前回ご紹介したトルコ映画『狩猟の季節』(2010
年)は、警察ドラマ、という趣でしたが、今回ご紹介する『İtirazım
Var』(2014年)(私は断固拒否する、というような意味)は、遥かにコアなミステリー映画でした。イスラムのお坊さん(イマーム)が探偵役となる斬
新な設定です。IMDbでの評点も7.5点の『狩猟の季節』よりも高く、8.1点です。結論から言えば、それだけの内容で
す。 残念ながら、トルコ国内での評価は高くはなさそうで、Boxofficeサイトで見る限り、興行成績が1億円にも達せず(こ ちら)、 トルコ以外で公開されている様子がないなど、トルコの物価事情を考慮しても低すぎる値となっています。ドイツでdvdが販売 されているので、ドイツのトル コ移民など西欧化した人が、IMDbに投票しているのかも知れません(私も8点で投票しました)。推理モノなので、本記事で はネタバレはしませんが、恐ら く最後に明らかとなる事実が、いくら西部都市部が西欧化しているトルコとはいえ、倫理的内容的にイスラムでは受け入れられな いのだと思われます。それはと もかく、欧米日の基準で言えば良質な作品であることは間違いないので、是非日本でもdvdが発売されて欲しいと願う次第で す。ここでは、筋の前半と、全体 的な印象などを紹介したいと思います。 〜あらすじ〜(前半のみ) イスタンブルのガラタ地区の小モスクで中年の説教師(イマーム)サルマンが数名の信者に説教をしている時、突 然雑貨商のサリー・カリョンジュが何者かに狙撃されて死ぬ。警察の捜査からサリーは高利貸も行なっていたことが判明し、サ リーに借金していた青年エフライ ムが犯人だと疑われる。青年はサルマンのモスクでムアッジン(イスラム教の祈祷アザーンの呼びかけをする人)のバイトをして 暮らしており、貧乏な上、米国 人の養老母アニーを養う必要があり、常に金に困っていた。サルハンはエフライムを支援しようと銀行に借金をしにゆくが、サル マンの口座には148万リラ (為替ベースで約6000万円、東京とイスタンブルの物価差を考慮すれば、1.5億くらいか)もの大金がサリーから振り込ま れていた。更にある朝、サルマ ンはモスクの洗面所で拳銃を発見する。預金や拳銃のことを考え合わせると、何者かがサルハンに容疑をかけようとしていると考 え、また、自分のことは自分で 解決する、との信条のもと、サルハンは個人的に捜査を始める。 〜あらすじ(ここまで)〜 以下がサルハン。一見とぼけ た雰囲気で、ピンクパンサーのピーター・セラーズを思わせるところがあります。以下は、何者かに殴られ鼻を骨折して入院して いるサルハン。病院から脱出す るために、見舞いに来た美大生の娘の恋人の鼻を殴りつけ、代わりに入院させて脱走するという、コメディ要素も見られます。 しかし、彼は実は数年間の軍隊勤務があり、アマチュアボクサーや、サルハンを陥れようとしている何者かが放ったヤクザをぶち のめしてしまう程のタフガイ で、前半の印象は体を張って捜査するハードボイルドもの、という感じです。しかし、体力だけではなく、観察眼と知力も傑出し ていることが後半明らかになっ ていきます。また、説教師らしく、時々言葉にコーラン及びコーランからと思われる警句が引用されるというだけではなく、トル コの国民詩人ユヌス・エムレ(こ ちらで伝記映画を紹介しています)の詩句を自然と口にし、ドストエフスキーのエピドードにも詳しいなど、高い教 養の持ち主です。しかも何気なく口にしていた警句が、昔交通事故で妻を失った過去と関連していることが最後の方で明らかにな るなど、非常に厚みのある作りとなっています。 捜査の途中登場する映像もなかなかスタイリッシュです。以下は、ガラタ塔の見える小路でロシア人女性を尾行する場面。 以下は1875年に開通した、ロンドンに次ぐ世界で2番目の地下鉄。本作が製作された2014年は139周年にあたるの で、車体の頭に"139周年"の文字が入っています。 検索で見ると、137、138年のものも見られるので、毎年やっているようですが、139周年のものから突然画像が増えるの で、この記念ペイントが有名になったのは、2014年から、ということなのかも知れません。 主人公のキャラクターはまったく違いますが、番組全体の雰囲気は、BBC放映の『SHERLOCK』と似た感じです。特に 『SHERLOCK』の主題曲と 似た曲調の音楽がBGMとして何度か流れるので、余計に『SHERLOCK』を連想してしまうところがありました。内容的に も、ロンドンを舞台として製作 しても違和感の無い出来具合です。 しかしながら、いかにもイスラム、というところもあり、深夜、サリー商会に忍び込み十字架を持ち出す エフライムの後をつけたサルハンが、物音を立ててしまい、エフライムに気づかれそうになって、とっさに、サリー商会の在庫品 の時計のアラームを次々と鳴ら してごまかす場面では、アザーン時計が用いられていて、次々と時計が、「アッラー、アクバル」と叫び出し、それで隠れている のがばれずに済む場面とか、娘 が通う大学の名前が、「ミマール・スィナン美術大学」となっていたり、娘が連れてきた婿はアラウィー派だと知り、ちょっと驚 く場面があったりするなど、ト ルコならではの場面も多々出てきます。 ミステリー定番のラストの謎解き場面もちゃんとあって、この部分で、過去のカットの出し方は、 『SHERLOCK』に似ています。キャラは全然違うので、『SHERLOCK』のシャーロックのような嫌味はありません が、超人的な観察力は件のドラマ のシャーロックと同じです。推理で述べられる過去の証拠の場面も、いやそんな場面あったっけ?と見直してみると、結構苦しい 場面がいくつもあるとはいえ、 とりあえず何気なく画面に登場していたりするなど、まあ許せる範囲です。とはいえ、銃を見ただけで所有者を言い当ててしまう 謎の友人の存在や、娘の婿がギ リシア系移民であることを宗教局の人脈で調べてしまうなど、"平凡なイマーム"ではありえず、視聴者に見えないところで調べ てしまうなどのご都合主義的設 定や、どんなに注意深くずば抜けた推理力の視聴者でも、映像に登場している材料だけでは絶対に推理できないなど、ずるい部分 もあるとはいえ、高い完成度で あることは間違いありません。 ネットに日本語情報がほとんど無いトルコの詩人ネ ジプ・ファズル・クサキュレキとか性転換したトルコのゲイ女優ビュ レット・エルソイとかが会話に出てきて、この点でもいろいろ勉強になりました。 タイトル「İtirazım Var」の意味は、抵抗する、運命に抗う、というような意味で、映画の冒頭と中盤に流れる主題歌として登場しています。凡そ次のような歌詞です。これも、 トルコでは有名な人の詩が元になっているのかも知れません。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 私は残酷な運命を拒む 終わりなき悲しみを拒む 運命の皮肉、人生のねじれ、すべての災い 私は終わりなき愛を拒む この借りた笑顔は人生なくして死に行く 私は拒む 毎回敗れる運命なのか? 毎回抵抗される運命なのか? 私は嘘と偽りを拒む これらの災にたいして私が背負っているものは 私を捕まえて離さない 幸せに対して私が持っているものは 私の人生を地獄となす - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ところで、最後にひとつだけ謎が残ります。サルマンが携帯電話越しに対戦していたチェスの相手は誰なのか? 今回のようなイスラム倫理に触れる内容でなければ、それなりにヒットしてシリーズ化されて、世界の名探偵の一人になれたかも しれないサルマン・ブルット、惜しいキャラクターでした。 IMDbの映画紹介はこ ちら Amazon のdvdはこちら(英語字幕あり) |