古代ギリシャ人にとって トラキア及び黒海の北に住む騎馬民族をスキタイ人と呼んだ。彼らとは交易の相手でありかつ 時に略奪者として現れている。 ダレイオスの時代、シル川の彼方に サカ人がいたとされる。 この中央アジアのサカ人と 黒海の北にいた スキタイ人とは 同じ民族だとされている。 スキタイの 「タイ」とは複数形であり、単数系は「スク」とされ、「人間」を意味したらしい。 スクとサカは同じ言葉であり ギリシャ人とイラン人の耳を経由した結果 スク/サカ の違いとなったとか。 また 古代中国の史書には 塞という民族が登場するが、これも 古代中国の発音で「サク」とされ、 サカ人のことであったとされる。
古代ギリシャとイランと中国の史書に 同一民族の 「Suk」人が登場しているということになり、 このスク人は黒海から中国西部に及ぶ非常に広大な領域に展開していたらしい。 もっとも後世のモンゴル人のように単一の政権に統合されていたとは思えないけれども、 情報のやりとりや 交易を通じての交流はあったかも知れない。 張騫が イランと中国を直接結びつける数世紀も前に ギリシャと中国の間を 旅したスク人がいたかも知れない。このイラン東北部にいたサカ人のうち、東方にいた部族をマッサゲタイと呼ぶことがある。キュロスはマッサゲタイとの戦闘中に戦死した、との説があるが、7世紀前後この地域で活躍した ソグド人はマッサゲタイの末裔だとか。このソグドは古代ペルシャ語でスグダといい、 ひょっとしたら 「Suk-Da」との発音で 「スク」の発音を引いているのかも知れない。