シャープール1世


 

  バーバクの子アルダシールが死んだ時、ペルシャで権 力を継い だのは息子のシャープールだった。バーバクの子アルダシールが王権を握る時、パルティア人の王達に属していたアルサケス(ア シュカニー)家の間に 彼らが滅ぶまでの大 虐殺を行った。バー バクの子アルダシールの先祖であるイスファンディヤールの息子、バフマンの息 子、アルダシールの息子の老サーサーンが誓った誓 いに従ってなされた。もし、幾つかの点で彼が王位を握るべきだったとしたら、彼はクラーの息子のアシャクの子孫の唯一の一人 を残しはしなかっただろう。彼 はこの役割を彼の子孫に託した。そして彼らに遺言を残し、もし彼らが(彼の直後に)王位を握るか、彼らの一人がある日王座に ついた場合、アルサケス家の最 後の一人まで生かしておかないようにと。この彼の子孫で王権に到達した最初のものがバーバクの息子のアルダシールだった。ア ルダシールはアルサケス家の 属するもの、女性、男達、彼らの最後の一人として容赦しなかっただろう。祖先のサーサーンの意思のために。

 彼は彼が王宮にみつけた一人の処女以外誰も生かして残 しはしな かった。彼は彼女の美しさにうたれ、彼女の出自について尋ねた(
彼女はまさに虐殺された王の娘だった)。彼女は王の側女たちの一人の侍女だった。彼 は彼女が処女かどうか、以前に結婚していたかどうか尋ねた。彼女は処女だと告げた。だから彼は彼女と性交渉を持ち、彼のめか けの一人とし、彼女は彼により 身ごもった。さて、彼女が彼の為に彼女自身の安全を確保することになった時−何故なら彼女の妊娠を通じて明かされた彼の愛情 に彼女の地歩があったので−彼 女は彼に、彼女がアシャクの子孫の出身であることを告げた。しかし、かれは彼女に嫌気がさし、サームの息子、ハルジャンドを 召集し−彼はもっとも年長の男 であり、年をとっていた−彼に、彼女がアシャクの子孫であることを告げた。アルダシールは続けて、

 「先祖のサーサーンの誓いを守ることは我々にとっても義 務である。貴 君もよくご存知のように、例え彼女が私の心を占める愛しい人であろうと。 だから彼女を連れて行き殺せ!」

 老人は彼女を殺すために去った。彼女は彼女が妊娠して いるのだ と彼に告げた。彼は彼女を助産婦のもとに連れて行き、彼女が妊婦であることを確認させた。彼は地下室の貯蔵庫に彼女を隠し た。そして彼は彼自身の生殖器を 切り取り、箱に入れて封印した。彼は王のもとに引き返した。 王は彼に言った 「何をしたのだ?」 彼は答えて、 「彼女を 地の底へ彼女を閉じ込めまし た」 そして彼は箱を王に渡して、彼自身の印璽で封印をし、宝物庫に置くようにと依頼した。 アルダシールはその通りにし た。

 少女は老人のもとに、彼女が男の赤ん坊を生むまで残っ た。老人 は王の息子に、彼の地位に劣る名前を与えることを望まなかったし、まだ子供のうちは真の地位について教えることは望まなかっ た。彼が成長し、教育とマナー の学習を完全に終わらせるまでは。 老人は少年の誕生の瞬間の占星的な推測を行った。そして彼は彼自身のホロスコープを占 い、彼は、この子供が実際に支配 者になることを理解した。そこで彼は彼に名前を与えた、それは 本当の名前と説明の両方であり、それは、彼が全てを知ったと き 続いて行ったそれに関する 選択であった。(つまり、 名前が、説明か、個人名として意図されるのかどうか、ということを選択したのだった)。彼は彼を  シャー・ブールと呼んだ。こ れはアラビア語では ”王の子”(イブン・アル・マリク)を意味する。彼はこのような名前を与えられた最初の人物だった。  これがアルダシールの息子、 シャープール・ジュヌードだった。 他の著作者達が言うには、一方では彼は アシャ・ブール、これはアラビア語で”アシャク の息子”を意味し、少年の母の 一族に因んでいる。

 アルダシールは数年間子供がないまま過ごした。そして 信頼ある 老人は彼の注意のもとに子供を持ち、王の面前に子供を連れて行き、王が深い悲しみに落ちていることを見出した。彼は尋ねて、 「何がそんなにあなたを悲しく させているのですか?」 王は返答して曰く、「何故私が悲しいのかだって? 私は東から西まで私の剣によって全てを奪ったの に、私が望んだものは全て征服 したのに、私は王国と私の先祖の王国を支配下に置いたにも関わらず、最後には 私の権威を継ぐ子孫を残さずに死ぬのだろう。 そして未来にわたり、王権に私 の永続的な痕跡が残らないのだろう」 しかし 老人は彼に告げて、「神があなたに喜びをもたらしますように!王に長寿を与え られますように! 私のもとに すばらしい、高貴なあなたの息子が私の保護のもとにおります。私があなたに託した箱をもってこさせてください。個人的に封印 した、持ってこられる為の箱 を。私はその決定的な証明をお見せしましょう」 アルダシールは箱の為に使者を送った。彼は彼の封印の痕跡を確認し、それを 割って箱を開いた。中に彼は老 人の生殖器とその上に書かれた文書を見つけた。 「王中の王 アルダシールによりアシャク家の娘が懐妊させられたことを我々 が確認し、同時に我々が王に、 妊娠中である彼女をを殺せと命ぜられた時、我々は王の貴種の種を潰してしまうことを合法だと考えなかった。だから我々は彼女 を地の底に彼女を送り、我々の 君主が我々を指揮するように我々は 我々自身を 王の視点において(すなわち自己同複によって)、罪を免じたのです。いかな る者が彼女にたいする虚構を構 築するいかなる意味も見いださないように。我々は正統な貴種を守る為ことを我々の関心事とした。それが 一族とともに再び統 合されるまで。

 この全てを聞くと、アルダシールは老人に100人の一 群の若者 の中にその少年を置くように指示した。他の者によれば、1000人の少年ということだった。 全員まったく同じ外見と身長の ものが集められ、王の前をパ レードした。服装や身長、態度の特徴で見分けがつくことを避けるためだった。老人はこれを実行した。アルダシールが若者の一 団を見た時、彼の本能は直ちに 彼自身の息子を全群集の中から認識したのだった。王へ、彼についてのいかなるヒントのささやきや指摘をされることなしに。
  王は全員に王宮の控えの間に連れて行かれるように指示した。彼らはポロのスティック を与えられ、 彼らはボールを使ってプレイする為に準備した。その間王は宮殿の王座に座っていた。ボールが王が座っている王宮の控えの間に飛ん できた。全ての少年は宮殿 の控えの間に入ることをためらった。しかしサーブール(シャープール)は彼らの真中から前へ出てきた。アルダシールは今彼の面前 への、向こう見ずで無鉄砲 なサーブールの登場から推測した - サーブールの承認に関して、彼の心中の感覚に加えて、彼が最初に彼を見た時に残した印象、彼が彼の仲間についてはまったく不 足している彼に対する感情 的な傾向、これら全てが、われが彼の息子である を推測させるのだった。 アルダシールはペルシャ語で彼に言った。 「名前 は?」 若者は答えて  「シャーブール」と言った。アルダシールは叫んだ 「王の息子とは(シャーブール)!」 彼は彼が息子だと完全に確信した。彼は 公式に彼を認知し、彼の後 継者といして彼を迎えた。

彼の父の存命のうちに、王権がサーブールに委譲される前から サーブールの治世と正しさと、知識 が戦闘や 雄弁、機知、臣下へのやさしさ、温和という点で熱意と交じり合っていることを ペルシャ人は既に経験していた。王冠が彼の頭上に 載ったとき(すなわち彼の 父が死んだ時)、彼は彼の前に国のすべての有力者を集めた。彼らは彼の長寿のための祈祷者を送り、彼の父と彼の最高の資質につい てながながと言及した。 サーブールは、 彼らが彼の父について言ったというのでは、彼にとって受け入れられるわけではない。それでは彼の慈悲を彼らが願うことは出来きな いのだ、と言い、彼らに慈 悲を約束した。そうして彼は、財宝をもつ富貴な人々に、人々にたいして喜捨するように命じた。その人々とは、国家をささえる軍事 と地主の階級であり、それ らを受け取る価値のあると、シャープールが考える人々、目だっている人々、軍団、極貧状況に陥った人々、これらの人々の間で共有 することを命じたのだっ た。

彼は州と辺境地域の知事に、支配下にある富を同様にすべきだ、と書き送った。この方法で、彼は、 彼の気前 よさと慈悲とを、近隣、遠方、身分の上下に関係なく、貴族や一般の人にまで分け与えたのだった。つまり、すべての人が、この慈悲 に預かり、彼らの日常生活 は向上したのだった。続いて民衆を支配する知事を選び、おおむね知事と臣下を鋭意監督し続けたのだった。 
 

 彼の統治の11年目に彼はニシビスに侵攻したといわれている。そこにはローマ軍がおり、かなり の期間、 彼らを攻囲した。しかし彼はホラサーンの領域の一つで起こったニュースを聞き、それは彼の個人的な注意を喚起するものだった。彼 はそこに向い、秩序を回復 し、ニシビスに帰還した。彼らは市の防壁をばらばらにすることを主張し、突破口がサーブールに対して開かれ、彼は入城することが できた。彼は防御している 兵士を殺し、女子供を奴隷とし、カイサルのためにそこに納められていた富を略奪した。彼はシリアとローマのアンティオキア(ビ ラード・アル・ルーム)を横 切り、そこの多くの町を征服した。これらの中で、彼はカールーシヤー(カリキア)、カドゥーキーヤ(カッパドキア)を征服し、 ローマ人の王の一人を包囲し た。それはアナトリアでのことで、彼はアンティオキアでアル・リーヤーヌス(バレリアヌス)と呼ばれていた。サーブールは彼を捕 虜とし、彼を彼の軍隊とと もに移送し、ジュンディサーブールへと移住させた。ツスタールでダム(シャドゥルワーン)の建設にアル・リヤーヌースを働かせた という話が伝わっている。 ダムの幅は1000キュービットあった。ローマ皇帝はアナトリアから連れてこられた男たちのグループとともにこれを建設した。ダ ムが完成したら彼を自由に するという約束をサーブールとしていた。サーブールはアルリヤーヌースから莫大な財政的賠償金をせしめ、彼の鼻を切りとってから 彼を自由にした。しかし他 の者はサーブールは彼を殺したと伝えている。

 今チグリスとユーフラテスの間にあり、タキートに面しているアル・ハドラ(ハトラ)という町が ある。こ こにジャラーミカから来た、アル・サーティルーンという男がいた。彼はアブー・ドュ・アル・イヤーディーが話している男である。

  私はどのように死が その人々の リーダーで あるアル・サーティルーンのもとに、アル・ハドラからもたらされたのかを見た。

アラブ人はしかし彼をアル・ダイザンと呼ぶ。彼はバー・ジャルマーの人々の出身であるといわれて いる。し かしハーシム・ブン・(ムハンマド)アル・カーリブによれば、彼はクダーからきたアラブ人であり、彼の系譜はアル・ダヤザン・ビ ン・ムアーウィヤ・ビン・ アル・アビード・ビン・アル・アジャーム・ビン・クダーであり、彼の母ジャイハラはタズィード・ビン・フルワーンの出身だった。 そして彼は彼の母の名前で 知られていた。イブン・アル・カルビーは彼は、ア ル・ジャズィーラの支配者で あると主張し、 クダーハの他の部族と、バヌー・アビドゥ・ブン・アル・アジャラームの無数の人々の支持をうけていた、と語っている。彼の王国は シリアにまで広がってい た。

アルダシールの息子、サーブールがホラサーンの支配に出向いているとき、アル・ダイサンはサワー ドへと侵 攻してきた。サーブールが、不在から戻った時、アル・ダイサンがきたことを聞かされた。アムル・ブン・イルハ・ブン・アル・ジュ ダイイ・ブン・アル・ダ ハー・ブン・ジュシャム・ブン・フルワーン・ブン・イマラーン・ブン・アル・ハーフィ・ブン・クダーハは、アル・ダイザンの行動 に関係するこれら対決につ いて多くの情報をまとめている。

 われわれはバヌー・イラーフの指導 と、強い蹄 をつけた馬で装備し、戦闘で彼らに遭遇した。
 ペルシア人はわれわれの手に警告となる罰を受け、シャフラズール(西クルディスタンのどこか)のヘールバッドを虐殺した。
 我々は、灼熱地獄のごとく、アル・ジャズィーラから、軍隊とともにペルシア人に進撃した。

サーブールがアル・ダイザンがしたことを報告されたとき、かれは、アル・ダイザンの砦の前で停止 するまで ダイザンへ向かって進撃し、一方ダイザンの方は、砦に身を潜めていた。イブン・アル・カルビーは、サーブールが4年間もの攻囲を することになってしまい、 それを完全に破壊し、アル・ダイザンを手中にすることはできなかったと主張している。しかし、アル・アシャー・マイムーン・ブ ン・カイスは、彼の詩で、 サーブールが砦を包囲していたのは、2年間であると言及している。


アル・ハドラを見たか?そこの人々 は、いつ も人生を楽しんでいたのか?誰であれ、気楽で楽しい人生を望んでいるのではないか?

アル・ジュヌードの軍隊のシャーハブールは、2年の間、その前に残り、戦闘用斧をそこで振り回していた。

しかし彼の(ヒーラの支配者)領主は、
(彼が楽しんできたような安逸な生活に耐 えることができないという ような)彼がどうしても残ることができないような強 靭さや芯となるものを彼に与 えなかった。

彼の領主が彼がしていることを見たとき、彼、は
それにあがなうことなどできない よう暴力的な風に彼自身が押し流されていた。

彼はパルチザンを呼んだ。「いままで生き延びてきたお前のやりかたで取り組むのだ。そして、おまえ自身の剣を通して高貴な死に至 るのだ。私は現実の兵士 が、冷静に死の重みを受け止めているのを目にしている」。

アル・ダイザンには、アル・ナディーラという一人の娘がいた。彼女は生理中だったため、町の郊外 に隔離さ れていた。それは、その時代の生理中の女性の習慣だった。一般的な知見によれば、彼女はその時代のもっとも美しい女性の一人で、 サーブールは、その時代で もっともハンサムな男性の一人だった。二人はお互いを見たときに、狂おしい恋に陥った。彼女は、彼にメッセージを送った。

「もし私が、どうやってあなたが市の城壁に破壊をもたらすことができるか、どうやって私の父を殺 すことが できるかを、あなたに示してあげたら、あなたは私に何をくださいます?」

彼は答えて、
「あなたが望むものであれば何でも。私はあなたを、私の他の妻たちの上に置き、彼らを除外して、私にもっとも近い配偶者とします よ」

彼女は彼に指示した、「銀色のハトをつれてきて。そしてその足に、青い目の処女の生理の血でその 足に書く のです。そして鳩を放せば、鳩は町の城壁の上に舞い降りるでしょう。その後、滅ぶでしょう」

それは実際に、市の護符であり、これだけが、市を滅ぼすことができたのだった。よって、サーブー ルは、そ れを実行し、彼らに(市の防衛部隊)攻撃をしかける準備をした。アル・ハドラの王の娘は、来て行った、「私が衛兵にワインをあ げ、彼らの感覚が麻痺して、 地面に横になったとき、彼らを殺して市に入るのです」

彼は、このすべてを実行し、市の防衛部隊は全部壊滅し、彼は嵐のごとく実行し、まさにその日に、 アル・ダ イザンを殺したのだった。アル・ダイザンとともにいたクダーハから来た分派は、壊滅し、彼らの誰一人、今日まで生き延びているも のはいなかった。バヌー・ フルワーンのいくつかの種族は、殆ど同時期に滅ぼされた。アル・ダイザンといたアムル・ブン・イハーは言った、

お前はバヌー・アビードを導いている男 たちに起 こったことについて報告が来たのに、嘆きかないのか?

アル・ダイザンと彼の兄弟、騎兵隊の前 の方に乗 るのを習慣としているタジーズの男たちの身にも起こったことだ。

サーブールの率いる軍隊は、戦象と鎧をつけた馬と、英雄的な戦士たちとともに彼らを攻撃し た。

そして、鉄のブロックのような礎石でで きている 砦の柱の石組みを破壊した。

そしてサーブールは町を廃墟とし、アル・ダイザンの娘、アル・ナディールを連れていき、アイン・ アル・タ ムルで結婚した。 彼女は、夜通し、硬いベッドに不平をもらしたといわれている。ベッドは、生のシルクを詰め込んだ、波打つシルクのすばらしい生地だったのだけれども。何が彼女を悩ませているのかが調査され、注意して観察し たところ、 彼女をいらだたせている腹部の皮膚のしわの一つに、ヒメツルニチソウの葉がついていることがわかった。イブン・アル・カルビーに よると、彼女の肌はすばら しいため、脊椎まで見通せてしまうのだった。サーブールは彼女に言った、「お前の父親は、何を食べさせていたのだ?」。彼女は答 えて、「クリームと背骨か らとった脊椎と、処女の蜂からとった蜂蜜、それと最高級のワインを一緒に」。彼は叫んだ。「お前の父親というのは!私はお前の父 親よりも、今でははお前の ことを知っている。彼よりもお前と親しい。その彼が、そんなものをお前に与えていたのか!」(もうお前は不満を言い始めるべきで はないのだ)。彼は男に、 野生の、健康な馬をつれてくるように命じ、その尻尾に、彼女の髪を結び、馬を駆けさせた。彼女がばらばらに裂けるまで。

これに関連する一つの詩がある。

砦はアル・ナディーラのために荒廃 してし まった。アル・ミルバーのように。

その詩は彼らの詩の一節にこのダイザンについて書いていた。アディー・ブン・ザイドは彼の言葉で 彼に暗示 している。

そしてアル・ハドラの支配者、彼は ひとたび それを建設し、ティグリスとカーブールの税金が集められた場所であるハドラを作った支配者は、いまどこにいるのか?

  彼は大理石でそれを形作り、石膏で覆い、その天辺に、鳥が巣を作った。病気の風が彼に襲い掛かることなく、力は彼から遠ざかり、 宮殿の入り口は、今ゆれて いる。

サーブールは、マイサーンを建設したといわれている。それは、シャード・サーブールの町で、アラ ム語で、 ディーマーと呼ばれている。

サーブールの時代、マーニー・ズィンディーグ*3が出現した。
サーブールが、ジュンディ・サーブールの町に、町の建設を進めるために、予定している場所へと赴いたとき、そこで、ビールと呼ば れる年寄りの男にであっ た。彼は男に尋ねた、「この場所に町を作ることは許可されるのだろうか?」。ビールは答えて言った。 「もし私が、もの書きの能力を与えられるならば、年老いてしまった年の変わりに、あんたにこの場所に町を作る許可を与えるだろう よ」。サーブールは彼に 言った、「なる程、あなたの許可を可能にする2つのことがある、というわけか」。彼は町のプランを描いて、教官にビールを身柄を 引き渡した。彼が筆記がで きるようになるための教育内容と算術計算を1年以内にできるようにするためのものだった。

その教官は、ビールとともに閉じこもり、ビールの髪と髭を剃り始め、この2つのことが、彼の気を 動転させ ないようにして、その後、かれに徹底的に教え込んだ。

この後、彼はビールを王のもとに連れて行き、ビールは、スキルと効率性を学習した。よってサー ブールは彼 を信頼し、町の支払いについての計算業務と、これらの支払いを適切に実施する手順を設定する仕事を彼にまかせたのだった。

王は(都市と、それを取り巻く周辺の領域)、分割された官吏地区(クラー)としてに支配を確立 し、それ を、ビール・アズ・アンディーウィ・サーブールと呼んだ。その意味は、「アンティオキアよりもよいサーブールの町」という意味で ある。これが、現在ジュン ディ・サーブールと呼ばれる町であり、そこの住人はアフワズから来た人々であるが、しかしながら、ビールと呼ぶのは、町を建設し た監督官の名前に由来して いる。

  サーブールの死が近づいたとき、彼は彼の息子ホルミズドを支配者に任じ、彼に試験的な命令を架し、それらを指揮するように彼に命 じた。サーブールの支配の 期間には異説がある。何人かの著作者は、30年と15日といい、他のものたちは、31年と6ヶ月と19日としている。
 
 

*1 アルダワーン人とはアルダワーンの軍隊と彼に従う パルティ ア人のこと
*2 ホルムズジャーンはイスラム時代のイスファハーン西 北のグルパー ヤガーンの町の近くのどこかとされてい る。決 戦はセレウコス紀元535年4月30日(AD224年)とされる。
*3 マニ教の創設者、マニ

  - 「アルタバリーの歴史」第5巻「ペルシャ人達の王達」 の章p23からp39(通番823頁から839頁「シャプール1世」の節)より-
 

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