今回ご紹介するのは、1961年公開の、「ネフェルティティ 〜ナイルの女王(原題
Nefertiti, regina del Nilo)
」です。典型的なイタリアのソードサンダル映画(以下SS映画)です。日本では未公開の可能性があり、vhsもdvdも出ておらず、ネット上には映画紹介
すら無いようですが、米国ではVHSビデオが出ているようです(USアマゾンのこちら)(追記dvdも出ていました)。 〜あらすじ〜 夜のエジプト。自宅の自室で、自分の運命に不安をもつ様子のネフェルティティ。自宅を抜け出して恋人の工匠トーマスと会う。二 人で舟に乗ろうとしたところ、ネフェルティティの家の護衛に囲まれ、男は逃げる。父親は娘をしかり、男が見つかったら死刑だ、と いう。 翌日、市場のようなところで、胸に、太陽から足の生えた刺繍をしている男が登場。メシア、という言葉を用い、神は戦いを望まな い、と主張している。名前は セーパーで、カルデア人だが、明らかにモデルはイクナートンである。トーマスは友人の王子、アメンホテプに、タネットという女性 と恋に落ちたと相談する。 王子「タネット。。聞いたこと無いなぁ」 トーマス 「彼女は高僧の娘なのです」 どうやらネフェルティティは名前や身分を偽ってつきあっているようである。何故一介の工匠が王子と友人なのか一切説明は無い。し かし後でわかるが、トーマ スの勤める工房は、王家ご用達のようだ、ということがわかるので、その関係で知り合ったのかも知れない。同時に、護衛に守られて いる娘がどういう経緯で身 分を知られずに工匠のトーマスと出会うことができたのかも謎のままである。どうでもいいのだろう。ソード・サンダル映画の真骨頂 である。更に言うと、トー マスは若いが、王子は中年である。 突然、頭が痛い、明日また話をしよう、とベッドに倒れてしまい、次の瞬間突然王子はトーマスを殺そうとする。もみあいになる二 人。漸く正気に戻るが、何がおこったのか自分でわかっていない王子。何かのPTSDのような症状である。 翌日トーマスが工房で働いていると、ファラオ死去のニュースが来る。トーマスとタネットは、新王についた王子から結婚の許可をも らう。このとき、二人は新 王と直接会わずに書類だけをもらったのだが、それが二人に不幸をもたらすことになってしまうこととは知らず喜ぶ2人。一方ネフェ ルの父は、娘にファラオと 結婚しろ、と次げ、「許可証をもらっているのよ」と嫌がる娘に対して父は、「新しい許可証だ」と書類を見せる。「そのサインはお 父さんのものでしょ」と抵 抗するも、トーマスの命をたてに、無理やり娘にいうことを聞かせる父。トーマスは捕まって牢獄行きとなってしまう。王座にあがる タネット。 一方、民間の村では、広場で娘が一人、ベリーダンスを踊って客の喝采を浴びていた。ベリーダンスが当時からあったかどうかはとも かく、広場の端にはトーマ スの捕らえられている牢獄があり、看守がダンスに気をとられているうちに、工房の親方が助けに来くる。どうやら、広場で踊って看 守の目を引き付けていたの は親方の娘のようだ。以下工房での娘。真ん中にある彫像は、現在に残るイクナートンの彫像に似ているが、単なる背景で出てきただ けで、映画上ではこの像に は何の意味も無いのだった。娘の、トーマスへの態度を見ていると、娘がトーマスを愛していることがわかる。 王宮では、結婚式が行われようとしており、新王は、「何故トーマスがいないのだ。探せ」という。ネフェルティティの父は、「彼は 死んだ」という。死んだ状 況を聞いて気絶する王妃ネフェルティティ。王妃の反応に疑問を抱いた王は、王妃の具合が良くなった時に、どういうことだと問いた だす。 ネフェルティティ 「時間をください。わたしは望んだんじゃないわ」 王 「我々は民衆への義務を負っているのだ」、自由に結婚できる身分じゃない、と説く王。 王と王妃が市中で結婚パレードを行っているとき、「タネット」というトーマスの呼び声を聞き、トーマスが死んでいないことに気 づくネフェルティティ。 ある日、新王から、女王の彫像を作るよう、工房に依頼が来る。王妃の彫像だと知って、仕事をトーマスに与える。トーマスと親方の 娘は王宮に行き、王と会 う。王は、「そういえば、行方不明になる前に、結婚したい女性がいたと相談していたが。。。。」とトーマスに問う。彼は誤魔化す が、王妃の様子で王は気づ いてしまう。「不幸なことだ。。。」と呟く王。以下の写真は、モデルをしている時の王妃。まさに現在に残るネフェルティティの彫 像そっくりである。 王妃は、トーマスと顔を合わせていることに耐え切れなくなり、気分が悪いので今日はこれでと下がろうとする。それを見ていた王 も、すまない、と言い残し、二人とも去る。 後日。再び作業室。この日は王はおらず、トーマスと親方の娘、王妃の三人。 王妃の彫像の製作中、計測のためトーマスが王妃の頬に手をあてると、王妃が思わず気持ちよさそうにゆだねるのをみて、娘は二人 の関係に気づき、その日の作業が終わり、王妃が去った後、「砂漠に去るわ」と、トーマスにキスをして別れを告げる。 いよいよ彫像が完成する日を迎える。親方の娘はおらず、トーマスと王妃だけで作業をしている。 有名なネフェルティティの彫像が完成し、王妃は言う、 「これは結婚ではないわ。何かの間違いなのよ。私はあなたを愛することをやめたことはないわ」 キスする二人。しかし、トーマスは告げる。「エジプトを去るよ。君の為に」 場面は変わって、セーパー(モデルはイクナートンだが王家とは関係ない人物設定となっている)たちの集団礼拝中に、兵士による摘 発を受け、セパーは背中を 刺されてしまう。ところが、王は、王宮で、神官や高官たちに、「神はひとりだ」と、法令を出し、新宗教として、全ての寺院でひと つの神を崇拝せよ。破壊と 暴力と血ではなく、愛と慈悲こそ必要だ、と次げる。それを聞いた筆頭高官でもある風情の王妃の父は、配下の者を集めて自宅で陰謀 の準備をはじめるが、何故 か、壁にある、巨大なスフィンクス像の目の後ろの秘密部屋?から王妃が陰謀の相談を見てしまう。何故王妃が自宅にいるのか?と か、何故隠し部屋のあるとこ ろで陰謀会議を開くのか?など、おかしいと思いながらもどういうわけか深く考えずに見続けてしまう。そして、どういうわけか自宅 の外で待つトーマスに計画 の変更と、支援を申し出る(よくわからないが、どういうわけか、二人は駆け落ちの計画を立てていたようである。あれ?トーマスっ て身を引いたんじゃなかっ たっけ?面倒くさいので見直しませんでした)。対策を立て、指示トーマスに出す王妃。いつの間にか逞しい女性となっている。 翌日、王妃 の父親は、市民を私兵にして王宮に進軍。セーパーは死ぬ。錯乱する王。国王軍を破り、反乱軍が王宮を取り囲んだところで、王妃が 王宮の扉から出てきて、父 親に対し、「あなたは臣下だ。エジプト王妃の臣下だ」告げ、宮殿に立てこもる。王妃の父は、槍で地面に直線を引き、線の端に槍を 刺し、「影がここまでくる まで回答を待つ」という。以下は王宮。 配下の将軍に抜け道がある、と告げる王妃。しかし抜け道の部屋へ行くと、王は自殺してしまっていた。時間切れとなり、反乱軍は王 宮内に突入。そこに、トー マスが私兵を率いて到着する。数人だけど。しかし、反乱軍も進撃を続け、とうとう王宮最奥部の部屋まで突入して来る。あわや、と いうところにトーマス駆け つけるが、彼も捕らわれてしまう(何しにきたんだ)。いよいよ最後か、というところで外でラッパの音が。親方と娘たちが救援に来 てくれたのだ。遂に反乱軍 は鎮圧されたのだった。抱き合うトーマスと王妃。それを見て、さびしそうに去る娘。さびしそうな表情で二人を見つめる娘がかわい そうで、思わず画面ショッ トをとってしまいました。 〜 The end 〜 というわけで、見ている最中はあまり気づきませんでしたが、今このように映画を見ながらメモしたあらすじを整理して書き出してみ ると、相当おかしな話です ね。。。。見ている時も突っ込みどころ満載でしたが、書いているととめどなく疑問が沸いてきます。よく考えると、主人公のトーマ スも王妃も大して活躍して おらず、特にトーマスは親方の娘に助けてもらってばかりではないの。それで振られる娘があんまりだ。イクナートンがモデルのセー パーって何のために登場し たのだろう。USアマゾンの評価が☆2つなのも納得。でも見ている時はそれなりに面白かったんですよね。よくよく考えると、ネ フェルティティもイクナート ンも、史実は殆どなし。唯一神崇拝という点だけ。でも、セーパーが唯一神を崇拝する必要も、そもそも登場する意味もあまりなかっ た。強いて言えば、王妃の 父に反乱を起こさせる口実として、王が改宗する必要があるので登場したということか。こういう映画の筋を考える時の製作者や脚本 家って楽しいでしょうね。 ネタは歴史からもらえるのでネタには困らないし、史実に捕らわれる必要は一切ないので、好きなように話を作れるし。 最後、首都の街並みの写真。トーマスの軍が王宮にかけつけるところで一瞬街並みが登場してました。 |