イベリア半島・エジプト・シリア・イラク・イラン・小アジア等のイスラム教徒化年度変遷グ ラフ


   古代におけるキリスト教への改宗率を表す地図は、日本の高校歴史地図帳でもよく掲載されて います。以下の地図は、 「School of Divinity The Spread of Early Christianity」と いうサイトから持ってきた紀元250年から400年頃までの、キリスト教浸透度を表した地図です。色の濃い部分程、キリスト教徒 の人口密度の高い地域と なっています。概ねこれと同じ趣旨の歴史地図が、高校歴史地図帳にも掲載されているので、キリスト教の浸透具合については、よく 知られているところなので はないかと思います。

  一方、イスラーム教の浸透度を示す歴史地図は、海外のものも含めて見たことがありません。ほぼすべての歴史地図帳では、政治・軍 事的なイスラーム帝国の拡 大を示す地図が掲載されているだけなので、軍事的拡大=イスラーム教の浸透というイメージが大きく流通してしまっているのではな いでしょうか。「コーラン か剣か」という言葉も「強制改宗(コーラン)か剣(戦争)か」という、軍事・政治拡大が即イスラーム教の浸透をもたらしたとの印 象を強めているのではない かと思います。

 イスラーム支配下の地域でのイスラーム人口増加度合はどうなっているのでしょうか。これについては、コロンビア大学のRichard W.Bulliet教授氏のサイトはこちら)が研究をしていて、「Conversion to Islam in the Medieval Period: An Essay in Quantitative History(1979 年)」という書籍を発表されています。この書籍に基づくグラフは日本のイスラーム関係の書籍にもよく流用されています。イスラー ム諸都市では、著名人の人 名辞典が結構残されていて、そこに登場するウラマー(イスラーム法学者)等の比率を丹念に追いかけることで、おおよそのイスラー ム教徒の比率を推計したと いうもののようです。たった158頁の書籍に割には、現在200-300ドルくらいするので私は内容を見たことは無いのですが、 Bulliet氏の著作な どを用いてグラフを作成して掲載しているサイトはいくつかあり、以下はそこから拝借してきたものです。最初のものは、中央アーカ ンサス大学と米国中世スペ イン研究協会(The Library of Iberian Resources Online (LIBRO)の、Thomas F. Glick氏作成の「ISLAMIC AND CHRISTIAN SPAIN IN THE EARLY MIDDLE AGES」という記事に掲載されている図 7のもの(わかりやすくすするために私の方でY軸を追加しています)。グラフの左からイラン・イラク・シリアとエジ プト、イベリア半島におけるイスラーム人口比率グラフです。




  これによるとイランでイスラーム人口が50%を越えたのは征服後200年後。イラクのイスラーム人口が50%を越えたのはアッ バース朝解体期に入った 900年近くになってから。エジプト・シリアに至っては10世紀に入ってから。イベリア半島は、アブド・アッラフマーン3世(在 912-961年)時代に 50%を越え、後ウマイヤ朝盛期最後の独裁者マンスール死去後の崩壊期に入る頃にも75%程度となっています。

 別のサイト「Islamic Expansion and Decline」の「Chapter 6: Triumph of the Faith: Conversion of the Vanquished」という 記事でも、上図と同じ地域のグラフが掲載されており、更にアナトリア(小アジア)、インドネシアのイスラーム化度グラフアが掲載 されています(2015年8月現在、上のリンクはNot foundになってしっています。代わりに、同じ書籍に基づいて作成した、以下のグラフと同じグラフが掲載されているこちらのサイトの記事「The Curve of Conversion」をご参照ください。ここもNot foundになってしまった場合は、「islam curve conversion」のキーワードで画像検索をかけてみてください)



  一応イスラーム化進展度の研究もあることですし、一般向け歴史地図帳にも、古代ローマにおけるキリスト教化進展度地図表と同じよ うなものを掲載すれば、 「イスラームの軍事的拡大=即住民全部イスラーム化」というイメージが改まるのではないかと思うのですが、Bulliet氏の当 該著作はもう30年以上前 のもので、近年の最新研究による改訂版を読みたいところです。ビュリエト氏はその後別の研究に向かってしまったようで、その後別 の研究者による研究の進展 も無いようなのが残念です。結局現時点では定説足りえないということで、一般の歴史地図表には掲載できないということなのかも知 れません。

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