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2020/Sep/17 updated
 

ペーローズ1世



 
  そして王権をついだのはペーローズだった。彼はバフラームグー ルの息子であるヤズダギルドの息子であった。彼の兄3人 の家族を殺し、王位についた。ヒシャームのムハンマドに遡る、私に伝えられた話では、ペーローズはホラサーンの軍隊とともに戦争 の準備をし、支援の為に近隣の地域とトハリスタンの男達を召集し、彼の兄、レイにいたホルズミドへと進軍した。ペーローズとホル ズミドの両者は共通の母親-ティナクという-をもっており、彼女は首都において、王国の一部とその近隣を統治していた。ペーロー ズは彼の兄を捕虜とし、囚人とした。彼は支配を誇示し、称賛すべき指揮をとり、慈悲を示した。彼の時代、7年間の飢饉があった が、彼は十分なことをした。公共の財産に金子をわけあたえ、税の徴収を止め、これらの年月をとおして死んだのはただ一人である、 という程のよき効果をもって人々を統治した。

 彼はエフタルと呼ばれる、トハリスタンを継承していた 人々へと進軍した。彼の支配のはじめにあたって、彼は権力を強化した。何故なら、人々は彼の兄に対してペーローズを支持して いたからだった。彼らは*1男色にふけっており、ペーローズにとって 彼らの手中に国を残すことは、許しがたいことだった (または、許されがたいこととされていた)。彼はエフタルを攻撃したが、戦闘でホルミズドを彼の4人の兄と彼の4人の子供、 そして王の称号を有しているもの全てを一緒に殺した。エフタルはホラサーン全土を占領し、ファールスのある人物が彼らに反旗 を翻すまで続いた。その人物はシーラーズの人であり、彼はその指導者だっ た。彼の名はスークラと言った。スークラは支持者−志願兵士や莫大な報酬を 求める戦士など−の一群とともにエフタルの支配者に遭遇するまで前進し、ホラサーンの地からエ フタルの支配者を追放した。両者(ペルシアとエフタル)は離れで平和をもたらした。ペーローズの軍隊の参 加者の中で死ななかった者全ては男女子供を捕虜とし、本国へ送還された。ペーローズは7年間統治した。

 ヒシャーム以外の歴史伝統の別の伝達者はペーローズは 限定された能力を持った人物であり、一般的に彼のなそうとしたことをやり遂げられずに、彼の臣下に不運と悪いことをもたらし たと言っている。更に彼の発言の大きな部分と彼が行った行動は 彼自身と彼の国の人々に大きな苦しみと惨禍を与えた。彼の統 治下において、酷い飢饉が7年連続で国じゅうを襲った。小川やカナート(地下水路)、泉は枯れ果て、木々と椰子の原は枯れあ がった。全ての耕作地と植物の茂みの主要な部分は山や平原にあるゴミへとまで後退した。鳥と野獣に死をもたらし、家畜と馬は 荷物をひくには飢えきっていた。ティグリスの水も非常に少なくなった。死と飢えと苦しみと多様な惨禍が彼の国の人々にとって 普通のこととなった。彼は全臣下へと書き渡し、彼らに土地と人頭税を一時停止し、特別な徴税と強制労働は廃止するようにと伝 えた。彼は彼ら自身の職務を越えた完全な権限を彼らに与え、食糧と人々を維持させるための栄養を見つけるための可能な限りの 方法を用いる様に彼らに権限を委託した。彼は書き送って曰く、地下に食糧庫、穀物倉、食糧 または人々に栄養を提供できるも のは何で有れ、それらを隠してある者は誰でも、それらをお互いに支援し合うことを可能となるようにし、これらの供給物を解放 し誰であれこれらを彼ら自身の為に独占すべきではないと命じた。それに加えて、富者と貧乏人、貴族とみすぼらしい人は、お互 いに助け合い、平等に共有すべきであると。彼は臣下に伝えて曰く、もし彼が一人の人が飢えで死んだという知らせを受け取ったら、町の、村の餓死による死 が発生した場所の人々に報復し、彼らの上に苦痛を及ぼすだろう、と伝えた。

 この方法で、ペーローズはその死と飢えの期間、彼の大 臣にアルダシール・クラー(ディーと呼ばれる)の田舎地方以外誰も餓死しないようにせよと命じた。ペルシャの有力者達とアルダシールクラーの全ての住民とペーローズ自身はそれを恐ろしいなにかのように考えていた。 ペーローズは彼の主に、彼と彼の臣下に主の慈悲を示す様に、主の雨を彼らの上に送るようにと懇願した。神はこれによって彼を 助けた。彼の国は再度豊かな水を、以前そうだったように持ち、木々は繁茂へと回復した。ペーローズは今やレイ近郊につくられ た町へと指示を出し、そこをラーム・ペーローズと呼ぶようにと命じ、ジュルジャンとスールの門*2の間のもう一つの町には、 ルーシャムペーローズと呼ぶように命じ、3番 目のアゼルバイジャンの町にはシャフラームペーローズとずけた。

 ペーローズの土地が再生し、彼の支配が打建てられたと き、そして、彼が彼の敵に処罰の暴力を振るい、彼らを征服した時、また、彼が3つ の町を建設したとき、彼は彼の軍隊とともにホラサーンへと赴いた。エフタルのアクシュンワル王との戦闘を開くことを目的とし て。この知らせがアクシュンワル王に達したとき、彼は恐怖に打たれた。アクシュンワルの家来の一人は彼の為に彼の人生を捧げ て彼に言った、 「私の両手と足を切って、私をペーローズのもとに送りなさい。しかし、私の子供と家族の面倒はみてくださ い」 彼はこれによってペーローズを罠にはめるつもりだった、といわれている。アクシュンワールはこれを行い、彼をペーロー ズのもとに送り届けた。ペーローズが彼のもとに現れたとき、ペーローズは男の言うことに緊張を解いて、何が起こったのだと尋ねた。その男は これはアクシュンワールにされたの だ、何故なら 彼はアクシュンワールにペルシャ軍にはかなわないだろうと言った為だ、と答えた。ペーローズは慈悲と共感を覚 え、彼ついてくるように命じた。 男はペーローズに言った、これは助言なのだが、彼は彼と彼の従者に近道を示すことが出きる、それはまだ誰も使ったこ となく、エフタルの王のもとへと至る道である、と。ペーローズはこの罠にはまり、彼と彼の軍隊は不具者のいう道筋沿って進軍した。彼らは一つの砂漠から次の砂漠へともがきつつ進み続け、彼らが渇きを訴え ると必ずその男は彼らは水の近くにいる、殆ど砂漠を横切っている、と言うのだった。最終的に男が彼らをある場所に連れて行っ たのだが、その場所は彼らが知っている場所であり(元の場所に戻ってきたという意味)、彼らは前進も後退も出来なかった。 ペーローズの家来は言った、「我々はこの男に関してあなたに警告しました。恐れながら陛下、しかしあなたは警告をとらなかっ た。今我々は敵に遭遇するまで進軍するしかありません。例え環境がどうあれ」

 こうして彼らは前進を続け、渇きが彼らの大半を殺し、 ペーローズは生き残ったものとともに敵に向かった。彼らが彼らの人数が減少し ていると考えた時、彼らは平和の為の同意をアクシュンワルに提案した。彼らが自由に国に戻れることを条件として。ペーローズがアクシュンワール に対し、神の前で誓われた合意と誓いをもって約束した。今後 彼に対して略 奪を行わず、彼の領域を欲せず、彼らに戦争をしかける軍隊を送らないことを。ペーローズは2つ の王国の国境が交わらないよう国 境を定めることをはじめた。アクシュンワールはこれらの約束に満足した。ペーローズは文書をしたため、それは公証人によって 彼の義務とともに保証され、印璽された。アクシュンワールは彼に出発の許可を与え、彼は国に戻った。

 しかしながら、ペーローズは一度彼の王国に達すると、 傲慢な自尊心と制御不能な激情が彼をアクシュンワールとの戦争に駆り立て た。彼はアクシュンワールに攻撃をしかけ、彼の大臣と彼の身近な助言者の忠 告にも関わらず、(平和の)合意を破ることになり、彼はそんな言葉には耳を 貸さず、彼自身の判断に従うことに固執した。この一連の行動に対して相談された人物の うちに、一人の人物がいた。彼の名はムズドゥワッドといい、彼はにペー ローズに近く、彼の意見はペーローズの求めているものだった。ムズドゥワッドがペーローズの堅固な決定に気づいたとき、彼は 文書にて彼と王の間で通過した事を実行した。その文書は彼がペーローズに封 印するように願ったものだった。

 ペーローズはアクシュンワールの領土への遠征を実行し た。アクシュンワールは彼とペーローズの領土の間に巨大な穴を掘った。ペーローズがここに着たとき彼はそこを横切るをかけ、旗を立てた。その旗は、彼と彼の軍隊が家に戻るための道しるべであり、そ うしてから彼らは彼の敵の面前へと横切っていった。アクシュンワールが彼の兵営にきた時、彼は以前ペーローズがアクシュン ワールの為に書いた合意文書を引用し、彼に彼の誓いと行動について警告した。しかしペーローズはこれを拒絶し、彼の主張に固 執し、反対するものに立ち向かった。お互いに反対の演説をし、遂には彼らは 戦争の網に絡めとられていった。ペーローズの従者は、しかしながら弱腰で敗北主義にあった。何故なら彼らとアクシュンワール の間で交わされた合意があったから。アクシュンワールはペーローズが書いた文書を持ってきた。槍の先にそれを掲げて 読んだ「おお、神よ。この文書に 書かれていることにしたがって行動せよ!」 ペーローズは敗走させられ、目印を書いた場所を見誤って穴へ転落し、消え去っ た。アクシュンワールはペーローズの荷物と女性達、彼の富と彼の役人達を 奪った。ペルシャ軍は彼らが以前経験したことが無い様な敗北に悩まされた。

 シージスタン*4に ペルシャ人の男がいた。彼はアルダシールクラーの出身だった。彼は戦闘に 置ける洞察力と力と勇気を持ち、スーフラーと呼ばれていた。彼は騎兵の分隊を持っていた。彼がペーローズの(敗戦の)知らせ を聞いたとき、彼はその夜に出発し、出きるだけ早く旅してアクシュンワールの軍営ま できた。彼は使者を送って戦争を開始する意思があることを表明し、破壊と廃墟で彼を脅した。アクシュンワールはスーフラーに 精鋭部隊を差し向けた。両者が邂逅した時、スーフラーは彼らに向かってゆき、戦闘での熱意を彼らに示した。彼が放った矢は彼 に攻撃してきた男に向けて矢を放った、と言われている。その矢は目の間の後ろの馬を打ちぬき、殆どその頭に沈み込んだ。 そ の馬は死に、スーフラーはその騎手を捕縛した。彼は彼の命を容赦してやり、彼を使って彼の主人のもとへと戻らせ、彼が何を見 たかを伝えさせた。エフタルの軍隊は馬の死骸をもってアクシュンワールのも とに戻っていった。アクシュンワールがその(弓に)一 撃の効果を見た時、彼は驚き、スーフラーへ伝言して言った、「求めているものを何でも尋ねよ!」 スーフ ラーは答えて、「政府の国庫を私に戻すことを望む。そして捕虜を解放することである」 王はそうした。スーフラーが国庫の所 有を取り戻して 捕虜の解放を受けたとき、彼は国庫からペーローズが彼(アクシュンワール)と約束した、金子の声明を記録し た文書を国庫から取り出し、この金を除いて残さないつもりだと、アクシュンワールへ書き送った。スーフラーの決定はアクシュ ンワールに露わとなり、彼は彼の自由を買った(スーフラーの脅しから、失った金を手にすることによって)。

 スーフラーはこのように捕虜を救い出し 、金とペー ローズが持っていた財宝の全ての内容を持つ国庫を確保した後で、ペルシャの国に戻ることができた。彼がペルシャ人のもとへ 戻ってみると、彼らは彼に偉大な名誉を与え、彼の功績を称え、彼の後に続くことが出きるのは国王以外には誰もいないような名 誉で彼を称賛した。彼はスーフラー、ヴィーサーブールの子であり、彼はまたZ.ハーンの子であり、そしてナルセーの子であ り、ナルセーはヴィーサーブールの子、そしてヴィーサーブールはクー リンの子、クーリンはK.ワーンの子、K.ワーンはB.Y.Dの子、B.Y.DはW.B.Y.Dの子、W.B.Y.Dはティルーヤーの子、ティルーヤはK.R.D.N.Kの子、K.R.D.N.KはナーW.Rの子、ナーW.Rはトゥースの子、トゥースはナウダールの子、ナウダールはM.N.シューの子、M.N.シューはナウダールの子、ナウダールはマヌーシールの子である。

 ペルシャ人の伝統的な物語についての他の知識ある著作 者は ペーローズとアクシュンワールの話を私が採録するのと同じ言葉で語っているが、一点異なっている。それは、ペーローズ がアクシュンワールへの戦闘に赴くとき彼はクテシフォンとバフラスール−二つの王宮がある−に彼の代理を任命したというので ある。その人物はスーフラーだった。彼はこうも伝えている。後者が呼ばれて、彼の地位はカーリン*3であり、二つの町に加え てシージスタンの知事だった。ペーローズはトルコとホラサーンの間の地の境界に間の地区のバ フラーム・グールが作った搭へとやってきた。この搭は後者のトルコ人がホラサーンへと辺境を横切らないようにする為に作られ た。両者がお互いの前線を侵さないように再度宣言する為にペルシャ人とトルコ人の間で誓約に従って(塔は作られた)。ペーローズは同様にアクシュンワルとの間に 搭を越えてエフタルの 地に侵入しないという合意をした

 搭に到達した後、ペーローズは指示を出し、50の象と、それぞれの象に結びつけられた300人 の男に搭(の位置を)ずらさせた。彼はその背後から一緒についてきた。彼は (国境を越えないという)合意に関し てアクシュンワールへの信頼を保持するということを(塔をずらして国境自体の位置を変えることで)主張するつもりだった。アクシュンワールはペーローズが 搭に接しようとし ていると言う知らせを聞くと、使者を派遣して「諦めろ、 ペーローズ殿、あな たの先祖が諦めたことから。彼らがしようと欲しなかったことをやろうとするな」 ペーローズはアクシュンワルの使者が残した 言葉に注意を払わなかった。彼は直属軍を集め、アクシュンワールに差し向け始めた。しかしアクシュンワールはこれに嫌悪を保 持し続けた。何故ならトルコ人の戦争は罠や偽り、戦略を集めたものだったから。そうこうしているとアクシュンワールはの軍隊の背後に穴を掘るように命じた。10キュー ビットの幅と20キュービットの深さを持つ穴を。彼は木のたいまつを投げ入 れ、大地を覆った。そして彼はあまり遠くなり過ぎない地点に彼の軍隊を退けた。ペーローズはアクシュンワールが彼の軍隊と兵 営から出発したとの報を聞くと、アクシュンワールとの戦闘と追放を意味していることを疑わなかった。彼は太鼓を打つように命じ、アクシュンワールと彼の従者の追跡に彼の軍の先頭に立った。 彼らは穴のほうに向かって進撃した。しかし彼らがそこに到達したとき、穴の覆い上にめくら滅法に進撃した。ペーローズと彼の 全軍隊は穴に落ち、最後の一人まで消えうせた。アクシュンワールはペーローズの野営地へぐるりとまわって、そこで全ての所有 物を略奪した。彼はモーバッドの長(宗教長官)を虜とし、ペーローズの女性達の中でペーローズの娘であるペーローズドゥクト を手中にした。アクシュンワールはペーローズと、彼とともに穴に落ちた全ての者の死体を引き上げて葬祭場に横たえる様に命じ た。アクシュンワールはペーローズドゥクト交わろうとしたが、彼女はそれ を拒絶した。

 ペーローズの死がペルシャ人の国に達したとき、人々は 恐怖と動揺に陥った。しかし、スーフラーがペーローズの運命の正確な真相を証し、エフタルの地にむけて、彼が配置した軍隊を 準備し、進撃させた。スーフラーがジュルジャン*5に達したとき、アクシュンワールは彼の遠征の報を聞き、戦争の準備をはじ め、先頭でスーフラーと遭遇すべく移動した。彼がスーフラーに、彼の意図を問いただすため、及び彼の名前と地位を知るための 使者を送ったのと同じ時に。スーフラーは、個人名はスーフラーであり、カーリンの地位にいること、アクシュンワールのもとに 進撃しているのは ペーローズの死に対する復讐であると 使者に伝えさせた。アクシュンワールは使者を送り返し、「あなたが やろうとしていることを進める方法は ペーローズがやろうとしていたことと同じだ。軍隊の大小に関わらず 私に対する攻撃の 唯一の帰結が彼の破滅と滅亡だった」 しかしアクシュンワールの言葉にスーフラーは思いとどまらず、それらに注意を払わな かった。彼は軍に指示を与え、戦闘の準備をさせ、兵器を身につけさせた。彼はアクシュンワールへ向けて固い意思と鋭い心がま えで進撃した。 アクシュンワールは和約と平和条約をスーフラーに打診したが、アクシュンワールがペーローズの兵営から手に入れたすべてのものをもとに戻さない限りいかなる平和協定も結ばない、 と拒絶された。そこでアクシュンワールはペーローズの兵営から奪った全てを彼に返した。彼の財宝、彼の女性達、彼の騎手た ち、ペーローズドゥクト、モーバッドの長、彼の所有物の中で全てのペルシャ人の有力者の中の全ての最高位者などを含めて。 スーフラーはそれら全てをもってペルシャ人の地に戻った。著作者達はペーローズの統治について違っている。それを言う何人か は26年といい、別の者は21年 だと言う。 
 


*1 「彼ら」は エフタルのこと。
*2 ダルベント のこと 。現ロシアのタゲスタン共和国(カスピ海西岸)
*3 このカーリ ンは「カーレーン」の可能性が高い。カーレーン、スーレーンは家名でありながら、役職名でもあったようである(或いはタバリーが役職名だと勘違いしていた可能性もある)
*4 現アフガニスタン南部ヘルマンド川流域地方
*5 現イランのカスピ海南岸ゴルガン

  - 「アルタバリーの歴史」第5巻 「パーパクの子アルダ シール後の王権の所有者達」の章p109からp121(通番872頁から880頁「ペーローズ1世」の節)より -

※2020/Sep/17 象が国境の塔の位置をずらした、との 部分、誤訳を修正
 

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