ベトナム歴史映画「タンロンの歌姫」(2010年)


   昨年本作を知ってから是非見たいと思っていた作品です。漸く見れました。結構印象に残る作 品でした。官僚と芸伎の、階級に阻まれる悲恋を美しく、非現実 的なまできれいに描いた作品なのかも、と思っていたのですが、少し違いました。あくまで私の印象であって、製作陣の意図したとこ ろとは違うのかも知れませ んが、悲恋にすらならないところが、この作品が描いてしまったヒロインの悲劇にあるのだと思った次第。

 本作は、2011年福岡国際映画祭で上映されており、日本語の感想も多数ネットに上がっているのであらすじははしょり、感想だ け記載します(以下More)。


 まず、主人公の官僚阮攸(1765-1820 年)は、ヒロインに恋愛感情を持っているようにはどう見ても見えない描かれぶりです。そもそも、主人公の二人は、30年間に3度 しか会っていないので、愛 情を深める余地が無く、最後3度目に会った時、阮攸は、「確か、あなたの名前ねカムといったっけ?」と尋ねてしまう程度にしか、 ヒロインの名前を良く覚え ていません。二人の間に恋愛感情があったのかも知れないと誤解させるような場面が何度かあるのですが、これらの場面でわかること は、阮攸の、いかにも知識 人然、或いは官僚然とした、決して自分のポジションからはみ出ることの無い、人の為に自分を汚さない人物像です。阮攸は、黎朝の 役人として二君に仕えず、 という潔癖さを持って叛乱を起こして政権を奪取した西山党が政権を握っている間は、出仕を断って田舎に引きこもり続け、妻子ある 身でヒロインに手を出さな い、いわばいい人間なのですが、それだけです。

 一方のヒロインはというと、こちらも恋愛に身を焦がすタイプには見えません。しかし、ヒ ロインが強く拘っていると思われる点が1つあり、それは、歌姫への社会的差別です。当時の官僚達は、宮廷楽師といえど、女性楽師 は演奏が終わった後に夜の 相手をするのが当然のように描かれていて、阮攸もヒロインも、この時代のありかたを強く認識しています。2度目に会った時、ヒロ インは阮攸に告げます。 「もし、歌姫を見下さないのであれば、一緒に杯を飲んでください」。勿論阮攸は飲むのですが、その夜、寝所でヒロインが服を脱ぎ 始めたのを阮攸は押し止め て去ってしまいます。阮攸の考えでは恐らく娼婦のように扱わないことが、歌姫を見下さないことを意味したのかも知れませんが、逆 にヒロインにとっては、そ うした特別な扱いこそが大きく傷つくことになってしまう。見ていて痛々しい場面でした。

 実はこの2度目の逢瀬には、もう少し背景があり ます。ヒロインは西山党政権に仕えることになった阮攸の兄に囲われている(ように思える)場面が出てきます。ヒロインは、黎朝の 官僚でありながら裏切って 西山党に仕える連中を「寄生虫」と呼び演奏を断り続けていたようで、阮攸の兄は、ヒロインが阮攸を知っていて、どうやら阮攸を尊 敬している(何故ならば、 西山党に寝返った連中を寄生虫と呼んでいることから)様子であることから、「阮攸が来るから」と口実を設けてヒロインに夜宴で演 奏をさせる。演奏が終わっ た時、西山党や黎朝の役人ら聴衆達が報酬として小銭や絹をばらばらとヒロインに投げつける。晒し者の如く扱われるまま苦しげに笑 いながら礼を言うヒロイ ン。良心的な阮攸は唖然として立ち尽くすのですが、それだけ。止めることもできない男。要するに主人公達の2度目の出会いは、阮 攸の兄のヒロインへの意趣 返しだったというわけです。お前は娼婦なんだ、芸人風情なんだ、お高くとまって演奏を断れる身分じゃないんだ、ということをヒロ インに思い知らせようとし たわけで、良い人阮攸は兄の策謀に易々と利用されてしまったということなのだった。

 思うに、この場面で阮攸がヒロインを「娼婦」ではな く、「女」として抱くことが出来てれいば、まだヒロインの傷は浅かったのではないかと思います。少なくともヒロインの父親(彼も 官僚だった)は、ヒロイン 同様歌姫だった母親を抱いてヒロインを産ませ、内乱時に母親は、父親の危機に駆けつける、という関係にあったのと比べると、2度 目の出会いの場面は、ヒロ インが「娼婦である前に女」ではなく、「娼婦でもないけど女でも無い」ということになってしまったのではないでしょうか。悲恋に すらならない痛々しさが際 立った場面でした。


 とどめは三度目の出会い。黎朝も西山党も滅び、都も南方のフエに移り、今や旧都タンロンの大通りでござに 座って演奏をしている落魄したヒロイン。白髪が混じり年老いて孤独な様子。このヒロインを、新しく成立した阮朝の役人となった阮 攸が清国へ使者に向かう途 上タンロンに滞在した折見つけてしまい、無神経にも声をかけて家に招いてしまう。ヒロインの心理からすれば、昔の知人にとって は、せめて若く美しかった頃 の自分の記憶だけを持っていて欲しいと思っているのではないでしょうか。阮攸に悪気は無かったとは思いますが、しかしこれが決定 打となってヒロインは井戸 に身を投げることになる。


 ヒロインが身を投げた井戸は、”その水を飲んだ少女は、恋わずらいにかかる”という言い伝えがあった 井戸で、映画冒頭で、少女時代の主人公が母親からこの話を聞く場面が出てくることから、この映画は、悲恋もの、という印象を強め てしまったのかも知れませ んが、そうではなく、自分の人生を”恋わずらいにかかった”ような悲恋があったことにしたかったヒロインの想いを、阮攸が打ち砕 いてしまった、ということ のように思えました。

 
 なお、ヒロインは、少女時代は、単に”娘”と呼ばれていて、個人名が無かった。都の音楽学校でカム(琴)という名前を貰うので すが、これは職業上の名称のようなものなので、結局一生、個人名を持たないままで終わった。

 ネット上での感想を幾つか読んだところでは、イマイチという感想が多いようですが、私は秀作だと思いました。福岡国際で上映し たということは、日本語字幕版はあるのだろうから、是非dvdを出して欲しいと思います。購入します。

 なお、本作の主人公阮攸はベトナム文学史上の金字塔とされる長編詩である「金雲翹新伝」の著者であり、日本語訳も過去2回出版 されています。

金雲翹新伝 (1985年) 竹内与之助訳
金雲翹 (1948年) 阮攸著、小松清訳

 
 映画「タンロンの歌姫」の原題は数十行の詩「龍城琴者歌」(映画のオープニングクレジットは、阮攸がこの詩を書く場面である) であり、以下に全文が掲載されています。

龍城琴者歌

 映画のイメージを伝える予告編や画像は、福岡国際映画祭上映時の「タンロンの歌姫」の紹介に あります。予告編の映像は、本作のイメージを伝えている印象がありますが、緊迫感溢れるBGMは、作品のイメージを損なっている ように思えます。兵士叛乱 や内乱場面など、緊迫感溢れる場面もあるものの、全体的には詩情溢れる落ち着いた静かな映像とBGMであり、冒頭のオープニング で使われていた音楽を使っ た予告編が無いのが残念です(幾つか探してみたのですが、ありませんでした)。

 ところで、幾つか画面ショットを撮りました。これだけ見ると映画のイメージを傷つけてしまいそうですが、映画の紹介ではなく、 映画における歴史上の文物の時代考証を目的としたものなので、映画のイメージにご興味をもった方は、映画祭のサイトの予告編をご 覧ください。

  左は、ハンモックのような輿。右は都タンロン(現ハノイ)市街。どうも、当時の建築物の史料が少なく、かなり製作陣の想像がある らしいのですが、町並みが ほぼレンガ作りである点に興味を持ちました。当時の清朝の家屋に似ています。木造主体だと思っていたので、このあたりの史実性に 興味があります。当時の市 街がわかる絵画などが残っていないものか、調べてみたいと思います。

 これもタンロン市街。

 左は阮一族の地元の家屋。左奥に門があり、門柱は石像、門扉は木造。右の家屋も木造。右側の画像は、チェスをしているところ。

 都の阮攸の家。中国と見分けがつかない内装・衣装。右画像での挨拶も中国風。阮攸やヒロインが漢詩を詠む場面は、字幕がベトナ ム語で表示されていました。映画の中では、漢詩をベトナム語で詠んでいたのではなく、漢語のまま発音していたようです。

 左は、都に兵乱が発生し、落ち延びてゆく途中の亭(休憩所)で阮攸とヒロインが出会う場面。結構好きな場面です。右は現ベトナ ム南端のヒロインの実家。中央右に「幸遇」(幸福な飲食店)という看板がかかっています。外観は普通の民居ですが、簡素な飲食 店。


 福岡では、今年、九州国立博物館でベトナム史上の文物が展示された展示会が開催されていたとのこと。東京でもやって欲しい。
大ベトナム展 2013年4月16-6月9日 
  20世紀初頭ベトナム解放指導者ファン・ボイ・チャウを扱った日本・ベトナム国交樹立40周年スペシャルドラマ「The Partner ~美しき百年の友へ~」も今月TBSで放映されます。製造業やIT業では数年前から盛り上がっていましたが、いよいよベトナムブームが民間レベルでも展開 されそうな感じです。

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