貨幣の話


1.物価の話

 別のページでローマの生活費について、ちょっと日本円で算出しています。 その根拠である、1アス80円は、ポンペイで発掘された市民の 家計簿をもとにしています。だいた1月あたりの支出がだいたい192セス=6万円、年72万円となります。=年24000セステルティなので、600デナ リウスという計算です。 上層階層の人々の別荘が多くあるポンペイの物価は安くはなかった筈です。最近以下の情報をいただきました。

 ・キリスト時代の農場の労働者の1日の賃金は1デナリウス
 ・ローマ軍団兵士の年俸はカエサル時代で140デナリウス、アウグスツス時代で225デナリウスですから、1日1デナリウス弱です。
 ・小学校の授業料 月がう8アス、
 ・生活費 2〜3アス

BC210からAD140まで

1デナリウス=10アス=4セステルティウス

AD140以降
 1デナリウス=4セステルティウス=16アス。
古代ローマの貨幣単位。1セステルティウス=4アス(銅貨)。

    4セステルティウス(一日の最低生活費。真鍮貨)=1デナリウス(銀貨)。
    25デナリウス=1アウレウス(金貨)。

 ・アテネのテトラドラクマは労働者5日分の賃金だったらしい。

この情報と比較しても、 225デナリウスという値は 辺境の国境で勤務する軍団給与としては妥当なのではないかと思います。

 ポンペイはよく知りませんが、ローマをはじめとする多くの土地がエジプトからの輸入穀物に頼っていた筈なので、まともに食事を購入してい ると、高かったのではないでしょうか? イタリアにも農民はいたでしょうし、それこそ地方の農民は自給できるので、物価も高くはなかったと思います。現在 の日本と途上国の物価をみても、ものによっては軽く50倍くらいは価格が違っていたりするので、地方属州で2000セステルティウスという生活費も納得は 出来ると思うのです。 あとローマではパンの配給があった筈で、貧乏人は二万セステルティウスなくても暮せたのかも知れません。 でも家賃は2000とか した筈。。。(たしかどこかでローマの家賃の記録を見た記憶があるのですが。。。)

 ところで、キリスト教時代、3世紀以降の物価は大幅に変わっていると思います。3世紀は貨幣の銀含有量も極度に落ち、貨幣価値は暴落した はずなので。。。
私のHPのビザンツの方に以下の事例を掲載しています。

301年のイコニウム(現コンヤ)での教会建設の例 
 人物画職人 150デナリウス/日
 塗職人    75
 モザイク職人60
 石工・大工  50

380年の例では1ソリドゥスで30人分は高いという認識。4-6世紀に石工の平均年収は5-7
ソリドゥスとのこと。ラヴェンナのサン=ヴィターレ寺院の工費は26000ソリドゥスとか。

 2世紀のローマのソフィストの給与 10万セステルティウス。ローマ司教の収入は7000セステルティウス

これを見ても、広大で長く続いた古代ローマ世界の物価は、地域・時代でずいぶん異なるのだと思います。


2.ソリドゥス金貨

  コンスタンティヌス時代に発行され、中世を通じて基軸通貨となった。

貨幣の作成方法と厚さ