ボーラーン



 
   王権を継いだのはボーラーンである。アノーシールワーンの息子、ホルズミド(4世)の息子、ホスローパル ヴィーズの娘である。彼女は女王として挨拶した日に宣言して言った、「私は正しきことをなし、裁くつもりである」 彼女はフス ファールークにシャフラバラ−スの官庁を託し、彼女の宰相の官庁に彼を任命した。彼女は臣下に親しく振るまい、彼らの間に正義を広めた。彼女は銀貨 を鋳造するように命じ、橋と船橋を修理した。彼女は土地税の払い金を免除し、 彼女が従っている彼らへの慈悲の政策に関して書簡を公開し彼らに書き送り、消え うせた王家の一員話題に言及 し彼らの福祉への心配と、彼女が挙 げられた地位からもたらされた確固たる政策を通して同時に神が彼らに示す希望を表明した。 彼らに、男のエネルギーと力を通じて国が安定されていないということを理解させ ること、その軍隊の兵営は軍の勇猛さを通じて襲撃へ開かれていないこと、勝利は男たちの戦略を通して得られなかったこと、憎悪が 打建てられていること、しかし全ては神から発しており、神は高貴であり称賛されている(と表明した)。彼女は従うよう彼らに勧 め、信頼するよう彼らに強いた。彼女の書簡は必要な全てのものを一緒に持ってき ている、と(必要なものとは臣下への施政方針と 富)。イーシューハークと呼ばれるカトリック教徒を通じて直ちに彼女はビザンツの支配者へ十字架の木を戻した。彼女の王位の在位 期間は1年と4ヶ月で終わった。
 
 

(ジュスナスディー)

 彼女の後に王位についた男はジュスナスディーと呼ばれた。彼の在位期間は1ヶ月に満たなかった。
 

  -「アルタバリーの歴史」第5巻「最後のサーサーン人達の王達」 の章・通番1064 頁から  -
 

BACK