カワード1世



 
  そしてバフラームグールの子、ヤズダギルドの子であるぺーローズの子カワードが王位についた。 カワードが 王座につく前、彼はカーガーン*3の元に逃れていた。彼の兄ワラーシュに対抗す る為の援助を求めるためである。この途上、彼はナヤサーブール近郊を変装して彼とともに逃れる少数の従者を従えて通過した。これ らの中にザルミフルスーフラーの息子−がいた。カワードは性的な欲求の願望を 持ち、ザルミフルにこれについて訴えた、の為にどこかよい家族の婦人を探す様 に後者に言った。ザルミフルはそを行い、の 騎士の一人である家宰(サーヒブ・マンジリヒ*1)の婦人のもとへ行った。彼女は処女の娘を持っいて驚くほど美しい娘だった。彼 は彼女に、誠実な友として、彼女の娘の為に、彼がカワードの元に彼女を送ることを彼女に指示した。その婦人はそれについて夫と話 をし、一方ザルミフルはそれがどんなに魅力的な提案であるのかを二人に提案しつづけ、それがどんなにうっとりさせるような見とお しであるのかを描いてみせた。最終的に彼らが同意するまで。 その少女ニーワーンドゥクトと呼ばれるはカ ワードのもとに来て、その夜彼女とともに床に臥し、彼女はアノーシールワーーン(次王ホスロー一世)を身ごもった。彼は彼女にすばらしい贈り物を与え、彼女に 貴族の報酬を送った。彼女の母はカワードの容貌と体型について尋ね、少女は彼のズボンが金で刺繍されていたことに気づいた以外に は何もわからない、と母親に答えた。母親は彼が王家の王子であり、これが彼女に幸せを与えるということを理解した、といわれている。

 カワードはカーガーンのもとに旅し、彼がカーガーンの もとに到着した時、彼は彼がペルシャの王の息子であるということと、彼の兄が彼と王座を競っていること、彼が高地を支配して いることを告げた。彼は今、カーガーンの元に援助を見出すために来ているのだった。後者(カーガーン)は彼によい約束を与え たものの、カワードはカーガーンの宮廷にカワードとした約束をカーガーンが据え置き続けている間4年に渡って居残ることとなった。カワードは待つことに疲れ、カーガーンの妻に彼 女の子として彼を養子とし、彼の約束を満たす様に彼に言うよう依頼する伝言を彼女に送った。 彼女はこれを行い、カーガーンがカワードに軍隊を授けるまでカーガーンに圧力をかけ 続けた。

 カワードが軍隊とともに出発した時、ナヤサーブール近 郊を通りがかり、彼は少女を連れてきた男に彼女に何が起こったかについて尋 ねた。その男は少女の母親に尋ね、彼女は少年を産んだと言った。カワードは彼とともに少年を連れて行くように命じ、彼女は彼 のもとに彼女のでアノーシールワーンを連れてきた。彼女がの前に来た時、彼は少年の来歴について尋ね、彼女は彼は彼自身の息子であり、少年 の外観とハンサムな容貌は彼に似ていると言った。ワラーシュが死んだという知らせが彼のもとに到着した。彼は子供の誕生をよ き前兆として尊重し、彼と彼の母親に王家の女性にとって慣習的な輿で運ばれ るように指示した。

 カワードが都に到着し、王権の全てを手中に集めたと き、彼は特別な名誉のためにスーフラーを探しして、彼の全ての権限を彼に 委ね、彼に彼の息子(ザルミフルのこと)による彼への貢献について礼をした。彼は辺境へ軍隊を派遣した。その軍隊は敵を傷つ け、多数の女子供を捕虜として連れ戻った。アフワズとパールスの間に彼はアラジャーンの町を作り、同様にフルワーンの町も 作った、その町はカーラジーン近郊のアルダシール・クラーフという行政区にあり、その町はカワード・クラフと呼ばれた。この 全ては彼が作った他の町や村、彼が掘った運河、彼が建設した橋についても同様だった。

 さて、諸事の運用と王国の統治責任者であるスーフラー とともにあったカワードの偉大な日々が過ぎ、人々はスーフラーのもとに来て全てが彼ともに扱われ、カワードを重要でない人物 のように扱い、彼の指揮を尊重した。に、カワードは抑制されている王権に ついての願望をもつようになり、もはやそのような状況に耐えられなくなり、満足できなくなった。彼はレイのサーブール彼はミフラーンと呼ばれる家の出身であった−に手紙を書いた。彼は国の最高軍司令 官であり、彼の指揮下の軍団とともに彼の元に来た。サーブールは彼らとともに彼のもとに来て、カワードはスーフラーに対する 彼の地位(がないがしろにされている状況)について語り、この最後(の問題)について必要な指示を彼 に与えた。翌朝サーブールはカワードの前に行き、王とともにそこに座すスーフラーを見出した。彼はスーフラーの前を通過して カワードの前へ行き、スーフラーにはまったく注意を払わなかった。スーフラーはサーブールの巧妙な計画に注意を払わなかっ た。サーブールが彼についてかけた罠に彼の首を投げ、括られてしまうまで。彼は連れてゆかれ、足をはめられ、お終いへと送られ た。人々はその時の事をスークラーの 風は死んだ。そうしてミフラーンに属する風が今吹き始めている*4」と評し、これはことわざになった。その後、カワードは スーフラーを処刑するように命じ、それは実行された。

 カワードの統治の10年 間が過ぎ、モーバッドの長(宗教長官)と国の有力者達は王座からカワードを降ろすことに同意した。彼らはその通りに行い、彼 を虜にした。これは彼がマズダックと呼ばれる男の支持者となり、彼の党派にわっ たからだった。マズダックは宣言していた  「神は大地に日々の糧を 彼の僕たちに与え、彼らの間で平等に共有して分けるようにした、しかし人々はそれについてお互い に圧迫しあっている」 彼らは貧乏人の為に富者から取り上るつもりであり、多く所 有しているものの共有とし、少なく所有してい るもののへ与えるようにと宣言し、富と女性とものを沢山持っているもの達はもはや他の誰に対 してよりも権利は無い。と宣言した。社会の下層の人々はこれを利用し、 機会を奪った。彼らはマズダックと彼の党派のもとに集まり、彼らとともに団結した。(社会上層部の人々 はマズダック教徒の行動に悩み、そうしてそれは ついに彼らを静止することもできずに所有物、女性と住居、家の中の個人に災 厄が及ぶまでに強まってきた。彼らはカワードにこれら全ての政策をどうにうかするように、 と要求(もし彼が彼らと協力しないのであれば)彼を廃位すると脅しもした。直ぐに以下のことが知れ渡ってきたもはやマズダック教徒のある男は彼 自身の息子を知らず、子供は彼の父を知らず、人は人生の豊かさを味わう何も所有してはいない、ということが。

 彼らはカワードを、彼らだけが訪れることが出きる場所 に連れて行き、彼の地位にザマースプと呼ばれる彼の兄弟をつけた。彼らはカワードに言った「あなたはあなたが過去 なしたことで罪を犯した。あなたを贖罪することができる唯一のものあなたの家族の女性と子供たちに残っている(王家の別の者を王位に就けるという意味だと思われる)」彼らは生 贄として彼自身を捧げる様に彼に求めた。それはつまり彼らが彼を殺し、火に 捧げるということである。スーフラーの息子ザルミフルがこれを察知し、貴族の一団を伴っ行 き、彼自身の運命を広げる準備を行い、 そうして多くのマズダック教徒を殺害し、カワードを王位に復位させ、王の兄 弟のザーマースブを放逐した。この後もしかしマズダック教徒はカワードがザルミフルを殺す までワードに圧力を かけ続けた*2。カワードは常にペルシャ王の最高の一人だった - マズダックが彼を非 難されるべき道へと誘惑するまでは。

 ペルシャの歴史に詳しいある人物は一方ではこう語って いる。
カワードを虜にしたペルシャ人の国の有力者達はカワードが マズダックの党派となり、彼らの政策の支持者の一人となり、ぺーローズの息子である彼 の兄弟のザーバースブを彼に変えて王位につけた。今カワードの姉妹が彼が監禁されている監獄へと赴き、そこに入ろうとした。 しかし監獄の警護に責任を持っている役人が彼女が入るのを妨げた。この男は男はこの機会に彼女を犯したい願望に襲われ、彼女 にどう望んでいるかを言った。彼女は彼に伝えて曰く、彼が彼女の望んでいるどんなことについても抵抗はしない、だから入れさ せて欲しい、と。彼女は監獄に入り、カワードと1日過ごした。そうして彼女の賭けで、カワードは牢獄にある絨毯の一つにくる まれ、これは彼の強く、粗暴な若者の男 性の従者の一人によって運ばれ、監獄から持ち出された。男が監獄の司令官のもとに来た時、司令官は彼に彼が 抱えているものが何かと尋ねた。彼は答えられなかったが、カワードの姉妹が後ろにやってきて監獄の司令官に、これは彼女の生理期間中に彼女が寝ていた寝具、彼女自身を清浄にする運び 出し、その後で戻って来ます、と言った。彼は彼女を信 じ、絨毯に触りも、近づきもせず、彼がそれで穢れることを恐れ、そして彼はカワードを運ぶ男が自由に通過するのを許可した。はカワードをとともにでてゆき、姉妹は付き添った

 カワードはエフタルの国に着くまですっ飛んで行った。 彼らの王に助力を得るために、そして軍隊の供給を受けるために。つまり彼は亡命し、 彼に対して叛乱を起こした者達と戦争を行うつもりだった。エフタルへの途上で アバルシャフルに滞在した。その町の指導的市民の一人の家に泊まり、その家の娘 は結婚適齢期にあり、これがホスローアノーシールワーンの母と性的な関係を持った、この旅での機会となった。カワードは彼の息子アノーシールワーンと彼の 母を連れて亡命から戻った、 といわれている。彼はザマースブが6年の統治の後、王座を巡る争いにおいて彼の兄弟のザマースブを破った。その後、カワード はローマ人の国に遠征隊を率い、アミダと呼ばれるアル・ ザジーラフにある彼らの町の一つを征服し、女性と子供を捕虜として連れかえった。彼はアフワズの国とパールス間の境界に一つ の町を建設するよう命じた。その町はワームカワード、と名づけた。これは ブークバードともアラジャーンとも呼ばれた。彼 は行政官庁(クラー)を置 き、ラーム・ホルミズドのクラーとスラクのクラーの一部の 地方を割譲し(ワーム・カワード)地 区にそれを追加した。彼は彼の 息子ホスローを王権の後継者の候補とし、こ の旨文書をしたため、彼の印章を捺印した。カワードはザーマースブの(統治の)年を含めて43年 の統治の後死去し、ホスローはカワードが彼にめていた法案を実行した。


*1 役職名
*2 ザルミフルはカワードの復位後もマズダック教徒の圧力を受け続け最終的にザルミフルを処刑したということになる
*3 カーガーンは河汗のこ と。テュルクやモンゴル族などの君主 の称号。本章ではエフタルの君主を示す。
*4 スークラーはカーレーン家と思われ、カーレーン家もミフラーン家も七大貴族のひとつ。

  - 「アルタバリーの歴史」第5巻 「パーパクの子アルダ シール後の王権の所有者達」の章p128からp139(通番884頁から888頁「カワード1世」の節)より -
 

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