダックと呼ばれる 、マ/ド/リーヤ(?)から来ている男がいた。彼が人々に指示し、人々に対し魅力的なものとし、人々が 採用するよう仕向けたものは 共通に家族と所有物を所有する事だった。彼は この全ては神を喜ばす敬虔な行いの一部であり、 神は多大な悔い改めを与え、彼が人々に行うように指示し、採用するように強いた宗教的信念が無いようであるというのであれ ば、本当によい行いへの道とは−それは神が祝福するものだが−財産の共有に ある、と説いた。これらの綱領とともに、彼は高い階級の人々に対して、低い 階級の人々へ激しく説いた。彼を通じてあらゆる種類の人々が社会の最高階層と混じり合 わされ、彼らの財産を彼らから奪う機会を探している犯罪者達はこれをおこなう単純な方 法を見出し、暴虐な人々は暴虐さを容易に発揮する手だてを見出し、密通者達 は彼らの欲望を満たすことが出来、決して彼らが焦がれることさえ出来なかった高貴な生まれの女性を彼らの手中にすることが出 来た。宇宙的惨禍が彼らがかつて経験したことが無い地点へと人々を追いやった。
そこでホスローはバンダードの息子のマズダックと、カ ラカーンの息子ザラードシュトの異教的革新に従う行動を人々に禁じた。彼は全ての異教徒を放逐し、多くの熱烈な信奉者を殺し、彼が人々に禁じたことから逸脱することを許さなかった。 彼はマニ教徒の一団を殺し、マギ達の為に、彼らが従来持っていた宗教を固めたのだった。
ホスローは王になる前、スハーフパッド職である軍の最高司令官は一人によって占められていた。彼は全国土の最高指揮に責任が あった。ホスローはこの職と地位を4人のスハーフパッドに分けた。東のスハーフパッドはホ ラサーンとその近隣地域を含み、西のスハーフパッド、ニームルーズ−これはイエメンの地だが−のス ハーフパッド、そしてアゼルバイジャンとその近隣地帯−それはハザールの地−のスハーフパッドとに。彼はこの新しい調整作業 に彼の王国のよい秩序の改善を見た。彼は武器と馬とともに兵士の戦闘能力を強固にした。彼はペルシャ人の王国に属する地を回復した。それらの土地はカワード王の手から切り取られた(割譲された)土地であ り、多様な原因と理由によって他国の君主達への支配下にあった地であり、それらの土地はシンド、バスト、アル・ルカハイ、 ザーブリスターン、トハリスターン、ダラディスターンとカーブリスターンを含んでいた。彼はバーリズと呼ばれる人々の間に広 く虐殺を加え、彼らの土地から残った人々を移動させ、彼の王国のあちこちへと移住させた。彼らは召使であるかのように彼に従 い、彼は彼の軍事戦略に彼らを使った。彼は別の人々に捕虜になるように命じた。彼 らはスール*3といい、彼の前に連れてこられた。彼は80人の兵士以外は殺されるべきだと命じ、彼らを助け、シャフラーム・ぺーローズに移住させた。そこは彼の軍事戦略の為に彼らを召集することが出きる場 所だった。そこにはアブハズとよばれる人々*4、他にBNJR−バランジャールの人々、アル・ラーンと呼ばれる人々がいて、彼らはともに連合して彼の国を襲撃するためにやってきた。彼らは略奪と襲撃の為にアルメニ アに侵攻した。そのルートは一定せず、いきあたりばったりで、妨げられることが無かった。そしてホスローは彼らの行動に目を つむっていた。彼らが彼の領土に彼ら自身を定着させた時、ホスローは彼らと戦う為に分遣隊を派遣し、彼らが囚人とした1万人 以上を虐殺し、(残りは)アゼルバイジャンと近隣地域へと移住させた。
ぺーローズ王はスールの領域とアルラーンに石の建造物 を作った。これらの国々の侵入者に対して彼の国を強力にする意思をもって。更にぺーローズの子カワード王は彼の父の後、これ らの地域へ莫大な数の建設を行った。ホスローが王位についた時、彼はスールの地、ゴルガーンの近隣に切石を使った建築を命じ た。町と城と砦と多くの建物を(建設した)。これらはかの地の人々の防衛に 役立った。その地は突然の敵の攻撃に対して避難場所となった。
カーガーン*7シンジブーは非常に執念深く、また勇気 があり、力強く、多大な才能に満ち溢れ、全トルコ人の軍隊とともにあった。彼はエフタル王 W/R/Z(ワールーズ?)を攻 撃し、エフタルの戦闘能力と数にも恐れないことを示し、W/R/Z王とその軍隊を殆ど殺した。そうして彼らの所有物を略奪 し、ホスローが征服した土地以外の地を占領した。カーガーンはアブハジアとBNJRとバランジールにも打ち勝ち、彼らは彼に 彼らの服従を誓った。彼らはペルシャ王は常にペルシャ人の国への襲撃から安全に守る為に 貢納を払うことで彼らを保護しよう としているのだ、と伝えた。カーガーンは11万の戦士とともにスールの地の 辺境に達するまで進軍した。彼はホスローに脅しを言う為に、横柄な言葉を使った書簡を 送ってよこした。ホスローが王位に就く前ペルシャの王が BNJRとバランジャールとアブハズに支払ってきた貢納金とホス ローの財宝をホスローが彼に送らなくてはならないということを効果的にする(明確にホスローに伝える)為に。彼はもしホス ローがこの全てを手早く実行せねば、彼の国に入り、攻撃する、と脅してきた。ホスローは脅迫に注意を払わなかったし、彼が望 むものは何一つ供さなかった。彼はスールの門の地域を強く固めていたし、カーガーン・シ ンジブーがホスローのもとに達するには通過しなくてはならない隘路と道を(軍備で)固めていた。彼はアルメニアの辺境におけ る彼の防衛力の強さを知っていた。5千の戦士と騎兵、歩兵。 シンジブーはホスローのスールの辺境での防衛の言葉を得て、全 軍とともに彼の国へと欲求不満なままに引き上げた。ゴルガンに対して集められた敵達も同様だった。何故なら、ホスローが近隣 に建設した要塞群がいかなる襲撃も許さず、征服も許さなかったからである。
人々はホスローの最高の叡智と判断力と解決能力と知識 と勇気が彼の心のなかで組み合わされていること、および彼らへの寛大さを認識した。彼が王冠を戴いた時、国の有力者と貴族達 は彼の前にやってきて、彼らの全ての力と雄弁をもって彼の頭上に祝福を告げ た。彼らがその話を終えた時、ホスローは立ちあがって演説を行った。彼は、神が、人と彼らの為の生活の意味と食糧の供給と彼 らの諸事件に関係していることについて神と人との依存関係とを創造した時、人々の上における神の熱意について言及することに よって(演説を)始めた。彼は演説を終えるにあたり、彼が言おうとしたこと 以外に言うべきことは何も残さなかった。そして彼は、彼らがマズダックの教 えの広まりと所有物の損失、宗教の破壊と子供に対する彼らの地位の損害と生命の意味について、人々は悩んでいる、と言った。 彼は彼らに伝えて曰く、全てを正しく置き、再び諸事を強く戻す方法と手段を探しており、これについて彼を助ける様に人々に強 いた。
次に彼はマズダックの指 導者の長達に、彼らの所有物が困窮者達と貧乏人の間で共有され、分けられるように命じた。彼は 他人の所 有物を持った人々を殺して、元の所有者の元に戻した。彼は彼や彼女らの出自について彼の前で論 争があった全ての子供達を、子供達が所属していた家族に 属すべきだと指示し、実の父がわからないときは 子供が今属している男の財産が法 的に共有を与えられるように、後者が子供を教育するように命じた。意思に反して男の元に強制的に与えられた全ての女性につい ては 男は責任を持たされ、彼女の家族が満足するにたる彼女の婚資を支払うことを強いられた。そして女性は もし彼女が元の 夫を持っていたり、彼の元に戻されるという以外の場合は、彼の元に残るか他の者と結婚するかの選択を与えられた。彼は他の 人々の所有物に損害を与えた全ての男に、又は他の人々に対して圧迫する行動をした全ての人々に対し、完全に償う様に命じ、彼 の罪の極悪さに対し相応しい懲らしめを与 えた。彼は家族が死んでいる子供の養育の責任の所在について、彼自身が責任を持つと布告した。彼は社会的に地位の匹敵するもの達に対して少女達を結婚させ、婚姻の贈り物と国の財産から必 要なものを与え、彼は貴族の家族から結婚にあたり、妻達へと若者を与え、持参金の為に金を与え、十分彼らを祝福し、彼らが彼 の宮廷の一員であるべきだと布告した。すなわち、多様な国事を満たすために 彼らを召集するかも知れないからである。彼は彼の死んだ父の妻に、彼自身の妻として残り、彼自身の妻達とともに生活し、彼に 保護され養われることを共有し、同じ収入を享受するか、又は代替として同じ 社会的地位にある夫を彼らから探すか、の選択肢を与えた。彼は運河の穴と地下の秘密の暗渠の掘削と農業用地の所 有者のための貸付の共有と彼らの支援を命じた。彼は同様に全ての木の橋や壊れている船橋の、壊れているすべての石橋の改築を命じた。前よりもよりよい国 の繁栄へと廃墟となった村々が回復されるべきだと命じた。
彼は騎兵とその装備不 足について訪ねた。装備は彼が馬と装備を彼らに与えることにより それを標 準的装備へとした。そして十分な財政的許容を彼らに指定した。彼は火の寺院に監督者を派遣し、人々の為に道を整備させた。主要街道沿いに城と塔と建設した。良い行政官と税務官と知事を選び、これらの機会に 任じられた人々に厳格な指示を与えた。彼は自身に、軍事的指揮、筆記、アルダシールの法的決定とに 通じさせ、同様に人々にも手本として模倣させた。ひとたび彼が王権を握る と、全土は彼の統制下にあり、彼が統治した後の何年かしたところで、彼はア ンティオキアへと侵攻し、そこはカエサルの軍の司令官が率いるところであり、そこを征服し た。彼は以下のことを命じた。彼の為に1つの計画がなされるべきで、それはアンティオキア市と規模において等しく、(文字通りそ の範囲について)その家々、道、そこに含まれる全てのものの数においても等 しい市の計画が作成されるべきであり、(新しい市)は正確にアンティオキアのように作られるべきであり、それは都の傍らに位 置するべきであると。アル・ルーミーヤ(ルーマガーン)*6として知られる都市は正確にアンティオキアの設計計画に基づいて作られた。彼はアンティオキアの住民を移動させ新しい町に移住させた。彼らが市の門に入った時、家々の密度は正確にアンティオキ アの以前のそれを集めた新しい家のものであり、まるで町を何も残してこなかったかのようであった。ホスローはヘラクレア (Eragli)の町に攻撃をしかけ、それを征服し、アレクサンドリアまで従え、国土はそこまで拡大した。彼は カエサルが 彼に従い、彼に身代金を支払うようにした後、背後のローマ人の地に彼の軍隊の分遣隊を残してきた。彼はルムから帰還し、ハザールに活動場を移し、彼らが彼の臣下を悩ますことで彼に傷つけた損害の為に彼らに報いよう と機会を探していた。次に彼はアデン(現イエメン)へと注意を移した。彼は二つの山の間に横たわっている海の一部に防備を築 き、そこは二つの山の間に横たわり、アビシニア(現エチオピア、ソマリア一帯)の地に直に接していた。彼はその国の有力者を殺した。彼は都に戻り、ルームと アルメニアの地の全ての支配者達を彼の統制下に置いた。そこはアデンの領域にある海と彼の都の間にある全ての領域に加えて、 ヘラクレアの側に位置している地域だった。彼はヌーマーンの息子ア ル・ムンディールをアラブの王として任じ、彼を名誉とともに飾った。彼は都に住居を移し、今一度彼の注意を個人の配慮を必要 としている事柄に移した。この後彼はエフタルに対する遠征を率いた。彼の祖父ぺーローズの復讐の為に。以前アノーシールワー ンはカーガーンの娘と結婚していた。そこで彼は今遠征を実施する前に、彼の 意思と、エフタルに対して進軍することを命じることをカーガーンに書き送った*8。 アノーシールワーンは彼らのもとに来て王を殺し、家族全部を根絶した。彼はバルフに達し、そこを越えて横たわるものに達し、 彼の軍をフェルガナで宿営させた。彼はホラーサンから戻った。彼が都に戻っ たとき、一人の代理人が彼の元へと、アビシニア人に対する助けを求めてやってきた。彼は彼らとともに彼のダイラムとその近郊 の男達の軍を指揮する司令官の一人を送り返した。彼らはイエメンでアビシニア人マスルークを殺し、そのままそこに残った。
このようにホスローは勝利と征服にとどまるところを知 らず、謳歌し、全ての国が彼を畏怖し、トルコ、中国、ハザールなど同じくらい離れた国々からの多くの使者が彼の宮廷に殺到した。彼は学者の上に気前良さを浪費した。彼は48年間王位にあった。預言者*9の誕生はアノーシールワーン統治の後半に起こった。ヒシャーム (イブン・アル・カルビー)はアノーシールワーンの統治は47年だと言って いる。彼はアブダラー・アブドゥ・アル・ムタリブ、神の預言者の父は彼の統治の間に生まれた(24年目に生 まれ)そうして彼の支配の42年目に(死んだ)、と話している。
ヒシャームはまた伝えて、アノーシールワーンの地位が 安泰となった時、彼は大(アル・アクバール)アルムンディール・ブン・ア ル・ヌーマーンに伝言を送った。彼の母はマー・アル・サマーといいアルミナ ル族の女性だった。彼をアル・ヒーラとその土地の王として任命した。そこはアル・ハーリス・アムル・アーキル・アルムラール 家が支配していたところであり、アル・ムンディールは彼の死までこの役にとどまった。彼は伝えて アノーシールワーンはブル ジャーンへの遠征を率いて帰還し、アルバーブの町とカスピの門(アル・アブワーブ)を建てた。
*1ナクヒールダーンは姓でも称号でもありうる。恐らく先祖の名 前から派生したものらしい。アルサキッドという称号やカエサルという称号が個人名から出た如く。
*2ファサー パールス南東部の町
*3スール 現ロシア タゲスタン共和国ダルベンドのこと
*4アブハズ 現アブハジア人 ユスティニアヌス時代に侵略さ れ、キリスト教に改宗した。グルジアとアランのキリスト教徒の歴史と密接に関連している。
*5 コーカサスに置けるもっとも早いトルコ人の言及とされてい る。
*6 ひょっとしてローマ人の町、という意味だろうか。
*7 カーガーン=河汗。トル
コやモンゴル系の君主の称号。ここでは突厥の君主を示す。
*8 突厥とササン朝が同盟し、エフタルを挟撃し征
服したという一件。
*9 イスラームの開祖ムハンマドのこと
*アラン人 現オセット人。 フン人に押されて中央コーカサスへ
進出し、10世紀頃までキリスト教に改宗しなかった。
*アノーシールワーン治下のキリスト教徒は迫害されたが、サーサー
ン朝の司令官にキリスト教徒がいたりもした。
569年の平和条約ではキリスト教徒の自由が約された。
- 「アルタバリーの歴史」第5巻 「パーパクの子アルダ シール後の王権の所有者達」の章p146からp162(通番892頁から900頁「ホスロー1世アヌーシャールワーン」の節)より -