契丹展(東京芸大美術館) その1

 東京藝術大学美術館で開催中の「草原の王朝 契丹 美しき3人の プリンセス展」 (9/17迄)に行って来ました。尖閣問題がまた炎上しているので、寂しいくらいしか入場者はいないのだろう、がっかりして いる関係者の方を元気づけよ う、とか思いながら出かけたのですが、平日にしては、そこそこ入っていました。わざわざ休んでいかなくても、週末でも十分空 いているのだろうから、休み損 かも、とか思っていたのですが、案外平日でよかったかも。取り敢えず、各展示物の前にひととおり人がいて、たまに詰まった時 に、会場内を眺めると、どこか に空いているところがあるので、そっちを見れば、待たずに見れる、という程度の込み具合でした(こんな表現では伝わらないか もしれませんが)。

  私は調査が趣味なので、どうしてこんなテーマの展示会が、とのきっかけから色々調べているうちに、契丹都城遺跡の写真や映 像、契丹再現ドキュメンタリーの 紹介記事となってしまい、なかなか契丹展の話にならないので、記事を分割することにしました。展示会の感想は次回にします。 今回の記事は、契丹(遼)遺跡 関連の話です。

 なんでこんなマイナーそうな展示会が開催されたのだろう。展示会サイトの案内文にある通り、「美しき契丹文化の世界に は、1000年の時を超えた深い魅力がある」ということなのだと思いますが(会場でも開催の辞を読んだ筈なのですが、何が書 いてあったか既に覚えていない のでした。。。)、「九州国立博物館が開館前から取り組んできた渾身の大型特別展」という必然性がいまひとつわかりません。 何故九州が!?。もしかして、 北方謙三の「楊家将」の流れかしら?「風の王国 2 契丹帝国の野望」(今検索して存在を知った)や、映画「女ドラゴンと怒りの未亡人軍団(2011 年)(原題「楊門女將」(昔の日活映画風題名が気になる楊家将の女性武将達のアクション活劇)」が今年出版・公開されるの も、世の中どこかで密かな契丹 ブームなのだろうか?それとも、観光開発の一環かしら?とか思ってしまうのだけれど、政治・経済・社会的意義優先の世の中、 もし本当に、「美しき契丹文 化」というロマンが最初にあって企画されたのだとしたら、素晴らしいことだと思います。少なくとも、内蒙古自治区観光局 (蒙古自治区旅游局)は 本展示会の主催者・後援者に入っておらず、西遊旅行社やユーラシア旅行社のサイトにも、契丹史跡観光ツアーなどはなく、私の 印象では、展示会でも観光臭さ はありませんでした(せいぜい最後に内蒙古の契丹文物の見れる4つの博物館の案内があっただけで、博物館の地図さえなかった ので、どこにいったらよいかさ えわからない程度の案内)。ただし、前傾内蒙古自治区観光局のサイトでは、赤峰市の観光案内のページで(いきなり音楽がなりだすので注意。左下に停止ボ タンがあります)遼朝上京遺跡と遼朝中京遺跡を案内しているので、この展示会や、映画小説を機会に、今後、契丹をテーマとし た旅行ツアーや個人旅行者などが出てきたりすると嬉しいかも。

 と思って調べてみたら、赤峰市の赤峰旅游信息網という市の旅行局サイト(これも開くと音楽が流れる。止め方不 明)では観光開発投資勧誘をしていて、日本語・韓国語・英語で記載された、「遼中京遺跡公園建設プロジェクト」というページがあり、契丹関係として、

「契丹時代の仏教文化を展示し、遼時代の三学寺の再建する」
「契丹族の生活生産、民俗風情を主題とする観光地。契丹軍営(契丹映画城、遼中京再建景色など)を建設する 」
「契丹文化広場、契丹文化長廊、契丹文化博覧館、契丹夏行宮、蕭綽宮、大同駅、朝天館、中京国子監、契丹風情館などを建設 し、大遼建築風格と契丹文化風采を展示する」

などとあり、大いに地域起こしの材料として検討されていることがわかりました。また、プロジェクト要旨には、

「赤峰より103キロで、北京、天津、瀋陽より役380キロで、大連より700キロで、京、津、唐の内モンゴルに入る重要通 路にある。三省の交差点で、立 地条件が良くて、交通が便利である。本観光地は、契丹文化、遼文化遺跡により、観光地の道路、緑化を整備し、旅行サービス施 設を適当に追加し、遺跡公園を 全面的に契丹文化と遼文化を展示できる観光地として、観光客に寧城観光、休暇の遼文化の通路として開発する」

とあり、北京、天津、瀋陽から約400km、北京から遼寧省の大都市朝陽市まで高速道路があり、朝陽から赤峰市南端にある寧 城県まで約80km、高速長距 離バスを使えば恐らく北京から朝陽まで約4時間、朝陽から寧城県まで約2時間、寧城県から、遼中都遺跡のある鉄匠営子郷まで 約10km、確かに観光地とし て適当な場所にあり、結構簡単に行けそうなことがわかりました。念のため時刻表と所要時間を調べてみると、寧城県と北京間の 直行バスは一日一便出ていて、所要時間は最短5.4時間寧城県長距離バスターミナルの時刻表はこちら)。赤峰市から寧城県間のバスは 頻繁に出ていて、朝7時から夕方5時まで約30分毎に25便出ています(時刻表はこちら)。北京-赤峰間は一日7便出ていて(時刻表はこちら) 所要時間は約10時間、ほぼ一日がかり。長距離バスを利用した場合、一日1便の北京-寧城県を逃した場合は、北京から赤峰市 まで直行便に乗り(もしかした ら寧城県で下車できるかも)、その後赤峰市から寧城県を往復してから、巴林左旗に移動した方が確実かも(中国の場合、省間の 移動は、ローカルバスを乗り継 ぐより、省都間を移動した方が本数も多く早い)。赤峰-巴林左旗間は6時から13時半まで16便。これも便はいいけど、13 時半で終了なのは何か理由がる に違いないので注意が必要。巴林左旗-通遼間は4便。通遼-瀋陽間は一日7便(時刻表はこちら)。これで旅行計画はばっちり。


 なあんて。いかないけど。しかし、便利な世の中になったもだなあ。としみじみ思います。


  さて、Google Mapで見てみると、遼中都遺跡を鮮明に見ることができました。右下にラオハ川(老哈河)(正確にはラオ川だと思うが、ラオハ川との表記が一般的な模様) があり、碁盤の目状に整備された都城の輪郭が見て取れます(この画像の横軸が5,6km程度)。中心部分に白い点が見えてい ますが、これが高さ74メート ルの遼代に建設され、今も残る大明塔
(Google Mapの座標41.569481,119.156857。遺跡平面図はこちら)

  なるほどー。遼中京遺跡は、かなりアクセスの良い場所にありそうです。日本からのツアーなどができてもいいかも。というか、 日本人旅行者の訪問記録がもっ とネット上にあっても良さ気な感じ。ところで、上のプロジェクト要旨文中、「役380キロ」という誤字は日本人でもよくやる 誤変換ですが、「旅行サービス 施設を適当に追加」とある、「適当」の使い方は、日本語のできる中国人がよくやる書き方なので、上記プロジェクトの日本語 は、機械翻訳ではなく、日本語の できる中国人が書いているのではないかと推測されます。それなりに真面目に観光開発をしようとしている感じがします。

 赤峰市のサイトには、遼上京遺跡に関する「赤峰市巴林左旗遼文化重点開発建設プロジェクト」という案内もあります。市の 北方にある巴林左旗地区(右旗、左旗という、昔の部族組織の組織名は、内モンゴルでは普通に現地名として利用されているらし い)について、

  「巴林左旗は、契丹・遼文化の発祥地で、遼文化遺跡を旅行資源とする国家級貧困県で、遼文化の代表地とし、旗内文化雰囲気が 濃厚で、遺跡遺物が多い。巴林 左旗の旅行資源に最も代表的なのは既存の遼上京遺跡、祖州祖陵観光地、遼真寂の寺、遼上京博物館、点将台など旅行地で、国家 が認定した文化大県である」

  とありました。「国家級貧困県」という文言があったり、当該ページのコピーライト表記が「2005-2009」となっている のが良い感じです。巴林左旗 は、遼中京遺跡のある寧城県から北に250km(寧城県から赤峰市市街まで110km、赤峰市から北150km)の烏爾吉沐 淪河沿いにあります。これも Google Mapで確認したところ、遺跡見つかりました。画像上の市街地が巴林左旗市街。その南の四角が上京の皇城(東西1.5km程)。南側の河を堺に、河の南に 漢人用の都城がほぼ同じサイズであったとのこと(上京では、契丹人地区と漢人地区が明確にわかれていたとのこと。画像では切 れているが、遺跡右方に烏爾吉 沐淪河(遼代の名称は狼河)があり、遺跡中央を西から東に流れているのが沙里河(遼代の名称南沙河)だと思われるのですが、 白音戈洛河(バインゴロ河)と もいうらしい(遼上京と中京遺跡沿いの河の名称は資料によりまちまち))。
(Google Mapの座標43.963168,119.386711。遺跡平面図はこちら

 こりゃ楽勝だわ。遼の上京、中京は僻地にあるとの先入観があったので行くのは面倒だと思っていたのですが、結構簡単にいけ る場所にあるとは知りませんでした。

 中国人旅行者が携帯で撮影した訪問映像も、探せば見つかりそう。いつまでたっても記事が終わらないので、面倒くさくなって きましたが、一応調べてみたら、あっさり見つかりました。巴林左旗市街のホテルの窓から撮影した、上京遺跡西城壁の携帯映像。いつ撮影されたのか記載がありませんが(登録日は 2010年2月25日だが、雪が全く無いので、冬では無いのかもしれないし、実際2月末はこんなものなのかも知れません。巴 林左旗市街の様子を見ると、バスの本数とか多く無く接続が悪かったりするかも)。

 また、遺跡表面の様子としては、2011年に始まった大規模発掘に関する報道映像がこちらにあり、少し様子がわかります。その成果は、つい先日、8月 12日の記事で、遼上京遺跡での新発見記事が出ています。重要な成果が得られたようです。遼國首都遼上京遺址考古發掘 多次被盜掘盜坑顯現

 更に、18分程のドキュメンタリー番組「夢落繁華遼上京」という映像も見つけました。遼朝の再現映像が登場していま す。遼朝の再現映像は初めて見ました。台詞は全く無いのですが、全編再現映像で構成されています。やばい。。。再現映像ド キュメンタリー番組にも目覚めてしまいそう。番組はこんな内容。


  契丹民族はシラムレン河(西拉木倫河、遼代は潢水)を故地としている。はるかな昔、青い牛に乗った天女と、白馬に乗った 神が河で出会い、お互い一目惚れして契丹民族の祖となったという伝説が、シラムレン河の映像を背景に紹介されます。美しい河 です。
 

 遼朝創設者耶律阿保機(872-926年)が誕生したのは、下左のような、天幕の家。当時の契丹民族一般の住居の様子がわ かります。左は成長した耶律阿保機。帽子が現在のものと変わらない感じ。

 やがて耶律阿保機は周辺の族長達からリーダーに推されます。これはその合議会議の様子。当時の合議会議の様子が描かれた絵 が残っているそうですが、これはそれを再現した映像。

 その後20年かけて、耶律阿保機は周辺部族を統合。916年3月大契丹建国宣言。帝と称し、年号を創始し、神冊と宣言す る。これはその時の儀式の様子。左側の人物は皇后だと思われる。

  建国した耶律阿保機は都を建設しようとしていた。彼は父祖の地にしたかったが、他の部族が不服なことに阿保機は頭を痛めてい た。これがその阿保機の天幕の 中の執務室。右画像の左手奥に、契丹文化に特徴的な、皮の水筒を模した陶器が見えています(今回の展示会でも展示されていま す)。阿保機の髪型も、頭は剃 るが、前髪が残してある契丹風。にわか仕込みの私には心地よくトリップさせてくれる映像。

 彼が考えついた解決方法は、乗馬して矢を放ち、矢が落ちたところが天命による建都の地とする、というもの(矢の射程距離っ て数百メートルも無いのでは?)。

 建設中の様子。多くの漢人職人が加わって一緒に建設に携わった様子が強調される(ちょっと政治的)。左画像の、集団で土を 突き固める道具には感心してしまった。右画像は、餅をつくように、集団で棒を使って土を突き固める方法。

 この番組、結構よくできていると思って見ていたが、建築途中の建設物まで出てくるとは、良い感じです。右字幕には、百日で 建設できてしまったとあるが、本当だろうか。

 完成した皇都(この頃はまだ上京とは言わなかったとのこと)。

 どの程度史実性のある再現映像なのかわかりませんが、皇城地区が高台となっているのは、土台遺構が残っているとのこと(最 後に土台遺構らしきものが映る)。

 巴林左旗博物館に収蔵されている出土遺物が紹介される。
 926年耶律阿保機が死去し、太后述律平のイニシアチブのもと、次男耶律徳光即位。かなり中原風な宮廷となっています。

 938年、国号を大遼、皇都を上京と名付ける。右画像は、国号変更式での遼の兵士。まじめな番組での遼の武装は初めて見ま した(この場合の不真面目番組とは多々ある楊家将ドラマ)。

  その後、数々の宮殿が増築され、小長安と称されるようになる。左上画像左奥に巨大な宮殿が追加され(大同などに現存する遼代 建築物を参考にしていると思わ れる)、右上画像にも、大建築物ができています。左下画像では、宮中の宮殿建築が長安の宮殿区域のように整備され、楼閣の数 も、建設当時の映像と比べて増 えている感じ。右下画像の右下には、遊牧民の住居ゲルが見えています。

 上京は国際都市となり、日本、高麗、西夏、ウイグル、アラブ、北宋、チベットから人々が集まった。中央アジア風の街区が上 京にあったことになっています。

 最後に、上京の街の一角から、カメラが一気にズームアウトしてゆき、都市全体の俯瞰映像となるところは、見応えがありまし た。


 たった18分の作品ですが、充実した映像でした。中京遺跡のドキュメンタリー番組もあるかな、と思って探したのですが、こ ちらは見つかりませんでした。疲れてきていたので、少しほっとしています。


  遼朝は5つの都を持っており、残り3つは、現在の山西省大同、北京、遼寧省の遼陽なので、アクセスは容易です。一週間あれ ば、遼朝五都遺跡巡りは十分可能 そう。上述した赤峰市の上京観光開発プロジェクトでは、契丹映画城、遼中京再建景色契丹文化広場、契丹文化長廊など、大遼建 築を再現した施設を多数創ると ありますが、山西省の大同市では、既に似たようなものがあります。「大同倣古街」と呼ばれている通りがそれで、遼代、明代、 清代の街並みを再現した観光繁 華街があります。こちらのサイト(大同辽代木构建筑―华严寺天宫阁) に、かなりきれいな遼代再現建築写真のサイトがあります(他にも、大同仿古街や、 大同仿古一条街 で画像検索をかけるとたくさんヒットします)。きっと、予算切れにならずに、赤峰市のプロジェクトが進めば、大同倣古街を数倍パワーアップしたようなもの ができるのでしょうね。

-ご参考-
 大同の遼代史跡訪問記
 瀋陽の遼代史跡訪問記
 契丹は現北京も都のひとつとしていたので、北京にも遺跡があります。
  -北京遼金城垣博物館
  -この他にも、古い街路の一部の壁に遼代の壁がそのまま残っていたりするそうです。次回北京に行く事があれば、遼代遺構 を確認しようと思っています。  



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