2013年8月16日作成

ローマ帝国の版図と等温線の関係


 毎日暑い日が続きます。天気予報を見ていると、東京の最高気温は35度を越えているのに、八丈 島や小笠原諸島は31度くらいしか無い日々が続いています。 気温は緯度だけに比例するものではなく、海流や気圧配置の影響も大きいことが実感できます。深圳は小笠原島より南にありますが、 夏の最高気温は大体毎年 31−32度くらいでした。深圳は北緯22度59、小笠原諸島の母島は北緯26.64にありますから、、小笠原諸島よりも南にあ る深圳の方が暑そうに思え ますが、過ごした3度の夏で35度を越えたことは滅多に無く、近年の東京より低く、まだ過ごしやすいところがありました。また、 深圳の北約135kmに位 置する広州では35度を越える日が結構ありましたから、内陸部の方が暑いという点では、東京と高崎の関係に似たところがありそう です。

  緯度よりも海流や地形が気温に影響するという点については、ブルガリア滞在時にも実感したことがあります。以下は1996年のブ ルガリアの新聞に掲載され ていたヨーロッパの気温等温線マップです。上は1996年12月27日のもの。ブルガリアの首都ソフィアは北緯42.6度で函館 相当、ロンドンは51.5 度で樺太北部、カムチャッカ半島南端に相当するわけですが、ソフィアはロンドンより5度くらい寒くなっています。更に、スコット ランドの北部57.4度地 点は、宗谷岬から1000km以上北、カムチャッカ半島中部相当であるにも関わらず、ソフィアよりも10度くらい暖かい状況で す。ソフィアからアテネの間 は400km足らずであるにも関わらず、20度程温度差がある点も目につきます。


  上画像の下の地図は、96年5月10日のものですが、スコットランドとスペインの都マドリッドの等温帯は、真冬の12月27日の ものと同じ。一方のソフィ アは、12月27日には零下5-10度であるのに対し、5月10日は25度以上となっていて30度以上の温度差、モスクワに到っ ては零下20度以下から 20度以上と、40度以上の温度差となっています。モスクワの少し南の地点では、5月10日は25度以上となっていて、45度以 上の温度差となっていま す。スコットランドやマドリッドが安定していて、東ヨーロッパやロシアが気温的には過酷な状況にあることがわかります。これは同 時に、少なくとも気温的安 定という点では、過ごしやすい地点を西欧諸国が占めている、ということになります。

 以下の日の気温マップでは、上画(1996年10月 22日)の15度の等温線、下画(1996年3月30日)の5度の等温線が、ローマ帝国の国境線とだいたい一致しています。古代 の気温は現在は異なってい る部分がある筈ですが、これを見ていると、気温とローマ帝国の版図には若干の因果関係がありそうに見えてしまいます。ローマ帝国 と気候の関係としてよく出 てくるブドウ栽培の北限線よりも帝国国境線に近いラインとなっています。

  カエサル以前は地中海沿岸地帯を領土としていたローマが、その後ガリアやブリタニアなど西方地帯で北方に領域を広めた要因のひと つは、気温的、ひいては気 候的な要素も関連していそうな様子が伝わってくるとともに、気温的に安定した、過ごしやすい地域を支配下に置いたということでも ありそうです。


  とはいえ、ここに並べてみたのは、96年から97年にかけての約2年分のもののうち、特徴が顕著に出ているものを選択してご紹介 したものなので、ローマ帝 国の版図となんら関連性の無い日もあれば、普通に緯度と気温が比例している日もあります。しかし、全体的に見ても、西欧諸国は気 温が安定し、東欧以東の気 温差が激しい点と、ローマ帝国の版図をイメージさせる日が多いことは確かです。

 なお、現在の各地の気温マップについては、私は以下の ウェザーフォーキャストをたまに見ています。このサイトは、当日から数日間の気温地図が昼夜別にアニメーションで見れて便利なの ですが、残念な点は、30 度以上は色分けが無く、夏場の日中は赤一色となってしまう点です。南極も見れるのが凄いところ。

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