「ヴィー スとラーミーン」に見るパルティア社会の景観



  11世紀のペルシャの人、グルガーニーが書いた「ヴィースとラーミーン」(岡田恵美子訳、平凡社)は、パルティア時代の伝説をもとにした、中世ペル シャ語の原作があり、これを元ネタに、グルガーニーが書き起こしたとされている。ということは、この作品には、パルティア時代の文物や風景が、なんらかの 形で反映している可能性が高い。そこで、それらしき記述を抽出してみた。もっとも幾つかの習俗などは、グルガーニーの時代にも、イランに残っていたゾロア スター教徒の習俗を反映しているのかもしれない。

 まず、一番に目につくのは、兄妹婚である。ヴィースは、最初兄と許婚であった。実際には兄ではなく、まったく血縁のないラーミーンと結婚することになる のであるが、この点が、パルティア時代のゾロアスター教の習俗の反映として、まず一番に上げられると思う。また、婚姻にあたっては、拝火教僧の印璽や書類 を必要とする、とあり、結納金(343)も必要であったらしい。また、「モウバド」という言葉が登場している。月経時は夫とセックスができない(P60) など、拝火教の習俗が記載されている。また、「墓石の下」(P185)との表現があり、庶民は風葬のあと、遺骨を地下に埋める史実と合致している。婚姻 は、町の人も祝宴をはった、とあり、王の喪は1年間(P100)という記述もでてくる。「喪中の人のように彼女の服は青」(253)という記載もある。部 屋の中に拝火壇(263)があり、拝火寺院へお参りし、金貨、宝石、地所、粉ひき場、庭園、馬、羊、牛(205)、羊の血、服、宝石(548)などを寄進 する場面が登場する。こうしたことは、寺院への寄進だけではなく、貧しい人に施しをする習俗もあった(357)。
 拝火寺院は町の中ではなく、大門の外にある(548)。モウバド王と意思に反した結婚をしたヴィースが、ラーミーンとの不倫を疑われ、火に架けて誓いを 行う(204)場面では、拝火壇より、移し火を、広場に築いた白檀ときゃらぼく、と樟脳、麝香に火をつけ、拝火聖職者、武将、太守の前で、火をくぐって身 の潔白を証明(206)する記述が出てくる。占星術を重視しているのも重要な点である。悪神アーリマンは何度も登場している(145)。

 王族の宮殿には、広間があり、円天井を持っていた。円屋根御殿(159)から、3つの花園への扉、3つの大広間と後宮への扉、との表現があり、宮殿には 露台があり、バラの見晴台(152)、という表現もでてくる。ここで休息したり(177)、屋上の亭からポロを観覧する(173)という表現が出てくるた め、宮殿の近くに競技場があり、果樹園などを眺めることができたようである。上述の、ヴィースが身の潔白を証明するための、広場での火の祭壇も、露台から 眺めることができた。また、屋根の上には魔よけの護符(139)があった。庭には小山(559)があり、あるときヴィースは、風呂場のかまどが庭への抜け 道になっていたり((207)、庭の塀を越えて、庭番の目を盗んでラーミーンの館へと向かったり(207)している。またあるときは、大広間の前面に大天 幕がはってあり、そのつなぎ綱をよじのぼって露台に飛び移り(296)、庭へでて、壁を飛び降り、50の扉と100の窓の監視兵の目をすり抜けて、ラー ミーンとの逢引に向かっている。やれやれ。大変なエネルギーである。
 ところで、宮殿では、聖堂の円天井(413)という表現や、象牙の円屋根(444)、扉、壁は錦で飾られ、床には龍ぜん香(347)という、装飾につい ての記載もみられる。

 町には、市場(P169)があり、夜でも市場がやっていた、ともとれる「あらゆる市場に明かりが」(215)という表現もある。また、王宮か市場かは判 然としないが、「楽人が座った」(215)との表現があり、さらに酒場(P171)も登場している。

また、P177には、メルブの町の様子が描かれ、牧草地、果樹園、ぶどう園、花園、山があるとし、P187と293には町の門が登場している。また、メル ブを出て、旅の途中では、「庭園や円屋根がみえる」(187)との表現があり、円屋根をもった家屋が、当時の民家だったのかもしれない。

 貴族の趣味として、ポロ、狩猟、釣り(P167)、チェスなどがあり、ポロでは、26人ずつで対戦している(P172)。後宮で詩を詠む(194)、す ごろく(324)、槍の試合(349)などがあった。狩では、狩人が、円く獲物を囲む(365)手法があり、狩の対象となっている動物として、ウマ、ロバ をチーターで追ったり、鷓鴣(しゃこ)、雉を鷹で狩ったり、犬にいのししを追わせたり(184)、鶉、(330)、羚羊(かもしか)、山羊(184)など を狩ったりしている。ついでに登場する動物を上げると、黒狐、リス(235)、蛇、孔雀、豹、鹿、獅子、兎、雀、狐、狼、ジャッカル、蠍、鮫、鶯 (425)、ハト、ナイチンゲール(456)などがいる。

さて、衣服や装飾品だが、「女の習いにしたがって顔を被う」(207)という記述があるので、チャドルをしていたようである。またヴィースは、黒狐のコー ト(235)やリスの毛皮、黄金の靴(296)、紅色のベール(296)、麻のかぶり布(297)などをしており、ズボンをはき(297)、まぶたに墨を 入れて、目を吊り上げるように見せる化粧や、ほおに白粉を塗る化粧(351)をしていて、バラの香水をつけ、髪は鎖編みにするなど、なかなかゴージャスな 感じである。装束で重要な点は、拝火教徒独特の、クスティーと呼ばれる聖なる紐(297、433)をつけている点である。ヴィースの部屋には、衣装戸棚 や、皮はりの箱(332)があり、皿に盛った香料(97)香炉(275)、が備えてある。またヴィースの寝台は、木でできている獅子足(259)である。 獅子足の椅子(278)も出てくる。 ラーミーンの装束についても記載のある個所があり、そこでは彼は外套と長靴にすね当て(463)、ターバン (207)といたって簡素な記述で終わっている。黄金の縫取りのされた深紅のターバン(332)、チューリップ色の上衣(332)。ついでに馬装について の言及もあり、藍色の馬被をしているとのことである。

 楽器には、青銅の太鼓、鐘、笛、太鼓、ラッパ、軍青銅の笛、大太鼓、小太鼓、リュート、竪琴(209)が登場している。

 職業としては、財務官(171)、裁判官(199)、大臣書記(324)、医者(381)、力士(439)、洗濯屋(306)、吟遊詩人(312)、占 星術師(315)、祈祷師(369)、修道士(213)、全盲の商人、砂糖商人(350)、香料商(448)、隊商宿(388)と隊商宿の通行徴税人 (406)、説教師(551)、髏子を扱う手品師(498)、兵卒(302)、バビロンの幻術師(373)、羊飼い(213)、悪徳教師などが登場してい る。

筆記用具に関して、重要な記述が見られる。シナの絹と葦のペンで麝香か龍ぜん香の墨(墨壷を使う)を使って手紙を書く場面(353、373)がある。羊皮 紙ではなく、パピルスでもなく、絹に書く、という描写は、重要な歴史的記述であるように思える。なぜなら、グルガーンの時代には、恐らく紙が普及し、紙で 手紙を書くことが、少なくとも富裕層には普及していたと考えられるからである。絹で手紙を書くのは、紙が普及する以前の古代中国の習慣である。そうして、 紙が普及する前のペルシャに、絹を筆記用具に使うことが行われていたとしても不思議ではないのである。

 料理については、殆ど登場していない。赤い酒(224)、さとうきび(377)、酢とにんにく(471)、種無しパン(213)が登場し、、道具とし て、碾臼(550)が登場している程度である。

 地域名としては、「イランの女王」(138)という表現から、拝火寺院の町ハラードとバルズィーン(ブルズィーン)(ニシャプール付近)(109)が登 場し、バルフ近郊の町として、ノウシャード(141)、マー(メディア)、メルブ、ハマダーン、ニハーワンド、アゼルバイジャン、サリーなどが登場し、7 つの国、というペルシャで伝統的な世界を7つに区分する表現も登場している。また、ラーミーンが、アゼルバイジャンに滞在しているとき、国内を巡回 (340)したり、モウバド王が3個師団(244)を率いて200宿場を踏破する(244)などの描写がある。ヴィース王家は、ジャムシードの血をひいて いる、(192)という表現に対して、モウバドは「諸王の王」(279)と名乗っている。

 
最後に、その他の文物を羅列してみよう。 井戸(208)、真珠(223)、珊瑚、ルビー、琥珀、サフラン、アロエ(301)、百合、チューリップ (223)、水晶の杯(224)、水車(336)、地下牢(337)、車駕と御者(356)、輿(249)、国の文書資料(417)、黄金の印璽などが記 載されている。形容詞としての花や宝石は、上述以外にも多発しているし、地域名としては明らかに後代のものも頻発しているため、今回の記載では省略したも のも多い。また、単位としてガズ(1m)や、ハルヴァール(300Kg)というものも登場している。

さて、ここまでひたすら、小説中に描写されている文物を取り上げてきたが、アッバース朝時代の雰囲気を伝える「アラビアンナイト」などと比べると、都市生 活的な雰囲気が少ないことは、大きな特徴であろうかと思う。貴族の趣味にしても、書籍や学問をたしなむ部分はまるでみられず、いくらかは、すくなくとも前 イスラム期の情景を垣間見ることができる、と言えるかもしれない。また、国内が中央集権的でない点などについては、ササン朝ではなく、パルティア時代の情 景に近いといえるのかもしれない。


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