古代地中海世界の終焉


□ローマ世 界の景観を規定する諸要素の登場と終焉

(円形闘技 場、戦車競技場、劇場、パンの配給、公共浴場など)


【登場】

 

円形闘技場  前1世紀後半から各地に浸透
ローマ市の浴場 BC33年、小さい浴場が170箇所。これが大浴場になってゆくのはアグリッパ以降

250年以 降南インドでローマの通貨が発見されなくなる。


【終焉】

・円形闘技場の終了

    325 年 コンスタンティノープルの円形闘技場はコンスタンティヌス1世の禁令後は処刑場となった(井上浩一著「ビザンツ文明の継 承と変容」p88)
  東ローマでは戦車競技はコンスタンティノープル以外の都市では禁止されるようになった(コンスタンティノープルでは 1204年まで続いた)。

 

4世紀  ローマ市の浴場は、11の大浴場(テルマエ)と、856の小浴場(バルネウム)があった。
5世紀 コンスタンティノープルには9つのローマ風公共浴場と153の個人経営のローマ風呂があった(「史料が語るビザンツ 世界」p199)


・アレキサ ンドリア図書館の終焉

    391 年 アレキサンドリア図書館の付属セラペイオン図書館キリスト教徒による焼き討ち。

    415 年 アレキサンドリア図書館付属の研究所ムセイオン焼き討ち。アレキサンドリア図書館の最終的な活動停止となったと思われ る。

 

529年、アカデメイア閉鎖

 

・水道と公共浴場

    537 年 ローマの水道橋が破壊され、多くの浴場が利用できなくなる。
    626年アヴァールがウァレンス水道の市外部分を破壊した。
   これに伴いコンスタンティノープルの浴場が利用停止となった可能性があるとのこと(「ビザンツ文明の継承と変容」 p108)。

    コ ンスタンティノープルのゼウシッポス浴場も8世紀には用いられなくなり、跡地は牢獄と国家織物工場となった(「ビザンツ文明 の継承と変容」 p105)

    6世紀末にローマのアグリッパ浴場は利用されなくなり、ディオクレチアヌ ス浴場は11世紀末に利用されなくなった。

 

541年  ユスティニアヌス、 ローマの幹線道路 1本以外メンテナンスを停止(出典渡辺金一著「中世ローマ帝国」)

541年 執政官(コンスル)廃止(コンスル暦年法も同時に廃止)

 

・劇場

    劇 場は6世紀後半に衰退を開始し、7世紀以降「テアトル」とは競技場をさしたとのこと(「ビザンツ文明の継承と変容」 p101)

    7 世紀には劇場は消滅へ 691/2年 ミーモス・パントミーモス禁止令

 
・都市での穀物配給

 615年頃  パンの配給停止(6世紀後半にコンスタンティノープルでは配給が有料化していたと考えられる。コンスタンティノープルにお けるパンの配給は332年に開始したと思われる。このことから、パンの配給は帝国全土ではなく、主要都市に限られていたと思 われる(コンスタンティノープル、アンティオキア、アレキサンドリア他の多くの都市)。アレキサンドリアでの穀物配給はディ オクレチアヌス帝時代に開始されたらしい(「皇帝ユスティニアヌス」p148)。
見世物は帝国全土で行われていた。なお、ローマでの穀物配給は、教皇庁が引き継いで、少なくとも6世紀末までには 機能していたらしい(「ローマ ある都市の伝記」朝日選書p109)。

 

・著作物
  前6世紀‐5世紀で見ると、ギリシャ人は前5‐4が多く、ローマ人は前1‐後2世紀に多い。以降は衰退してゆく。


・地方都市-東ローマ

 7世紀を中 心に多くの都市が平地の都市から城砦都市(カストロン)へ変貌。
 ディオクレティアヌス帝時代以来の州制度もユスティニアヌス帝時代に大きく改変された。
 帝政ローマ期の地方都市の統治組織である都市参事会(クリアーレス)は、6世紀にほぼ消滅。
 形式上は、レオン6世(886-912年)時代に廃止勅令が出された(「ビザンツ帝国の政治制度」p66)


・貨幣流通-東ローマ
 7世紀初頭まで流通盛ん。アラブの侵攻で衰退し、9世紀に復活(「ビザンツ文明」p76)。
 ユスティニアヌス時代の納税はアンノナ(物納)とアデラティオ(金納)があったが、まだ金納が主流だったらしい(「ビザン ツ文明」p141-8)



-参考

  「中世ローマ帝国」 渡辺金一 岩波新書
  「ビザンツ 文明の継承と変容」 井上浩一 京都大学学術出版会
  「ビザンツ帝国の政治制度」 尚樹啓太郎 東海大学出版会
  「皇帝ユスティニアヌス」 ピエール・マラヴァル 白水社
  「ビザンツ文明」 ベルナール・フリューザン 白水社
  「史料が語るビザンツ世界」 和田廣 山川出版社

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