李鄭屋漢墓



紹介


1955年宅地造成中に発見された。後漢時代の墳墓とされる理由は、十字形をなしている、そ の形体と、煉瓦に「大吉番禺」という文字が浮彫りされていることから、後漢時代と考えられている。番禺という用語があること から、当時この地は、番禺(現在の広州付近)に県庁の存在した番禺県の管轄にあったと考えられる。前漢時代の墓は、十字形で はなく、縦長の横穴式墓に、左右の側室が着いているというもので、後漢時代となると、横穴式墓と側室が、同じ形式の十字形を なし、中央部が円錐状のドーム形式となる。このことから、本墓は後漢時代の墓と考えられている。ただし、被葬者がいた形式が ない点に特徴がある。
 右画像が中央部で、天井はドーム状の煉瓦組となっている。右手に長方形の鏡が置かれ ていて鏡を通して天井のドームを見れるようになっている。

 場所は地下鉄荃湾線の長沙湾駅から歩いて10分程度のところにある。長沙湾駅は、九龍の中心地旺角(モンコック)から 3駅目。長沙湾駅を出ると、長沙湾道と、東京街という2つの大通りの十字路に面している。東京街を北東方向に向かい、青 山道、順寧道、保安道の順に渡り、保安道と東京街の交差点の北西角に博物館がある。
 上写真は、保安道と東京街の交差点から、北西方面を見たところにある、李鄭屋漢墓 のある李鄭屋花園(または漢花園)という公園の入り口。通りは保 安道。李鄭屋 花園の東隅に、李鄭屋漢墓がある。李鄭 屋漢墓博物館の入り口は、東京街側(東側)にある。右上の画像は、東京街側から見た李鄭屋漢墓博物館の入り口。木々の下に、 小山のような墓の築山が見えている。博物館は無料。墓の内部には入れず、入り口のところでガラスでさえぎられてい る。見学者はガラス越しに墓の内部を見ることになる。
 李鄭屋漢墓の西側。花園の中から見たところ。


 下は博物館内に展示されている墓の模型。十字構造が把握しやすくなっている。この模 型の周囲一部屋の壁に、墓の発掘の経緯や、墓の遺物、墓の特徴などの展示パネルが並べられ、ビデオ(中国語、英語)によ る解説コーナーもある。

 左は、展示パネルの一つ。現在の香港における、漢代の遺 物の発掘地点と、発掘された遺物の内容地図。左下は、香港歴史博物館に展示されていた、李 鄭屋漢墓からの発掘遺物。家屋の模型なども展示されている。

 下画像は、
李鄭屋漢墓の床部分。




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