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ウマイヤ朝・アッバース朝・イル汗国・アフシャール朝・ガージャール朝の地方行政区画地図


  前 回ローマとビザンツ、オスマン朝の地方行政区画を調べてみたので、今回はウマイヤ朝、アッバース朝からイル汗国 にかけての地方行政区画を調べてみました。






1) 正統カリフ時代の行政区画(ヒッティ「アラブの歴史(上)」p435) 9州

1.シリア・パレスチナ、2.イラークを含むクーファ、3.ペルシア・シージスタン・ホラサー ン・バフレイン・オマーン・ナジュドとアル・ヤマーマを含むバスラ、4.アルメニア、5.ヒジャース、6.ケルマーンとインド、7.エ ジプト、8.イフリキーヤ、9.アル・ヤマンと南アラビア

 この記述を反映した正統カリフ時代の地図は見つけることが出来なかったのですが、以下の「Social Studies」というサイトの「Egypt during the Umayyad and Abbasside dynasty」の記事にあるウマイヤ時代の地図が、この記載の内容に一番近い地図となっています。この地図 は、アラビア半島の区画(バフレイン・オマーン・ナジュドとアル・ヤマーマ、ヒジャース、アル・ヤマンと南アラビア)は記載 されていないものの、その他の行政区画が記載されています。正統カリフ時代の行政区画は、案外この地図に近いのかも知れませ ん。地図の出典が記載されていないのが残念です。



 サーサーン朝の旧領に相当する 

2.イラークを含むクーファ
3.ペルシア・シージスタン・ホラサー ン・バフレイン・オマーン・ナジュドとアル・ヤマーマを含むバスラ、
4.アルメニア
6.ケルマーンとインド

が、末期サーサーン朝の行政区画とどのように関連しているのか興味深いものがあります。


2) ウマイヤ朝の行政区画 
 −ムアーウィヤによる統合後(ヒッティ「アラブの歴史 (上)」p435) 5州

1.アル・イラーク (上記正統カリフ時代ののバスラ+クーファに相当)。州都クーファ。
- ホラサーンとトランスオクシアナに副総督(メルブ駐在)、
- シンドとパンジャーブにも副総督)
2.ヒジャーズ、ヤマ ン、中央アラビア
3.アル・ジャズィー ラ(アルメニア、アゼルバイジャン、小アジア東部)
4.上下エジプト
5.イフリキーヤ(北 アフリカ、スペイン、西エジプト、シチリア。州都カイロワーン)

この五州は上に掲載したウマイヤ地図とは異なっています。正統カリフ時代やウマイヤ朝時代の行政区画の研究はあまり進んでい ないのかも。ヒッティの本では、サーサーン朝の旧領が全てアル・イラークの管轄下となっています。また、シリア・パレス チナの記載がありません。シリア・パレスチナはウマイア朝の直轄領土ということなのかも知れません。



3) アッバース 朝の行政区画((ヒッティ「アラブの歴史(上)」p628) 24州


1.シチリアを含 むリビア砂漠以西の西アフリカ、2.エジプト、3.シリアとパレスチナ、4.ヒジャースとヤマーマ(中央アラビ ア)、5.アル・ヤマン(南アラビア)、6.バフレインとオマーン、7.サワード(アル・イラーク=下メソポタミア)、8.ア ル・ジャズィーラ(州都モースル(上メソポタミア))、9.アゼルバイジャン(アルダビール、ティブリーズ、マラーガなどの 都市)、10.ア ル・ジバール(古代メディア。後にアル・イラーク・アル・アジャミ(ペルシアのイラク)と改称。主要都市はハマダーン、ライ、イスパハー ン)、11.フージスタン(主要都市はアフワズとトゥスタル)、12.ファールス(首都シーラーズ)、13.ケルマーン(首 都ケルマーン)、 14.マクラーン、15.シージスタン(首都ザランジュ)、16.クーヒスタン、17.クーミス、18.タバリスターン、19.ジュルジャー ン、20.アルメニア、21.ホラサーン(主要都市はニーシャープール、メルブ、ヘラート、バルフ)、22.ホラズム(初期 の 都はカース)、23.アル・スグド(ブハラ、サマルカンド)、24.フェルガナ・タシュケント

アル・ガッザーリのサイト「al-Ghazali website」に以下の地図が掲載されて います




4)イル汗国調整区画地図(「十三世紀の西方見聞録(那谷敏郎著」p173-4所収)



上下イラク区分、アルメニア地方、アゼルバイジャン地方、イランのファールス地方、イラーク・アジャミーと呼ばれたイラン高 原地 方(イスファハーンが中心。アッバース朝時代のジバール地方)、イラン東部ホラサーン、イラン西南部ケルマーンやシースターンなど、基本区画は殆ど変わっ ていないことがわ かります。

 アッバース朝とイル汗国の行政区画にあまり相違は無いことから、その間の、アッバース朝の権威下に統治したブワイフ朝やセ ルジューク朝の行政区画も同じ区画が続いていたものと推測できそうです(ブワイフ朝は、一族でジバール政権、イラーク政権、 ファールス政権を分割して統治したことからも、アッバース朝の行政区画を引き継いでいたことがわかります)。


 この区画が、いつ、現在のイランの行政区画に変わったのかも知りたかったのですが、ティムール朝とサファヴィー朝の地方行 政地図が見つからないのが残念です(サファヴィー朝地図でよく出回っているのは、王領地と知事管轄区域のこちらの地図)。


5)アフシャール朝の地方区画地図
 古地図サイト「Map and Map」から引用。細かい地名を確認できる大きなサイズの画像がMap and Mapサイトのこちらのページにあります。



 この地図上の区画は、名前が記載されていないものもあるようなのですが、イル汗国時代の区分と共通している部分が多そうで す。名称の記名されていない区域に過去の州名を書き入れ、小さな区画に番号を振ってみました。


 全部で24区画あり、フランス人シャルダンが挙げている「24の地方」(「ペルシア見聞録」東洋文庫p20」という数と一 致しますが、偶然かも知れません。イラク・アジャム州はまだ細分化されておらず、イラク・アラブ州が南北に長い変わった形を している点が特徴的です。推測ですが、イラク・アラブ州は、ナーディル・シャーのイラク再征服地をそのままイラク・アラブ州 に編入したので、このような形となったのではないでしょうか。更に、カスピ海東南部とイスファハーンからヘラートにかけて、 小さな区画が並んでいるのも特徴的です。


6)ガージャール朝と現在のイラン・イスラーム共和国の地方行政区画地図

 以下左はガージャール朝の地方区画地図(Wikiのガージャール朝の記事から引用)、右は現在のイランの行政区画地図 (引用元はヒューマンライツ・アソシエーションのイランキャンペーンのサイトから)。各 州の領域は細かい部分で変わっているものの、ガージャール朝となってジバール州が細分化されている点が現在のイランに引き継 がれており、かなり現在のイラン共和国の行政区分に近づいています。



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