1.
トガ
成人用=純白
騎士(エクティス)用は、縁に幅の狭い紫の縁取りがある。
元老院用は、幅広の紫の縁取りがあった。
未成年用のトガも、紫の縁取りがあった。 凱旋将軍は紫のトガ。官職立候補者は専用のトガ、更に喪服用トガもあった。
時代が下るにつ れて、ぴったりしたトガが、ゆったりとしたものへと移行した。前1から紀元前後から日常生活では使われなくなってゆく。洗濯が面倒で、着付け も大変だったかららしい。なお、トガはローマ市民権の象徴でもあった。名門女子(マートローナ)のつける長衣をストラと言ったが、女性用のス トラもだんだん着られなくなってゆき、売春婦や姦通者の娘が着るようなものと見られるようになっていった。
2.トゥニカ&マント
トゥニカは、ギリシアのキトンに由来。毛織物で、後に亜麻布となった。男子は膝まで。
パッドといわれる、硬貨を入れるポケットを帯とした。女子のトゥニカはツーピースのこともあった。
エクティス用は細 い縦線入り。元老院用は幅広の縦線入り。子供用は細線だった。凱旋将軍は緑の縁取り(後世総紫となった)。後3世紀からトゥニカの新タイプ、 ダルマティカ(イリリアから流行)が登場。両手までの袖で絹製のものもあった。肩の下まで赤線入りで、色つきで縫い目があり、一般人のものは 白色だった。
3.バヌエラ
袖なしマント。
冬季や旅行用。または雨天用。主に羊毛製でフード付のものもあった。トラヤヌス時代以降一般人の間ではトガから変わって行った。
4.サグム
頭や肩に(右側)にかけた(元来スペインのガリア人のもの)。長く色つきのものをバルダメントゥムといった。
5.ラケルナ
トガの上のはお るレインコート。白または色つき。ギリシアのクラミュスのように膝の上。右肩にブローチで止める。BC1にローマに入り、中流市民層に広まっ た。特に観劇に行くときにトガの上にはおった(サグムが使われることもあった)
6.バルリウム (男)、バルラ(女)
もともとギリシ ア風マントだったが、帝政中期から末期にかけ、バヌエラやラケルナ以上に普及した。毛織、亜麻布、絹があり、色もとりどりだった。バルリウム は娼婦の衣装でもあった。
7.ラエナ
2重のトガ。宗 教儀式用。トガの上にはおる。神官が鳥卜占や儀式の時につけた。
8.シュテンクス
晩餐用衣装。上がトクニカで下がトガ。サトゥルヌス祭でトガの代わりになっていった。白、緑、紫がある。
9.ビュルルス (肩掛け) ガリア人より到来。雨天用。硬い毛織。絹のものもある。
10.ククルルス とんがり帽子状の頭巾付マント(これもガリアより到来)。労働者、奴隷が主。
11.プラカエ 半ズボン。トラヤヌス代までは膝まで。以降はくるぶしまで。ローマ人兵士着用。これも元はガリア人のもの。ローマ末期にローマ市民の一般装 束となった。
12.帽子
ペタスス = ギリシア的日よけ帽子
カウセア 、ピ ルレウス =労働者、手工業者、船員がかぶる。サトゥルニア際には奴隷や皇帝もかぶった。
女性は、ハルラ の端か日傘を使った。
3世紀末に、白 いシルクハット状のふちなし帽子がはやった。
13.靴
ソレア(サンダ ル) ギリシアでは一般的だったが、ローマでは家の中や浴場、他家訪問時で履いた。
ソックル(ス リッパ) 女性用、喜劇役者用。
カルケウス(正 式な靴) 市民用。パトリキ用は、赤い、元老院用は黒の4本の組みひもでくくる。半円の象牙のバッチをつけた(これは帝政期には市民に普及し た)軍では、百人隊長以上が履いた。
ムルレウス
高いかかと の特別な形。もとはエトルリアの履物。
ペロ(ズック)
軍用サンダ ル。農民と一般動労者も履いた。
スクルボネア 農民と奴隷用の履物
カンパグス 兵士の履物。古代末期、高貴な人の履物になった。
古代末期には、 ギリシアのクレピス状のサンダル(ふくらはぎまである)も、労働者や農民に広まった。
女性用の靴は、男 性用と同じで、白・赤・Goldなどがあり、真珠などで装飾をしていた。
14.装身具
女性はバッ グ、扇子、パラソル、指輪、ブローチ、髪留めバンド、耳飾、ブラケットをつけた(前215年、女性の奢侈禁止令が出たことがある)
女性は、特に 耳飾にお金をかけた。
男性は、指 輪。パトリキは黄金の指輪を。共和制末期、印章付のものを左の薬指にはめた(自由人のみ)。
婚約指輪は、 鉄製。フィアンセの薬指にした。(薬指は心臓に直接つながっていると考えられていた)
15.ブルラ(魔 よけ)
心臓型をしてい て、自由人の子供が首にぶるさげた。金のものや革のものなど色々。インペラトールの黄金のブルラをつけた。3世紀まではつける習慣があった。
16.髭剃り・髪 カット
前2世紀から一 般的な習慣となる。ただし子供は産毛をそらない。黒くなってから剃り、神にささげた。
短いひげは若者 (約40歳まで)、完全にひげをそり落とすのは老人の意味(白くなってゆくから)
ハドリアヌスか らコンスタンティヌスまでは、ファッションとして髭を伸ばすことが流行した。
喪中の男は髭も 髪も刈らない。
刑事犯として告 発されると、汚れたぼろ衣装で髭も剃らずに裁判所に行く。有罪となるとそのまま続行する。
女性は、結婚時 には6つの束に結った。(エトルリアの女性神職の髪型)。
ブロンドが流行 した。蛮人の髪を自分の髪に結いこむことや、脱色や染色もはやった。
17. カルタゴ 人の装束(カルタゴ独立時代)
@メソポタミア 起源のトゥニカ(フェニキアタイプ)。帯なしの貫頭衣。毛織。帯をしている人は少ない。
暑いので帽子を かぶる。東方風ターバンをティアラという。キプロス起源で、フェルト製の円錐帽。その他ヴェールをまとった。
Aキプロス、ま たはアナトリア起源 襞付の厚手の三角の長い下衣。上には外套(フロックコート)。
Bエジプトスタ イル 基本的に儀式用
18.カルタゴ属 州時代
ヒマティオン着 装。17の@ローマ支配下となって廃れてゆく。Aは残った。
カルタゴトゥニ カ = ゆったりした長袖。帯無し。ふくらはぎの中ほどまで垂れている。
エクソミス(ギ リシア) キトンの1タイプ。 ギリシアでは労働者、奴隷が来たがローマ世界では一般化した。
農民は冬、雨 天、旅行、狩猟時、トゥニカの上にサグムをつけた。
バヌエラ、ウウ ルラタは2世紀にはアフリカにも広まった。これらは古代末にはベルベル人の民族衣装となった。
19.パラ
前4世紀からの ローマ時代の上層階級の外衣。当時は、ギリシア風の衣装が取り入れられ、ローマ人は女性服を一般にパラと呼んだ。
ギリシアの ヒューマティオンを継承していて、ウール、絹、麻などの長方形でショール状のもの。前3世紀からダルマティカの流行の前に廃れた。
※オウィディウスの「アルス・アマトリア」は、衣装に詳しいとされている。
出典 長谷川博隆著『ローマ人の世
界-社会と生活』1985年、筑摩書房(「ローマ人とその服飾」p260-291、「カルタゴおよび属州アフリカの服飾」
p292-301)