タバリー に記載されたローマとアルサケス朝の王達



  アル・タバリーに記載された、アレクサンダーから、ササン朝に至る歴史記述をもとに、タバリーの時代に入手できた歴 史記述についてまとめてみた。タバリーの歴史書の編纂方針は、既存の記述を集めてきて集成するものだった。よって彼の記載は、複数の説を記載しているだ け、ともいえるが、このため、当時どのような説が行われているかがわかるようになっている。   タバリーの当該部分を扱っている章は以下の章である。

The account of Darius (Dara) the Elder and his son Darius the Younger. The account of Alexander (Dhu al-Qarnayn)
The Persian after Alexsander
The Arsacid (Ashaghan) Kings
The events that occured during the rule of these regional princes
The Roman rulers

これらの記述は、通番の693ページから744ページにあたる。英語版書籍としては、第4巻「The Ancient Kingdoms」のP87-127である。複数説の年代記述が繰り返されている記載となっており、訳出 するよりは表にまとめた方が要点が把握し易いと思われる。

 まず、タバリーの時代は、ギリシア・ローマ側の文献も参照できたと考えられる。ウマイヤ朝時代以降、旧ローマ帝国領がイスラム帝国の支配下となり、タバ リーの時代には、既にギリシア文献の翻訳が進んでいた。この為、ローマ皇帝の年代はかなり正確だと思われる。また、イスラム教は、ユダヤ、キリスト教を引 き継いでいるため、ユダヤ、キリスト教の情報が含まれている。
そこで、年代を把握する場合の、キーとなる特定の事件は、ユダヤ教とキリスト教の事件を含むことになる。それはネブカドネザルのエ ルサレム神殿破壊とイエスの誕生である。これに加えて、イランの民族的記憶として、アレクサンダーのバビロン征服、アルサケス朝を、アルダシールが滅ぼし た年、最後にマホメッドのヘジラである。この5者の年代は、以下の2説として記載されている。アレキサンダー死後からアルダシール登極までを523年とす る説と266年とする説である。

事件
西暦
西暦:それぞれの年との差
523年説
266年説
@ネブカドネザルによるエルサレム神殿破壊
586年
-
@とEの差
1206年
-
-
-
-
-
-
-
-
Aアレクサンダーによるバビロン征服
331年
255年
AとBの差
327年
AとDの差
555年
AとEの差
951年
AとEの差
920年
AとBの差
303年
AとDの差
523年
アレクサンダーの死とDの差
266年
アレクサンダーの死後41年後、アウグストゥスの43年にイエス誕生
Bイエスの誕生
前4年
327年
Cイエスの昇天
30年頃
34年
-
32年
-
Dアルダシールがアルダワーンを滅ぼした年
224年
194年
CとEの差
590年
CとEの差
585年
-
Eヘジラ
620年
396年
-
-
-



266年説は、サーサーン朝時代に捏造された歴史像である。この説では、アレクサンダー死後、41年後に、イエスが誕生している、と見なす。この説は、タ バリーの歴史に記載されている個所としては、以下の第1説と2説、4説が該当する。2説と4節を合わせると、セレウコスとアンティオコスがアレクサンダー を引き継ぎ、その後、アルサケス朝の王に敗北した、という、概ね正しい史実が記載されている。ただし、アンティオコス後の約250年が省略されていること になる。523年説は、アレクサンダーの西方領土の後継者、プトレマイオスの系図をほぼ正確に記載していて、こちらの方は概ね史実に沿っている。ただし、 プトレマイオス朝や、ローマ皇帝については、ほぼ正確な記載があるが、アルサケス朝については殆どでたらめといってよい系図となっている。

アレクサンダー以降の歴史には、諸説あるが、以下にまとめてみる。

説1.アレクサンダー死後、アルサケス朝の支配となった(266年説)。-The Arsacid (Ashaghan) Kingsの章より-

説2.領土は分割された。そのうち、アレクサンダー死後、44年間、サワード(現イラク)はギリシャ人の手にあった。JibalやIsbahan(メディアの町)も地域支配者の手にあった。アシャク(アシャカーン大王の息子)はサワードを解放し、 他の地域支配者の主として、メディアと、JibalやIsbahanを支配した。彼は10年統治した。彼らの支配は、アレクサンダーの死後、266年間続いた。-The Arsacid (Ashaghan) Kingsの章より-

説3、 
アレクサンダーの死後、シリアとエジプトとイラ クに90の王が立った。彼らはアルサケス家の王に服属していた(523年説) -The Arsacid (Ashaghan) Kingsの章より-

説4.セレウコス・ニカトールとアンティオコスがアレクサンダーの後継者となった。セレウコスは、アン ティオキアを建設し、クーファを征服した。その後メディアのライ(Al-Jival、メディアの町)、アフワズ、ファールスを支配した。ダリウス the Elderの子であるアシュクがライで勢力を確立し、アンティオコスを攻めて来た。彼らはモスルで会戦し、アンティオココスは殺され、アシュクはサワード (イラク)を包囲した。彼はその支配を、モスルからライ、イシュバハーン(メディアの町)へと支配を拡張した。他の地域支配者から、その血統ゆえに尊敬さ れ、やがてアシュクの優位が認められた。アシュカーン(アシュク)の息子、Judharz(ゴダルゼス)があとを継ぎ、彼はバプティスマのヨハネを殺し た。ローマ人がバビロニア王アンティオコスへの報復のため、ファールスへ攻めて来た。この時のバビロニアの王は、ヴァラシュ(ヴォロゲゼス)だった。彼は アルダワーンの父でえあり、アルダシールに滅ぼされた人物である。ヴァラシュは各地の王へ、ローマの侵攻計画についての情報を書き送って、協力を求めた。 各地の領主は、軍隊や資金を提供し、ローマの王を破り、彼らの陣地へと連れ去った。これが、ローマが、首都をローマからコンスタンティノープルへと移した 理由である。この説は、アレクサンダー死後、アルダシール勃興までを266年とする説。-
The Persian after Alexsanderの章より-

説5. アレクサンダー死後、その息子に領土は継承されるよう提案されたが、その息子は、これを拒絶したため、ラゴスの息子プトレマイオスが王となり、そ の子孫がシリア、エジプト、マグリブを支配した。アレクサンダーの死後、255年後に、シリアはガイウス・カエサルのものとなり、彼の後継者、アウグス トゥスの第43年にイエスが誕生した。つまり、アレクサンダーの死後303年目に、イエスが誕生した、と いう年代説は、ここから導かれる。イエス昇天40年後に、ティトスはパレスチナに侵攻し、エルサレムを破壊した。
(523年説)
-The account of Darius (Dara) the Elder and his son Darius the Younger. The account of Alexander (Dhu al-Qarnayn)とThe Arsacid Kingsの各章より-


プトレマイオス朝君主在位年代 -The account of Darius (Dara) the Elder and his son Darius the Younger. The account of Alexander (Dhu al-Qarnayn)の章より-


歴代君主名
現在の定説統治年
タバリー記載の年数
差異
+-の合計

ラゴスの子プトレマイオス
24年
38年
+14

シリアとエジプトとマグリブを支配
フォラデルフィウス
36年
40年
+4
+18

プトレマイオス エウエルゲテス
24年
24年
0
0

プトレマイオス
18年
21年
+3
+21

プトレマイオス エピファネス 24年
21年
-3
+18

プトレマイオス エウエルゲテス 29年
29年
0

6世フィロメトル、7世フィロバトルが記載さ れていない(35年間が省略されている)
プトレマイオス ソーテール 9年
17年
+8
+26

プトレマイオス アレクサンダー1世 19年
11年
-8
+18

プトレマイオス 8年
8年
0


プトレマイオス ディオノソス 29年
16年
-13
+5

プトレマイオス クレオパトラ 29年
17年
-12
-7
クレオパトラ後、シリアはローマの統治下に
合計
249年
242年

-7
実際に王朝は、276年


ローマ皇帝在位年代 -The Roman rulersの章より-


歴代皇帝名
現在の定説である統治年数
タバリー記載の年数
差異
+-の合計

カエサル

5年



アウグストゥス
41年
56年
+15
+15
*カエサル暗殺直後からカウントすると-2と なる
ティベリウス
23年
23年
0

Tabali p741
ガイウス・カリグラ 4年 4年
0


クラウディウス
13年 14年
+1
+16

ネロ
14年 14年
0
+16
ウィテリウス

4ヶ月


オトー、ガルバは記載されていない
ウェスパシアヌス
10年 10年
0
+16
ティトゥス
2年 2年
0
+16
ドミティアヌス
15年 16年
+1
+17
ネルヴァ
2年 6年
+4
+21

トラヤヌス
19年 14年
-5
+16

ハドリアヌス
21年 21年
0


アントニウス・ピウス
23年 22年
-1
+15

マルクスとその子
19年 19年
0


コンモドゥス
12年 13年
+1
+16
ペルティナクス

6ヶ月



セウェルス
18年 14年
-4
+12

カラカラ
6年 7年
+1
+13

マクリヌス
1年 6年
+5
+18

エラガバルス
4年 4年
0


セウェルス・アレクサンダー
13年 13年
0


マクシムス
3年 3年
0


ゴルディアヌス
6年 6年
0

同年短期の3名は記載されていない
フィリップス
5年 7年
+2
+20

デキウス
2年 6年
+4
+24

ガルス
2年 6年
+4
+28

ヴァレリアヌスとガリエヌス
15年 15年



クラウディウス2世
2年 1年
-1
+27

クリタリウス

6ヶ月



アクレリアヌス
5年 5年
0


タキトゥス
2年 6ヶ月
-1
+26

フロリアヌス

25日



プロブス
6年 6年
0


カルスと2人の息子
2年 2年
0


ディオクレティアヌス
11年 6年
-5
+21

マクシミアヌス
19年 20年
+1
+22

コンスタンティヌス
31年 30年
-1
+21

コンスタンティヌス 3年 30年
+27
+48

コンスタンティヌス 24年 30年 -6
+42

ユリアヌス
2年 2年
0


ヨヴィアヌス
1年 1年
0


ヴァレンティニアヌスとグラティニアヌス
19年 10年
-9
+33

ヴァレンティニアヌス2世 17年 1年
-16
+17

テオドシウス
16年 17年
+1
+18

アルカディウスとホノリウス
25年/28年 20年
-8
+10

テオドシウス2世とヴァレンティニアヌス 42年/29年 20年
-22
-12

マルキアヌス
7年 7年
0


レオ
17年 16年
-1
-13

ゼノン
17年 18年
+1
-12

アナスタティウス
27年 27年
0


ユスティヌス1世
9年 7年
-2
-14

ユスティニアヌス1世
38年 20年
-18
-32

ユスティヌス2世
13年 12年
-1
-33

ティベリウス
4年 6年
+2
-31

マウリキウスとテオドシウス
20年 20年
0


フォーカス
8年 7年半
0


ヘラクリウス
31年 30年
-1
-32


アルサケス朝君主在位年代

説1 266年説@
説2 266年説A
説3 523年説
アシァガーンの息子アシャク
10年

アシャカーンの息子アシャク
10年
ヴァラシュの息子パコーロス(アフクールシャー)
61年

アシァガーンの息子シャープール
60年
41年目にイエス誕生
アシャクの息子アシャク
21年
アフクールの息子サーブール
53年
イエス誕生
アシァガーン the Elderの息子ゴダルゼス(Judharz) 10年

サーブール(アシャクの兄弟の可能性あり)
31年
サーブールの息子ゴダルゼス 59年
イスラエルを攻撃
Bizan
21年

サーブールの息子ゴダルゼス the Elder
10年
ヴァラシュの息子、ゴダルゼスの甥アブザーン
47年

ゴダルゼス 19年


ゴダルゼスの息子、Bizan
21年
アブザーンの子ゴダルゼス 31年

ナルセ
40年

ゴダルゼス the Younger
19年
ゴダルゼスの兄弟ナルセ
34年

ホルミズド
17年

ナルセ
40年
父方叔父ホルミズド
48年

アルダワーン
12年

ヴァラシュの息子、ホルミズド
17年
その息子フィルザーン
39年

コスロエス(ホスロー)
40年

アルダワーン the Elder
12年
その息子コスロエス(ホスロー)
47年

ヴァラシュ(Balash)
24年

アシャカーンの息子コスロエス(ホスロー)
40年
その息子アルダワーン
55年

アルダワーン
13年

Bifaharid
9年
 

 

ヴァラシュ
24年
 

 

アルダワーン The Younger
13年
 

合計
266年


267年

474年





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