田中芳樹の作品にササン朝や十字軍時代を材料にした ファンタジー「アルスラーン戦記」というものがあるの を最近知った。 この話の中に登場する「トゥラーン」という民族について ネット上の掲示板で その実在性についてやりとりがな されていたので ちょっと興味をもって読んでみたところ かなり詳細で緻密な議論がされていて面白かった。 原作を読んだわけで はないので、掲示板だけの知識によるのだが 戦記に登場する トゥラーンとは 北方の遊牧騎馬民族で16万もの騎兵を動員する兵 力があるのだそうだ。 このトゥラーンのモデルを 史上の存在に求めると どこになるか、トゥラーンとは一体存在したのか?とい うことが論議のネタの一つであったようだ。 「王書」にトゥラーンが言及されていることから トゥラーンは実在の民族だった、と いうことになったようである。それでは 「王書」に登場するトゥーラーン と は一体何者なのか?
「王書」においてトゥーラーンとは元はフェリードゥ− ンの子供トゥールの子孫の国なのだが、 イランの北方に位置し 宿敵として 長年にわたりイランと抗争を続ける異民族国家で ある。 ご存知のように サカ族の進入以来 イラン北東には様々な民族が北から到来しては イランへの進入を試み、パルティ ア人の侵入以外は その都度撃退されていった。
その進入路は二つあり、一つはカスピ海西部のコーカサス から。 ここからは スキタイ人、キンメリア人、ブルガリア人、フン人などが侵入している。 アケメネス朝、ササン朝を構成 したパールズ族もこの経路から進入している。
もう一つの進入路は北東であって、東トルキスタンからシ ル川を越えて進入してくるものがあった。
古くはメディア人、パルティア人、時代は下って サカ 人、月氏(クシャン朝)、エフタル、トルコ人 などがそうである。フィルダウシーの「王書」において、ササン朝以前の時 代は 史実の混ざった伝説が元になっているのだが、 トゥーラーンとはすなわちこの 東北方面から イランへの侵入を試みた 過去の異民族の象徴なのである。
だからトゥーラーンとは固有の民族名ではなく、 シル 川北方にあって イランと敵対する異民族世界を象徴した国家 ということになる。 ビザンツ人が 北方からバルカン半島に侵 入してくる民族を その実体が ブルガリア人であっても、ベチェネグ人であってもクマン人、ポロベッツ人であっても一様に 「スキタイ人」、 東方の民族は それが アラブ人であっても クルド人であっても トルコ人であっても 一様に「ペルシャ 人」と呼んだのと 同じようなものである。
ただし、その名称「トゥーラーン」からも分かるよう に、この名称は「トュルク」から来ていると考えられる。 フィルダウシーの時代、北方から進入してくる民族とは トルコ人で あった。 過去にも突厥のように シル川南まで勢力を伸ばしたトルコ人国家はあったものの カラ=ハン朝以降のトルコ人は 単に略奪や税を徴収するだけではなく 移住を伴った進出を開始したのであり、これはイランにとってかつて無い 脅威だった筈である。 フィルダウシーが「王書」を書いた時代は まさに カラハン朝、ガズニー朝が かつてのイランの地に 移住して国家を運営した時代であり このことから「王書」にとっての 「トゥーラーン」は トルコ族を示すと考えてよい。
フィルダウシーの頃から11、12、13世紀にかけ て、ペルシャ文学が一つの黄金期を迎えるわけだが、この頃の各著作にも トゥーラーン に相当する民族が登場しているが こ の時期は同じにトルコ民族が大々的にイランへ移住を行った時代でもあり、 この時代に書かれた歴史叙事詩に繰り返し登場する 北方民族は全て トルコ人を象徴しているといえるのである。
ニザーミーの著作「ハフト・パイカル(7王妃物 語)」がかれた時代、イランを完全に征服したセルジュークトルコが衰退し、変わってホラズムが優勢になってきた 時代である。「ハフト・パイカル」はバハラーム5世(ヴァラフラン)(在421-438)の時代を描いていて、 史上では北 方にエフタルという民族が登場し イラン侵入を開始した時代である。 現在では学術的にはエフタルはイラン系民族で あるとされているが、「ハフト・パイカル」に描かれた北方民族は「シナのカガン」とされていて、明かにトルコ 族である。 イランでは長らくエフタルはトルコ系民族であると信じられていたが これは 10世紀以降のトルコ進出期が イ ランの近世における歴史像が確立されてゆく時期と重なったことと 決して無縁ではない筈である。
更に付け加えれば トゥーラーンとイランとの長期にわ たる抗争の歴史は この世は善と悪との永遠の抗争である とする 古代のイラン的世界観とも無縁ではないと思われる。