インドの歴史映画の分類は毎回困ります。歴史を題材としたファンタジー映画に分類すべき
か、歴史映画に分類すべきか。リアル史劇度を高くすると、インドの映画で歴史映画と呼べるものはほとんどなくなってしまう
かも知れないので、他の地域と比べて基準を緩めるしかなくなってしまうわけです。 本作は、史実の人物を描いていて、大枠では史実からはみだしてはいないし、映像的にも終盤の戦争場面以外は異次元級ではあ りません。そういうわけで歴史映画に分類できるのですが、主要登場人物が史上の人物というだけで、中身の殆どは史料も残って いない家族内の話なので、製作者側はどういう風にも描くことができ、バージー・ラーオーとマスターニではなくても構わない内 容です。18世紀初頭の中部インドの覇権を握ったマ ラータ王国宰相バージー・ラーオの治世時代(1720-40年)を扱っているわりには、彼の公的な生活があまり 登場しないため、この時代の名もない地方領主の話でもよかったような内容です。寧ろ、名もない地方領主を主人公にして、この 時代に実際にありえたような話にした方が、近世インドの日常世界を描いた作品としてよりうまくなりたちえたように思えます。 ラーオのような有名人を主役にしたにも関わらず、史料に残る事件があまり登場しないため、歴史映画としてはイマイチです。 冒頭2世紀の南インドが少し登場し、残りはマレーが舞台の映画『アレキサンダー・ ソード -幻の勇者-[DVD]』という作品があります。これは、ローマ帝国の艦隊と漢王朝の艦隊がマレー半島 で落ちう、という、歴史的にはまずありえなかった荒唐無稽な設定の作品ですが、これ以外の部分では、2世紀当時の東西の文物 交流の情勢をうまく描いていて、はるかに歴史映画と呼べるものです。しかしメインの両帝国の艦隊遭遇という設定が史実では確 認できず、可能性も非常に低いと思われるため、歴史映画には分類できないわけです。 個人的には、『バージー・ラーオとマスターニ』は歴史映画ではなく、反対に『アレキサンダー・ソード』を歴史映画に分類し たくなる、という感じです。 本作『バージーラーオとマスターニ』は、インドでの公開3日後くらいに、日本の一部の都市で、在日インド協会の主催で英語 字幕版が公開されています。在インド日本人の感想も直ぐにネットにあがってきました。2015年は、IMDbを開くと『バ フーバリ』か本作か、というぐらい頻繁に広告を目にしていたので、それなりに期待してはいたのですが、もとよりインドの作品 ですからあまり期待しないでいたところ、だいたい低いほうの予想通りだったような感想を目にしたので、視聴する気にならず 放っておいたものです。しかし、前回『モヘンジョ・ダロ』が期待を大幅に上回る作品であったため、気持ちに若干余裕ができ、 半日くらい無駄にしてもいいやと、視聴したものです。 結果は、予想以上に映像がよかったところもありますが、基本的には想定通りの内容でした。もしかしたら、ネットの評判より 良い感想を持つかもしれないと、真面目に辞書をひきながら視聴したのですが、私の感想は、公開時に埼玉の川口での上演会で視 聴されたこち らの方の感想に近いものがあります。このブログの筆者の方は、 「現代劇なら混ざりそうな英語が一切ないこと、言い回しが古い事、英語字幕も見慣れない単語のオンパレードな事が原因。ヒン ディー語または英語が得意な人以外はここで諦めて、映像と音楽と迫力を楽しむ方に専念しましょう。頑張って字幕を読むのは2 回目以降にしましょう(笑)」 と、述べておられますが、見慣れない単語など辞書で引いていないで、映像と音楽と迫力を楽しんでいれば、満足感はもっと高く なったかも知れません。以下がもっとも印象に残った映像です。映画のマスターニは、男性に混じって甲冑をまとって戦場に出る ような勇ましい女性として描かれていています。史実のマスターニは 一応武術をたしなんでいたようで、この剣舞場面は美しかった。その少し前の、輿から登場する下左場面も 衣装と映像が美しい仕上がり。 こちらは、バージー・ラーオの居城シャ ニワール・ワーダー(現存するのは城門だけ)の鏡の間でのミュージカルダンス場面。豪奢な映像。 下右は、宮殿内部。平凡な映像に見えますが、これも美しい映像です。画面ショットを取得する時に画面を拡大してみてわかっ たのですが、これは映画館の大スクリーンで見ると、細部の造りが凝っているのがわかるのではないかと思います。家庭でも、 40インチ以上のブルーレイなどで見ると、その素晴らしさがより実感できるかも知れません。衣装もスターウォーズ・デコレー ションほど華美ではなく、美しくデザインされています。この場所ではありませんが、同時代のインドの宮殿の鏡の間などは実際 に史跡が残っていて、映画の映像はかなり誇張しているとはいえ、無根拠なファンタジーというわけでもないので、見応えがあり ます。本作の映像の特徴のひとつは、間接照明に凝っているところでしょうか。インド的な暑苦しさはまったく感じられません。 下右が映画冒頭宰相即位時のラーオ。この帽子は、父親のヴィ シュヴァナート・ラーオ(在1713-20年)のこちらの肖像(プネーの寺院に残っているらしい)に残っている ので、少し美しく造りすぎているような気もしますが、だいたいありえた範囲です。下左はマラータ王宮の宮廷。屋内の床に冷房 用の水が張ってあります。この宮廷大ホールは史跡と比べると、少々大きすぎではないかと思いますが、迫力があり、美しく仕上 がっています。 以下は最初の方の戦場場面。ラーオが単身、象の上の敵王にジャンプして切りかかる場面。下右は、同じ戦場で戦う甲冑姿のマ スターニ。 上下段左はラーオの母親でマスターニをいびりぬく姑ビウ・バーイ。イメージ今川
義元の母寿桂尼だが、政治に口を出している様子はまったくなく、単なる姑役。そ
の右は近世中部インドの大国ニザーム王国の君主カ
マルッディン・ハーン(在1724-48年)。その右はマラータ王国君主シャーフー(在
1708-49年)。貫禄はありますが、実権はラーオが握っている。右端は、ラーオの正妻カーシー・バーイ。
帽子がステキなので画面ショットを撮りました。以下左は忘れましたが、中央はラーオの家臣アンバージ・パン ト、右端がラーオの正妻の子で、マスターニをいじめるバー ラーアジ・バージー・ラーオ(映画中ではナナーと呼ばれる)。 他にも家臣はこういう帽子を被っていました。当時の絵にこういう感じの帽子が登
場しているのかも知れません。
以下は、ラーオ母ビヌが家の中で乗っているブランコ。家の中にブランコがあるの
が凄い。検索すると、現代日本にもブランコが部屋の中にある家は沢山あるようで、画像が結構でてきて驚きました。
〜あらすじ〜
筋は簡単で、マラータ王国宰相である父の死去後、宮廷で新宰相に推挙された若き
バージー・ラーオは、ブンデールカンドが近隣領主バンガーシュに
攻められて単身ラーオへの救援依頼にやってきたマスターニの武芸
と性格に感心し、救援に赴き適王を討ち取るが、危ういところをマスターニに助けられる。翌日傷ついてマスターニを見
舞ったラーオは、マスターニに身につけている短剣を送るが、マスターニは、ラージプートに伝わる伝承、”身につけて
いる短剣は女主人を意味する”、つまり身につけている短剣を送ることは、求婚の意味であると誤解し、既に正妻のいる
ラーオの宮殿におしかけ、ダンサー・妾扱いされながらも、第二夫人の座に収まる。しかしマスターニの母親がムスリム
であったことから、頑迷なヒンドゥー教徒であるラーオ一家全員とバラモン祭司たちも反対する、カーシーもマスターニ
も同じ頃に子供を生むが、マスターニの子は嫡子と認められない。正妻カーシーの理解とラーオの意向でマスターニは宮
殿内に住むことになり、次第に第二夫人として扱われるようになるが、それでも暗殺者に襲撃されたりする日々が続く。
数年後(カーシーの子供は少年になっているので10年以上後かも知れないが、同じ時期に生まれた筈のマスターニの子
供は赤子のままだったりする)、ラーオが出征先で病没すると、マスターニはラーオの母と正妻の子ナナーに幽閉・拷問
されて殺されるのだった。。。。
〜終わり〜 字幕なしで、理解できないヒンディー語で視聴した方が、満足度が高かったのかも知れない、と思った理由は、幾つか 重要な点で疑問を感じるからです。字幕がなければなんとなく想像で埋め合わせて納得してしまったかも知れません。 ・マスターニの異常ともいえるラーオへの執着があまり納得できない。ラーオは確かに傑出した武将であり、短剣のエピ ソードはあくまできっかけの筈なのですが、もしかしたらマスターニの個人的な恋情以上に、伝承に囚われすぎた思い込 みなのではないかとも見えます。愛の力は異なる宗教やエスニシティーを越える、というのが、監督のメッセージなのか も知れませんが、本当に愛なのか、言葉が上滑りしているだけのようにも見えました。 ・ラーオは、最初は冷徹な戦略家みたいだったが、途中からマスターニのために宰相を辞任してしまうなど、マスター ニにのめりこんでいく理由がよくわからない。マスターニを盲愛する根拠が伝わってこなかった。終盤になると、マス ターニへの愛というより、”愛は宗教や民族を越える”という個人的信念を自分にも周囲にも納得させようとしている部 分の方が大きいように見えました。 ”情熱によって何もかも台無しにしてしまった男の人生”というような破滅型の天才を描いた映画だと思えばこの展開も 理解できなくもありませんが、周囲から浮き上がってもどこまでも二人の世界を追及した二人の世界の恋愛叙事詩という 点では、古代パルティアの伝説を扱った物語り”『ヴィー スとラーミーン』を連想してしまうものがありました。伝統的なペルシア恋愛叙事詩だと思えば悪くはない かも。 ラーオ母は紋切型のステレオタイプで、国内の権力闘争や陰謀・権謀の類はバラモン祭司が放った刺客だけ。マスター ニやラーオの性格にもよくわからないところがありましが、唯一正妻カーシーについては、比較的奥行きのある描き方が なされていたように思えます。女優さんの微妙な心情を表現する演技も見事だったように思えます。ただちょっと、後半 理解がありすぎるようなってしまったのは少し物足りませんでした。 しかし、Wikipediaの2006年頃のマスターニの記事を見ると、ほぼ映画(伝承)通りの内容となっていま すが、現在の記事では、多くが修正されていて、マスターニは、近隣領主撃退のための政略結婚だったと書かれていま す。ただし、ラーオが戦争にマスターニを伴った点は修正されないまま残っているので、やはり気に入ってはいたのかも 知れません。 というわけで、ネットでの評判で語りつくされているような感じがありましたので、幾つか画面ショットを掲載すれば終 わるだろう、と簡単に考えて書き始めたら、予想外の長文となってしまいました。日本でもDVDなら出てもいいように 思えますが、この映像は映画館向けなのではないかと思います。しかし日本で上映される程の作品かというと、難しい気 もします。 IMDb の映画紹介はこちら |