「ブズルグミフルの回想」の探求



  ササン朝のホスロー1世の宰相ブズルグミフルの回想録というものが存在します。日本の書籍では、

        前島信次著 河出書房新社「世界の歴史8 イスラム世界」     に2ページ程、要約が掲載されています。
        岩波書店 伊藤義教「古代ペルシャ」    に、最初の数ページの翻訳が掲載されています 。

 ササン朝時代には、ハンダルスというものが流行しました。ハンダルスという言葉は、「教訓文学」と翻訳・分類されることがあるようですが、これは 、い わゆる子孫へ残す遺言、遺訓のようなもので、ササン朝に限らず、古代ペルシャで流行したようです。アケメネス朝や、ササン朝の諸王の碑文なども、ハンダル スに分類することができるようです。伊藤義教著「古代ペルシャ」の巻末に、J.C.Taraporeという学者が1933年にポンペイで、中世ペルシャ語 著作断片の英訳を出しているとの記載があり、「ブズルグミフルの回想」もここに収められているようです。
 そこで、この「回想」部分のコピーが入手できないものかと、ニューヨーク公立/州立図書館、大英図書館のサイトを検索したのですが、結果は NotFoundでした。

 ところで、英訳ではないですが、以下のTITUSというサイトに、
ttp://titus.uni-frankfurt.de/texte/etcs/iran/miran/mpers/jamasp/jamas.htm?jamas023.htm
中世ペルシャ語をドイツ語アルファベットに修正した版があり、一応英単語のリンクもついているので、これをもとに翻訳していたのですが、
どうも、伊藤氏の要約している部分についての記載(1節〜260節)はあるのですが、 前島氏が記載している内容については、記載がないようなのです。
 具体的に言うと、伊藤氏の要約は、1頁程度で、第1節から10節をほぼ訳出し、その後は要点のみに言及し、240節を最期に終わっています。内容も、人 生訓のような、抽象的な記載ばかりで、要するに、「ハンダルズ」なのです。
 これに対して、前島氏の引用も、約1ページなのですが、内容は具体的な出来事が記載されています。どういう内容かというと、「父親は軍人、母親は神職」 であり、7歳の時から学校に通い、医者になり、ひいてはホスロー1世の王子の家庭教師をしていた時に、ホスロー1世に見出された、というものです。
 
 伊藤氏の引用と、前島氏の引用は、同じ「回想録」としても、ずいぶんと異なった内容になっています。たとえるなら、マルクス・アウレリウスの「自省録」 と、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」の違いとでもいいましょうか。両者は、マルクス自身の著作と、20世紀の小説という違いはありますが、前者は 内省的な人生の省察であり、後者は、行動にあふれた記述となっています。

  伊藤氏の引用を読んだ時は、あまり興味を惹かれなかったのですが、前島氏の引用を読み、具体的なワルズミフルの人生についての言及が残っているのか!  と半ば感動してついには、TITUSのホームページに記載されている中世ペルシャ語版を英単語におきかえつつ、翻訳を開始しました。

 ところが、3/4程終えてみても、いつまでたっても、両親の話や、職業の話は出てきません。前島氏によると、最後は、インドへ赴いて、「カリーラとディ ムラ」を持ち帰るところも、記載がある、とされているので、終わりの方も訳してみましたが、どうにもインドなど出てきません。

 当然含まれている可能性の高い、「父」「母」という単語も、TITUSの原文から見つけることができませんでした。

 このことから、以下の3つの可能性が考えられます。

1.中世ペルシャ語版「ワルズミフルの回想」とアラビア語版には異同があり、 前島氏はアラビア語版を利用した。河出書房新社の引用は、殆どがアラビア著作、 あるいはアラビア語翻訳著作(シャーナーメなど)のある著作物からの引用であることから、前島氏はアラビア語資料だけを利用して、「イスラム世界」のササ ン朝の項目を記載した。アラビア語版の存在は、別の資料(「Cambridge History of Iran」)からも確認できるので、この可能性が高い。

2.前島氏が引用文献を間違えて記載した。

3.「ワルズミフルの回想」と、前島氏が言及している伝記は別物


フィルダウシーの「シャーナーメ」からの引用かもしれないと、「シャーナーメ」の目次をチェック(ササン朝を扱っている8,9巻は持っていますが、6,7 巻は持っていないのです)しましたが、前島氏の言及している部分の記載はなさそうです。

いづれにしても、これ以上の追求は難しそうなので、とりあえずプライオリティを下げることにしました。 

ブルズミフルの生涯に言及している主な著作には、以下の5点があるようです。

1.「ボークタグの子ワズルグミフルの回想」 中世ペルシャ語文献
2.「将棋の招来とネーウ・アルダクシールの案出」 中世ペルシャ語文献
3.シャーナーメ (基本的に上2者の内容に加え、夢物語判断でホスローに見出された話と、ビザンツから届けられた瓶の謎を解く話、、ホスローとの問答が盛り込まれている)

4.サアーリビー(基本的にシャーナーメと同じらしい))

5.「バンドナーマク」(9世紀末) 問答形式、ブズルジミフルの格言集。パフレヴィー語。

6.「ニハーヤトゥ・ル・イラブ」所収「ボークタガーンの息子ブズルジミフル、主席聖職者ヴェヘ・サハプーフル、主席書記官ヤズドガルドの三人がほかの70人の賢人達ととも誠実に王に仕えた長い物語―ブズルジミフルが初めて王の目にとまった次第、その哲学的格言の例及び・・・・・・上記三人の賢者それぞれの10づつの格言」(「シンドバードの書の起源」p131)


ササン朝資料として重要な「タバリーの歴史」ではブルズミフルは登場していないので、彼の存在は伝承と史実の狭間で揺れ動いているかのようです。このた め、前島氏が言及しているような、具体的な人生経験の記述があると、より輪郭を明確に捕らえることができるのでしょう。こうした点から、既に故人となって いる前島氏に問い合わせることもできないし、非常に残念と言えます。
なお、ホスロー1世の宮廷医師ブルゾーエとワルズグミフルは同一人物説が強いようですが、確定しているわけではないとのことです。

 

2009/12/29 追加:

1.ブズルグミフルの伝説については、Arthur Christensen がActa Oritntalia, Vol 8(1929)にて詳細に収集・検討しているようです。 残念なことにドイツ語版らしく、英語版はなさそうです。

2.日本語や英語でのスペルも様々で、ブルズミフル、ブルズグミフル、ブズルジミフル、ワズルミフル、ブズルグミフル、ブーズルジミフル、ブルゾーエー、ブルズーヤ、ベルゾエス、バルゾーイ、ワズルグミフル、ブーズルジュミフル、ボゾルジミフル、ボゾルグメフル、など、言及者の数だけ種類がある状況となっています。ワズルグミフルが中世ペルシア語で、ブーズルジュミフルが近世ペルシア語とのこと。ローマ字では、Wazurgmihr/Buruzmihr/Buzurjmihr/wuzurg-mihrなど。このように、スペルが統一されていない理由は、彼に言及している史料が、中世ペルシア語・近世ペルシア語、アラビア語など多種類となっていることと、そもそもアラビア文字もペルシア文字も母音が特定しにくい文字であることから、資料解読者により、異なったスペルとなってしまうことになるようです。いづれにしても、こうした統一スペルの無いことが、ネット上での資料検索も困難としており、ブズルグミフルに関する資料探しの困難さを増しているものと思います。

2010/01/04 追加

前島信次氏の河出書房新社「世界の歴史8 イスラム世界」 p44にてr、「ブズルグミフルの自伝」と言われているものは、イスラーム期の著述家、書記である、イブン・アル・ムカッファアが翻訳した「カリーラとディムナ」の序章にある、枠物語であることが判明しました。「カリーラとディムラ」は、ホスロー1世時代に、インドから将来されて中世ペルシア語に翻訳されたものと考えられていますが、その中世ペルシア語版をアラビア語に翻訳したのが、イブン・アル・ムカッファアです。また、ムカッファアとは別に、パフレヴィー語からシリア語に翻訳された版も、現在に伝わっていて、ここにひとつの問題があるようです。というのは、問題の「ブズルグミフルの自伝」に相当する部分は、シリア語版には無く、ムカッファア版にのみ存在しているからです。これは、ムカッファアが独自に自己の思想と見解を反映させる為に、序章として追加した可能性があるとのこと。

 また、もうひとつ問題があり、「カリーラとディムナ」序章では、語り手のボゾルジミフルとインドへ派遣された医師バルザワイヒ(ブルゾーエ)は別人として語られていることです(宰相ボゾルジミフルが、医師バルザワイヒの伝記を語る、という体裁をなしている)。この点については、ブルゾーエ(またはバズゾーイ)とブズルグミフルは同一人物であるとの研究もあるので、同一人物である可能性もあるわけですが、真相はわかりません。なお、シャーナーメによると、ブズルグミフルはメルブの出身とのこと。

というわけで、中世ペルシア語で書かれた、伊藤義教氏「古代ペルシア」にだいたいの翻訳が掲載されている「ブズルグミフルの回想」と、前島氏の言及している「ブルズグミフルの自伝」は別物であるということがわかり、しかも、「ブズルグミフルの自伝」の翻訳も、「カリーラとディムナ」に収めらていて、邦訳で読むことができました。2005年の3月に、前島氏の文章と出会ってから約五年、漸く「ブズルグミフルの回想」の探求が終了することになりました。


-参考- 

伊藤義教 「古代ペルシア」(岩波書店)

B.E.ペリー「シンドバードの書の起源」(未知谷) (特にp164-165の註)

前島信次「イスラム世界」(河出書房新社)

「カリーラとディムラ」 平凡社 イブヌ・ル・ムカッファイ著

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