2005 created
2019/Jun/09 updated 

資料に登場している記述ー断片篇ー


比較的同時代資料における、パルティア、ササン朝への言及。

バビロニア天文日誌

古代メソポタミアの楔形文字資料。紀元前1世紀くらいまで出土。以下の情報などが判明しているとのこと。

  ・ミトラダダテス2世がサカ族(資料には「グディ」という名称で記載されている)にBC119年に 遠征。
 ・バビロンとウルクは天文学の町。紀元前1世紀くらいまで、ギルガメッシュ叙事詩のコピーが作成されていた。
 ・バビロンはカラケネ王の支配下にあった。
 参考資料 東海大学助教授春田春郎「古代オリエント時代とイスラーム時代の狭間―受け継がれな かった「古典」を中心に―」
また、雑誌
『「オリエント」とは何か <別冊「環」8>』掲載のアルメニア王国【ローマとペルシャのはざま】にて、に王が遠征先での戦闘の勝利を、伝達官を通じて、首 都など、都市 で市民を前に語らせる習慣があったらしい。

ルキアノス「歴史は如何に記述すべ きか」  

  岩波文庫所収の本作品に、166年のローマ・パルティア戦争について
敵 が、ヴォロ ガゼスとオスロエスだったという記述が登場している。パ ルティアに言及しているのは、この、敵将に言及した個所だけである。この書簡の目的は、帝国内ににわかに発生した多数の史家を風刺することに あるので無理 もないが、ルキアノスは、パルティア自体にはまったく興味が無いようである。(参考「神々の対話」岩波文庫)

ヒストリア・アウグスタ 
 

 ところどころで、パルティアに冠する記述が現れている。以下の記述は南川高志「ローマ皇帝群像」に現れている、マルクス・アウレリウス 時代のパルティア 戦についての記述。たったこれだけである。

 p122 (アントニウス・ピウスは)「単に書簡を送るだけでパルティア人の王にアルメニア人に対する攻撃を思いとどまらせ、権威を示 すだけで[オスロ エネ]の王アブガルを東方地域から撤退させた」
 p154 「ウォロゲッソスは、ピウス治世よりこの戦争を計画し、マルクスとウェルスの時代に入ってから、当時属州シリアの総督だったアティデシウ ス・コルネリアヌ スを壊走させたのである」

アルダシール及びアノー シールワーンのアンダルズ (教訓)  

 古代オリエントでは、アンダルズ(教訓文学)というジャンルがあった。叙事詩と宗教文学が主流を占めたササン朝時代特に流行したらし い。以下は、デゥミタル・グダス「ギリ シャ思想とアラビア文化‐初期アッバース朝の翻訳運動」(
勁草書房)p91からの 引用したアルダ シール1世のアンダルズの一つ。

 「王権と宗教は、お互いに完全に息のあった兄弟であると心得よ。どちらも他方なくしては生き残ることはできない。なぜなら、宗教は王権 の礎であり、後に 王権は宗教の保護者になるからである。王権はその礎なしにはあり得ず、また宗教はその保護者なしにはあり得ない。なぜなら、保護者なきも のは消え去り、礎 なきものは崩壊するからである。余が恐れる最初のことは、下層の民が、宗教の研究、その解釈、そしてその学習において汝らを凌ぐことであ り、また、王権の 力への自信から、汝らが彼らを過少評価することである。そうなれば、かつて不当に厳しく扱い、立ち退かせたり、脅迫したり、屈辱を与えた 下層階級の民か ら、隠れた指導者が宗教の領域に現れるだろう。
 一つの国家に、隠れた宗教的指導者と公然と宣言した政治指導者が両立すれば、必ず宗教指導者は政治指導者から権力を奪うことになると心 得よ。なぜなら、 宗教は礎であり、王権は柱であり、礎を統制する者は柱を統制するよりも巧みに建物全体を統制するからである。・・・・・・
 汝らの支配は臣民の肉体のみであって、王は心を支配しているのではないと心得よ。たとえ民の力を抑えたとしても、彼らの心を抑えること はできないと心得 よ。立ち退き者が聡明であれば、汝らに対して剣よりも鋭い舌の刃を向けると心得よ。彼が宗教に対して計略を進める時、それ〔舌〕によって 最もひどい打撃を 汝らに与えることができる。なぜなら、彼が論じるのは、宗教の観点からだからである。彼が怒るふりをするのは宗教のためであり、彼が叫ぶ のも訴えるのも宗 教のためなのである。・・・・・・
 王は、崇拝者、苦行者、篤信者に、王よりも宗教の方に価値、敬愛、そして怒りを向けることを認めてはならない。」

2019/Jun/09追記

この出典がグダスの書には記載されていないため、出典を知りたいと思っていました。類似の内容として、「王権は軍隊次第、軍隊は金次第、 金は農民次第、農民の生活は王権次第」というもちつもたれつという金言があるらしいのですが、どうやらこれの出典らしいものをイブン・ハ ルドゥーン『歴史序説』岩波文庫第一巻p125に見つけたので掲載します。ホスロー1世アノーシールワーンのものとされていますが、ハル ドゥーンの論証によると、どうやらこの、王権と軍隊と人民のもちつもたれつの関係に関 する金言は、アリストテレスに遡るようです。イランオリジナルのものではなさそう、ということがわかってすこし残念です。

「王権は軍隊のおかげで存在し、軍隊は金銭のおかげで、金銭は租税のおかげで、租税は耕作のおかげで、耕作は正義のおかげで、正義は役人 のおかげで、役人の改善は宰相の正しさのおかげで存在する。そしてすべてのことのうちでもっとも重要なことは、支配者がみずから臣民を監 督し、臣民を教育することができるかどうかである。そうすれば、支配者は臣民を支配することができるが、臣民は支配者を支配できないだろ う」

アリストテレスの金言(「政治の書」、ただしアリストテレスの書というのは仮託であって、元となったギリシア人著作者名は不明の模様)も 次ページp126に掲載されていて以下の通り。

「世界は庭園である、その柵が王朝である。王朝は権力である。その権力のおかげで生活に一定の規範が与えられる。規範は支配者によって導 かれる政治である。支配者は軍隊によって支持される制度である。軍隊は金銭によって維持される援助者でえる。金銭は人民によってもたらさ れる糧である。人民は正義によって保護される奴隷である。正義は親しいものである。それによって世界は存続する。世界は庭園である」

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