続:幻の民族トゥーラーン



 
  以前「トゥーラーン」とは、北方からイランに侵入してくる民族の象徴であるという話を載せました。そうしてそれは過去においてはサカ人、クシャン人、フン(キオン)、エフタルなどが、トルコと同一化されたのではないか、という観点でした。なのでトゥーラーンとは「トゥルク」が訛ったものなのかもしれない、などど記載してしまいましたが、そもそもトゥーラーンという地名はササン朝時代の州名として存在していたのでした。多分パルティア時代からこの地名はあったものと思います。つまり、地名としての現実のトゥーラーン(またはツラン)と名詞としてのトトゥーラーンと 伝説のトゥーラーンとの関係はトルコ進出以前からあり、トルコは既に成立していたトゥーラーン伝説に上乗せされただけだという可能性が高いように思えます。
 このトゥーラーンがどこかというと、今のイラン・アフガニスタン・パキスタン3国の国境付近のパキスタン領あたり。シースターンの南、インダス河西岸のあたりになります。ササン朝時代の区分ではおおむね藩王国であるサカ王国に属しているようです。ここから想像されるのは、前2世紀末から長期による抗争となったパルティアとサカ族との抗争あるいは、パルティア本国とインド-パルティア国の関係が想像されます。 イランの伝説ではトゥールはもともとイラン王家の出身です。するとここからパルティア本国からわかれたインド-パルティア国を象徴しているものと想像してみることも可能でしょう。

 また アヴェスタの伝承では、トゥーラーン王にアフラシアブ(フラースヤーブ)という名の王が登場しており、初期ゾロアスター教団の布教対象であり主要な対立地域であったとされています。この地域はミスラ教団の中心地であったともされています。ひょっとしたら、パルティア以前へと遡って、ゾロアスターの布教時代の出来事にまで遡るのかもしれません。ゾロアスター教団が形成された地域は諸説あるとのことですが最近ではシースターンのあたりとされており、この地域で「トゥーラーン」に相当する勢力との対立の事実をも基層に反映しているのかも知れません。

 こう考えてくると、「トゥーラーン」とは ゾロアスター教団形成時代(これも諸説あって明確ではない。紀元前1000年から600年頃の説まで)の対立抗争と、パルティア時代のサカ族との抗争などの史実を土台に形成されたと仮定することも出来るかもしれません。ともあれ、「トゥーラーン」が過去の史実の反映であり、イランの伝説の基本枠がパルティア時代に形成されたという仮定がある程度ただしいとするならば、この推測もある程度蓋然性があるのではないでしょうか。 そうしてその伝説に、後代のクシャン、キオン(フン)、エフタルなどが吸収され、最終的にイラン史上もっとも大きな驚異となったトルコ族の出現が、現在の「トゥーラーン」のイメージを決定づけたといえるのではないでしょうか。

 なお、余談ですが、アルメニア人歴史家は、「クシャン人」をイラン東方から侵入する諸民族の代名詞として利用しており、キオン、キダーラ、エフタルとも「クシャン人」と称していたようです。


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